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第5章「神々集いし夢牢獄」
114話 Underground
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時は過ぎ、空はだんだんと暗くなってきている。照明がすべて消された夜の宮殿に、神の姿はない。その代わりに、「神兵」と呼ばれる鎧の兵士が宮殿の中を巡回している。
一般神は神兵の視界に入れば捕まって、即座につまみ出されてしまう。それ以外の存在となれば……その場で討伐される。
だが、これは魔法などを使わなければ、の話だ。気配を完全に消し去り、自身の姿を周りに認識できないようにする方法があれば、監視網は突破できるだろう。
宮殿には一階、二階の他に地下が存在する。とはいえ、ほとんど訪れる者はいない。それゆえに、神兵の巡回もされていないことが多い。
地下の廊下は、一階などとは違い暗い色の壁で、魔法の赤い炎が灯る頼りないランタンが唯一の照明だった。魔法の炎は少し特殊で、いくら気配や姿が消えていても、そこに何かがいれば影として映る。
今、床には二つの影が落ちていた。その影の元となる姿が、空気から溶け出る。それぞれ夜空を、燃え盛るクローバーを瞳に宿す子供たちだ。
「はぁ~、息が詰まるかと思った。なんなの、あの兵士?」
「クリム曰く、『神兵』と呼ばれるらしいです。古代では人が担っていた役割を、今は人形にやらせるようですね」
「うーん……とりあえず、地下まで来たけどどうする?」
「探索するのみでしょう。昼間は神の目もありますし、今の内です」
アスタは手にしていたランタンに火を灯し、ヴィータを連れて地下を歩く。
二人には知りたいことがあった。そのために、昼間は作戦会議に時間を費やしていたのだ。
「シファの隠れ家、どこにあるのかなぁ」
「あいつは暗くて陰気臭い場所が好きですからね。それに灯台下暗しとも言いますし、敵地の真下に居座る可能性もありますよ」
「……まあ、あり得るよね」
事件終結前、シファは一度姿を消して以降、アスタとヴィータの前に現れていない。最近、キャッセリアで多くの事件が起きていること、キャッセリアでの観測者への理解は不十分であることも踏まえ、二人は秘密裏にシファの捜索に乗り出した。
どの部屋を見ても、地下のフロアにある部屋のほとんどは倉庫として利用されており、手がかりになりそうなものはほとんど見つからない。おまけに、地上に比べて廊下はそこまで長くなく、部屋も少ない。
最後に残ったのは、何も置かれていない空っぽの部屋。ただ一つ、部屋の中央に取っ手がついた部分があった。アスタは取っ手を掴み、引っ張り上げる。
その先には、狭い闇の中へ続く螺旋階段が隠されていた。照明も一切ない、ただ真っ暗な空間がさらに下へと続いている。
「……埃、少ないですね」
「ここじゃない? 結構出入りが多そうだよ」
「とりあえず、先に行ってくださいお兄様」
「はーい……」
アスタのランタンが闇を照らし上げたが、螺旋階段は闇の先まで伸びていた。二人は足を踏み入れ、階段を降りていく。宮殿の階段は高級そうな石でできていたが、二人が螺旋階段を降りるたびに金属が軋む不快な音が鳴る。頼りない明かりに照らされる階段をよく見ると若干錆びていた。
「うえぇ、古そー……階段踏み抜いたらどうしよう?」
「万が一落ちたって、わたしたちなら死にませんよ。ごちゃごちゃ言わずに進んでください」
「なんでヴィーはそんなに落ち着いてるのさ!? もう……」
文句を垂れているうちに、床が見えてきた。二人とも階段を下り切って、頭上を見上げる。今度は、螺旋階段の上がまったく見えなくなっていた。
ランタンを身体の前に持ってきて、二人はさらに奥へ進む。宮殿の地下奥深くは、最初に訪れた地下よりもかなり広いフロアに思えた。倉庫にしか使われていない部屋が五つほどしかなかったのに対し、最奥の地下は部屋が少なくとも十近く存在していた。
「なんか広いなぁ。手分けする?」
「いえ、誰かに見つかっては面倒ですし、一緒に行動しましょう」
続けて部屋を探索する二人。倉庫ばかりだった先程までとは違い、部屋は様々だった。本棚が陳列する部屋、何かをしまい込んだ箱が部屋いっぱいに並ぶ部屋、ベッドが置かれている部屋……このフロアで住もうと思えば住めるのではないか、と思うほど色々な部屋が存在していた。
「まるで、ひとが複数人住んでいるみたいですね……お兄様?」
「……なんだか不気味。嫌な感じがする」
顔をしかめたアスタを見て、ヴィータもまた気を引き締めた。数多く並ぶ部屋の中でも、一番面積の広い部屋の前に立つ。両開きの扉の先に何があるのか、見当もつかなかった。
二人で片方ずつ、扉を押し開ける。そこには、他の部屋よりも不可思議な光景が広がっていた。
「なに、これ……!?」
壁際には複数の本棚、いくつかの不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。歩くのに邪魔にならないような部屋の端には、広いテーブルと椅子、人一人が眠れるくらいの大きさのベッドらしきものが設置されている。そこには一枚の布団も、枕も存在していない。
他の何よりも異様だったのは、部屋の一番奥に置かれたものだ。アスタやヴィータの背を軽く超すほど大きな、白い炉が設置されている。一般的に使われるような暖炉ではなく、何か大がかりなものを作るために用意されたようなもので、到底地下に置いていいものには思えなかった。煙突らしきものが天井へと伸びているが、その天井は闇で見えない。
「これ、一体何の部屋なの……?」
「さあ……しかし妙ですね。この炉、どこかで……」
ヴィータの言葉を遮るように、アスタは短剣を抜きどこかへ投げ飛ばした。ヴィータも言葉を断ち切り、短剣の向かう先を見遣った。
刃は壁に当たることも、床に落ちることもなかった。誰かが片手で短剣を受け止め、握ったのだ。
「懐かしい気配が蠢いていると思って、後をつけてきたが……お主らだったか」
部屋の入り口に立つ、短い銀髪と緑目を持つ大男。自分たち以外の誰かに見つかった、という今の状況は何よりもまずいはずだった。
しかし、二人は若干身構えるだけで、すぐには動き出さない。大男──カトラスは、たくましい筋肉質の腕を組んで目を細めた。
「久しぶりじゃのう、アスタ。こうやって話すのは何年振りかのう?」
「カトラス……今までどこにいたの?」
「わしはずーっと、あの繁華街におったよ。お主から来るのを待っていたのじゃがのう」
「……ボクは会いたくなかったよ」
カトラスはアスタに向かって短剣を放り投げた。すぐさまアスタも動き、短剣をかすめ取る。
今度はヴィータの方に視線を向け、ため息交じりに話しかけた。
「ヴィータ、もしやアスタに何も話しておらんかったのか?」
「……申し訳ございません。お兄様の余計な心労を増やしたくなくて……」
「何のこと? ねぇ、ヴィー?」
俯くヴィータに対し、アスタは混乱の表情を浮かべる。カトラスは妙に落ち着いた様子で、淡々と述べる。
「簡単なことじゃ。ヴィータは最近まで、デウスプリズンに封印されたモノ……『ヴァニタス』を封印する礎になっておったじゃろう。わしは三百年もの間、神々とともにここで見守っておったのだ。『彼女』が施してくれた封印そのものをな」
「……じゃあ、どうしてボクとヴィーを引き離したの? 礎にはボクを選ぶことだってできたはずなのに」
「当時と理由は変わらん。アスタ……お主が邪魔だったから、それだけじゃ」
「なんだよ、それ────」
目を見開きながら片腕で短剣を構え直し、あろうことか飛び上がってドロップキックを繰り出した。カトラスは驚くこともなく、ぶつけられようとした細い足を腕で鷲掴みにし、身体を逆さに吊り上げた。捕まった本人はジタバタ暴れるも、拘束から逃れることはできない。
ヴィータはいきなりの出来事に硬直してしまうくらいの衝撃を受け、すぐには動けなかった。
「相変わらず血の気が多いわい。話さなかったのもわかるわ、こうなるのが目に見えておったのじゃろう」
「ボクだけが邪魔だったって、どういうこと!? なんで理由を教えてくれないわけ!?」
「少しは黙らんか!」
野太い声を張り上げながら腕を振り回し、吊り上げていたアスタを近くの壁に強く叩きつけた。鈍い音が耳に入る前に、ヴィータはアスタの元へ駆け寄って、放られた身体を抱きしめた。
「アスタ。お主の盲目加減は本当に疲れるわ。ローゼがお主のせいでどれだけ苦労したか、忘れたのか?」
さらに、カトラスは拳を振り上げる。アスタは頭から血を流しており、しばらく動く様子がなかった。
ヴィータはアスタに覆いかぶさりながら、カトラスを鋭い瞳で睨みつけた。
「何をするんですか、カトラス!! これ以上お兄様を痛めつけるのなら、わたしが────」
「やめて、ヴィー……」
「お兄様!」
意識を朦朧とさせながらも、アスタはヴィータからゆっくりと離れ身体を起こす。その場に座り込んだまま、仏頂面のカトラスを見上げて口を開く。
「カトラス……残ったのは、キミだけなの?」
「そうじゃよ。今生きている神は、古代の滅びの後に生まれた子たちじゃ。かつての世界を知っている者は、もうほとんど生き残っとらん」
「……そっか。そうなのかなとは思ってた」
力なく俯いたその顔に、どのような表情が宿っているのかは、誰も知る由がなかった。
アスタとヴィータが立ち上がったとき、カトラスは思慮にふけるように、ゆっくりとした足取りで部屋の奥へと歩いていく。
「何か探し物かえ?」
「シファの隠れ家を探していたのです。最近よく現れますし、キャッセリアのどこかに潜伏しているのは間違いないかと思って。カトラスは何も知りませんか?」
「わしも詳しい場所はわからん。じゃが、この箱庭にはもうほとんど使われなくなった建物が結構残っておる。ほとんどがデミ・ドゥームズデイのときに放棄された廃墟じゃ、身を隠すにはうってつけかもしれんのう」
「……って、キミ自身は何も調べてないの!?」
「わしはわしでやることがあるのじゃ。その辺りの調査はアーケンシェンや魔特隊に任せる予定じゃよ」
彼は、部屋の一番奥に置かれた炉の前で足を止めた。アスタとヴィータもカトラスについていき、同じように炉の前に立った。
「カトラス。この炉は何?」
「ああ、これか? この箱庭を維持するのに必要不可欠なアイテムじゃ。わしは『神炉』と呼んでおる」
「やはりあなたでしたか。鍛冶神の名は、現代でも通じているのですね」
「まあな。とはいえ、これは極めて重要なものじゃから、周りの者には秘密にしておくのじゃぞ」
子供に言い聞かせるのと同じ口調で、そう念を押してきた。必要以上に秘密を触れ回るなど、言うまでもなくやるつもりはない。
「ねぇヴィー、もうちょっと調べて行こうよ」
「ダメじゃ! ここにシファが隠れてないことはわかったじゃろ、さっさと戻るのじゃ!」
「カトラスには聞いてないんだけど!? なんでそんなに怒るのさ!?」
「お兄様がアホだからですよ、自明でしょう」
「ヴィーまでひどい!!」
二人がじっくり部屋を見る暇も与えられず、カトラスによって部屋から押し出されて扉を固く締められた。元々の目的であったシファの隠れ家はこの地下にはないこともわかり、部屋も探索できないのならこれ以上留まる理由はない。
「そういえば、昼間にクリムから聞いたのですが。あのラケルという神、まるで人が変わったようにおとなしくなったそうですよ」
「あ、ユキも言ってた。あのふざけた嘘吐きが落ち着くならいいけど、ちょっとびっくりしたよ」
「当然じゃ。事件を起こした『ラケル』は消えたからのう」
その言葉は淡々としていて、まるでなんでもないことのように聞こえた。
気が緩んでゆったりとした会話に、いきなり爆弾が投下されて言葉を失う二人。消えた、という言葉の意味を考えても、悪い意味にしか聞こえない。
「それってどういうことです?」
「正確には『消された』のじゃ。わしが知っているのはそれだけじゃ」
「消されたって……一体誰がそんなことを!?」
「調べていけばわかる。この部屋が何に使われているのかもな。今のお主らに教えるのは、ちと気が引ける」
カトラスはそれ以上、何も話そうとしなかった。地下深くから倉庫の地下、そして宮殿の一階へ押し戻されるように、二人は元来た道を戻っていく。タイミングが良かったのか、神兵の姿は見当たらなかった。
二人を宮殿の外へ送り届けると、カトラスは中へ戻っていった。もう空は白み始め、幾度となく訪れた朝を迎えようとしている。
「ねぇ、ヴィー……やっぱり、この箱庭どこか変だよ」
「お兄様も、そう思いますか」
「……本当に大丈夫だよね? 『厄災』はなんとしてでも止めないと」
「わかっています。わたしたちも、本気で動き出さなければならないでしょうね」
夜明けの繁華街を歩く。以前は何の変哲もない街に見えていた世界が、今はほんの少しだけ歪んだ夢のように見えていた。
時は過ぎ、空はだんだんと暗くなってきている。照明がすべて消された夜の宮殿に、神の姿はない。その代わりに、「神兵」と呼ばれる鎧の兵士が宮殿の中を巡回している。
一般神は神兵の視界に入れば捕まって、即座につまみ出されてしまう。それ以外の存在となれば……その場で討伐される。
だが、これは魔法などを使わなければ、の話だ。気配を完全に消し去り、自身の姿を周りに認識できないようにする方法があれば、監視網は突破できるだろう。
宮殿には一階、二階の他に地下が存在する。とはいえ、ほとんど訪れる者はいない。それゆえに、神兵の巡回もされていないことが多い。
地下の廊下は、一階などとは違い暗い色の壁で、魔法の赤い炎が灯る頼りないランタンが唯一の照明だった。魔法の炎は少し特殊で、いくら気配や姿が消えていても、そこに何かがいれば影として映る。
今、床には二つの影が落ちていた。その影の元となる姿が、空気から溶け出る。それぞれ夜空を、燃え盛るクローバーを瞳に宿す子供たちだ。
「はぁ~、息が詰まるかと思った。なんなの、あの兵士?」
「クリム曰く、『神兵』と呼ばれるらしいです。古代では人が担っていた役割を、今は人形にやらせるようですね」
「うーん……とりあえず、地下まで来たけどどうする?」
「探索するのみでしょう。昼間は神の目もありますし、今の内です」
アスタは手にしていたランタンに火を灯し、ヴィータを連れて地下を歩く。
二人には知りたいことがあった。そのために、昼間は作戦会議に時間を費やしていたのだ。
「シファの隠れ家、どこにあるのかなぁ」
「あいつは暗くて陰気臭い場所が好きですからね。それに灯台下暗しとも言いますし、敵地の真下に居座る可能性もありますよ」
「……まあ、あり得るよね」
事件終結前、シファは一度姿を消して以降、アスタとヴィータの前に現れていない。最近、キャッセリアで多くの事件が起きていること、キャッセリアでの観測者への理解は不十分であることも踏まえ、二人は秘密裏にシファの捜索に乗り出した。
どの部屋を見ても、地下のフロアにある部屋のほとんどは倉庫として利用されており、手がかりになりそうなものはほとんど見つからない。おまけに、地上に比べて廊下はそこまで長くなく、部屋も少ない。
最後に残ったのは、何も置かれていない空っぽの部屋。ただ一つ、部屋の中央に取っ手がついた部分があった。アスタは取っ手を掴み、引っ張り上げる。
その先には、狭い闇の中へ続く螺旋階段が隠されていた。照明も一切ない、ただ真っ暗な空間がさらに下へと続いている。
「……埃、少ないですね」
「ここじゃない? 結構出入りが多そうだよ」
「とりあえず、先に行ってくださいお兄様」
「はーい……」
アスタのランタンが闇を照らし上げたが、螺旋階段は闇の先まで伸びていた。二人は足を踏み入れ、階段を降りていく。宮殿の階段は高級そうな石でできていたが、二人が螺旋階段を降りるたびに金属が軋む不快な音が鳴る。頼りない明かりに照らされる階段をよく見ると若干錆びていた。
「うえぇ、古そー……階段踏み抜いたらどうしよう?」
「万が一落ちたって、わたしたちなら死にませんよ。ごちゃごちゃ言わずに進んでください」
「なんでヴィーはそんなに落ち着いてるのさ!? もう……」
文句を垂れているうちに、床が見えてきた。二人とも階段を下り切って、頭上を見上げる。今度は、螺旋階段の上がまったく見えなくなっていた。
ランタンを身体の前に持ってきて、二人はさらに奥へ進む。宮殿の地下奥深くは、最初に訪れた地下よりもかなり広いフロアに思えた。倉庫にしか使われていない部屋が五つほどしかなかったのに対し、最奥の地下は部屋が少なくとも十近く存在していた。
「なんか広いなぁ。手分けする?」
「いえ、誰かに見つかっては面倒ですし、一緒に行動しましょう」
続けて部屋を探索する二人。倉庫ばかりだった先程までとは違い、部屋は様々だった。本棚が陳列する部屋、何かをしまい込んだ箱が部屋いっぱいに並ぶ部屋、ベッドが置かれている部屋……このフロアで住もうと思えば住めるのではないか、と思うほど色々な部屋が存在していた。
「まるで、ひとが複数人住んでいるみたいですね……お兄様?」
「……なんだか不気味。嫌な感じがする」
顔をしかめたアスタを見て、ヴィータもまた気を引き締めた。数多く並ぶ部屋の中でも、一番面積の広い部屋の前に立つ。両開きの扉の先に何があるのか、見当もつかなかった。
二人で片方ずつ、扉を押し開ける。そこには、他の部屋よりも不可思議な光景が広がっていた。
「なに、これ……!?」
壁際には複数の本棚、いくつかの不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。歩くのに邪魔にならないような部屋の端には、広いテーブルと椅子、人一人が眠れるくらいの大きさのベッドらしきものが設置されている。そこには一枚の布団も、枕も存在していない。
他の何よりも異様だったのは、部屋の一番奥に置かれたものだ。アスタやヴィータの背を軽く超すほど大きな、白い炉が設置されている。一般的に使われるような暖炉ではなく、何か大がかりなものを作るために用意されたようなもので、到底地下に置いていいものには思えなかった。煙突らしきものが天井へと伸びているが、その天井は闇で見えない。
「これ、一体何の部屋なの……?」
「さあ……しかし妙ですね。この炉、どこかで……」
ヴィータの言葉を遮るように、アスタは短剣を抜きどこかへ投げ飛ばした。ヴィータも言葉を断ち切り、短剣の向かう先を見遣った。
刃は壁に当たることも、床に落ちることもなかった。誰かが片手で短剣を受け止め、握ったのだ。
「懐かしい気配が蠢いていると思って、後をつけてきたが……お主らだったか」
部屋の入り口に立つ、短い銀髪と緑目を持つ大男。自分たち以外の誰かに見つかった、という今の状況は何よりもまずいはずだった。
しかし、二人は若干身構えるだけで、すぐには動き出さない。大男──カトラスは、たくましい筋肉質の腕を組んで目を細めた。
「久しぶりじゃのう、アスタ。こうやって話すのは何年振りかのう?」
「カトラス……今までどこにいたの?」
「わしはずーっと、あの繁華街におったよ。お主から来るのを待っていたのじゃがのう」
「……ボクは会いたくなかったよ」
カトラスはアスタに向かって短剣を放り投げた。すぐさまアスタも動き、短剣をかすめ取る。
今度はヴィータの方に視線を向け、ため息交じりに話しかけた。
「ヴィータ、もしやアスタに何も話しておらんかったのか?」
「……申し訳ございません。お兄様の余計な心労を増やしたくなくて……」
「何のこと? ねぇ、ヴィー?」
俯くヴィータに対し、アスタは混乱の表情を浮かべる。カトラスは妙に落ち着いた様子で、淡々と述べる。
「簡単なことじゃ。ヴィータは最近まで、デウスプリズンに封印されたモノ……『ヴァニタス』を封印する礎になっておったじゃろう。わしは三百年もの間、神々とともにここで見守っておったのだ。『彼女』が施してくれた封印そのものをな」
「……じゃあ、どうしてボクとヴィーを引き離したの? 礎にはボクを選ぶことだってできたはずなのに」
「当時と理由は変わらん。アスタ……お主が邪魔だったから、それだけじゃ」
「なんだよ、それ────」
目を見開きながら片腕で短剣を構え直し、あろうことか飛び上がってドロップキックを繰り出した。カトラスは驚くこともなく、ぶつけられようとした細い足を腕で鷲掴みにし、身体を逆さに吊り上げた。捕まった本人はジタバタ暴れるも、拘束から逃れることはできない。
ヴィータはいきなりの出来事に硬直してしまうくらいの衝撃を受け、すぐには動けなかった。
「相変わらず血の気が多いわい。話さなかったのもわかるわ、こうなるのが目に見えておったのじゃろう」
「ボクだけが邪魔だったって、どういうこと!? なんで理由を教えてくれないわけ!?」
「少しは黙らんか!」
野太い声を張り上げながら腕を振り回し、吊り上げていたアスタを近くの壁に強く叩きつけた。鈍い音が耳に入る前に、ヴィータはアスタの元へ駆け寄って、放られた身体を抱きしめた。
「アスタ。お主の盲目加減は本当に疲れるわ。ローゼがお主のせいでどれだけ苦労したか、忘れたのか?」
さらに、カトラスは拳を振り上げる。アスタは頭から血を流しており、しばらく動く様子がなかった。
ヴィータはアスタに覆いかぶさりながら、カトラスを鋭い瞳で睨みつけた。
「何をするんですか、カトラス!! これ以上お兄様を痛めつけるのなら、わたしが────」
「やめて、ヴィー……」
「お兄様!」
意識を朦朧とさせながらも、アスタはヴィータからゆっくりと離れ身体を起こす。その場に座り込んだまま、仏頂面のカトラスを見上げて口を開く。
「カトラス……残ったのは、キミだけなの?」
「そうじゃよ。今生きている神は、古代の滅びの後に生まれた子たちじゃ。かつての世界を知っている者は、もうほとんど生き残っとらん」
「……そっか。そうなのかなとは思ってた」
力なく俯いたその顔に、どのような表情が宿っているのかは、誰も知る由がなかった。
アスタとヴィータが立ち上がったとき、カトラスは思慮にふけるように、ゆっくりとした足取りで部屋の奥へと歩いていく。
「何か探し物かえ?」
「シファの隠れ家を探していたのです。最近よく現れますし、キャッセリアのどこかに潜伏しているのは間違いないかと思って。カトラスは何も知りませんか?」
「わしも詳しい場所はわからん。じゃが、この箱庭にはもうほとんど使われなくなった建物が結構残っておる。ほとんどがデミ・ドゥームズデイのときに放棄された廃墟じゃ、身を隠すにはうってつけかもしれんのう」
「……って、キミ自身は何も調べてないの!?」
「わしはわしでやることがあるのじゃ。その辺りの調査はアーケンシェンや魔特隊に任せる予定じゃよ」
彼は、部屋の一番奥に置かれた炉の前で足を止めた。アスタとヴィータもカトラスについていき、同じように炉の前に立った。
「カトラス。この炉は何?」
「ああ、これか? この箱庭を維持するのに必要不可欠なアイテムじゃ。わしは『神炉』と呼んでおる」
「やはりあなたでしたか。鍛冶神の名は、現代でも通じているのですね」
「まあな。とはいえ、これは極めて重要なものじゃから、周りの者には秘密にしておくのじゃぞ」
子供に言い聞かせるのと同じ口調で、そう念を押してきた。必要以上に秘密を触れ回るなど、言うまでもなくやるつもりはない。
「ねぇヴィー、もうちょっと調べて行こうよ」
「ダメじゃ! ここにシファが隠れてないことはわかったじゃろ、さっさと戻るのじゃ!」
「カトラスには聞いてないんだけど!? なんでそんなに怒るのさ!?」
「お兄様がアホだからですよ、自明でしょう」
「ヴィーまでひどい!!」
二人がじっくり部屋を見る暇も与えられず、カトラスによって部屋から押し出されて扉を固く締められた。元々の目的であったシファの隠れ家はこの地下にはないこともわかり、部屋も探索できないのならこれ以上留まる理由はない。
「そういえば、昼間にクリムから聞いたのですが。あのラケルという神、まるで人が変わったようにおとなしくなったそうですよ」
「あ、ユキも言ってた。あのふざけた嘘吐きが落ち着くならいいけど、ちょっとびっくりしたよ」
「当然じゃ。事件を起こした『ラケル』は消えたからのう」
その言葉は淡々としていて、まるでなんでもないことのように聞こえた。
気が緩んでゆったりとした会話に、いきなり爆弾が投下されて言葉を失う二人。消えた、という言葉の意味を考えても、悪い意味にしか聞こえない。
「それってどういうことです?」
「正確には『消された』のじゃ。わしが知っているのはそれだけじゃ」
「消されたって……一体誰がそんなことを!?」
「調べていけばわかる。この部屋が何に使われているのかもな。今のお主らに教えるのは、ちと気が引ける」
カトラスはそれ以上、何も話そうとしなかった。地下深くから倉庫の地下、そして宮殿の一階へ押し戻されるように、二人は元来た道を戻っていく。タイミングが良かったのか、神兵の姿は見当たらなかった。
二人を宮殿の外へ送り届けると、カトラスは中へ戻っていった。もう空は白み始め、幾度となく訪れた朝を迎えようとしている。
「ねぇ、ヴィー……やっぱり、この箱庭どこか変だよ」
「お兄様も、そう思いますか」
「……本当に大丈夫だよね? 『厄災』はなんとしてでも止めないと」
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