ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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第5章「神々集いし夢牢獄」

115話 White Dress

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 *

 夜明けが訪れたばかりの繁華街に、誰も見向きもしないばしょ大量の蔦が這う白い建物があった。ところどころひび割れたそこは、もう使われていない教会のような建物だった。
 廃墟同然のこの場所は、とても生命が住めるようなものではない。だが、この建物にはもう一つの「顔」があった。
 倉庫の扉を開ければ「地下」へと続く階段がある。その階段を下り、入り組んだ地下通路を通った末に、両開きの扉が待ち構えている。
 白いローブを身にまとう青年は、その扉の前で立ち止まった。

「入れてくださいます?」
「合言葉をお願いします」

 内側から答えた声が反応を返す。

「『この世の神は真の神にあらず』」

 青年が手早く答えると、内側にいる何者かが重たい扉を引き開けた。中から黒いローブ姿の人影が二人分現れ、彼を迎え入れる。

「おかえりなさいませ、エンゲル様」
「はい、ご苦労」

 迎え入れられた白いローブの青年──エンゲルは、にこりと微笑みを浮かべて中に入る。すぐに扉は固く閉められ、二人は扉の前に立ったままほぼ動かなくなる。
 ここは、とある組織の隠れ家だった。祈祷室や懺悔室、それに加え宿泊施設も併設された中規模な地下施設として、繁華街の下に身を潜めている。
 エンゲルは施設の中のとある部屋に向かっていた。途中、通路を歩く黒いローブの者たちに会釈され、彼らに愛想笑いを振りまいていく。黒の中で、白いローブは何よりも目立っていた。
 やがて、施設内の一際豪華な扉の前に立った。特に躊躇することもなく、扉をノックする。

「ただいま戻りました、ノーファ様」
「入りなさい」

 中から聞こえたのは、甘く幼い少女の声。恭しく丁寧に扉を開け、部屋に入る。
 そこは令嬢の部屋そのものといっても過言ではなかった。部屋の中はお菓子の匂いで満ちており、白く大きなベッドの他、真ん中に白いティーテーブルと二つの椅子が設置されている。
 部屋の主らしい、ノーファと呼ばれた少女は椅子の片方に座り、白いドレスを身にまとったまま喫食していた。白い前髪で左目が隠れているが、翡翠に似た色の右目には楕円の模様が刻まれている。

「ご苦労様、エンゲル。報告ついでにお茶でもいかがかしら。ちょうど淹れようと思っていたの」
「では、お言葉に甘えることにいたします」

 エンゲルは一度礼をしてから、まとっていたローブを脱いだ。
 ピンクゴールドの短髪と金色の瞳、白を基調とした軍服に似た装束。何より特徴的なのは、右肩にしか生えていない白銀の翼だ。銀白色の鎖を巻かれていることもあって、飛べるようには見えなかった。
 ノーファの向かい側に置かれた椅子に座ったエンゲル。一度喫食を中断したノーファは、ティーポットを手に空っぽのティーカップを引き寄せた。

「それで、他の箱庭の様子はどう?」
「準備は着々と進んでおります。先の事件で破壊された魔物については、修復が難しいのですが……」
「別に構わないわ。あれらは粗悪品だし、代替は利くでしょう」
「そうですか。ああそれと、ついこの間の事件で『ラケル』が消されたようです。恐らくは『最高神』の仕業かと」
「ああ、それなら愚弟から報告があったわ。残念ね。新しい同胞に加えようと思っていたのだけど」
「身体自体はまだ生きていますが、どうも人が変わってしまったようで……」
「よくあることよ。多重人格者に宿る人格たちは、常に自分が主人格を乗っ取ろうと争っているって言うでしょう? 今回は人格が二つだけあって、その片方が外的要因で消えてしまっただけ。何も不思議なことではないわ」

 注がれたばかりの紅茶に、角砂糖が一つ沈み込む。カップを回されるうちに、甘く白い箱はみるみる小さくなり、溶け切っていった。
 微笑みを崩さぬノーファに対し、エンゲルは苦々しい顔を浮かべる。

「……ぼくは、あの最高神のやることが気に食わないです。を自分で処分するだなんて」
「そうね。彼女のエゴに付き合わされる側は溜まったものじゃないものね。ほら、召し上がれ」

 状況には似合わぬ物騒な話題とともに、エンゲルへティーカップを出した。湯気がほんのりと立ち上る紅茶を丁寧にいただく。
 カップに口をつけたエンゲルの顔がリラックスしていき、朗らかな笑顔が戻っていく。

「美味しいですね。今回もピオーネが?」
「紅茶だけじゃないわ。お菓子も彼女が差し入れてくれたの。とっても甘くて、毒薬を入れてもバレないんじゃないかしら?」
「テロにはもってこい……ってところですか?」
「うふふ、そうね。テロとまではいかなくても、誰かを消すにはうってつけかもしれないわ」

 幼い顔で無邪気に笑っているのに、話している内容はとことん残酷なものである。
 ノーファから切り分けたガトーショコラを差し出され、エンゲルは黙って口にする。甘すぎないまろやかな味わいは、自然と身体と心をリラックスさせていった。
 この頃、ノーファは既に紅茶を飲み切っており、再びティーポットで同じものを注いだ。ティーカップを紅茶で満たしたあと、懐から取り出した小瓶の中の液体を追加し、カップを回して溶け込ませていく。

「いつも思うのですが、紅茶に入れているそれは何です?」
「あなたたちは知らなくていいわ。強いて言うなら、そうね……お茶には欠かせないエッセンスかしらね、うふふ」

 一瞬たりとも笑顔を絶やさない彼女には隙も見当たらない。エンゲルもそれ以上の追及はやめた。
 再び紅茶を飲み始めたノーファは、「それより」と話題を切り替える。

「久々に故郷に戻ってきて、どうだった?」
「どう、と言われましても……あまり変わっていませんでしたよ」
「神の世界は不変たるものではないわ。何かしら変化はあるんじゃなくって? 例えば、あなたの家族とか」
「……家族、ですか」

 ふと、エンゲルの脳裏を懐かしい面影がよぎる。同じ髪と目の色、そしてもう片翼を持つ泣き虫な弟の姿を、ぼんやりと思い出していた。

「そういえば、一度離れてから会っていませんでした」
「会いたいなら別に構わないわよ。家族は大事でしょう?」
「……そう、ですね。会っても……いいのでしょうか?」

 紅茶を飲み干したときには、あどけない白い顔に陰が落ちていた。無表情になっているノーファの目に釘付けになり、エンゲルは息を飲む。

「好きにしたらいいわ。でも、預言はいずれ現実になる。わたくしたちの目的を、悲願を忘れないで」
「……わかっています。ノーファ様」

 答えに満足したのか、にこりと大人びた笑みを返すノーファ。報告という用事を済ませたエンゲルは立ち上がり、礼をしてからローブを着直し、部屋を退出する。
 甘い匂いで満ちた空間から出てからというもの、僅かな古臭いかびの匂いが鼻をくすぐる。エンゲルはドアから離れ、隠れ家の奥へと歩いていく。
 そんな中で、藍色の装束の子供──シファがエンゲルの側へ歩いてくるのを見つける。フードをいつもよりも深く被っており、表情はわからない。

「シファ様、いかがされたのですか?」
「なんでもない。おれに構うな」

 いつにも増して声は冷たかった。そのまま自分の横を歩き去ろうとしたので、エンゲルは廊下の端に寄る。
 すれ違う瞬間、シファは顔を上げて目を合わせた。眉をひそめ、ひどく思いつめた状態なのが見て取れる。

「おまえは失敗するなよ、エンゲル。姉さんはきっと、おまえに一番の期待をかけているから」

 それだけを吐き捨て、シファは立ち去っていった。エンゲルは立ち止まったまま、再び歩き出すのに不自然なほど時間を要した。
 ああ、そうだ。今、自分がやるべきことを思い出した。過去の安らかな記憶とともに、憎々しい記憶も蘇る。
 青年は、「完全」という概念に異常なほどの執着を向けているのだ。
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