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【神間陰謀編】第4章「懐かしき故郷と黒い影」
72話 夢から覚めて
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*
白い闇に、世界は包まれていた。頭が鈍痛に支配され、意識がやけにぼうっとしている。
ぼんやりと眼前を見つめていると、闇から溶け出るように子供が姿を現した。自分がよく知るあの子だった。
「ごめん、ユキ……ボク、もう行かなきゃ」
行くって、どこに?
そう尋ねても、彼は力なく首を振るだけ。少しの言葉を交わすこともなく、彼の身体は私から少しずつ遠のいていった。
どうして────離れていくの────?
「ちょっと……ねぇ、行かないでよ────アスタ!!」
必死に手を伸ばし叫んだ瞬間、意識がどこか別の場所へと引き戻されていった。
気がつけば、真っ白な天井へと手を伸ばしていた。見覚えがある場所だ。
現実に戻ってきた。そう認めた瞬間、頬を何か温かいものが伝っていることに気づく。なぜかわからないが、私は泣いていたらしい。
「ユキア!! 大丈夫か!?」
伸ばしていた手を、横に座っていたメアが勢いよく掴む。彼女のマゼンタの瞳が潤み、私と同じように涙を流していた。
「メア……? 私、なんでここに……」
「よかった……ユキア、三日も眠り続けていたから……私、ずっと心配で……!!」
そのまま、うなだれて泣き叫ぶ。ここまで取り乱すメアを見るのも、随分と久しぶりのことだった。
そうか、三日も眠っていたのか…………。
「えぇ!? 三日!?」
「そうだぞ。お前さん、いくらなんでも寝すぎだ」
ベッドを囲むカーテンを開いたのは、診療所を営む神のカルデルトだった。生命を司る神、かつアーケンシェンであるのだが、私はちょっとした繋がりがあるため昔から知っている。
「ねぇ……メア。アスタはどこに行ったの?」
「……わからない。シオンとソルも、シュノーたちも、誰も行方を知らない」
「そんな……」
俯いたメアの言葉に嘘はなかった。まるでさっきの夢みたいだ。正夢だなんて思いたくなかった。
力なく腕を下ろす私に、カルデルトはため息混じりに声をかけてくる。
「とりあえず、目が覚めたから安心だ。軽い検査をするから、それが終わったら帰ってよし」
「ユキア、行って来い。私は終わるまで待ってるから」
別に待たなくてもいいのにと思ったが、メアはとにかく私と一緒にいたいみたいだった。まあ、三日も眠り続けていたから無理もないか。
メアの手を離し、カルデルトについていき診察室に入る。検査といっても、現在の状態や気分などを聞かれ、少し採血をするくらいだ。目が覚めた直後はひどくだるかったが、今はそこまでひどくない。気分は悪夢を見たせいかあまりよくなかった。
一通り終わり、血液検査の結果をカルテに書き込んでいく。
「……色々突っ込みどころは多いが、健康状態になんら問題はねぇな。ちゃんと日常に戻れるぞ」
「本当? やったー!」
「だが、病み上がりなことに変わりねぇからな。シュノーとかシオンにも一応釘を差したが、無理はするんじゃねぇぞ」
シオンは私よりも早く、大体二日前に目を覚ましたらしい。持ち前の体力と、私とは病状が異なるために早かったのだと思う。
私は診療所を出て、メアと一緒に街を歩くことにした。
長らくキャッセリアを離れて人間の箱庭を巡っていたせいか、見慣れていたはずの街がどこか異質なものに見えてしまった。見た目だけなら、人間の街と相違ないのに。
「ユキア。お前の目が覚めたら、会わせたいと思っていた人がいるんだ」
「え? それって────」
「ユキアおねーちゃーん!!」
まもなく、繁華街からこちらにとたとたと走ってくる子供の姿が見えてくる。
腰まで伸びる金髪に、丸く大きい水色の瞳。私は、彼女のことをよく知っていた。
「……ステラ! ステラなの!?」
「おねーちゃん! 会いたかったよー!!」
懐かしく思う私に飛びつき、力強く抱きしめてくれた。
彼女はルナステラ。ステラという愛称で親しまれている、妹分だ。私たちよりも十年近く年下で、とても素直な幼い女神である。
メアやシオン、ソルとも仲がいいけれど、四人の中ではどことなく見た目が似通っている私に一番よく懐いている。
「三日も眠ってるってメアおねーちゃんから聞いたときは、本当に心配したんだよ……! 無事でよかった……!!」
「うん……心配かけたね。ごめんね、ステラ……」
しゃがみ込んで、小さな彼女を正面から抱きしめ返した。小さくしゃくりあげているのが聞こえた。長いことみんなに会えなくて、ずっと耐えていたのだと思う。
「ステラ様、先に行ってしまわれては危ないですよ……って、ユキア?」
「アルバトスか。ついさっき目を覚ましたんだ」
次にやってきたのは、ステラの執事兼教育係をやっている神、アルバトスだった。図書館の司書でもあり、私たち幼なじみ四人とは深い繋がりがある。
アルバトスは私の姿を見た途端、その場でしばらく硬直していた。
「久しぶり、アルバトス。元気にしてた?」
「っ、それはこっちのセリフだ!! 今までどれだけステラ様が心配されていたか────」
「アルトもいっぱい心配してたよ? みんな、ユキアおねーちゃんたちが帰ってくるようにって、ずっとお祈りしてたよ」
「ううっ……ステラ様ぁ……!!」
にこにこ笑いながら教えてくれるステラの横で、アルバトスは跪いて両手を合わせる。心なしか涙が出ている。
少し離れている間に忘れていたが、アルバトスはステラが好きすぎて、必要以上に崇拝しているところがある。心酔ともいうのだろうか。
昔から知っている光景なので今更違和感を覚えることはないけれど、たまに行き過ぎることもあるので怖くなったりする。
「そうだ! ユキアおねーちゃん、ノインおねーちゃんにも会ってあげて!」
「はっ。そうだった。ユキアたちがいない間、姉貴がほとんど廃人状態になってしまって……少しでもいいので、博物館に寄っていただけませんか?」
ステラと正気に戻ったアルバトスに、揃って頼まれる。正直、気が乗らなかった。
ノインというのは、私とシオンの世話神だ。アルバトスの姉でもあり、彼との繋がりはノインのおかげである面もある。博物館の館長という役割を担っているものの、中身はとんでもない奴である。
とはいえ……廃人状態とまで言われると、行かないのも気が引けてくる。
「しょうがない……ちょっとだけね」
「じゃあ、博物館に行くか」
私たちはゆったり歩きながら、郊外への道を進んでいく。
中央都市の郊外に位置する施設は、主に二つだ。図書館と、その近くに建てられた博物館だ。
門を潜った先に、高く白い壁に焦げ茶色の大きな屋根が乗っかった建物がある。これが博物館なのだが、この付近は人通りが本当に少ない。
広い入口から中に入り、白い壁と床で覆われたエントランスホールを見渡す。すぐそばの受付カウンターには誰もいない。普通、博物館の館長はここにいなければいけないはずなのに。
「姉貴、まだ寝てるみたいですね」
「いつものことだろう。今に始まったことではない」
「早く起こしに行こー!」
館長のノインは、呆れ返ってため息も出ないくらいの怠け者だ。この時間帯は大体眠っている。
展示室とは逆方向に通路を進むと、数人が暮らせるくらいの規模と機能を備えた居住スペースに辿り着く。
居住スペースの入り口であるドアを開けたら、寝息が聞こえてきた。
「むにゃぁぁ……うふふ、君可愛いねぇ……」
ベッドに横たわって、白くて少し薄汚れた抱き枕を抱きしめつつ寝言を呟いている。
案外元気そうじゃないか。廃人状態じゃなかったの……?
「ほら、ノイン起きなさいよ」
「うにゃぁ……何だよぉ、まだ朝早いでしょぉ……」
「もう昼過ぎ。一回起きて」
「うぁぁ……仕方ないなぁ、もう……」
私の声に、抱き枕を手放して目をこすりながら起き上がる。
これが、ノイン・ヴィオランドゥール────水色の長い髪と気怠げな紫の瞳を持つ小さな女神。幼い頃の私とシオンを育てた張本人だった。
「ん……? ユキ……ア……?」
私の姿をしっかり捉えたのか、大きく目を見開いたまま固まってしまった。寝ぼけていたのが一気に覚め、私の両肩をがっしりと掴む。
「────ユキア!? 目覚めたの!? 身体大丈夫!? どこも痛くないっ!?」
「ちょっ、落ち着きなさいよ! 私は大丈夫だって!」
「だって、変な事件に巻き込まれて行方不明って言ってたから……! あたし心配で心配で……!!」
力なく両手を離すと、すぐにうわぁぁんと大声で泣き叫んだ。
大人なくせに私より小さくて、怠けてばっかりで、その上泣き虫な奴である。今このときだけは、私のために泣いてくれていると思えばそこまで苦に思わなかった。
「ノインおねーちゃん、よかったね! これでみーんな元通りだね!」
「うん、そうだねステラちゃん! みんな戻った記念に、おねーちゃんと遊ぼっかー」
ベッドから調子良さげに飛び降りて、そろそろとステラへ近づいていく。その顔は妙にヘラヘラしていた。
と、そこで何回か銃声が鳴り響く。向こうの壁に複数穴が開き、ノインはにこにこ笑ったまま冷や汗を垂らしていた。
「────この変態くそ姉貴!! ステラ様にすり寄るな!!」
いつの間にか、アルバトスが両手に拳銃を構えて発砲していた。状況を脳みそに叩き込まれたノインが、情けない悲鳴を上げながら走り出す。
「ぎゃあああ!! 待って待ってアルバトス!! まだ未遂だからぁぁー!!」
「やろうとした時点でアウトだバカ!! 悔い改めろ!!」
「わー!? アルト、暴れちゃダメー!」
銃を連射しながら追い回すアルバトスから、ノインは銃弾を器用に避けて逃げ回る。ステラは慌ててアルバトスをなだめようとする。
……認めたくはないが、ノインはロリコンである。小さい頃は私やメアにすり寄っていたし、大きくなった今は妹分のステラに近寄ろうとすることが多い。
こういう場合、シオンやアルバトスが実力行使で阻止して終わるのがほとんどだ。奴の目論見が成功した試しは一度もないのに、性懲りもなく幼女を愛でようとする。
「……見慣れてはいるが、埒が明かないな」
「そうだね。本当に日常に戻ってきたって感じがする」
これが、私たちにとっては日常茶飯事である。呆れて見守るか、ヤバくなったら止める。
今や私たちも大人になったから、ノインを止めることはそう難しくはない。
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……もう勘弁してください……」
「わかればよし」
私とメアで軽く叩き潰したところで、ようやくノインの動きがおとなしくなった。アルバトスが銃を収め、事態は収束する。
ノインはベッドに戻り、深く息をつきながら座り込んだ。
「いやー、それにしても、あんたら無事でよかったよ。きっかけは最悪だけど、いろんな経験はできたっぽいね。シュノーとレノとも友達になったんでしょ?」
「え。ノイン、シュノーたちのこと知ってるの!?」
「知ってるも何も、あたしとアルバトスは二人と幼なじみだよ。あんたらとは会う機会がなかっただけ」
確かに、シュノーは魔特隊の仕事で忙しいなどの理由もありそうだ。二人がどこに住んでいるのかもわからないし。
「それより、レノが神幻術使えるようになったってマジ!? あんたら見たの!?」
「あ、うん。私とメアは見たよ。レノのおかげで、すごく助かった」
「シュノーもたいそう喜んでたからな。俺も嬉しいよ」
私は三日も眠っていたけれど、他の神たちは一日以内に目が覚めていた。今頃二人はどうしているのだろう。
もう少し落ち着いたら、二人の元へ会いに行こうと思い始めたところで、ステラが「ねぇねぇ」と話しかけてくる。
「今度、わたしにもシュノーおねーちゃんたちのこと紹介してくれる?」
「いいよ。シュノーたちも喜ぶと思うし」
「やった! いっぱい遊んで仲良くなりたいな!」
ステラの楽しみごとが、また一つ増えたようだった。繰り返しやってくる明日を楽しみにできる、そんな小さな幸せを噛みしめているのを見ると微笑ましく思う。
同時に、ふと目覚める直前に見た夢が脳裏をよぎる。あの夢が何を意味しているのかを考えると、静かな恐怖が襲いかかってくるのを感じた。
白い闇に、世界は包まれていた。頭が鈍痛に支配され、意識がやけにぼうっとしている。
ぼんやりと眼前を見つめていると、闇から溶け出るように子供が姿を現した。自分がよく知るあの子だった。
「ごめん、ユキ……ボク、もう行かなきゃ」
行くって、どこに?
そう尋ねても、彼は力なく首を振るだけ。少しの言葉を交わすこともなく、彼の身体は私から少しずつ遠のいていった。
どうして────離れていくの────?
「ちょっと……ねぇ、行かないでよ────アスタ!!」
必死に手を伸ばし叫んだ瞬間、意識がどこか別の場所へと引き戻されていった。
気がつけば、真っ白な天井へと手を伸ばしていた。見覚えがある場所だ。
現実に戻ってきた。そう認めた瞬間、頬を何か温かいものが伝っていることに気づく。なぜかわからないが、私は泣いていたらしい。
「ユキア!! 大丈夫か!?」
伸ばしていた手を、横に座っていたメアが勢いよく掴む。彼女のマゼンタの瞳が潤み、私と同じように涙を流していた。
「メア……? 私、なんでここに……」
「よかった……ユキア、三日も眠り続けていたから……私、ずっと心配で……!!」
そのまま、うなだれて泣き叫ぶ。ここまで取り乱すメアを見るのも、随分と久しぶりのことだった。
そうか、三日も眠っていたのか…………。
「えぇ!? 三日!?」
「そうだぞ。お前さん、いくらなんでも寝すぎだ」
ベッドを囲むカーテンを開いたのは、診療所を営む神のカルデルトだった。生命を司る神、かつアーケンシェンであるのだが、私はちょっとした繋がりがあるため昔から知っている。
「ねぇ……メア。アスタはどこに行ったの?」
「……わからない。シオンとソルも、シュノーたちも、誰も行方を知らない」
「そんな……」
俯いたメアの言葉に嘘はなかった。まるでさっきの夢みたいだ。正夢だなんて思いたくなかった。
力なく腕を下ろす私に、カルデルトはため息混じりに声をかけてくる。
「とりあえず、目が覚めたから安心だ。軽い検査をするから、それが終わったら帰ってよし」
「ユキア、行って来い。私は終わるまで待ってるから」
別に待たなくてもいいのにと思ったが、メアはとにかく私と一緒にいたいみたいだった。まあ、三日も眠り続けていたから無理もないか。
メアの手を離し、カルデルトについていき診察室に入る。検査といっても、現在の状態や気分などを聞かれ、少し採血をするくらいだ。目が覚めた直後はひどくだるかったが、今はそこまでひどくない。気分は悪夢を見たせいかあまりよくなかった。
一通り終わり、血液検査の結果をカルテに書き込んでいく。
「……色々突っ込みどころは多いが、健康状態になんら問題はねぇな。ちゃんと日常に戻れるぞ」
「本当? やったー!」
「だが、病み上がりなことに変わりねぇからな。シュノーとかシオンにも一応釘を差したが、無理はするんじゃねぇぞ」
シオンは私よりも早く、大体二日前に目を覚ましたらしい。持ち前の体力と、私とは病状が異なるために早かったのだと思う。
私は診療所を出て、メアと一緒に街を歩くことにした。
長らくキャッセリアを離れて人間の箱庭を巡っていたせいか、見慣れていたはずの街がどこか異質なものに見えてしまった。見た目だけなら、人間の街と相違ないのに。
「ユキア。お前の目が覚めたら、会わせたいと思っていた人がいるんだ」
「え? それって────」
「ユキアおねーちゃーん!!」
まもなく、繁華街からこちらにとたとたと走ってくる子供の姿が見えてくる。
腰まで伸びる金髪に、丸く大きい水色の瞳。私は、彼女のことをよく知っていた。
「……ステラ! ステラなの!?」
「おねーちゃん! 会いたかったよー!!」
懐かしく思う私に飛びつき、力強く抱きしめてくれた。
彼女はルナステラ。ステラという愛称で親しまれている、妹分だ。私たちよりも十年近く年下で、とても素直な幼い女神である。
メアやシオン、ソルとも仲がいいけれど、四人の中ではどことなく見た目が似通っている私に一番よく懐いている。
「三日も眠ってるってメアおねーちゃんから聞いたときは、本当に心配したんだよ……! 無事でよかった……!!」
「うん……心配かけたね。ごめんね、ステラ……」
しゃがみ込んで、小さな彼女を正面から抱きしめ返した。小さくしゃくりあげているのが聞こえた。長いことみんなに会えなくて、ずっと耐えていたのだと思う。
「ステラ様、先に行ってしまわれては危ないですよ……って、ユキア?」
「アルバトスか。ついさっき目を覚ましたんだ」
次にやってきたのは、ステラの執事兼教育係をやっている神、アルバトスだった。図書館の司書でもあり、私たち幼なじみ四人とは深い繋がりがある。
アルバトスは私の姿を見た途端、その場でしばらく硬直していた。
「久しぶり、アルバトス。元気にしてた?」
「っ、それはこっちのセリフだ!! 今までどれだけステラ様が心配されていたか────」
「アルトもいっぱい心配してたよ? みんな、ユキアおねーちゃんたちが帰ってくるようにって、ずっとお祈りしてたよ」
「ううっ……ステラ様ぁ……!!」
にこにこ笑いながら教えてくれるステラの横で、アルバトスは跪いて両手を合わせる。心なしか涙が出ている。
少し離れている間に忘れていたが、アルバトスはステラが好きすぎて、必要以上に崇拝しているところがある。心酔ともいうのだろうか。
昔から知っている光景なので今更違和感を覚えることはないけれど、たまに行き過ぎることもあるので怖くなったりする。
「そうだ! ユキアおねーちゃん、ノインおねーちゃんにも会ってあげて!」
「はっ。そうだった。ユキアたちがいない間、姉貴がほとんど廃人状態になってしまって……少しでもいいので、博物館に寄っていただけませんか?」
ステラと正気に戻ったアルバトスに、揃って頼まれる。正直、気が乗らなかった。
ノインというのは、私とシオンの世話神だ。アルバトスの姉でもあり、彼との繋がりはノインのおかげである面もある。博物館の館長という役割を担っているものの、中身はとんでもない奴である。
とはいえ……廃人状態とまで言われると、行かないのも気が引けてくる。
「しょうがない……ちょっとだけね」
「じゃあ、博物館に行くか」
私たちはゆったり歩きながら、郊外への道を進んでいく。
中央都市の郊外に位置する施設は、主に二つだ。図書館と、その近くに建てられた博物館だ。
門を潜った先に、高く白い壁に焦げ茶色の大きな屋根が乗っかった建物がある。これが博物館なのだが、この付近は人通りが本当に少ない。
広い入口から中に入り、白い壁と床で覆われたエントランスホールを見渡す。すぐそばの受付カウンターには誰もいない。普通、博物館の館長はここにいなければいけないはずなのに。
「姉貴、まだ寝てるみたいですね」
「いつものことだろう。今に始まったことではない」
「早く起こしに行こー!」
館長のノインは、呆れ返ってため息も出ないくらいの怠け者だ。この時間帯は大体眠っている。
展示室とは逆方向に通路を進むと、数人が暮らせるくらいの規模と機能を備えた居住スペースに辿り着く。
居住スペースの入り口であるドアを開けたら、寝息が聞こえてきた。
「むにゃぁぁ……うふふ、君可愛いねぇ……」
ベッドに横たわって、白くて少し薄汚れた抱き枕を抱きしめつつ寝言を呟いている。
案外元気そうじゃないか。廃人状態じゃなかったの……?
「ほら、ノイン起きなさいよ」
「うにゃぁ……何だよぉ、まだ朝早いでしょぉ……」
「もう昼過ぎ。一回起きて」
「うぁぁ……仕方ないなぁ、もう……」
私の声に、抱き枕を手放して目をこすりながら起き上がる。
これが、ノイン・ヴィオランドゥール────水色の長い髪と気怠げな紫の瞳を持つ小さな女神。幼い頃の私とシオンを育てた張本人だった。
「ん……? ユキ……ア……?」
私の姿をしっかり捉えたのか、大きく目を見開いたまま固まってしまった。寝ぼけていたのが一気に覚め、私の両肩をがっしりと掴む。
「────ユキア!? 目覚めたの!? 身体大丈夫!? どこも痛くないっ!?」
「ちょっ、落ち着きなさいよ! 私は大丈夫だって!」
「だって、変な事件に巻き込まれて行方不明って言ってたから……! あたし心配で心配で……!!」
力なく両手を離すと、すぐにうわぁぁんと大声で泣き叫んだ。
大人なくせに私より小さくて、怠けてばっかりで、その上泣き虫な奴である。今このときだけは、私のために泣いてくれていると思えばそこまで苦に思わなかった。
「ノインおねーちゃん、よかったね! これでみーんな元通りだね!」
「うん、そうだねステラちゃん! みんな戻った記念に、おねーちゃんと遊ぼっかー」
ベッドから調子良さげに飛び降りて、そろそろとステラへ近づいていく。その顔は妙にヘラヘラしていた。
と、そこで何回か銃声が鳴り響く。向こうの壁に複数穴が開き、ノインはにこにこ笑ったまま冷や汗を垂らしていた。
「────この変態くそ姉貴!! ステラ様にすり寄るな!!」
いつの間にか、アルバトスが両手に拳銃を構えて発砲していた。状況を脳みそに叩き込まれたノインが、情けない悲鳴を上げながら走り出す。
「ぎゃあああ!! 待って待ってアルバトス!! まだ未遂だからぁぁー!!」
「やろうとした時点でアウトだバカ!! 悔い改めろ!!」
「わー!? アルト、暴れちゃダメー!」
銃を連射しながら追い回すアルバトスから、ノインは銃弾を器用に避けて逃げ回る。ステラは慌ててアルバトスをなだめようとする。
……認めたくはないが、ノインはロリコンである。小さい頃は私やメアにすり寄っていたし、大きくなった今は妹分のステラに近寄ろうとすることが多い。
こういう場合、シオンやアルバトスが実力行使で阻止して終わるのがほとんどだ。奴の目論見が成功した試しは一度もないのに、性懲りもなく幼女を愛でようとする。
「……見慣れてはいるが、埒が明かないな」
「そうだね。本当に日常に戻ってきたって感じがする」
これが、私たちにとっては日常茶飯事である。呆れて見守るか、ヤバくなったら止める。
今や私たちも大人になったから、ノインを止めることはそう難しくはない。
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……もう勘弁してください……」
「わかればよし」
私とメアで軽く叩き潰したところで、ようやくノインの動きがおとなしくなった。アルバトスが銃を収め、事態は収束する。
ノインはベッドに戻り、深く息をつきながら座り込んだ。
「いやー、それにしても、あんたら無事でよかったよ。きっかけは最悪だけど、いろんな経験はできたっぽいね。シュノーとレノとも友達になったんでしょ?」
「え。ノイン、シュノーたちのこと知ってるの!?」
「知ってるも何も、あたしとアルバトスは二人と幼なじみだよ。あんたらとは会う機会がなかっただけ」
確かに、シュノーは魔特隊の仕事で忙しいなどの理由もありそうだ。二人がどこに住んでいるのかもわからないし。
「それより、レノが神幻術使えるようになったってマジ!? あんたら見たの!?」
「あ、うん。私とメアは見たよ。レノのおかげで、すごく助かった」
「シュノーもたいそう喜んでたからな。俺も嬉しいよ」
私は三日も眠っていたけれど、他の神たちは一日以内に目が覚めていた。今頃二人はどうしているのだろう。
もう少し落ち着いたら、二人の元へ会いに行こうと思い始めたところで、ステラが「ねぇねぇ」と話しかけてくる。
「今度、わたしにもシュノーおねーちゃんたちのこと紹介してくれる?」
「いいよ。シュノーたちも喜ぶと思うし」
「やった! いっぱい遊んで仲良くなりたいな!」
ステラの楽しみごとが、また一つ増えたようだった。繰り返しやってくる明日を楽しみにできる、そんな小さな幸せを噛みしめているのを見ると微笑ましく思う。
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