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第5章「神々集いし夢牢獄」
105話 プリン姫(2)
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僕らは唖然として、その場に固まってしまった。レノは目をぱちくりさせながら、その場に立ち尽くしている。
シュノーも一時は動揺を見せたが、首を横にぶんぶん振った。
「レノ? シュノーがわからないの?」
「シュノー……? レノと似てるけど、よくわかんないのだ」
やはり、シオンと同じだ。彼女も神幻術の影響を強く受けている。いきなり襲いかかってこないだけ、まだマシだったかもしれない。
シュノーの背後にいることをいいことに、シオンはごく自然に片手を手刀の形にした。
「んー、叩いたら治るんじゃね?」
「暴力沙汰はやめてくださいっ!」
「その前にシュノーに半殺しにされるんじゃないかな」
「やったら殺す」
小声で話しているつもりだったのに、シュノーは顔に陰を落とした状態で振り返った。シオンはこともなげに手を背中に隠す。
改めて、記憶を失ってしまっているレノに向き直った。仕方ないことだが、少し怪訝な目をしている。
「ごめん、気にしないで。シュノーたち、道に迷っちゃったの。ここがどこなのか教えてくれる?」
「ここはただの森なのだ。森の外に城があるけど、危ないからやめた方がいいのだ」
「危ないって……なんで?」
「レノ、女王に殺されかけたのだ」
女王に……殺されかけた? 詳しく聞き出そうと思ったが、シュノーに止められた。今のレノを無闇に怯えさせるのはよくないと。今更思ったけど、結構過保護だよなぁ、この子。
いつの間にか、セルジュは腕を組んで唸っていたが、急に「あーっ!」と叫んだ。
「思い出しました! 姫の心臓を狙おうとする『兵士』がいる話……『黒雪姫』です!!」
「どこに黒の要素があんだよ、これ?」
「本来、主人公のお姫様は白い肌と、長く綺麗な黒髪を持っているんです。この黒髪からそう呼ばれているんですけど……黒雪姫の母である女王は、黒雪姫に美しさに嫉妬して、彼女の心臓を兵士に奪わせようとするんです」
お菓子の家が登場するゼルンとテーレル、女王に心臓を狙われる黒雪姫……当初、シオンが姫の命を狙おうとしていたのは、黒雪姫の兵士の役を与えられていたからなのかもしれない。
ただ、それならあのお菓子の家はなんだったのか? 彼の家のようなものだったのか? 二つの童話がごちゃまぜになっているせいで、設定に若干の齟齬が生じてしまっている。
「レノがお姫様って、なんでわかったのだ?」
「それは秘密。それよりレノ、プリン食べてた?」
「うん、みんなが来るまで食べてたのだ!」
そう言って、質素なテーブルを指さした。小さな皿が大量に積み上げられており、カラメルの匂いはそこから漂っている。
……ざっと十皿以上は食べているな、これは。
「ちょーっと待てぇ!? どこから出てきやがったんだ、この量!?」
「……姫様? 誰か来たの?」
「あ!? 今度は何だ……って」
家の奥から、またもやひとが出てきた。今度は、なぜか白いエプロンをつけているソルが、別の部屋から顔を出してきた。
「……君たち、誰?」
「ソル!? お前までおかしくなったのか!?」
「うるさい。黙ってくれない?」
至極鬱陶しそうな顔で吐き捨てられ、さすがのシオンも顔を俯かせてしまった。止める暇もなく、元いた部屋へと引っ込んでしまう。
「アイツはレノ専属のプリン職人なのだ。今は新しいプリンを作ってもらってるから忙しいのだ」
「……プリンだけずっと作らせてるの?」
「そうなのだ! 美味しいから、ぜひ食べてほしいのだ」
そう言われても、全く食欲がわかない。お腹が空いていないわけではなく、単純にゆっくりしていられないのだ。予想よりも記憶がおかしくなっている仲間が多く、焦燥感が弱まることはない。
というか、そもそも黒雪姫にこんなシーンはなかったはずでは?
「……大丈夫ですか、シオン?」
「んなわけあるかよ……てか、オレもあんな感じだったのか?」
「まあ、多少乱暴してきたりはしましたが、そうですね……」
セルジュから聞いて、さらにうなだれた。なんだか気の毒に思えてくる。
こっそり、ソルの様子を伺う。無表情のまま、黙々とプリンを作り続けている。魔法を駆使して材料を混ぜ合わせたり、大量の型に均等に流し込んでいく。
しかし、完成させる前に、一度部屋から顔を出した。
「姫様。次のプリンです」
「はーいなのだ! 〈イグニス・イラプション〉!」
ソルに呼ばれて立ち上がったレノが、魔法でプリンを焼き上げた。完全に魔力の無駄遣い。完成すると、レノからプリンを一人一つずつ、スプーンも人数分もらった。
「さぁ、召し上がれなのだ!」
「……ねぇ、これ本当に食べていいの?」
「なんでそこまで疑うのだ? 別に変なものなんて入れてないのだ……」
だんだん、レノの目が潤んでくる。迂闊な行動はできないとわかっているから、余計に心苦しくなる。
シュノーが慰めようと近づくと、風の刃が飛んでいった。気配に察知したシュノーが攻撃を受けることはなかったものの……。
「どういうつもり、ソル?」
「姫様にあだなすというのなら、容赦はしない。ただそれだけだよ」
ソルが武器の魔導書を開き、戦闘の構えをとっている。周りが見えていないのか……?
シュノーは泣きそうになっているレノを抱き寄せ、魔力を漂わせる。
「ごめん、レノ。〈スティーリア・フォーラスリープ〉」
「え……?」
レノの意識が落ち、シュノーがレノを連れ家の外へと避難するのを確認する。僕はペンをガラスの剣へと変え、セルジュも武器のクロスボウを召喚した。
ただ一人、シオンは武器を構えず、身体をわなわなと震わせていた。
「っ……くそ! なんでオレたちのことを忘れちまったんだよ、ソル!?」
「……忘れたも何も、僕は君たちなんて知らない」
家の中であるにもかかわらず風を発生させ、勢いを強めていく。僕らをねじ伏せようとする風は竜巻へと姿を変え、空気を激しく揺らした。
ガラガラと音を立てながら、お菓子という脆い素材でできた家は崩れ落ち、甘い欠片が空に舞い上がっていった。あまりにも強すぎる勢いに、僕らも身動きが取れなくなる。
そこに、ソルが開かれた魔導書を片手に突っ込んできた。
「邪魔。返して」
「っ、正気に戻るんだ!」
魔法陣型の防壁を展開し、放たれた風の刃を防ぐ。その後ろから、セルジュはクロスボウで電撃をまとった矢を撃つ。しかし、風が強すぎるせいで軌道が逸れ、ソルには当たらない。
シュノーとレノは、家があった場所から少し離れて身を隠しているようだった。とりあえず、レノを奪われないようにすればどうにかなるだろうが……。
「この野郎っ、いい加減にしろ! 『ユニヴァ・クリエイツ』!!」
渦巻く風の勢いが止まない中、シオンが固有魔法を行使し鉄の鎖を放った。魔法では掻き消せない鎖は、いとも簡単にソルを縛り上げ、転がす。
魔法の勢いが弱まった隙に、彼一人で距離を詰める。そして、腕を激しく振りかぶってソルの顔を殴り、衝撃で眼鏡を吹き飛ばした。
ソルは殴られた頬をさすることもできず、恨めしそうにシオンを見上げた。
「……なに、するの」
「いいから目を覚ませ!! オレがわからねぇのか、ソル!?」
両肩を掴み、身体を激しく揺らす。ソルの目は見開かれ、少しずつ混乱の色が現れていく。口をぱくぱくさせているようだが、何も言葉は聞こえてこない。
油断ができない中────鋭い殺気を感じ、とっさにシオンとソルの前に来て防壁を展開した。悪い予感は当たり、防壁を貫通する勢いで銃弾が飛んでくる。
「おやおや、心が揺れてしまっているのかい? いけないね」
撃たれたのは、一発だけに留まった。
感じた気配とは裏腹に、朗らかに笑う男が背後に立っていた。焦げ茶の短い髪に、深緑の軍服に似た装束を身にまとっている。左胸に、金色の星のブローチをつけていた。
「……メレディス」
シュノーが呆然とした表情で、ぽつりと男の名前を呟いた。僕の隣に経つセルジュの顔は、どんどん青ざめていく。
「う、嘘です……なんで、あなたがここに!?」
僕も、同じことを思った。彼は、キャッセリアで長きにわたって名を馳せてきた者の一人である。
メレディス・エルンドゥール────それが、この朗らかに笑う男の名前。そして、魔特隊の中では特に英雄視されている神……という話を聞いたことがある。
「ああ、疑問に思うのは仕方がないよね。本当の僕は、もう死んでいるからね」
目の前で朗らかに笑ったまま、とんでもないことを言ってのける。ここが夢の中だからとわかっているからか、僕は大げさに驚きはしなかった。ある意味、これは死者への冒涜ではなかろうか。
「安心して。女王なら倒したよ。その子を脅かすものは、もうすぐ全部なくなるよ」
「メレディス、シュノーたちは夢の外に帰らなきゃいけないの。子供たちはどこ?」
「女王がいた城に大方集まっているよ。大丈夫。あとは君たちだけだから」
言葉と同時に、僕は魔法陣型の障壁でその場の全員を守る。両手に一丁ずつ構えられたメレディスの銃口が向けられ、引き金を引かれる。それだけで────障壁が大きく揺さぶられ、反動で身体が倒れそうになった。一般的に使用されている拳銃の弾丸にはない、並外れの爆発力が備えられているのだろう。
一応受け止めきったところを見て、メレディスは「おお」と感嘆の声を漏らす。
「さすがはアーケンシェンだね。この程度じゃ壊せないか」
「っ、どうして君がこんなことをするんだい!?」
「僕を倒さなきゃ、君たちはこの先に進めない。僕も頼まれた仕事をしないといけないからね」
……話にならない。
また、銃が撃たれる。一発の威力が重く、一発受けただけでも致命傷になりかねない。ただ、ずっと魔法で防いでいるのも得策ではない。
「『アダマンタイト・マニピュレーター』!」
セルジュが唱え、片翼に絡みついていた鎖が溶け出す。もう片方の翼を金属で補い飛び込んだところで、メレディスが金属製の翼を狙い撃った。
「ぐっ……!?」
「おや。弾が切れてしまったようだ」
弾かれたものの、砕けることはなかった。しかし相手は銃のマガジンを慣れた手つきで取り替えており、まだまだ余裕がありそうだった。
攻撃が止んだその隙に、ガラスの剣で斬りかかる。かわされるのは予想済み。
「〈風よ、我が敵を斬り裂け〉!」
避けた方向へ風の刃を撃ち込んだ。ちょうど刃が迫ったところで、僅かに後退して回避される────が、何発も刃を生み出し放ち続けた。
彼は回避を続けていたが、何発かの刃が頬や腕を掠った。そこから流れ出る血は実体があるように思えた。
相手は二丁の銃を光に変え、双剣へと変形させる。大量に飛ばした風の刃が、あっという間に斬り裂かれかき消されていく。
僕は距離を詰め、剣で直接斬り込んだ。案の定、二つの刃で防がれる。
「クリム様じゃ、ちょっと相手が悪いね。ここは────」
僕の刃を弾き返し、セルジュたちの方へ一瞬で距離を詰めていく。その中でもセルジュがとっさに反応を見せ、斬りかかってくる刃をクロスボウで防ぎ、金属の尖った羽でメレディスを貫こうとした。
セルジュは、今まであまり見たことのない真剣な面持ちでメレディスと対峙する。
「ぼくがメレディスさんを止めます。シュノーたちは下がってください」
「っ、シュノーも戦う」
「ドクターストップがかかってるでしょう! クリム先輩、この子たちをお願いします!」
セルジュは一人、木々の向こうへと飛んでいく。メレディスはその後を追いかけていき、僕らだけがこの場に残される。シュノーは刀を握りしめ、唇を噛み締めた。
シオンは唖然としており、今の状況を理解できていなさそうだった。
「次から次へと、わけわかんねぇよ……どうすんだよ、これ」
「……どうするも何も、ここから出るしかないんでしょ」
はっと息をのみ、自分のすぐ近くにいる姿を見遣ったシオンの口があんぐりと開く。錯乱状態になっていたはずのソルは落ち着きを取り戻し、殴り飛ばされた眼鏡を拾い上げたところだった。
「はぁ……殴って正気に戻すとしても、もう少し手加減してよね。シオン、力強いんだから」
「お……お前……」
「僕はそんな簡単にいなくなったりしないから。この世の終わりみたいな顔しないでよ」
そう言いながら、ソルは眼鏡をかける。特に曲がったりはしていなさそうで安心した。
それから間もなく、シュノーの近くからうめき声が聞こえてくる。桃色の髪が揺れるのが見えた。
「ここは……どこなのだ? シュノー?」
「レノ! もう大丈夫なの!?」
「ん? レノはずっと元気なのだ。それに、なんだか幸せな夢を見ていたのだ~」
こっちはやけにうっとりとしながら話している。夢の内容はまあ、大体想像がついた。
とりあえず、おかしくなっていた二人は正気に戻せた。恐らく、本人を眠らせるか大きなダメージを与えることが元に戻す条件だったのだろう。何はともあれ結果オーライだ。
とはいえ、メレディスとセルジュは森のどこかへ消え去ったきり戻ってこない。あまり迂闊に動くのは得策ではないが、こうなってしまったからには致し方ない。
「僕らと同じように閉じ込められた子供たちも見つけないと。城の方にいるんだっけ」
「うん、急いで保護しよう。でも、城はどこだろう……」
「レノ、なんとなく覚えてるのだ。案内するのだ」
……そうか、彼女は元々この夢の中では「姫」だった。記憶は元に戻っているようだが、今のところ彼女くらいしか手がかりはない。
レノがシュノーの手を引いて歩き出すので、僕とシオン、ソルも後に続いた。その矢先に、何か異様な気配がこちらに近づいてくるのを感じた。
「二人とも、避けて!」
「わーっ!?」
僕の声が聞こえる前に、シュノーがレノを手を引き難を逃れる。何か金色に光るものが飛んできて、地面に突き刺さった。飛んできたのは、小さな紙のようなもの……カードだ。
「うわ、なんか見たことある奴らがいるな」
カードを投げてきた人物が、とある木の枝に座っているのを見つけた。見覚えのない、とても小さな少年だ。
わけのわからないことをぶつぶつ呟きながら、少年が地面に飛び降りてくる。藍色の髪と装束、金色の瞳……なんと、瞳には×の模様が浮かんでいる。
「君は……ヴィータやアスタと同じ……?」
「はぁ? あいつらと一緒にすんな!」
どこに隠し持っていたのか、数枚のカードを取り出し一気に投げてきた。シュノーたちを下がらせ、魔法の防壁で防ぐ────が、被弾した部分の防壁に異変が起こる。
カードを打ち消した部分が、じわじわと黒く侵食されていく。まるで、紙を焼き焦がす炎のように。
侵食する魔法とは、少し違う。そもそも、これは魔力の類じゃない。
「君がシファだね。二人と敵対しているっていう」
「ふーん、知ってたか。ま、別にいいけど」
少年──シファは、特に気にする様子もなく髪先を指でいじくっていた。
「言っとくけど、あいつらなら来ないよ」
「はぁ!? なんでだよ!?」
「だって、呼んだらすぐ終わっちゃうじゃん。そんなのつまんないだろ」
つまり、今のところ最強の味方には頼ることができない状況というわけだ。なんとなくそんな気はしていた。ここに来るまで、アスタに出会う気配はなかったし。
シファの言葉をそのまま受け取るなら、アスタは夢の世界の外に残ったままということだろう。ラケルは、あらかじめアスタのみを夢の中に誘い込まなかったのだろうか。
「……君、ラケルとどういう関係なの?」
「あ? んなのペラペラ喋るわけないだろ! バッカじゃねーの? おれから聞き出せると思うなよ!」
僕らの質問が悉く、汚い言葉でいなされる。この子、随分と口が悪いな。自分よりかなり背が低い子供のように見えることもあり、だんだん腹が立ってくる。
だが、腹が立っているのは向こうも同じようだった。
「くそっ……いつまでここにいさせるつもりだ。いい加減動けよ……!」
苛立ちが募り募っているようで、僕らに興味を失くしたと思えばどこかへ立ち去って行った。何をしに来たのかいまいち理解できない。なんだか様子が変だ。
「アイツ、よくわかんないのだ。シュノー、ほっとくのか?」
「その方がいいと思う。なんだろうね……シュノー、アイツと初めて会った気がしないな」
シファという観測者について知っていることは、ほとんどない。アスタとヴィータの敵だということ以外知らないが、それは二人も同じようだった。現代で何をやっているのかまでは把握していないのだろう。
だが、ラケルの神幻術で作り出されたこの夢にシファがいて、アスタが拒絶されていることは大きな証拠であった。
「もしかして……ラケルは、観測者と手を組んでいるんじゃないかな」
一つの可能性を口にしてみると、どんどん不安が強まってくるのがわかる。それは他の二人も同じようだった。
「観測者って、アスタたちのことじゃないのか。アイツは一体何者?」
「アスタとヴィータ曰く、あのシファという観測者は僕たちにとっての敵なんだ。そいつがラケルの作った夢の世界にいて、かつあの口ぶり……無関係とは思えない」
これはあくまで僕の考えだった。ラケルを始めとした他の神とはほとんど繋がっていなかったゆえの、外野の視点でしかない。
しかし、シュノーは違うようだった。少し思い詰めたような顔をしながら、小さく呟く。
「死んだはずのメレディスがどうして現れたのか……シュノー、ちょっとわかった気がするよ」
レノは全然話についていけてないようだが、シュノーはそれに構っていない。きっと彼女にはあまり悟られたくないことなのだと思う。
シュノーも一時は動揺を見せたが、首を横にぶんぶん振った。
「レノ? シュノーがわからないの?」
「シュノー……? レノと似てるけど、よくわかんないのだ」
やはり、シオンと同じだ。彼女も神幻術の影響を強く受けている。いきなり襲いかかってこないだけ、まだマシだったかもしれない。
シュノーの背後にいることをいいことに、シオンはごく自然に片手を手刀の形にした。
「んー、叩いたら治るんじゃね?」
「暴力沙汰はやめてくださいっ!」
「その前にシュノーに半殺しにされるんじゃないかな」
「やったら殺す」
小声で話しているつもりだったのに、シュノーは顔に陰を落とした状態で振り返った。シオンはこともなげに手を背中に隠す。
改めて、記憶を失ってしまっているレノに向き直った。仕方ないことだが、少し怪訝な目をしている。
「ごめん、気にしないで。シュノーたち、道に迷っちゃったの。ここがどこなのか教えてくれる?」
「ここはただの森なのだ。森の外に城があるけど、危ないからやめた方がいいのだ」
「危ないって……なんで?」
「レノ、女王に殺されかけたのだ」
女王に……殺されかけた? 詳しく聞き出そうと思ったが、シュノーに止められた。今のレノを無闇に怯えさせるのはよくないと。今更思ったけど、結構過保護だよなぁ、この子。
いつの間にか、セルジュは腕を組んで唸っていたが、急に「あーっ!」と叫んだ。
「思い出しました! 姫の心臓を狙おうとする『兵士』がいる話……『黒雪姫』です!!」
「どこに黒の要素があんだよ、これ?」
「本来、主人公のお姫様は白い肌と、長く綺麗な黒髪を持っているんです。この黒髪からそう呼ばれているんですけど……黒雪姫の母である女王は、黒雪姫に美しさに嫉妬して、彼女の心臓を兵士に奪わせようとするんです」
お菓子の家が登場するゼルンとテーレル、女王に心臓を狙われる黒雪姫……当初、シオンが姫の命を狙おうとしていたのは、黒雪姫の兵士の役を与えられていたからなのかもしれない。
ただ、それならあのお菓子の家はなんだったのか? 彼の家のようなものだったのか? 二つの童話がごちゃまぜになっているせいで、設定に若干の齟齬が生じてしまっている。
「レノがお姫様って、なんでわかったのだ?」
「それは秘密。それよりレノ、プリン食べてた?」
「うん、みんなが来るまで食べてたのだ!」
そう言って、質素なテーブルを指さした。小さな皿が大量に積み上げられており、カラメルの匂いはそこから漂っている。
……ざっと十皿以上は食べているな、これは。
「ちょーっと待てぇ!? どこから出てきやがったんだ、この量!?」
「……姫様? 誰か来たの?」
「あ!? 今度は何だ……って」
家の奥から、またもやひとが出てきた。今度は、なぜか白いエプロンをつけているソルが、別の部屋から顔を出してきた。
「……君たち、誰?」
「ソル!? お前までおかしくなったのか!?」
「うるさい。黙ってくれない?」
至極鬱陶しそうな顔で吐き捨てられ、さすがのシオンも顔を俯かせてしまった。止める暇もなく、元いた部屋へと引っ込んでしまう。
「アイツはレノ専属のプリン職人なのだ。今は新しいプリンを作ってもらってるから忙しいのだ」
「……プリンだけずっと作らせてるの?」
「そうなのだ! 美味しいから、ぜひ食べてほしいのだ」
そう言われても、全く食欲がわかない。お腹が空いていないわけではなく、単純にゆっくりしていられないのだ。予想よりも記憶がおかしくなっている仲間が多く、焦燥感が弱まることはない。
というか、そもそも黒雪姫にこんなシーンはなかったはずでは?
「……大丈夫ですか、シオン?」
「んなわけあるかよ……てか、オレもあんな感じだったのか?」
「まあ、多少乱暴してきたりはしましたが、そうですね……」
セルジュから聞いて、さらにうなだれた。なんだか気の毒に思えてくる。
こっそり、ソルの様子を伺う。無表情のまま、黙々とプリンを作り続けている。魔法を駆使して材料を混ぜ合わせたり、大量の型に均等に流し込んでいく。
しかし、完成させる前に、一度部屋から顔を出した。
「姫様。次のプリンです」
「はーいなのだ! 〈イグニス・イラプション〉!」
ソルに呼ばれて立ち上がったレノが、魔法でプリンを焼き上げた。完全に魔力の無駄遣い。完成すると、レノからプリンを一人一つずつ、スプーンも人数分もらった。
「さぁ、召し上がれなのだ!」
「……ねぇ、これ本当に食べていいの?」
「なんでそこまで疑うのだ? 別に変なものなんて入れてないのだ……」
だんだん、レノの目が潤んでくる。迂闊な行動はできないとわかっているから、余計に心苦しくなる。
シュノーが慰めようと近づくと、風の刃が飛んでいった。気配に察知したシュノーが攻撃を受けることはなかったものの……。
「どういうつもり、ソル?」
「姫様にあだなすというのなら、容赦はしない。ただそれだけだよ」
ソルが武器の魔導書を開き、戦闘の構えをとっている。周りが見えていないのか……?
シュノーは泣きそうになっているレノを抱き寄せ、魔力を漂わせる。
「ごめん、レノ。〈スティーリア・フォーラスリープ〉」
「え……?」
レノの意識が落ち、シュノーがレノを連れ家の外へと避難するのを確認する。僕はペンをガラスの剣へと変え、セルジュも武器のクロスボウを召喚した。
ただ一人、シオンは武器を構えず、身体をわなわなと震わせていた。
「っ……くそ! なんでオレたちのことを忘れちまったんだよ、ソル!?」
「……忘れたも何も、僕は君たちなんて知らない」
家の中であるにもかかわらず風を発生させ、勢いを強めていく。僕らをねじ伏せようとする風は竜巻へと姿を変え、空気を激しく揺らした。
ガラガラと音を立てながら、お菓子という脆い素材でできた家は崩れ落ち、甘い欠片が空に舞い上がっていった。あまりにも強すぎる勢いに、僕らも身動きが取れなくなる。
そこに、ソルが開かれた魔導書を片手に突っ込んできた。
「邪魔。返して」
「っ、正気に戻るんだ!」
魔法陣型の防壁を展開し、放たれた風の刃を防ぐ。その後ろから、セルジュはクロスボウで電撃をまとった矢を撃つ。しかし、風が強すぎるせいで軌道が逸れ、ソルには当たらない。
シュノーとレノは、家があった場所から少し離れて身を隠しているようだった。とりあえず、レノを奪われないようにすればどうにかなるだろうが……。
「この野郎っ、いい加減にしろ! 『ユニヴァ・クリエイツ』!!」
渦巻く風の勢いが止まない中、シオンが固有魔法を行使し鉄の鎖を放った。魔法では掻き消せない鎖は、いとも簡単にソルを縛り上げ、転がす。
魔法の勢いが弱まった隙に、彼一人で距離を詰める。そして、腕を激しく振りかぶってソルの顔を殴り、衝撃で眼鏡を吹き飛ばした。
ソルは殴られた頬をさすることもできず、恨めしそうにシオンを見上げた。
「……なに、するの」
「いいから目を覚ませ!! オレがわからねぇのか、ソル!?」
両肩を掴み、身体を激しく揺らす。ソルの目は見開かれ、少しずつ混乱の色が現れていく。口をぱくぱくさせているようだが、何も言葉は聞こえてこない。
油断ができない中────鋭い殺気を感じ、とっさにシオンとソルの前に来て防壁を展開した。悪い予感は当たり、防壁を貫通する勢いで銃弾が飛んでくる。
「おやおや、心が揺れてしまっているのかい? いけないね」
撃たれたのは、一発だけに留まった。
感じた気配とは裏腹に、朗らかに笑う男が背後に立っていた。焦げ茶の短い髪に、深緑の軍服に似た装束を身にまとっている。左胸に、金色の星のブローチをつけていた。
「……メレディス」
シュノーが呆然とした表情で、ぽつりと男の名前を呟いた。僕の隣に経つセルジュの顔は、どんどん青ざめていく。
「う、嘘です……なんで、あなたがここに!?」
僕も、同じことを思った。彼は、キャッセリアで長きにわたって名を馳せてきた者の一人である。
メレディス・エルンドゥール────それが、この朗らかに笑う男の名前。そして、魔特隊の中では特に英雄視されている神……という話を聞いたことがある。
「ああ、疑問に思うのは仕方がないよね。本当の僕は、もう死んでいるからね」
目の前で朗らかに笑ったまま、とんでもないことを言ってのける。ここが夢の中だからとわかっているからか、僕は大げさに驚きはしなかった。ある意味、これは死者への冒涜ではなかろうか。
「安心して。女王なら倒したよ。その子を脅かすものは、もうすぐ全部なくなるよ」
「メレディス、シュノーたちは夢の外に帰らなきゃいけないの。子供たちはどこ?」
「女王がいた城に大方集まっているよ。大丈夫。あとは君たちだけだから」
言葉と同時に、僕は魔法陣型の障壁でその場の全員を守る。両手に一丁ずつ構えられたメレディスの銃口が向けられ、引き金を引かれる。それだけで────障壁が大きく揺さぶられ、反動で身体が倒れそうになった。一般的に使用されている拳銃の弾丸にはない、並外れの爆発力が備えられているのだろう。
一応受け止めきったところを見て、メレディスは「おお」と感嘆の声を漏らす。
「さすがはアーケンシェンだね。この程度じゃ壊せないか」
「っ、どうして君がこんなことをするんだい!?」
「僕を倒さなきゃ、君たちはこの先に進めない。僕も頼まれた仕事をしないといけないからね」
……話にならない。
また、銃が撃たれる。一発の威力が重く、一発受けただけでも致命傷になりかねない。ただ、ずっと魔法で防いでいるのも得策ではない。
「『アダマンタイト・マニピュレーター』!」
セルジュが唱え、片翼に絡みついていた鎖が溶け出す。もう片方の翼を金属で補い飛び込んだところで、メレディスが金属製の翼を狙い撃った。
「ぐっ……!?」
「おや。弾が切れてしまったようだ」
弾かれたものの、砕けることはなかった。しかし相手は銃のマガジンを慣れた手つきで取り替えており、まだまだ余裕がありそうだった。
攻撃が止んだその隙に、ガラスの剣で斬りかかる。かわされるのは予想済み。
「〈風よ、我が敵を斬り裂け〉!」
避けた方向へ風の刃を撃ち込んだ。ちょうど刃が迫ったところで、僅かに後退して回避される────が、何発も刃を生み出し放ち続けた。
彼は回避を続けていたが、何発かの刃が頬や腕を掠った。そこから流れ出る血は実体があるように思えた。
相手は二丁の銃を光に変え、双剣へと変形させる。大量に飛ばした風の刃が、あっという間に斬り裂かれかき消されていく。
僕は距離を詰め、剣で直接斬り込んだ。案の定、二つの刃で防がれる。
「クリム様じゃ、ちょっと相手が悪いね。ここは────」
僕の刃を弾き返し、セルジュたちの方へ一瞬で距離を詰めていく。その中でもセルジュがとっさに反応を見せ、斬りかかってくる刃をクロスボウで防ぎ、金属の尖った羽でメレディスを貫こうとした。
セルジュは、今まであまり見たことのない真剣な面持ちでメレディスと対峙する。
「ぼくがメレディスさんを止めます。シュノーたちは下がってください」
「っ、シュノーも戦う」
「ドクターストップがかかってるでしょう! クリム先輩、この子たちをお願いします!」
セルジュは一人、木々の向こうへと飛んでいく。メレディスはその後を追いかけていき、僕らだけがこの場に残される。シュノーは刀を握りしめ、唇を噛み締めた。
シオンは唖然としており、今の状況を理解できていなさそうだった。
「次から次へと、わけわかんねぇよ……どうすんだよ、これ」
「……どうするも何も、ここから出るしかないんでしょ」
はっと息をのみ、自分のすぐ近くにいる姿を見遣ったシオンの口があんぐりと開く。錯乱状態になっていたはずのソルは落ち着きを取り戻し、殴り飛ばされた眼鏡を拾い上げたところだった。
「はぁ……殴って正気に戻すとしても、もう少し手加減してよね。シオン、力強いんだから」
「お……お前……」
「僕はそんな簡単にいなくなったりしないから。この世の終わりみたいな顔しないでよ」
そう言いながら、ソルは眼鏡をかける。特に曲がったりはしていなさそうで安心した。
それから間もなく、シュノーの近くからうめき声が聞こえてくる。桃色の髪が揺れるのが見えた。
「ここは……どこなのだ? シュノー?」
「レノ! もう大丈夫なの!?」
「ん? レノはずっと元気なのだ。それに、なんだか幸せな夢を見ていたのだ~」
こっちはやけにうっとりとしながら話している。夢の内容はまあ、大体想像がついた。
とりあえず、おかしくなっていた二人は正気に戻せた。恐らく、本人を眠らせるか大きなダメージを与えることが元に戻す条件だったのだろう。何はともあれ結果オーライだ。
とはいえ、メレディスとセルジュは森のどこかへ消え去ったきり戻ってこない。あまり迂闊に動くのは得策ではないが、こうなってしまったからには致し方ない。
「僕らと同じように閉じ込められた子供たちも見つけないと。城の方にいるんだっけ」
「うん、急いで保護しよう。でも、城はどこだろう……」
「レノ、なんとなく覚えてるのだ。案内するのだ」
……そうか、彼女は元々この夢の中では「姫」だった。記憶は元に戻っているようだが、今のところ彼女くらいしか手がかりはない。
レノがシュノーの手を引いて歩き出すので、僕とシオン、ソルも後に続いた。その矢先に、何か異様な気配がこちらに近づいてくるのを感じた。
「二人とも、避けて!」
「わーっ!?」
僕の声が聞こえる前に、シュノーがレノを手を引き難を逃れる。何か金色に光るものが飛んできて、地面に突き刺さった。飛んできたのは、小さな紙のようなもの……カードだ。
「うわ、なんか見たことある奴らがいるな」
カードを投げてきた人物が、とある木の枝に座っているのを見つけた。見覚えのない、とても小さな少年だ。
わけのわからないことをぶつぶつ呟きながら、少年が地面に飛び降りてくる。藍色の髪と装束、金色の瞳……なんと、瞳には×の模様が浮かんでいる。
「君は……ヴィータやアスタと同じ……?」
「はぁ? あいつらと一緒にすんな!」
どこに隠し持っていたのか、数枚のカードを取り出し一気に投げてきた。シュノーたちを下がらせ、魔法の防壁で防ぐ────が、被弾した部分の防壁に異変が起こる。
カードを打ち消した部分が、じわじわと黒く侵食されていく。まるで、紙を焼き焦がす炎のように。
侵食する魔法とは、少し違う。そもそも、これは魔力の類じゃない。
「君がシファだね。二人と敵対しているっていう」
「ふーん、知ってたか。ま、別にいいけど」
少年──シファは、特に気にする様子もなく髪先を指でいじくっていた。
「言っとくけど、あいつらなら来ないよ」
「はぁ!? なんでだよ!?」
「だって、呼んだらすぐ終わっちゃうじゃん。そんなのつまんないだろ」
つまり、今のところ最強の味方には頼ることができない状況というわけだ。なんとなくそんな気はしていた。ここに来るまで、アスタに出会う気配はなかったし。
シファの言葉をそのまま受け取るなら、アスタは夢の世界の外に残ったままということだろう。ラケルは、あらかじめアスタのみを夢の中に誘い込まなかったのだろうか。
「……君、ラケルとどういう関係なの?」
「あ? んなのペラペラ喋るわけないだろ! バッカじゃねーの? おれから聞き出せると思うなよ!」
僕らの質問が悉く、汚い言葉でいなされる。この子、随分と口が悪いな。自分よりかなり背が低い子供のように見えることもあり、だんだん腹が立ってくる。
だが、腹が立っているのは向こうも同じようだった。
「くそっ……いつまでここにいさせるつもりだ。いい加減動けよ……!」
苛立ちが募り募っているようで、僕らに興味を失くしたと思えばどこかへ立ち去って行った。何をしに来たのかいまいち理解できない。なんだか様子が変だ。
「アイツ、よくわかんないのだ。シュノー、ほっとくのか?」
「その方がいいと思う。なんだろうね……シュノー、アイツと初めて会った気がしないな」
シファという観測者について知っていることは、ほとんどない。アスタとヴィータの敵だということ以外知らないが、それは二人も同じようだった。現代で何をやっているのかまでは把握していないのだろう。
だが、ラケルの神幻術で作り出されたこの夢にシファがいて、アスタが拒絶されていることは大きな証拠であった。
「もしかして……ラケルは、観測者と手を組んでいるんじゃないかな」
一つの可能性を口にしてみると、どんどん不安が強まってくるのがわかる。それは他の二人も同じようだった。
「観測者って、アスタたちのことじゃないのか。アイツは一体何者?」
「アスタとヴィータ曰く、あのシファという観測者は僕たちにとっての敵なんだ。そいつがラケルの作った夢の世界にいて、かつあの口ぶり……無関係とは思えない」
これはあくまで僕の考えだった。ラケルを始めとした他の神とはほとんど繋がっていなかったゆえの、外野の視点でしかない。
しかし、シュノーは違うようだった。少し思い詰めたような顔をしながら、小さく呟く。
「死んだはずのメレディスがどうして現れたのか……シュノー、ちょっとわかった気がするよ」
レノは全然話についていけてないようだが、シュノーはそれに構っていない。きっと彼女にはあまり悟られたくないことなのだと思う。
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