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最終章「夢見る偽神の存在証明」
246話 生き残りの宿命
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白い診療室に、アルコールの刺激臭が充満している。夜が更け、明かりの消えた室内の奥には、書籍や筆記用具に加え、酒瓶とグラスが乱雑に置かれた机があった。
その机に突っ伏し、大きな椅子に座り込んでいる男がいた。
「飲んでる場合じゃないでしょ。カルデルトったら」
消えていた診療室の照明に、魔力の光が灯された。突っ伏していた男は、その眩しさに目を覚ます。薄い金の髪を垂らした天使が自分を覗き込んでいることに気づき、ぼんやりと呟いた。
「誰だ……って、アリアか」
「寝るならちゃんとベッドで寝なよ」
天使──アリアは呆れたように言いながら顔を上げ、簡易ベッドが置いてある方向へ歩き出した。彼女の言葉に、カルデルトも突っ伏していた身体を起こす。
「そっちは先約があんだよ。俺はこっちでいい」
「もう、何言って……え?」
ベッドを見下ろしたアリアの、緑と青の瞳が見開かれる。
布団がどかされており、白いシーツの上に汚れた鎧が置かれていた。着ている主がいないにもかかわらず、人の形になるよう整った状態になっている。
「……この鎧、まさか」
アリアは、ベッドの上の鎧が親友のものであるとすぐに理解した。もう一度カルデルトを見遣るも、酔い潰れてやつれた彼の顔に言葉を失った。
「すまねぇ……止められたらよかったんだが。あいつ、勝手なことしやがって」
「…………そんな風に言っちゃダメだよ。ティアルもきっと、こうなることわかってたんじゃ」
「だからって自分から死にに行くような真似するか!? どいつもこいつも、自分の身のことなんも考えちゃいねぇ!! バカ野郎ばっかりじゃねぇか!!」
空になった酒瓶を机に叩きつけるとともに、カルデルトは声を荒げた。その様子に、アリアはただ肩を震わせるしかなかった。
親友の死と、荒廃してしまった仲間の姿を前に、診療所の空気は真夜中にふさわしく冷たかった。
「お前はこれでいいと思ってんのかよ、アリア!? あいつはお前にとっても親友だったんじゃねぇのか!?」
「いいわけないよ! 私だって、本当は……!!」
叫び返したアリアの勢いがしぼんでいき、カルデルトもまた力なく首を横に振った。
「……悪かった。お前さん、この間までずっと苦しんでたってのに」
「ひどい酔い方してるんだよ、きっと。今日はもう寝た方がいいよ」
「お前さんは……強いな」
強くなんかないよ。
そう小さく返したアリアの顔に、疲労の色が滲み出る。
「だって……クリムもクロウも頑張ってるのに、私だけ休んでるなんて、やっぱりダメだから」
「……この前からちらほら聞くから気になってたんだが。クロウリー、本当に生きてんのか?」
彼が関係していた百年前の大事件を経験した者であれば、当然の疑問であった。アリアだけではない。クロウリーは事件の後に死んだと認識されている中で、彼が生きていると言う者は何人もいた。
アリアは無意識に、カルデルトから視線を逸らしていた。そのまま黙り込んでしまうのを見て、カルデルトはため息をつく。
「ごめんね。受け入れてもらえるかわからなくて、黙ってて」
「俺な、一つ気になることがあるんだ」
彼は机の端に置いてあった、あるものを引き寄せる。アリアの目には、それが橙色の宝石のような物体に見えた。
「これ、何?」
「ティア嬢の遺体があったとされる場所に残ってたものだ。見た目はただの綺麗な石っぽいが、凄まじいエネルギーを感じる。なんだか懐かしい気配もな」
「……なんとなくだけど、ティアルの右目に似た色だね」
アリアの何気ない言葉に、カルデルトは自分の手の中にある宝石に目を落とす。
「そういや、クリムが妙なことを言ってたな。トゥリ坊が遺した赤い石を飲んだとかなんとか」
「えぇっ!? で、でも、クリムは何も変わってなかったと思うけど……」
「いや、アリアはあの時宮殿にいたんだろ? あいつ……あの悪魔とやり合ってたときに、片腕吹っ飛んでんだよ」
え、と声を漏らさずにはいられなかった。アリアが宮殿でクリムと合流したとき、彼の身体には何の異常も見受けられなかった。その裏で片腕を欠損していたなどとは、微塵も考えなかった。
「それなのに元通りに戦えるようになっていた。少なくとも死んじゃいねぇわけだ。下手すりゃこれと同類の石で命を繋いだ可能性まである……それなら俺も」
「だけど、カルデルト。どれだけ強い力を得たとしても、カルデルトの力じゃ」
「わかってるよ。俺はアーケンシェンの中じゃ最弱だからな」
彼はそう言いながら、コートのポケットに宝石をねじ込んだ。
カルデルトが持つのは、生命エネルギーを操り外的・内的干渉を行う力のみだ。一切の戦闘が不可能というわけではないが、治療や魔法の模倣といった行動に特化している。それは他の仲間にはない力であると同時に、彼にとって最大の弱点でもあった。
連続する戦いの中で、彼は己の無力さを悔いるばかりだった。
「だからこそ、力が欲しいんだ。犠牲になった仲間を取り込んででも、な」
「カルデルト……」
「なぁ、アリア。もし、クロウリーが本当に生きてんなら」
底冷えするような静けさと、研ぎ澄まされた冷たい空気が二人の間を漂っている。
「────あいつを殺して、右目を奪えばいいんじゃねぇか?」
殺して、奪う。
その言葉を、アリアは激しく嫌悪した。
「なっ、何言ってるの!! 私そんなこと……っ、仲間なんだよ!?」
「それはお前さんにとっての話だろ。『今もあいつを仲間だと思ってる』なんて、俺が一言でも言ったか?」
勢いのままに糾弾した彼女に対し、カルデルトは呆れ果てた顔でグラスの酒を煽った。グラスが空になり、軽く叩きつけるように机に置く。
「裏切られた当初はあまり何とも思わなかった。でも、今は正直許せねぇよ。昔のことなのに『なんてことしてくれたんだ』って思う」
「どうして……?」
「トゥリ坊があの組織……ミストリューダに寝返った大元の理由は、クロウリーが裏切った理由を探っていたからだ。あんな奴らと関わったせいでトゥリ坊が殺されて……今度はティア嬢が死んだ。俺があいつを許す理由はすでになくなってんだよ」
少し考えてみれば当たり前だったと、アリアは口をつぐんだ。カルデルトはそんな彼女を、どうしようもなさそうに見遣る。
「俺からしたら、お前らの方が理解できねぇよ。お前はクロウリーに殺されかけてるし、クリムだってそれであいつを激しく憎んだ。それなのに、なぜまだ仲間だと言い張れる?」
「クリムは多分、もうクロウを憎んだりしないよ。憎む理由がなくなったもの」
「お前さんがいるからとでも? 果たしてそうかねぇ。『次』が来たらどうなるか、何も保証はねぇだろ」
呆れた顔で見られても、まっすぐで力強い視線を返すのみだった。
百年前と同じことが起きない可能性は否定しきれないが、アリアはカルデルトほど悲観的ではなかった。
「……まあ、それがお前さんの選択ならいいけどよ」
グラスや酒瓶を片づけ始めるのを見て、アリアは部屋から立ち去ることにした。去り際になったとき、カルデルトは片付ける手を止めて口を開く。
「クリムも『同じ』だとは限らねぇからな。あいつは俺たちが思う以上の重責を負ってるんだからよ」
「うん……わかってるよ」
もうお互いの顔を見ることはなかった。アリアは診療室から出て、診療所の出入り口へと向かう。
アルコールのきつい匂いが立ち込めた建物から出るべく、扉を開けた。
「先客はお前だったか」
「……ジュリオ?」
扉を開けてすぐに、白い片翼の天使と遭遇した。一瞬、セルジュと見間違えそうになったが、相手は白い軍服に身を包んでいた。自分がよく知る天使とは真逆の右肩から翼が生えているところから、セルジュの兄なのだと察する。
「診療所にご用?」
「街をうろうろしていたからな。症状がこれ以上悪化しないうちに抑えてもらおうと思っただけだ」
天使──ジュリオはアリアの横を通り抜けて、診療所の長椅子に横たわった。暗がりの中でも、彼の顔色が悪く気だるそうにしていることだけはわかった。片腕を額に乗せて、ぼんやりと天井を仰いでいる。
「……酒の匂いだな、これは」
「カルデルト、すごく酔ってるみたいだから」
「街が大変なときにヤケ酒ってところか。無責任だな」
冷たい物言いでありながらも、的外れではない正論。アリアには言い返す資格すらないと感じ、黙り込んでいた。
「お前みたいに綺麗な両翼が、欲しかった」
唐突に話題を切り替えられたので、少し戸惑った。アリアはジュリオの真意を知るべく、言葉の続きを待つ。
「神々の模範的存在。みんなが憧れる完璧な存在。そんな風になれたら、苦しむことはなかったかもしれないと思うと」
「完璧なんかじゃないよ」
焦がれる言葉にすかさず返答した。ジュリオはため息をついて、沈んだ表情を浮かべるアリアを見遣る。
「お前は自分をなんだと考えている? 神とは絶対的な存在じゃなかったのか?」
「わからない。本当に完璧なものはきっと、私たちの手の届かないところにあると思うの。本当の神は、死ぬことも恐れないんじゃないかな」
「……もしかしたら、そうだろうな」
「だから私は、神とか人間とかこだわらないようにしているの。考えたってきりがないもの」
アリアはしばらく彼の隣に立ち尽くし、言葉の余韻に耳を澄ますように沈黙を守った。夜風が診療所の扉の隙間から入り込み、空間を撫でていく。
「黒幽病が何なのか、知っているんだろ。長く身体に染み込んだアストラルは洗い流せない。これ以上戦えば、おれもお前も死ぬ」
百年前に災いを被ったことで、いわば呪われた身になった二人。異質な力が飛び交う戦いに身を投じ続ければ死ぬ運命にある。
忠告を受けても、アリアは平然としていた。むしろ、ジュリオに向かって優しく笑いかけるのだ。
「私は死なないよ。死ぬかもしれなくても、救うことをやめたりはしない」
「……そうか。本当、両翼の天使は諦めることを知らないんだな」
ジュリオは身体を起こし、右肩の翼の根元をまさぐる。アリアが首を傾げている間に、ジュリオが手のひらに一枚の白い羽根を乗せて差し出した。
「! これって……」
「クロウリーがお前から奪ったものだ。覚えがあるんだろう」
百年前に奪われた固有魔法。その源が今目の前にある。
「……ありがとう」
アリアは微笑みながら、差し出された羽根を受け取った。羽根から滲み出る温かさに安心感を覚えていると、ふとした疑問が沸き起こった。
「あれ? 私のだけってことは、クリムのは? あの子も固有魔法なくなってるんだけど」
「……返してもらえなかったんだよ。まあ、どうしてもっていうならそっちで説得しろ」
「まーたクリムに意地悪してるの!? クロウの奴、今度会ったら頭ぶっ叩いてやるわ!」
意気込むような強い口調。ジュリオは躍起になっているアリアを横目に、静かに息を吐いて顔を逸らす。
────死にぞこないのくせに、おれは嘘を吐いてまで力が欲しかったのか。
本来返すべきであるもう一つの力の欠片は、片翼の根元でほのかな白い光を放っていた。
白い診療室に、アルコールの刺激臭が充満している。夜が更け、明かりの消えた室内の奥には、書籍や筆記用具に加え、酒瓶とグラスが乱雑に置かれた机があった。
その机に突っ伏し、大きな椅子に座り込んでいる男がいた。
「飲んでる場合じゃないでしょ。カルデルトったら」
消えていた診療室の照明に、魔力の光が灯された。突っ伏していた男は、その眩しさに目を覚ます。薄い金の髪を垂らした天使が自分を覗き込んでいることに気づき、ぼんやりと呟いた。
「誰だ……って、アリアか」
「寝るならちゃんとベッドで寝なよ」
天使──アリアは呆れたように言いながら顔を上げ、簡易ベッドが置いてある方向へ歩き出した。彼女の言葉に、カルデルトも突っ伏していた身体を起こす。
「そっちは先約があんだよ。俺はこっちでいい」
「もう、何言って……え?」
ベッドを見下ろしたアリアの、緑と青の瞳が見開かれる。
布団がどかされており、白いシーツの上に汚れた鎧が置かれていた。着ている主がいないにもかかわらず、人の形になるよう整った状態になっている。
「……この鎧、まさか」
アリアは、ベッドの上の鎧が親友のものであるとすぐに理解した。もう一度カルデルトを見遣るも、酔い潰れてやつれた彼の顔に言葉を失った。
「すまねぇ……止められたらよかったんだが。あいつ、勝手なことしやがって」
「…………そんな風に言っちゃダメだよ。ティアルもきっと、こうなることわかってたんじゃ」
「だからって自分から死にに行くような真似するか!? どいつもこいつも、自分の身のことなんも考えちゃいねぇ!! バカ野郎ばっかりじゃねぇか!!」
空になった酒瓶を机に叩きつけるとともに、カルデルトは声を荒げた。その様子に、アリアはただ肩を震わせるしかなかった。
親友の死と、荒廃してしまった仲間の姿を前に、診療所の空気は真夜中にふさわしく冷たかった。
「お前はこれでいいと思ってんのかよ、アリア!? あいつはお前にとっても親友だったんじゃねぇのか!?」
「いいわけないよ! 私だって、本当は……!!」
叫び返したアリアの勢いがしぼんでいき、カルデルトもまた力なく首を横に振った。
「……悪かった。お前さん、この間までずっと苦しんでたってのに」
「ひどい酔い方してるんだよ、きっと。今日はもう寝た方がいいよ」
「お前さんは……強いな」
強くなんかないよ。
そう小さく返したアリアの顔に、疲労の色が滲み出る。
「だって……クリムもクロウも頑張ってるのに、私だけ休んでるなんて、やっぱりダメだから」
「……この前からちらほら聞くから気になってたんだが。クロウリー、本当に生きてんのか?」
彼が関係していた百年前の大事件を経験した者であれば、当然の疑問であった。アリアだけではない。クロウリーは事件の後に死んだと認識されている中で、彼が生きていると言う者は何人もいた。
アリアは無意識に、カルデルトから視線を逸らしていた。そのまま黙り込んでしまうのを見て、カルデルトはため息をつく。
「ごめんね。受け入れてもらえるかわからなくて、黙ってて」
「俺な、一つ気になることがあるんだ」
彼は机の端に置いてあった、あるものを引き寄せる。アリアの目には、それが橙色の宝石のような物体に見えた。
「これ、何?」
「ティア嬢の遺体があったとされる場所に残ってたものだ。見た目はただの綺麗な石っぽいが、凄まじいエネルギーを感じる。なんだか懐かしい気配もな」
「……なんとなくだけど、ティアルの右目に似た色だね」
アリアの何気ない言葉に、カルデルトは自分の手の中にある宝石に目を落とす。
「そういや、クリムが妙なことを言ってたな。トゥリ坊が遺した赤い石を飲んだとかなんとか」
「えぇっ!? で、でも、クリムは何も変わってなかったと思うけど……」
「いや、アリアはあの時宮殿にいたんだろ? あいつ……あの悪魔とやり合ってたときに、片腕吹っ飛んでんだよ」
え、と声を漏らさずにはいられなかった。アリアが宮殿でクリムと合流したとき、彼の身体には何の異常も見受けられなかった。その裏で片腕を欠損していたなどとは、微塵も考えなかった。
「それなのに元通りに戦えるようになっていた。少なくとも死んじゃいねぇわけだ。下手すりゃこれと同類の石で命を繋いだ可能性まである……それなら俺も」
「だけど、カルデルト。どれだけ強い力を得たとしても、カルデルトの力じゃ」
「わかってるよ。俺はアーケンシェンの中じゃ最弱だからな」
彼はそう言いながら、コートのポケットに宝石をねじ込んだ。
カルデルトが持つのは、生命エネルギーを操り外的・内的干渉を行う力のみだ。一切の戦闘が不可能というわけではないが、治療や魔法の模倣といった行動に特化している。それは他の仲間にはない力であると同時に、彼にとって最大の弱点でもあった。
連続する戦いの中で、彼は己の無力さを悔いるばかりだった。
「だからこそ、力が欲しいんだ。犠牲になった仲間を取り込んででも、な」
「カルデルト……」
「なぁ、アリア。もし、クロウリーが本当に生きてんなら」
底冷えするような静けさと、研ぎ澄まされた冷たい空気が二人の間を漂っている。
「────あいつを殺して、右目を奪えばいいんじゃねぇか?」
殺して、奪う。
その言葉を、アリアは激しく嫌悪した。
「なっ、何言ってるの!! 私そんなこと……っ、仲間なんだよ!?」
「それはお前さんにとっての話だろ。『今もあいつを仲間だと思ってる』なんて、俺が一言でも言ったか?」
勢いのままに糾弾した彼女に対し、カルデルトは呆れ果てた顔でグラスの酒を煽った。グラスが空になり、軽く叩きつけるように机に置く。
「裏切られた当初はあまり何とも思わなかった。でも、今は正直許せねぇよ。昔のことなのに『なんてことしてくれたんだ』って思う」
「どうして……?」
「トゥリ坊があの組織……ミストリューダに寝返った大元の理由は、クロウリーが裏切った理由を探っていたからだ。あんな奴らと関わったせいでトゥリ坊が殺されて……今度はティア嬢が死んだ。俺があいつを許す理由はすでになくなってんだよ」
少し考えてみれば当たり前だったと、アリアは口をつぐんだ。カルデルトはそんな彼女を、どうしようもなさそうに見遣る。
「俺からしたら、お前らの方が理解できねぇよ。お前はクロウリーに殺されかけてるし、クリムだってそれであいつを激しく憎んだ。それなのに、なぜまだ仲間だと言い張れる?」
「クリムは多分、もうクロウを憎んだりしないよ。憎む理由がなくなったもの」
「お前さんがいるからとでも? 果たしてそうかねぇ。『次』が来たらどうなるか、何も保証はねぇだろ」
呆れた顔で見られても、まっすぐで力強い視線を返すのみだった。
百年前と同じことが起きない可能性は否定しきれないが、アリアはカルデルトほど悲観的ではなかった。
「……まあ、それがお前さんの選択ならいいけどよ」
グラスや酒瓶を片づけ始めるのを見て、アリアは部屋から立ち去ることにした。去り際になったとき、カルデルトは片付ける手を止めて口を開く。
「クリムも『同じ』だとは限らねぇからな。あいつは俺たちが思う以上の重責を負ってるんだからよ」
「うん……わかってるよ」
もうお互いの顔を見ることはなかった。アリアは診療室から出て、診療所の出入り口へと向かう。
アルコールのきつい匂いが立ち込めた建物から出るべく、扉を開けた。
「先客はお前だったか」
「……ジュリオ?」
扉を開けてすぐに、白い片翼の天使と遭遇した。一瞬、セルジュと見間違えそうになったが、相手は白い軍服に身を包んでいた。自分がよく知る天使とは真逆の右肩から翼が生えているところから、セルジュの兄なのだと察する。
「診療所にご用?」
「街をうろうろしていたからな。症状がこれ以上悪化しないうちに抑えてもらおうと思っただけだ」
天使──ジュリオはアリアの横を通り抜けて、診療所の長椅子に横たわった。暗がりの中でも、彼の顔色が悪く気だるそうにしていることだけはわかった。片腕を額に乗せて、ぼんやりと天井を仰いでいる。
「……酒の匂いだな、これは」
「カルデルト、すごく酔ってるみたいだから」
「街が大変なときにヤケ酒ってところか。無責任だな」
冷たい物言いでありながらも、的外れではない正論。アリアには言い返す資格すらないと感じ、黙り込んでいた。
「お前みたいに綺麗な両翼が、欲しかった」
唐突に話題を切り替えられたので、少し戸惑った。アリアはジュリオの真意を知るべく、言葉の続きを待つ。
「神々の模範的存在。みんなが憧れる完璧な存在。そんな風になれたら、苦しむことはなかったかもしれないと思うと」
「完璧なんかじゃないよ」
焦がれる言葉にすかさず返答した。ジュリオはため息をついて、沈んだ表情を浮かべるアリアを見遣る。
「お前は自分をなんだと考えている? 神とは絶対的な存在じゃなかったのか?」
「わからない。本当に完璧なものはきっと、私たちの手の届かないところにあると思うの。本当の神は、死ぬことも恐れないんじゃないかな」
「……もしかしたら、そうだろうな」
「だから私は、神とか人間とかこだわらないようにしているの。考えたってきりがないもの」
アリアはしばらく彼の隣に立ち尽くし、言葉の余韻に耳を澄ますように沈黙を守った。夜風が診療所の扉の隙間から入り込み、空間を撫でていく。
「黒幽病が何なのか、知っているんだろ。長く身体に染み込んだアストラルは洗い流せない。これ以上戦えば、おれもお前も死ぬ」
百年前に災いを被ったことで、いわば呪われた身になった二人。異質な力が飛び交う戦いに身を投じ続ければ死ぬ運命にある。
忠告を受けても、アリアは平然としていた。むしろ、ジュリオに向かって優しく笑いかけるのだ。
「私は死なないよ。死ぬかもしれなくても、救うことをやめたりはしない」
「……そうか。本当、両翼の天使は諦めることを知らないんだな」
ジュリオは身体を起こし、右肩の翼の根元をまさぐる。アリアが首を傾げている間に、ジュリオが手のひらに一枚の白い羽根を乗せて差し出した。
「! これって……」
「クロウリーがお前から奪ったものだ。覚えがあるんだろう」
百年前に奪われた固有魔法。その源が今目の前にある。
「……ありがとう」
アリアは微笑みながら、差し出された羽根を受け取った。羽根から滲み出る温かさに安心感を覚えていると、ふとした疑問が沸き起こった。
「あれ? 私のだけってことは、クリムのは? あの子も固有魔法なくなってるんだけど」
「……返してもらえなかったんだよ。まあ、どうしてもっていうならそっちで説得しろ」
「まーたクリムに意地悪してるの!? クロウの奴、今度会ったら頭ぶっ叩いてやるわ!」
意気込むような強い口調。ジュリオは躍起になっているアリアを横目に、静かに息を吐いて顔を逸らす。
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