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【神間陰謀編】第4章「懐かしき故郷と黒い影」

69話 帰還者たち

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 ……忌まわしい記憶が蘇ってくる。
 気づけば、血の臭いが薄暗い部屋に充満していた。視界が揺れる。ぶれる目線の先に、再生する力すら失ったみすぼらしい黒翼が見えた。
 記憶の中の僕は、鎖で四肢を繋がれた男を嬲っていた。何度も何度も剣を刺し、赤黒い池を作り、気絶したら顔を蹴って目覚めさせた。慣れないけれど毒だって、拷問器具だって使った。
 なのに殺せない。人間に比べたら神は頑丈だと言われているから、そのせいだろうか。
 血の池に映りこんだ僕の顔は、凍り付いていた。無表情のまま傷つけ続けている。男には早く死んでほしいのに。こんな地獄、今すぐに終わらせたいのに。

「……オマエ、殺したことないだろ」

 呼吸を乱す相手の言葉に胸が痛む。奥歯を噛み締め、記憶の中の僕が口を開く。

「あるわけ、ないだろ。お前が最初の死刑囚なんだから」
「あー……オマエ意外と甘ちゃんだもんな……っぐぅ!?」

 生意気な口を蹴りたくる。もう何の言葉も聞きたくなかったから。
 身体が熱い。怒りで身体が燃え盛っていると錯覚していた。

「よくもアリアを……僕たちを裏切ったな! お前なんかを慕っていた僕が愚かだった! とっとと地獄に落ちろ!!」

 罵詈雑言をいとも容易く吐き捨てられるくらい、憎しみで満たされていた。裏切られた悲しみがすべて憤怒へと変換されていく。
 胸が張り裂けそうだ。心が痛い。ここまで誰かを憎んだのは、この時が初めてだったと思う。

「……武器持ってるくせに殺し方知らねぇのかよ。呆れたな」

 蔑むような顔で吐き出された言葉に、また怒りが増幅される。
 顎で指し示されたのは、血まみれのガラスの剣だった。

「早く終わらせたいんだろ。なら早くとどめを刺せばいいじゃねぇか」
「……ふざけてるのか、お前」
「それはこっちのセリフだ。こんなちんたらやってていいのか?」

 自分がこれから死ぬというのに、嗤っている。
 変だった。昔からこいつは、どこかおかしかった。

「オレは知ってるぞ。オマエらは真実を知るのが怖いんだ。見たくないものから目を背けるために、どれだけ理不尽な命令でも聞き入れてんだろ?」

 憎たらしそうに、恨めしそうに、僕を見ている。吊り上がる口元は裂けてしまいそうなくらいに変形し、狂ったオッドアイに理性などは残っていなかった。

「教えてやるよ。この世の神の正体を。能天気に暮らすあいつらも、オレもお前たちも、みんな────」

 気づけば、僕は奴の首を剣で一突きして、斬り裂いていた。
 ────ゴトン。
 何かが落ちたような重苦しい音を最後に、急に辺りが静かになった。響き渡るのは自分の呼吸だけ。手が震える。持ち慣れたはずの剣が地面に落ち、カランと乾いた音を立てる。
 ………………死んだ? いや、違う。殺したんだ。
 他でもない、この僕が。

「っ、あ……? どう、して……ク、ロ……?」

 言葉がうまく出てこず、その場に膝をつく。身体から力が抜け、小刻みに震え始める。
 僕が殺したかったわけじゃない。命令されたから、仕方なくやったんだ。僕はただ、従っただけだ。
 涙とともに言い聞かせる。僕は悪くないと、ただひたすら言い訳を並べ立てる。

「っ、嘘だ、こんなの嘘だ、違う、違う、違う……っ────」

 誰もいない牢獄でただ一人、慟哭する。
 どうして、こんな役割を背負うのが僕だったんだ。他のみんなは誰かを殺さなくたっていいのに。心なんて、情なんて、戸惑いなんて捨ててしまいたい。そうすればこんな思いをせずに済んだのに。
 どうして────僕は、生きているの?





 嫌な夢から目を覚まし、飛び起きる。
 箱庭を超えた僕らは、いつの間にか気を失っていたらしい。気づけば、真っ白な天井で視界が埋め尽くされていた。
 身体を起こすと、そこは見覚えのある場所だった。白いカーテンで囲まれたベッドで眠っていたようで、キャッセリアの診療所だと確信する。

「クリムーーーっ!!!」

 起き上がって辺りを見回していると、カーテンを開かれ無理やり抱きしめられた。あまりにも強い力で背中の翼ごと抱きしめられてしまい、じたばたしても簡単には振りほどけない。

「わっ!? ちょっと、アリア!?」
「よかったぁ!! おねーちゃん、心配したんだよ!? セルジュと一緒にいなくなっちゃうし、トゥリヤがわけわかんないこと言ってたし……!」
「わけわかんないこと?」

 僕が眠っている間に事が進んでいたみたいなので、アリアから聞くことにした。
 アリアやティアル、カルデルトは、トゥリヤから僕が箱庭に向かったことを聞かされていたらしい。アリアとティアルは事前に中庭で待機し、カルデルトは診療所で怪我人の受け入れ準備を進めていたという。
 僕と神隠し事件の被害者たちは、突然白の宮殿の中庭のゲートから現れたのだという。案の定、みんなほとんど気絶していたので、神兵の力も借りて全員を診療所に運んだ。
 幸い、傷が浅かった者は早く目覚めた。セルジュは目覚めてすぐに、魔特隊の拠点に顔を出しに行ったらしい。

「それでね、トゥリヤが箱庭の端がどうとか言ってたんだけど、私よくわからなくって……」
「アリア、少し静かにしろ。まだ怪我人がいるんだぞ」
「あ、ごめんカルデルト……」

 声の聞こえた方を向くと、カルデルトがカーテンを開きこちらを覗いていた。
 大体調子が戻ったので、ベッドから降りてカーテンの外側に行く。今僕がいるこの部屋には、ベッドがあと二つあるが、どちらも埋まっているようだ。その二つのベッドのそばには、メアとソルの姿があった。

「二人とも、もう調子は戻ったのかい?」
「僕たちは何も問題ないけれど……シオンとユキアが」
「…………」

 相当憔悴しているみたいだった。当然といえば当然だ。
 シオンは恐らく、グラウンクラックの攻撃を直に受けて、身体に相当なダメージを負った状態なのだろう。それは僕も見たから、目が覚めないのは無理もないと思う。
 ユキアの方は、僕ではよくわからない。ただ単に疲れが溜まっているだけの可能性も否めないのだが……。

「シオンはすぐに起きるだろうが、ユキアの方はしばらく診療所うちで休ませておく。眠っている原因もいまいちわからないしな」
「大丈夫なの? 私もちょっと心配なんだけど……」
「お前さんはアイリス様のところに戻らなきゃいけないだろ。ここでちゃんと見ておくから」

 アイリス様、と聞いて背筋がピンと張った。
 今回、箱庭に行くことを強行したのは僕の独断だ。命令に背いたことをすっかり忘れていた。

「クリム! 帰るより先に、アイリス様のところに寄って行ってね!」

 動きが鈍くなった僕にそう声をかけ、アリアは部屋を出ていく。

「……はぁ。事件が収束したのかは知らんが、被害がでかすぎるな。勘弁してくれよ……」

 愚痴をこぼすカルデルトは診療所内の別室に移動した。
 僕も回復したことだし、今回判明した情報をまとめなければならない。アイリス様にも共有しなければいけないな……。

「……クリム」
「どうしたの、メア?」
「いや……なんでもない」

 言葉を引っ込めてすぐに、メアはそっぽを向いた。その態度が示す意図がわからず、首を傾げながら部屋を退室した。
 ────背中越しにじっと睨みつけてくるのを感じながら。
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