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【神間陰謀編】第4章「懐かしき故郷と黒い影」
87話 友愛はやがて愛執となる
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*
涙が枯れてしまうと、本当に泣けなくなる。私は一度、その痛みを経験している。
物心がついたときには、私のそばにはほとんど誰もいなかった。ミラージュは名目上、私の世話をする立場ではあったが、私のことをしっかりと見ていたわけではなかった。なぜ私を引き取ったのかを聞いてみたいくらいだった。グレイスガーデンにもきちんと通ってはいたけれど、引っ込み思案で本を読んでばかりの私にはなかなか友達ができなかった。
いつも独りだった私の居場所は、人気が少なく落ち着ける図書館だった。誰ともかかわらず、本の虫になることで、自分の望む世界に浸ることができた。
一日中本を読み漁る日々。とある歴史物語を読み終わったところ、本を納めてあった場所を残念そうに見上げる一人の女の子を見つけた。私と同年代の女神の子供。私が今手にしている本を求めているということは、なんとなくわかった。
本を渡したら、あの子は喜ぶかな。そう思って、意を決して声をかけた。
「……あの……もしかして……この本……?」
差し出した本を渡したとき、ぱあっと笑顔を咲かせた彼女がとても輝いて見えた。
ほんの少しだけ話してみると、趣味が少し似通っている部分があることに気づいた。普段、彼女はあまり本を読まないけれど、古代の歴史や物語を読むことが大好きなのだそうだ。私はジャンル関係なく読むタイプだったが、彼女とは唯一「古代の歴史」のジャンルが好きという共通点があった。
「ねぇ、あなたの名前教えて。わたし、ユキア!」
渡した本を大事そうに抱えて笑いかけてくれた。この子は、あまりにも笑顔が眩しい。私なんかが触れていいのかと、ためらってしまうくらいに。
ただ、私だけに向けられたこの笑顔を無下にするのは忍びなかった。せっかく私に笑いかけてくれたんだから。
「えっと……わたし……メア、っていうの」
「メア……! これからよろしくね!」
一度勇気を出してしまえば、あとはとんとん拍子にうまくいった。女の子──ユキアは、私の初めての友達になってくれたのだ。
それが私の生きてきた中で最大の幸運だと、今でも信じて疑わない。
それから、図書館に通ってはユキアに鉢合わせるようになった。私は元々図書館に居座っていたが、ユキアは大体決まった時間に図書館にやってくる。本に夢中の私に、ユキアが声をかけてくれるといった形で会っていた。
親友になってしばらく経つと、グレイスガーデンでも会うようになった。他愛ない話をしながら一緒に通学路を歩くのが、私の至福の時間だった。
また、ユキアには一緒に住んでいる同年代の男の子がいた。それがシオンだ。ユキアと会っていると、シオンにも出くわすことがあったのだが、最初は気が強くて騒がしい子だと思って避けていた。ユキアといつもくだらない喧嘩をしているのを見ていたら、だんだん慣れていったけれど。
ユキアやシオンと出会って数年後には、シオンにもソルという親友ができた。賑やかな彼と静かで賢いソルが親友になったのが不思議でならなかったが、いつの間にか二人組から四人組の幼なじみになっていた。
三人の世話神であるノインとアルバトスも、私にとてもよくしてくれた。私の世話神との因縁があったせいもあるだろうが、私にとって二人は親に等しかった。
ずっと幸せな日々が続けばいい────そう願ってやまなかった。
けれど、一度だけすべてが壊れてしまったのだ。
それは、私たちが生まれてちょうど十年経った頃のことだった。
私はほとんど誰もいない屋敷で暮らしつつ、図書館や博物館を行ったり来たりする生活をしていた。この日は博物館で展示されていた史料を一人で眺めていた記憶がある。館長であるノインはいつも寝ているのだが、この日は珍しく起きていて受付カウンターで何か本を読んでいた。
ノインと同じ空間で過ごしていたところ、博物館にユキアが駆け込んできた。何かひどく憤慨した様子だったのを覚えている。
「ちょっとメア、ノイン! 聞いてよ!」
「んぁ? どうしたの~、ユキア」
「アイリスったらひどいんだよ! 人間の箱庭に行きたいって言ったら、掟だからそんなことはできないし考えるなって言われたの! 掟って、そんなに大事なの!?」
「あ、アイリス様に直談判しに行ったってこと……!? なんでそんな無茶を……?」
「だって、おかしいじゃん! 昔は神も人間も一緒に暮らしていたのに、どうして今はダメなの!?」
「色々事情があったんじゃなーい? 史料にも書いていないような、ヤバい事情とかさー」
「何よそれ!? 確かに古代のことは断片的にしかわからないけど……どうして!?」
ノインは適当に答えていたけれど、私はさすがにまずいんじゃないかと思った。私たち神の頂点に立つ最高神相手に抗議しに行くなんて、行動力がありすぎる。ユキアの古代限定歴史オタク加減が厄介だなと思うことは、これまでもたびたびあった。しかし、このときのユキアは少し暴走が入っていたんじゃないかと思う。
しかし、私は彼女の行動を絶対に否定しなかった。生まれる前より存在する掟だけがすべてではないと思っていたし、何より彼女の笑顔を見ていたかったから。
この日、一人で帰らずにユキアのそばにいれば、また違った未来があったのかもしれない。
次の日。一人でグレイスガーデンに行くと、とある教室が惨い状態になっていた。
今でも鮮明に思い出せる。当時、私とユキアは別のクラスだったが、よく遊びに来て話していた。ユキアの机は汚い言葉の落書きまみれになっていて、ボロボロにされた教科書が積まれていた。見ているこちらの頭が沸騰するくらい腹立たしいことが書かれていたと思う。
そして、教室の隅に多くのクラスメートが集っていた。嫌な予感がした私は、咄嗟に集ったクラスメートたちのところに走り寄った。
「何してるの。どいて」
「あ? 誰だお前」
「聞こえないの? どいて」
無理やりクラスメートを強く押し退けると、一部がバランスを崩してドミノ倒しのように倒れていった。バタバタ音がして、いくつか備品も落ちた。そんなことには構わず、それよりもユキアのそばに早く行きたかった。
けれど────ユキアは、ひどくボロボロにされていた。
綺麗だったおさげの金髪がぐちゃぐちゃにされて、服も一部切れていた。とても怯えた状態で、頭を抱えてうずくまり震えていた。
「ユキア! 大丈夫!?」
「……メア……? メアああぁぁ!!」
私を視界に捉えた瞬間、ユキアは私に抱き着いた。何があったのかは、なんとなくわかってしまった。
私たちを周りで眺めていた子供は、クスクスと茶化すように笑っていたり、倒されたことに憤慨していたりと様々な状態になっていた。
そんな中、主犯格らしい女の子が私に怒鳴ってきた。
「何よ、あんた! このクラスの子じゃないでしょ、関わらないで!」
「知らないよそんなこと。それよりユキアに何をしたの」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。周りの子供たちはなぜかびくびくしていた。男の子も震えてて格好悪い。
主犯格の女の子も例外ではなかったけれど、ただ一人声を張り上げていた。
「そいつが何したか知ってんの!? 掟破りをしようとしたって話よ。そんな空気読めない子と一緒のクラスだなんて、変な目で見られるじゃない!」
「だから、何? 別にあなたたちに危害を加えたわけじゃないでしょ。ユキアがそんなことするはずないし」
「仲が良いのかなんだか知らないけど、ベタベタしすぎなのよ、あんたたち。まあ、変わり者同士お似合いよ! ねぇ、みんな?」
積極的にいじめていた主犯だけ始末すればいいかと思っていたけれど、周りの奴らが怯えた様子で私を見ている光景が心底腹立たしく感じた。
主犯格に与した奴らがなぜ怯えるのだろうと疑問だった。ただ黙って眺めていただけの奴らも同罪だ。同情するふりをして、誰もユキアを助けようとしなかったのだから。
こんな奴らの方が、生きている価値はない。このときの私は本気でそう思っていた。
気づけば、私は主犯格の少女の顎の下に銃口を突きつけていた。
「────私の親友を愚弄するな。死ね」
何のためらいもなく引き金を引いた瞬間、銃声と甲高い悲鳴が教室中に響き渡った。
綺麗で清潔だった教室は、今や血まみれになり肉の塊が蠢く地獄絵図となっていた。正気に戻った私は、その真ん中で一人立ち尽くしていた。
「おい、輝かしい未来の子供たちを育てるグレイスガーデンの管理者さんよぉ。おたくの教育方針はどうなってんだ? ええ?」
「……すみません。監督不届きでした」
「ったく、何をどうしたらこんな大人数が怪我するんだよ。本当に一人がやったのかよ、これ」
どの教室も、もう授業どころじゃなくなったようだ。グレイスガーデンの先生たちが、アーケンシェンであるクリムとカルデルトの来訪に対応した。
クリムは事件の調査、カルデルトは血まみれの子供たちの治療に来たのだろう。
そういえば、シオンとソルはどうしたんだろうと、教室の外に目を向けた。他の子供に混じって、遠くから様子を見ていた。
二人は私やユキアとクラスが違うから、別の教室での出来事はあまり詳しく伝わってこなかったのだろう。それは仕方ないと思う。だから私も責めることはなかった。
「君が犯人かい? メア・シュナーベル」
血まみれの私に、最初に声をかけてきたのはクリムだった。武器も何も手にしていない。
「君を殺害容疑で拘束する。デウスプリズンに来てもらうよ」
「やめろ。私とユキアを遠ざける気か」
「君は罪を犯したんだ、償うものも償えなければ一生彼女に会えなくなるよ」
「うるさい! ユキアには私がいないとダメなんだ、邪魔するならお前たちも殺してやる!!」
アイリス様の部下に等しいアーケンシェン相手に、銃を向けた。
「君が? 笑わせるね。これ以上罪を重ねる気?」
一瞬で距離を詰められ、ガラスの剣が私の首に突きつけられた。私より少し年上の見た目にしか見えない少年なのに、ひどく冷淡な目を向けてくる。
たった十年しか生きていない私には、少しの勝算もありはしなかった。
「……なら、ユキアから今日の記憶を消してくれ。それが条件だ」
「わかった。頼んだよ、カルデルト」
「はぁ!? 正気かクリム!? おい!?」
面倒そうな顔をしていたが、きっとカルデルトは言う通りにしてくれたのだと思う。現に、今のユキアからこの事件の記憶は消えている。いや、正確には事件の存在は覚えているだろうが、そこに自分や私が関係していることは忘れているだろう。
それでいい。こんな凄惨な記憶、あの子には必要ない。
そして、事件の事情聴取。黒い箱のような部屋の中で、机を隔てて向かい合うと、私は本当に罪人になってしまったのだと自覚させられる。
「なんで、他の神に危害を加えたりしたの?」
「……守るべきものを守っただけだ。それ以上の理由なんてない」
「そうかい……君の世話神に連絡する。報告だけでもしておかないといけない」
「無駄だよ。あの人は今、家にいない。多分まだ仕事でもしているんだろう」
聞いても仕方のないことばかりを聞いてくるものだから、指先を弄びつつ必要な分だけ答えた。生真面目な断罪神のことだから、何か文句でも言ってくるかと思ったが、この部分は何も言及してこなかった。
それどころか、少し哀れんだような目で見てきた。それが私を余計に惨めにさせる。
「……君の友達のことなんだけど。多分、しばらく診療所に入ることになる。心身ともにかなりのダメージを負っているみたいでね。しばらくカルデルトに任せておくから」
「本当か。傷つけたら許さない。もし嘘だったらお前の翼を折ってやるからな」
「やめてよ……ちょっとは信用してくれてもいいじゃないか」
まあ、クリムもカルデルトもどうだっていいのだ。アイリス様だって、掟を破るようなことは考えるなとは言うけれど、さすがにそれだけでユキアを傷つけるようなことはしないだろう。そんなことがまかり通るなら、もっと大勢の神が死んでいると思う。
「とりあえず、君の処遇について。本来なら永遠にデウスプリズンに幽閉するべきなんだけど、特別に十年で済む。それに加えて、僕らアーケンシェンの誰かが同伴している場合なら外出もできる」
「……なぜ?」
「カルデルトの計らいだね。君の心はひどく不安定だから、ユキアという心の支えが必要だってさ。アイリス様からの許可が下りれば問題ないみたいだから、心配しないで」
この時、私はもう既にこの世界の真実に気づいていた。とんでもなく残酷で、理不尽で、弱い者に幸せなど与えてはくれないのだと。
だから私は強くなると決めた。その結果、魔特隊に入れるほどの実力を手にしたが、シオンとソルとは違い私は入らなかった。ユキアにそもそも魔特隊に入る気がなかったのと、何よりユキアのそばにいたかったという理由があったから。
他の奴らは自分で身を守ればいい。私はユキアだけを守れればいい。そんな思いを胸に秘めたまま、私はユキアの隣に居続けた。
────だが、生きている中で思い通りになることはそうそうない。
大人になって、変な事件に巻き込まれた挙句、ユキアにつきまとう謎の子供が現れた。私は愚か、シオンやソルと比べることすらできないくらいの強者だ。見た目はただの幼子なのに。
あいつを目にしてから、私の心は日に日におかしくなっていった。ユキアたちにほとんど悟られることがなかったのが幸いだ。
何度も現状を受け入れようとした。私だってもう大人だ、いつまでも駄々をこねているわけにはいかない。けれど、心の底ではどうしても受け入れられなかった。
事件が解決して、ようやく元通りになれると思ったのに。
ただ一人の親友に執着し続けた結果────私は、悪魔に魅入られてしまった。
涙が枯れてしまうと、本当に泣けなくなる。私は一度、その痛みを経験している。
物心がついたときには、私のそばにはほとんど誰もいなかった。ミラージュは名目上、私の世話をする立場ではあったが、私のことをしっかりと見ていたわけではなかった。なぜ私を引き取ったのかを聞いてみたいくらいだった。グレイスガーデンにもきちんと通ってはいたけれど、引っ込み思案で本を読んでばかりの私にはなかなか友達ができなかった。
いつも独りだった私の居場所は、人気が少なく落ち着ける図書館だった。誰ともかかわらず、本の虫になることで、自分の望む世界に浸ることができた。
一日中本を読み漁る日々。とある歴史物語を読み終わったところ、本を納めてあった場所を残念そうに見上げる一人の女の子を見つけた。私と同年代の女神の子供。私が今手にしている本を求めているということは、なんとなくわかった。
本を渡したら、あの子は喜ぶかな。そう思って、意を決して声をかけた。
「……あの……もしかして……この本……?」
差し出した本を渡したとき、ぱあっと笑顔を咲かせた彼女がとても輝いて見えた。
ほんの少しだけ話してみると、趣味が少し似通っている部分があることに気づいた。普段、彼女はあまり本を読まないけれど、古代の歴史や物語を読むことが大好きなのだそうだ。私はジャンル関係なく読むタイプだったが、彼女とは唯一「古代の歴史」のジャンルが好きという共通点があった。
「ねぇ、あなたの名前教えて。わたし、ユキア!」
渡した本を大事そうに抱えて笑いかけてくれた。この子は、あまりにも笑顔が眩しい。私なんかが触れていいのかと、ためらってしまうくらいに。
ただ、私だけに向けられたこの笑顔を無下にするのは忍びなかった。せっかく私に笑いかけてくれたんだから。
「えっと……わたし……メア、っていうの」
「メア……! これからよろしくね!」
一度勇気を出してしまえば、あとはとんとん拍子にうまくいった。女の子──ユキアは、私の初めての友達になってくれたのだ。
それが私の生きてきた中で最大の幸運だと、今でも信じて疑わない。
それから、図書館に通ってはユキアに鉢合わせるようになった。私は元々図書館に居座っていたが、ユキアは大体決まった時間に図書館にやってくる。本に夢中の私に、ユキアが声をかけてくれるといった形で会っていた。
親友になってしばらく経つと、グレイスガーデンでも会うようになった。他愛ない話をしながら一緒に通学路を歩くのが、私の至福の時間だった。
また、ユキアには一緒に住んでいる同年代の男の子がいた。それがシオンだ。ユキアと会っていると、シオンにも出くわすことがあったのだが、最初は気が強くて騒がしい子だと思って避けていた。ユキアといつもくだらない喧嘩をしているのを見ていたら、だんだん慣れていったけれど。
ユキアやシオンと出会って数年後には、シオンにもソルという親友ができた。賑やかな彼と静かで賢いソルが親友になったのが不思議でならなかったが、いつの間にか二人組から四人組の幼なじみになっていた。
三人の世話神であるノインとアルバトスも、私にとてもよくしてくれた。私の世話神との因縁があったせいもあるだろうが、私にとって二人は親に等しかった。
ずっと幸せな日々が続けばいい────そう願ってやまなかった。
けれど、一度だけすべてが壊れてしまったのだ。
それは、私たちが生まれてちょうど十年経った頃のことだった。
私はほとんど誰もいない屋敷で暮らしつつ、図書館や博物館を行ったり来たりする生活をしていた。この日は博物館で展示されていた史料を一人で眺めていた記憶がある。館長であるノインはいつも寝ているのだが、この日は珍しく起きていて受付カウンターで何か本を読んでいた。
ノインと同じ空間で過ごしていたところ、博物館にユキアが駆け込んできた。何かひどく憤慨した様子だったのを覚えている。
「ちょっとメア、ノイン! 聞いてよ!」
「んぁ? どうしたの~、ユキア」
「アイリスったらひどいんだよ! 人間の箱庭に行きたいって言ったら、掟だからそんなことはできないし考えるなって言われたの! 掟って、そんなに大事なの!?」
「あ、アイリス様に直談判しに行ったってこと……!? なんでそんな無茶を……?」
「だって、おかしいじゃん! 昔は神も人間も一緒に暮らしていたのに、どうして今はダメなの!?」
「色々事情があったんじゃなーい? 史料にも書いていないような、ヤバい事情とかさー」
「何よそれ!? 確かに古代のことは断片的にしかわからないけど……どうして!?」
ノインは適当に答えていたけれど、私はさすがにまずいんじゃないかと思った。私たち神の頂点に立つ最高神相手に抗議しに行くなんて、行動力がありすぎる。ユキアの古代限定歴史オタク加減が厄介だなと思うことは、これまでもたびたびあった。しかし、このときのユキアは少し暴走が入っていたんじゃないかと思う。
しかし、私は彼女の行動を絶対に否定しなかった。生まれる前より存在する掟だけがすべてではないと思っていたし、何より彼女の笑顔を見ていたかったから。
この日、一人で帰らずにユキアのそばにいれば、また違った未来があったのかもしれない。
次の日。一人でグレイスガーデンに行くと、とある教室が惨い状態になっていた。
今でも鮮明に思い出せる。当時、私とユキアは別のクラスだったが、よく遊びに来て話していた。ユキアの机は汚い言葉の落書きまみれになっていて、ボロボロにされた教科書が積まれていた。見ているこちらの頭が沸騰するくらい腹立たしいことが書かれていたと思う。
そして、教室の隅に多くのクラスメートが集っていた。嫌な予感がした私は、咄嗟に集ったクラスメートたちのところに走り寄った。
「何してるの。どいて」
「あ? 誰だお前」
「聞こえないの? どいて」
無理やりクラスメートを強く押し退けると、一部がバランスを崩してドミノ倒しのように倒れていった。バタバタ音がして、いくつか備品も落ちた。そんなことには構わず、それよりもユキアのそばに早く行きたかった。
けれど────ユキアは、ひどくボロボロにされていた。
綺麗だったおさげの金髪がぐちゃぐちゃにされて、服も一部切れていた。とても怯えた状態で、頭を抱えてうずくまり震えていた。
「ユキア! 大丈夫!?」
「……メア……? メアああぁぁ!!」
私を視界に捉えた瞬間、ユキアは私に抱き着いた。何があったのかは、なんとなくわかってしまった。
私たちを周りで眺めていた子供は、クスクスと茶化すように笑っていたり、倒されたことに憤慨していたりと様々な状態になっていた。
そんな中、主犯格らしい女の子が私に怒鳴ってきた。
「何よ、あんた! このクラスの子じゃないでしょ、関わらないで!」
「知らないよそんなこと。それよりユキアに何をしたの」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。周りの子供たちはなぜかびくびくしていた。男の子も震えてて格好悪い。
主犯格の女の子も例外ではなかったけれど、ただ一人声を張り上げていた。
「そいつが何したか知ってんの!? 掟破りをしようとしたって話よ。そんな空気読めない子と一緒のクラスだなんて、変な目で見られるじゃない!」
「だから、何? 別にあなたたちに危害を加えたわけじゃないでしょ。ユキアがそんなことするはずないし」
「仲が良いのかなんだか知らないけど、ベタベタしすぎなのよ、あんたたち。まあ、変わり者同士お似合いよ! ねぇ、みんな?」
積極的にいじめていた主犯だけ始末すればいいかと思っていたけれど、周りの奴らが怯えた様子で私を見ている光景が心底腹立たしく感じた。
主犯格に与した奴らがなぜ怯えるのだろうと疑問だった。ただ黙って眺めていただけの奴らも同罪だ。同情するふりをして、誰もユキアを助けようとしなかったのだから。
こんな奴らの方が、生きている価値はない。このときの私は本気でそう思っていた。
気づけば、私は主犯格の少女の顎の下に銃口を突きつけていた。
「────私の親友を愚弄するな。死ね」
何のためらいもなく引き金を引いた瞬間、銃声と甲高い悲鳴が教室中に響き渡った。
綺麗で清潔だった教室は、今や血まみれになり肉の塊が蠢く地獄絵図となっていた。正気に戻った私は、その真ん中で一人立ち尽くしていた。
「おい、輝かしい未来の子供たちを育てるグレイスガーデンの管理者さんよぉ。おたくの教育方針はどうなってんだ? ええ?」
「……すみません。監督不届きでした」
「ったく、何をどうしたらこんな大人数が怪我するんだよ。本当に一人がやったのかよ、これ」
どの教室も、もう授業どころじゃなくなったようだ。グレイスガーデンの先生たちが、アーケンシェンであるクリムとカルデルトの来訪に対応した。
クリムは事件の調査、カルデルトは血まみれの子供たちの治療に来たのだろう。
そういえば、シオンとソルはどうしたんだろうと、教室の外に目を向けた。他の子供に混じって、遠くから様子を見ていた。
二人は私やユキアとクラスが違うから、別の教室での出来事はあまり詳しく伝わってこなかったのだろう。それは仕方ないと思う。だから私も責めることはなかった。
「君が犯人かい? メア・シュナーベル」
血まみれの私に、最初に声をかけてきたのはクリムだった。武器も何も手にしていない。
「君を殺害容疑で拘束する。デウスプリズンに来てもらうよ」
「やめろ。私とユキアを遠ざける気か」
「君は罪を犯したんだ、償うものも償えなければ一生彼女に会えなくなるよ」
「うるさい! ユキアには私がいないとダメなんだ、邪魔するならお前たちも殺してやる!!」
アイリス様の部下に等しいアーケンシェン相手に、銃を向けた。
「君が? 笑わせるね。これ以上罪を重ねる気?」
一瞬で距離を詰められ、ガラスの剣が私の首に突きつけられた。私より少し年上の見た目にしか見えない少年なのに、ひどく冷淡な目を向けてくる。
たった十年しか生きていない私には、少しの勝算もありはしなかった。
「……なら、ユキアから今日の記憶を消してくれ。それが条件だ」
「わかった。頼んだよ、カルデルト」
「はぁ!? 正気かクリム!? おい!?」
面倒そうな顔をしていたが、きっとカルデルトは言う通りにしてくれたのだと思う。現に、今のユキアからこの事件の記憶は消えている。いや、正確には事件の存在は覚えているだろうが、そこに自分や私が関係していることは忘れているだろう。
それでいい。こんな凄惨な記憶、あの子には必要ない。
そして、事件の事情聴取。黒い箱のような部屋の中で、机を隔てて向かい合うと、私は本当に罪人になってしまったのだと自覚させられる。
「なんで、他の神に危害を加えたりしたの?」
「……守るべきものを守っただけだ。それ以上の理由なんてない」
「そうかい……君の世話神に連絡する。報告だけでもしておかないといけない」
「無駄だよ。あの人は今、家にいない。多分まだ仕事でもしているんだろう」
聞いても仕方のないことばかりを聞いてくるものだから、指先を弄びつつ必要な分だけ答えた。生真面目な断罪神のことだから、何か文句でも言ってくるかと思ったが、この部分は何も言及してこなかった。
それどころか、少し哀れんだような目で見てきた。それが私を余計に惨めにさせる。
「……君の友達のことなんだけど。多分、しばらく診療所に入ることになる。心身ともにかなりのダメージを負っているみたいでね。しばらくカルデルトに任せておくから」
「本当か。傷つけたら許さない。もし嘘だったらお前の翼を折ってやるからな」
「やめてよ……ちょっとは信用してくれてもいいじゃないか」
まあ、クリムもカルデルトもどうだっていいのだ。アイリス様だって、掟を破るようなことは考えるなとは言うけれど、さすがにそれだけでユキアを傷つけるようなことはしないだろう。そんなことがまかり通るなら、もっと大勢の神が死んでいると思う。
「とりあえず、君の処遇について。本来なら永遠にデウスプリズンに幽閉するべきなんだけど、特別に十年で済む。それに加えて、僕らアーケンシェンの誰かが同伴している場合なら外出もできる」
「……なぜ?」
「カルデルトの計らいだね。君の心はひどく不安定だから、ユキアという心の支えが必要だってさ。アイリス様からの許可が下りれば問題ないみたいだから、心配しないで」
この時、私はもう既にこの世界の真実に気づいていた。とんでもなく残酷で、理不尽で、弱い者に幸せなど与えてはくれないのだと。
だから私は強くなると決めた。その結果、魔特隊に入れるほどの実力を手にしたが、シオンとソルとは違い私は入らなかった。ユキアにそもそも魔特隊に入る気がなかったのと、何よりユキアのそばにいたかったという理由があったから。
他の奴らは自分で身を守ればいい。私はユキアだけを守れればいい。そんな思いを胸に秘めたまま、私はユキアの隣に居続けた。
────だが、生きている中で思い通りになることはそうそうない。
大人になって、変な事件に巻き込まれた挙句、ユキアにつきまとう謎の子供が現れた。私は愚か、シオンやソルと比べることすらできないくらいの強者だ。見た目はただの幼子なのに。
あいつを目にしてから、私の心は日に日におかしくなっていった。ユキアたちにほとんど悟られることがなかったのが幸いだ。
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それとも――自由か。
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