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最終章「夢見る偽神の存在証明」
248話 箱庭での再会
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*
神の箱庭キャッセリアが朝を迎える頃、人間の箱庭群も同じく朝の陽射しを浴びていた。
エトワルアと名付けられた人間の箱庭には、アルフィア王国とアルシェダント王国と呼ばれる二国が存在する。朝を迎えたアルフィア王国の通りを歩く人々は、まだ数が少なかった。
その中で、青髪赤目の兄妹が隣り合う形で歩いていた。妹らしき小さな少女は右目に眼帯をつけた顔で、辺りを見渡す。
「前の家ってどの辺だったっけ、お兄ちゃん」
「えーと、多分ここだな」
妹の言葉に、兄らしき少年は立ち止まる。修復跡がいくつも残された壁が、古く安い家であったことを象徴している。
「ばあさんが諸々手配してくれたとはいえ、引き渡しの立ち会いは俺らがやらなきゃいけないなんて……面倒だな」
「でも、おばあちゃん自由に動けないもん。わたしたちで頑張ろうよ」
「ああ。わかってるさ」
兄妹が旧家に入ろうとしたとき、影が通りかかる。人影が兄妹の近くで足を止めた。
「ティル、アンナ。久しぶりだな」
兄──ティルと妹──アンナは、聞き覚えのある声で立ち止まった。彼らの視線の先には、すみれ色の髪で黒いマントの少女がいた。
「もしかして……メアさんですか? ユキアさんのお友達の」
「ああ。覚えていてくれて嬉しいよ」
「へ……ず、随分久しぶりだな。元気だった、か?」
アンナは静かに感激し、ティルはたじろぎながらも挨拶をする。メアも朗らかに受け答えした。
数か月ぶりの再会に、ティルはぶっきらぼうな態度の裏に隠してきた気持ちを、恩人の一人に切り出すことにした。
「あのさ。ずっと、あんたらにお礼言いたかったんだ」
「わ、私たちに?」
「皆さんのおかげで、少なくともすぐに死んでしまう運命からは逃れられました。今までからは考えられないくらい、幸せです」
メアは少し目を丸くした後、表情を和らげて口元に微笑みを浮かべた。すみれ色の髪が朝日を受けて淡く光り、風に揺れたマントがひらりと舞う。
「それならよかった。あいつ……ユキアも、お前たちの幸福を願っていたからな。すべてが終わったら知らせよう」
「……そうですか。ユキアさんも元気なら、わたしたちも頑張らないと」
「てか、なんでまたこんな街に来たんだ? 用事?」
メアはほんの少し視線を逸らし、まだ人気の少ない道を眺める。
「それが……ちょっと説明しづらい状況でな。時間は大丈夫か?」
「いや、すまん。あとちょっとしか空き時間がないんだ。悪いが力にはなれねぇ」
「そうか。それならそれで構わない。お前たちの用を優先してくれ」
「でも、困ってるんですよね……?」
アンナがおずおずと尋ねる。メアは「ま、まあな」と答えを濁したものの、ティルとアンナに心配そうな眼差しを向けられ、一度黙り込んでしまう。
数秒だけ口を閉ざした後、メアが二人と目を合わせる。
「えっ……と。この辺りに、大勢の人間が寝泊まりできるような施設はあるか?」
「施設? ホテルみたいなもんか?」
「そ、そうだ。知ってるなら場所を教えてほしい」
ティルは眉をひそめた。彼女の言い回しに、どこか引っかかるものを感じたのだ。言葉選びが妙に慎重に思えてしまった。
一方で、アンナはあまり気にする様子もなく、「うーん」と顎に指を当てて考え込んでいた。
「この辺りのホテルはあまり大きくないので、大勢が泊まるのには向いてないと思います。ある程度は泊まれそうですけど」
「そうか。他に、どこか心当たりは?」
「アルフィアの隣国……アルシェダント王国の方なら建物も大きめだから、ホテルも大きいと思うぞ。方向はわかるか? 前に研究所へ向かった方へ行くと着けるはずだ」
アンナとティルの説明に、メアの目が僅かに輝いた。とはいえ、彼女からは安堵よりも焦燥の方が強く感じられる。
「ご丁寧にありがとう。両方とも確認しておくよ」
「困り事っていうのはそれか? 大勢ってどんだけだよ……」
問いかけは呆気にとられたようなものだったが、そこに込められたほんの少しの鋭さをメアは見逃さない。
「……お前たちに話しても、どうにもならない。それに巻き込みたくはない」
「それはそうかもしれねぇけどさ。まさかとは思うが、俺たちの命が脅かされるほどの何かが起きるとかじゃねぇよな?」
兄妹はかつて、自分たちが生きる世界の外から来た存在に翻弄された。苦痛にまみれた日々を忘れることなどできず、再び同じ混沌の渦中に巻き込まれるかもしれないと密かに考えていた。
メアもまた、そんな彼らの人生の一端を知っている。それゆえに、余計に不安な気持ちを抱かせたくはなかった。
「お前たちだけじゃない。この国も、隣の国も巻き込まれる。この世界そのものが滅ぶかも……しれないんだ」
「なっ!?」
空気が一気に張り詰めた。ティルは口を開いたまま固まり、アンナが小さく息を呑む。
「詳しいことは話せない。でも、私たちはお前たち人間を守ることも含めて、ここに来た。だからお前たちは何も────」
「前から気になってたんだけどさ。あんたら、一体何者なんだよ」
今度は、ティルの問いかけにメアが固まった。アンナは兄の厳しい表情を、不安そうに見上げる。
「出会ったときのユキアの言動を聞いてから、ずっと考えてた。『神は人を助けるものだ』って感じのことを、あいつは誰かに叫んでた。普通の人間なら、そんなこと言わないだろ」
「ユキアがそんなことを……」
「だから内心、ひょっとしたらそうなのかもって思ってた。俺自身、神なんて信じてなかったから、ちゃんと問いただせなかったけど……もし、本当に神だというなら、俺はあんたらを信じたい」
ティルの声が、張りつめた空気の中に沈み込む。這い寄る命の危機に抗うかのように顔を上げ、マゼンタの瞳と目を合わせる。
メアは小さく笑いながら、兄妹を優しい眼差しで見遣る。
「ありがとう。その言葉、ユキアならきっと喜んでくれる」
「あんたやシオンたちも含めて言ったんだけど?」
「わかっているよ。お前たちの言葉が、私たちの存在意義も確固たるものにさせる気がして嬉しいんだ」
親友の思いを知っているからこそ、彼らの言葉に素直な感謝を向けられる。叶うことなら、今はどこにいるかもわからない彼女にも今の言葉を聞かせたいと願うばかりだ。
*
空気が比較的冷たい箱庭、「ルナティルカ」。
坂の上にかつて永久庭園と呼ばれていた屋敷が存在した街にも、少しの変化が訪れた。花々が永遠に咲き誇る呪いが解かれた庭園に、再び来訪者がやってくる。
「久しぶりなのだー、フー!」
「レノさん、お久しぶりです! 元気そうで何よりです」
「何言ってるのだー? フーの方がレノよりずっと元気そうなのだ!」
桃色の刀使いである女神──レノが勢いよく抱き着いたのは、薄い金色の髪を一つに束ね、藍色のワンピースを身にまとった少女。庭園の領主──フローリアは、自分の足で立って来客を迎えられるようになっていた。
二人の再会を、庭師兼魔術師のルルカが微笑みながら見守っていた。
「おい、チビ女二号! あんまり先走んなよ……って」
「お久しぶりです、シオン様」
屋敷に一番乗りで駆けつけたレノを追ってきたのはシオンだった。息を切らしながら庭園の前にやってきた彼は、フローリアとレノの再会を目にする。
かつて、自分たちが庭園に巣くうモノを討伐したときのことを思い出していた。呪いから解放された若い領主に美しい笑顔が咲き誇っている。シオンも自ずと微笑みをこぼしたところに、ルルカが近づいてきた。
「フローリア様を蝕んでいた症状は回復に向かっています。あなた方のおかげですよ」
「まあな。でも、あんたがずっと動いてくれていたからだろ。オレたちは手伝いをしたに過ぎねぇよ」
「私も苦労した甲斐があったというものです。フローリア様も私も、ずっとお会いしたいと存じていました」
数か月ぶりの再会に、庭園は再び和やかな雰囲気に包まれる。シオンはそんな中で、真剣な顔をルルカへ向ける。
「ルルカ。折り入って頼みがある」
「なんでしょう?」
「屋敷に来客用の部屋があったよな? 大勢の人が来るかもしれないんだが、少しの間でいいから泊めてほしいんだ」
ルルカは一瞬だけ驚いたように眉を上げたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「……大勢とはどのくらいで?」
「えーと……本当は百人前後なんだけど、下の街には半分以上滞在する予定だ」
「ふむ。収容する人数を調整すれば問題はないでしょう。短期間でもよろしいですか」
「多分大丈夫だ。向こうがどれくらいで落ち着くかによるけど」
「それにしても急ですね。何か非常事態でしょうか?」
キャッセリアの出来事の波及は、人間の箱庭にはまだ及んでいない。だからこそ、シオンたちは住んでいた場所から人間の箱庭へ退避する道を選んだ。
だが、人間たちはそんな神々の事情など知らない。目の前の来客が神であることさえ気づいていないのだから。
ルルカの問いに、シオンはしばらく言葉を選ぶように沈黙した。ルルカが首を傾げていたとき、レノが空気の変化に気づきフローリアから離れる。
「フー。今、レノたちの故郷が大変なことになってるのだ。レノたちは生きるために逃げてきたのだ」
「へ? 大変なことって……」
「滅ぼされかけてんだよ。庭園に巣くっていた魔物なんて比じゃないくらいヤバい奴が襲ってきてんだ」
シオンの声は低くはっきりとしていた。その重みは冗談や比喩ではなく、真実に裏打ちされたものであった。フローリアとルルカの顔色がさっと変わり、真剣な眼差しで彼らを見つめる。
「……ただ事ではないようですね。ルルカ、部屋の用意を」
「はい。皆さんにも伝えてきます」
ルルカが一礼して、屋敷の中へ戻っていく。フローリアは一人、シオンとレノに向かい合った。
「こちらからも一つお聞きしたいのですが、ユキアさんやシュノーさんは来ていないのですか?」
「シュノーは別の場所でお手伝いしてるのだ。でも、ユキは……」
「故郷の方に残ってる。恐らくは、こっちを滅ぼそうとしている奴らと戦っているところだ」
「……そうなのですね」
フローリアが視線を落として、静かに呼吸を整える。
再会の喜びの裏で危機が音もなく近づいている。その現実を真正面から受け止めなければならない。彼女を救った少女たちも、そうして庭園を救ったのだから。
覚悟を決めて、藍色の瞳を二人へ向けた。
「今更、何もためらうことはありません。皆さんがくれた未来を守る助けになるなら、いくらでも協力しましょう」
ただの少女ではなく、領主としての決意が滲んだ微笑みだった。シオンは安堵し、レノは嬉しそうに頷いた。
「フー、前よりも強くなったのだ! シオ、みんなを呼んでくるのだ!」
「オレかよ!? ったく、お前もあとで手伝えよな!」
シオンは踵を返して、坂を駆け下りていく。レノは大きく手を振ってシオンを見送った。
そんな二人を静かに眺めながら、フローリアは目を閉じた。
「あなたたちが何者であろうと、私に自分の足で立ち上がるきっかけをくれたことは事実です。もっと、恩返しをさせてくださいな」
*
南には海、北には山地が広がる自然豊かな箱庭、「クラウンシェルド」。
南の海沿いに位置する都市・カナルでは何の変哲もない日常が流れている。観光地であるこの街の人々は絶えず賑わっているが、今日はいつにも増して活気に溢れている。
そんな中で、緑髪の眼鏡の少年──ソルは単身で賑わった道を歩いていた。少し人通りが少なくなった道へ向かい、さらに人気のなくなった路地裏へと向かった。
「ご苦労様です、ソル。無事に滞在する場所は確保できたようですね」
路地裏では片翼の天使──セルジュが待っていた。頭上の金属製の輪っかや左肩のみに生えた翼は、人間しか生きていない街ではあまりにも分不相応だった。
「僕だけで百人近くの一般神をまとめるのは苦労したよ。こういうの、普段はセルジュの役割だから」
「この箱庭はどうやら、魔法が一般的ではないようなので。天使みたいな見た目のぼくが表立って動くのはよくない気がします」
「でも、神隠し事件のときは表で動いていたよね」
「あれは緊急事態だから仕方がなかったのです! 今は平和である以上、むやみやたらと騒ぎを起こすのはダメです!」
セルジュが声を荒げる中、ソルは終始冷静沈着な態度を貫いた。
キャッセリアと人間の箱庭を繋ぐゲートをくぐったとき、最初に辿りついたのは森だった。神隠し事件を経験したソルとセルジュしか、人の多い街に案内する術を持っていなかった。
セルジュ以外は全員普通の人間と相違ない姿をしていたこと、キャッセリアで使用していた金貨を売買してここで使われている貨幣を手に入れられたことが功を奏して、厄災から逃げ延びることに成功した。
「すべてが終わったら、カトラスさんたちが迎えに来る手筈なんだよね? 僕たちだけじゃキャッセリアには戻れないし」
「そうです。あのゲート、一方通行なのどうにかならないんですかね」
「切羽詰まってる状況だし無理でしょ」
神隠し事件のときにかかわらず、箱庭を行き来するゲートが一方通行であることは幾度か問題視されてきた。元々、キャッセリアを出て人間と関わることは掟破りとなるためゲートが利用されることはほとんどなかったが、今の状況では少なからず不安が残っていた。
「むぅ。シオンたちは大丈夫でしょうか」
「大丈夫だよ。あの事件は被害も大きかったけど、おかげで人間の箱庭で生きる手段を得られたんだから」
「問題はそこじゃなくてですね」
否定はするものの、セルジュにはうまく言語化できず、結果として黙り込んでしまった。見かねたソルは、困り果てるセルジュをまっすぐ見つめる。
「僕たちはいずれ、人間たちに神だと見破られる。いくら見た目が人間だからって、中身まで誤魔化しきれるとは思えない」
「そんなことを言ったら、ぼくは一目で天使だと思われますよ」
「それが何だっていうの? いつまでも隠れている方が問題だと思うけど」
あまりにもきっぱりとした物言いに驚かされたものの、セルジュは静かに目を閉じた。
「少し、考えていたのです。カトラス様がおっしゃっていた、『神と人間が共存していたゆえの弊害』というものを」
「……弊害ねぇ」
「神は絶対的な存在と思われていますが、ぼくたちは違います。きっと、ぼくたちは本当の神じゃない。それを人間たちに知られたら、彼らが絶望してしまうのではないかと……そう考えてしまって」
人間は無力だ。だからこそ、神という絶対で曖昧な存在に縋るという一般論が蔓延っている。神と人間が共存していた古代ではどうだったのか、どのようにして滅びたかなど知る由もない。
ただ、ソルの中には一つの考えがあった。
「ユキアは常々、神と人間が一緒に生きればいいのにって言ってたけど。本当にそんな世界を望むなら、お互いの認識を変えていくことが必要だと思うんだ」
「というと?」
「神は決して万能な存在じゃない。神も人間も、互いに支え合っていかなきゃいけないという認識を持つ必要がある。そのためにも、まずは人間たちに僕らの存在を認めてもらわないといけないんじゃない?」
それが自分たちのよく知る神が抱く夢の第一歩。
故郷では戦いが続いている。自分たちは傍から見れば、ただ逃げてきただけに過ぎないかもしれない。それでも忘れてはならない。不完全な神でも、戦う力はここにあるのだと。
「そうですね。先輩たちも頑張っているのです。やるべきことをやらないと、ですね」
セルジュは静かに首を縦に振って、力強い笑顔を浮かべた。静かな誓いを胸に、二人は表舞台へと舞い戻っていくのだ。
神の箱庭キャッセリアが朝を迎える頃、人間の箱庭群も同じく朝の陽射しを浴びていた。
エトワルアと名付けられた人間の箱庭には、アルフィア王国とアルシェダント王国と呼ばれる二国が存在する。朝を迎えたアルフィア王国の通りを歩く人々は、まだ数が少なかった。
その中で、青髪赤目の兄妹が隣り合う形で歩いていた。妹らしき小さな少女は右目に眼帯をつけた顔で、辺りを見渡す。
「前の家ってどの辺だったっけ、お兄ちゃん」
「えーと、多分ここだな」
妹の言葉に、兄らしき少年は立ち止まる。修復跡がいくつも残された壁が、古く安い家であったことを象徴している。
「ばあさんが諸々手配してくれたとはいえ、引き渡しの立ち会いは俺らがやらなきゃいけないなんて……面倒だな」
「でも、おばあちゃん自由に動けないもん。わたしたちで頑張ろうよ」
「ああ。わかってるさ」
兄妹が旧家に入ろうとしたとき、影が通りかかる。人影が兄妹の近くで足を止めた。
「ティル、アンナ。久しぶりだな」
兄──ティルと妹──アンナは、聞き覚えのある声で立ち止まった。彼らの視線の先には、すみれ色の髪で黒いマントの少女がいた。
「もしかして……メアさんですか? ユキアさんのお友達の」
「ああ。覚えていてくれて嬉しいよ」
「へ……ず、随分久しぶりだな。元気だった、か?」
アンナは静かに感激し、ティルはたじろぎながらも挨拶をする。メアも朗らかに受け答えした。
数か月ぶりの再会に、ティルはぶっきらぼうな態度の裏に隠してきた気持ちを、恩人の一人に切り出すことにした。
「あのさ。ずっと、あんたらにお礼言いたかったんだ」
「わ、私たちに?」
「皆さんのおかげで、少なくともすぐに死んでしまう運命からは逃れられました。今までからは考えられないくらい、幸せです」
メアは少し目を丸くした後、表情を和らげて口元に微笑みを浮かべた。すみれ色の髪が朝日を受けて淡く光り、風に揺れたマントがひらりと舞う。
「それならよかった。あいつ……ユキアも、お前たちの幸福を願っていたからな。すべてが終わったら知らせよう」
「……そうですか。ユキアさんも元気なら、わたしたちも頑張らないと」
「てか、なんでまたこんな街に来たんだ? 用事?」
メアはほんの少し視線を逸らし、まだ人気の少ない道を眺める。
「それが……ちょっと説明しづらい状況でな。時間は大丈夫か?」
「いや、すまん。あとちょっとしか空き時間がないんだ。悪いが力にはなれねぇ」
「そうか。それならそれで構わない。お前たちの用を優先してくれ」
「でも、困ってるんですよね……?」
アンナがおずおずと尋ねる。メアは「ま、まあな」と答えを濁したものの、ティルとアンナに心配そうな眼差しを向けられ、一度黙り込んでしまう。
数秒だけ口を閉ざした後、メアが二人と目を合わせる。
「えっ……と。この辺りに、大勢の人間が寝泊まりできるような施設はあるか?」
「施設? ホテルみたいなもんか?」
「そ、そうだ。知ってるなら場所を教えてほしい」
ティルは眉をひそめた。彼女の言い回しに、どこか引っかかるものを感じたのだ。言葉選びが妙に慎重に思えてしまった。
一方で、アンナはあまり気にする様子もなく、「うーん」と顎に指を当てて考え込んでいた。
「この辺りのホテルはあまり大きくないので、大勢が泊まるのには向いてないと思います。ある程度は泊まれそうですけど」
「そうか。他に、どこか心当たりは?」
「アルフィアの隣国……アルシェダント王国の方なら建物も大きめだから、ホテルも大きいと思うぞ。方向はわかるか? 前に研究所へ向かった方へ行くと着けるはずだ」
アンナとティルの説明に、メアの目が僅かに輝いた。とはいえ、彼女からは安堵よりも焦燥の方が強く感じられる。
「ご丁寧にありがとう。両方とも確認しておくよ」
「困り事っていうのはそれか? 大勢ってどんだけだよ……」
問いかけは呆気にとられたようなものだったが、そこに込められたほんの少しの鋭さをメアは見逃さない。
「……お前たちに話しても、どうにもならない。それに巻き込みたくはない」
「それはそうかもしれねぇけどさ。まさかとは思うが、俺たちの命が脅かされるほどの何かが起きるとかじゃねぇよな?」
兄妹はかつて、自分たちが生きる世界の外から来た存在に翻弄された。苦痛にまみれた日々を忘れることなどできず、再び同じ混沌の渦中に巻き込まれるかもしれないと密かに考えていた。
メアもまた、そんな彼らの人生の一端を知っている。それゆえに、余計に不安な気持ちを抱かせたくはなかった。
「お前たちだけじゃない。この国も、隣の国も巻き込まれる。この世界そのものが滅ぶかも……しれないんだ」
「なっ!?」
空気が一気に張り詰めた。ティルは口を開いたまま固まり、アンナが小さく息を呑む。
「詳しいことは話せない。でも、私たちはお前たち人間を守ることも含めて、ここに来た。だからお前たちは何も────」
「前から気になってたんだけどさ。あんたら、一体何者なんだよ」
今度は、ティルの問いかけにメアが固まった。アンナは兄の厳しい表情を、不安そうに見上げる。
「出会ったときのユキアの言動を聞いてから、ずっと考えてた。『神は人を助けるものだ』って感じのことを、あいつは誰かに叫んでた。普通の人間なら、そんなこと言わないだろ」
「ユキアがそんなことを……」
「だから内心、ひょっとしたらそうなのかもって思ってた。俺自身、神なんて信じてなかったから、ちゃんと問いただせなかったけど……もし、本当に神だというなら、俺はあんたらを信じたい」
ティルの声が、張りつめた空気の中に沈み込む。這い寄る命の危機に抗うかのように顔を上げ、マゼンタの瞳と目を合わせる。
メアは小さく笑いながら、兄妹を優しい眼差しで見遣る。
「ありがとう。その言葉、ユキアならきっと喜んでくれる」
「あんたやシオンたちも含めて言ったんだけど?」
「わかっているよ。お前たちの言葉が、私たちの存在意義も確固たるものにさせる気がして嬉しいんだ」
親友の思いを知っているからこそ、彼らの言葉に素直な感謝を向けられる。叶うことなら、今はどこにいるかもわからない彼女にも今の言葉を聞かせたいと願うばかりだ。
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空気が比較的冷たい箱庭、「ルナティルカ」。
坂の上にかつて永久庭園と呼ばれていた屋敷が存在した街にも、少しの変化が訪れた。花々が永遠に咲き誇る呪いが解かれた庭園に、再び来訪者がやってくる。
「久しぶりなのだー、フー!」
「レノさん、お久しぶりです! 元気そうで何よりです」
「何言ってるのだー? フーの方がレノよりずっと元気そうなのだ!」
桃色の刀使いである女神──レノが勢いよく抱き着いたのは、薄い金色の髪を一つに束ね、藍色のワンピースを身にまとった少女。庭園の領主──フローリアは、自分の足で立って来客を迎えられるようになっていた。
二人の再会を、庭師兼魔術師のルルカが微笑みながら見守っていた。
「おい、チビ女二号! あんまり先走んなよ……って」
「お久しぶりです、シオン様」
屋敷に一番乗りで駆けつけたレノを追ってきたのはシオンだった。息を切らしながら庭園の前にやってきた彼は、フローリアとレノの再会を目にする。
かつて、自分たちが庭園に巣くうモノを討伐したときのことを思い出していた。呪いから解放された若い領主に美しい笑顔が咲き誇っている。シオンも自ずと微笑みをこぼしたところに、ルルカが近づいてきた。
「フローリア様を蝕んでいた症状は回復に向かっています。あなた方のおかげですよ」
「まあな。でも、あんたがずっと動いてくれていたからだろ。オレたちは手伝いをしたに過ぎねぇよ」
「私も苦労した甲斐があったというものです。フローリア様も私も、ずっとお会いしたいと存じていました」
数か月ぶりの再会に、庭園は再び和やかな雰囲気に包まれる。シオンはそんな中で、真剣な顔をルルカへ向ける。
「ルルカ。折り入って頼みがある」
「なんでしょう?」
「屋敷に来客用の部屋があったよな? 大勢の人が来るかもしれないんだが、少しの間でいいから泊めてほしいんだ」
ルルカは一瞬だけ驚いたように眉を上げたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「……大勢とはどのくらいで?」
「えーと……本当は百人前後なんだけど、下の街には半分以上滞在する予定だ」
「ふむ。収容する人数を調整すれば問題はないでしょう。短期間でもよろしいですか」
「多分大丈夫だ。向こうがどれくらいで落ち着くかによるけど」
「それにしても急ですね。何か非常事態でしょうか?」
キャッセリアの出来事の波及は、人間の箱庭にはまだ及んでいない。だからこそ、シオンたちは住んでいた場所から人間の箱庭へ退避する道を選んだ。
だが、人間たちはそんな神々の事情など知らない。目の前の来客が神であることさえ気づいていないのだから。
ルルカの問いに、シオンはしばらく言葉を選ぶように沈黙した。ルルカが首を傾げていたとき、レノが空気の変化に気づきフローリアから離れる。
「フー。今、レノたちの故郷が大変なことになってるのだ。レノたちは生きるために逃げてきたのだ」
「へ? 大変なことって……」
「滅ぼされかけてんだよ。庭園に巣くっていた魔物なんて比じゃないくらいヤバい奴が襲ってきてんだ」
シオンの声は低くはっきりとしていた。その重みは冗談や比喩ではなく、真実に裏打ちされたものであった。フローリアとルルカの顔色がさっと変わり、真剣な眼差しで彼らを見つめる。
「……ただ事ではないようですね。ルルカ、部屋の用意を」
「はい。皆さんにも伝えてきます」
ルルカが一礼して、屋敷の中へ戻っていく。フローリアは一人、シオンとレノに向かい合った。
「こちらからも一つお聞きしたいのですが、ユキアさんやシュノーさんは来ていないのですか?」
「シュノーは別の場所でお手伝いしてるのだ。でも、ユキは……」
「故郷の方に残ってる。恐らくは、こっちを滅ぼそうとしている奴らと戦っているところだ」
「……そうなのですね」
フローリアが視線を落として、静かに呼吸を整える。
再会の喜びの裏で危機が音もなく近づいている。その現実を真正面から受け止めなければならない。彼女を救った少女たちも、そうして庭園を救ったのだから。
覚悟を決めて、藍色の瞳を二人へ向けた。
「今更、何もためらうことはありません。皆さんがくれた未来を守る助けになるなら、いくらでも協力しましょう」
ただの少女ではなく、領主としての決意が滲んだ微笑みだった。シオンは安堵し、レノは嬉しそうに頷いた。
「フー、前よりも強くなったのだ! シオ、みんなを呼んでくるのだ!」
「オレかよ!? ったく、お前もあとで手伝えよな!」
シオンは踵を返して、坂を駆け下りていく。レノは大きく手を振ってシオンを見送った。
そんな二人を静かに眺めながら、フローリアは目を閉じた。
「あなたたちが何者であろうと、私に自分の足で立ち上がるきっかけをくれたことは事実です。もっと、恩返しをさせてくださいな」
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南には海、北には山地が広がる自然豊かな箱庭、「クラウンシェルド」。
南の海沿いに位置する都市・カナルでは何の変哲もない日常が流れている。観光地であるこの街の人々は絶えず賑わっているが、今日はいつにも増して活気に溢れている。
そんな中で、緑髪の眼鏡の少年──ソルは単身で賑わった道を歩いていた。少し人通りが少なくなった道へ向かい、さらに人気のなくなった路地裏へと向かった。
「ご苦労様です、ソル。無事に滞在する場所は確保できたようですね」
路地裏では片翼の天使──セルジュが待っていた。頭上の金属製の輪っかや左肩のみに生えた翼は、人間しか生きていない街ではあまりにも分不相応だった。
「僕だけで百人近くの一般神をまとめるのは苦労したよ。こういうの、普段はセルジュの役割だから」
「この箱庭はどうやら、魔法が一般的ではないようなので。天使みたいな見た目のぼくが表立って動くのはよくない気がします」
「でも、神隠し事件のときは表で動いていたよね」
「あれは緊急事態だから仕方がなかったのです! 今は平和である以上、むやみやたらと騒ぎを起こすのはダメです!」
セルジュが声を荒げる中、ソルは終始冷静沈着な態度を貫いた。
キャッセリアと人間の箱庭を繋ぐゲートをくぐったとき、最初に辿りついたのは森だった。神隠し事件を経験したソルとセルジュしか、人の多い街に案内する術を持っていなかった。
セルジュ以外は全員普通の人間と相違ない姿をしていたこと、キャッセリアで使用していた金貨を売買してここで使われている貨幣を手に入れられたことが功を奏して、厄災から逃げ延びることに成功した。
「すべてが終わったら、カトラスさんたちが迎えに来る手筈なんだよね? 僕たちだけじゃキャッセリアには戻れないし」
「そうです。あのゲート、一方通行なのどうにかならないんですかね」
「切羽詰まってる状況だし無理でしょ」
神隠し事件のときにかかわらず、箱庭を行き来するゲートが一方通行であることは幾度か問題視されてきた。元々、キャッセリアを出て人間と関わることは掟破りとなるためゲートが利用されることはほとんどなかったが、今の状況では少なからず不安が残っていた。
「むぅ。シオンたちは大丈夫でしょうか」
「大丈夫だよ。あの事件は被害も大きかったけど、おかげで人間の箱庭で生きる手段を得られたんだから」
「問題はそこじゃなくてですね」
否定はするものの、セルジュにはうまく言語化できず、結果として黙り込んでしまった。見かねたソルは、困り果てるセルジュをまっすぐ見つめる。
「僕たちはいずれ、人間たちに神だと見破られる。いくら見た目が人間だからって、中身まで誤魔化しきれるとは思えない」
「そんなことを言ったら、ぼくは一目で天使だと思われますよ」
「それが何だっていうの? いつまでも隠れている方が問題だと思うけど」
あまりにもきっぱりとした物言いに驚かされたものの、セルジュは静かに目を閉じた。
「少し、考えていたのです。カトラス様がおっしゃっていた、『神と人間が共存していたゆえの弊害』というものを」
「……弊害ねぇ」
「神は絶対的な存在と思われていますが、ぼくたちは違います。きっと、ぼくたちは本当の神じゃない。それを人間たちに知られたら、彼らが絶望してしまうのではないかと……そう考えてしまって」
人間は無力だ。だからこそ、神という絶対で曖昧な存在に縋るという一般論が蔓延っている。神と人間が共存していた古代ではどうだったのか、どのようにして滅びたかなど知る由もない。
ただ、ソルの中には一つの考えがあった。
「ユキアは常々、神と人間が一緒に生きればいいのにって言ってたけど。本当にそんな世界を望むなら、お互いの認識を変えていくことが必要だと思うんだ」
「というと?」
「神は決して万能な存在じゃない。神も人間も、互いに支え合っていかなきゃいけないという認識を持つ必要がある。そのためにも、まずは人間たちに僕らの存在を認めてもらわないといけないんじゃない?」
それが自分たちのよく知る神が抱く夢の第一歩。
故郷では戦いが続いている。自分たちは傍から見れば、ただ逃げてきただけに過ぎないかもしれない。それでも忘れてはならない。不完全な神でも、戦う力はここにあるのだと。
「そうですね。先輩たちも頑張っているのです。やるべきことをやらないと、ですね」
セルジュは静かに首を縦に振って、力強い笑顔を浮かべた。静かな誓いを胸に、二人は表舞台へと舞い戻っていくのだ。
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そして父にまったく懐かず、娘と母にだけ甘えるペットの黒猫。
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アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
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ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
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世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
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妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
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妻から手紙が来た。
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クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
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貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
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異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
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