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第6章「最高神生誕祭」

124話 隠し事

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 ……気づいたら、書斎で居眠りをしていた。机に置かれた書類の上に顔を突っ伏したまま意識を失って、気づけば夜になっていた。
 仕事を始めたのは、大体夕方くらいだったから……夕飯すら食べていない。ヴィータ、起こしてくれなかったのか。まあ、自己管理は自分でやるものだ、と言われたら返す言葉もないけれど。
 それよりも、目が覚めたときから視線を感じる。書斎の外から、誰かが僕のことを見ている気がする。ドアは閉められているように見えていた。
 
「……覗き見てたってわかるよ、アリア」

 呆れてそれしか言えなかった。ギィー、とゆっくり扉が開けられると、あははと苦笑いするアリアの顔が見えた。

「あちゃー、バレちゃったー。寝込みを襲ってお持ち帰りしようと思ってたんだけど」
「さすがに物騒だからやめて。何しに来たのさ?」
「特に用事はないよ。アイリス様も眠ったし、久々に話がしたかったんだ」

 話したいことなんて、こっちは何もなかった。だけど、アリアは少し勝手な部分があった。僕が止める間もなく、アリアは僕の書斎に入ってくる。

「ち、ちょっと。重要書類とかあるんだから入ってこないでよ」
「えー、私だってアーケンシェンなんだから、見たらいけないものなんてほとんどないよー。そういえば、ご飯は食べたの?」
「ううん。ずっと寝てたから……」

 ふと、アリアが僕の机に目を向けた。正確には……僕が机に広げていた、書類の海に。

「────またアイリス様に逆らう気だったんだ、クリム」

 吐き捨てるように呟いたその声は、心臓が飛び出しそうなほど冷たいものだった。一瞬だけだったが、その冷たい声がアリアのものだとは思えなかった。

「何、言ってるの。ただ資料を整理してただけだよ」
「誤魔化したって無駄だよ? この資料……終わったはずの、神隠し事件のものでしょ? もう深入りはするなって言われてなかった?」

 震える声で答えつつも、問い詰められたら黙り込んでしまった。
 アリアは書類を訝しげに確認していく。隠していたことを露わにされていく恐怖は、あまりにも不愉快で暴れ出したくなる。

「これさ……私が見た資料と、ちょっと違うね。……クロウリー・シュヴァルツ? 犯人の名前って、クレーじゃなかったっけ?」

 ……僕は、アイリス様にも他のアーケンシェンのみんなにも、最低限の情報しか伝えなかった。神隠し事件の犯人はクレーという男、というところまでしか報告しなかった。
 なぜなら、クレーの正体は僕がかつて殺したクロウだったから。言ったって信じてもらえるわけもないだろうし、犯人は僕が取り逃がした間に死んでしまったから、それ以上はどうにもできない。
 デミ・ドゥームズデイ以前の記憶を失った今のアリアは、かつての仲間であったはずのクロウのことすら覚えていない。百年経った今でも、まったく思い出す気配がない。

「……アリア、やっぱりクロウのこと忘れて────」
「あっ、もしかしてここにいろいろ隠してるんじゃないの!? おねーちゃんに見せなさいっ!」

 荒らしそうな勢いで、アリアが机に突っ込んできた。書類も何もかも散らかした末、机の端に置かれていた、一冊の薄い茶色の手帳を手にしていた。

「この手帳、何? 仕事用じゃなさそうだけど」
「返してっ!!」

 僕の怒鳴り声にびくっと肩を震わせた隙に、アリアの手から手帳を強奪した。これだけは、絶対に見られるわけにはいかないんだ。

「いきなり大声上げないでよ。もう夜中だよ?」
「お願いだから見ないで。仕事も役割も関係ないから」
「えー、私に隠し事? よくないよー、そういうの」
「別にいいじゃないか。アリアだって、昔のこと全部忘れているくせに!」

 いい加減、鬱陶しくて鬱陶しくて耐えられなかった。
 アリアはしばらく呆気に取られて、その場から動かなかった。やがて、肩をすくめて冷たくため息をついた。
 
「────クリム、やっぱり変わっちゃったね。昔はもっと素直でいい子だったのに」

 僕は何も返せぬまま、手帳をズボンのポケットにしまいこんだ。アリアは残念そうな顔で僕を見ていたが、ふとドアの方へと歩いていった。

「……ご飯食べてないんでしょ? 一旦、食べよっか」

 書斎から出ていくアリアの背中に、一瞬だけほっとした。それと同時に力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
 おかしくて、何かが違う気がして、恐怖で身体が冷たくなっていく。自分の手が震えているのがわかった。
 なぜだろう────今のアリアと話すのが、とてつもなく怖い。



 アリアが戻ってきて、僕は無理やり机の椅子に座らせられた。運び神の誰かが運んでくれた弁当は、まだほんのりと温かい。
 もう帰ってほしかったのに、アリアは僕の隣にしゃがみ込んでいた。そして、なぜか付属品のフォークを手にして、弁当の中に詰められた卵焼きを僕に差し出した。

「おねーちゃんが食べさせてあげるよー。はい、あーん」
「……やめて。自分で食べられる」
「えー、おねーちゃんに反抗していいのかなぁ? みんなにバラしちゃうよ、さっきの」

 いたずらっぽく笑っているのが、それがかえって不気味だった。無理やりフォークを押し付けてくるので、言う通りにした。そうするしかなかった。
 いつもと変わり映えのしない、味の濃い弁当のはずだった。なのに、今は味がよくわからない。

「おねーちゃん、あんまりこういうことは言いたくないんだよ? でも、クリムは真面目な子だって、私知ってるもん。道を踏み外してほしくないよ」

 ……やっぱり、何もわかってない。僕のどこが真面目な子なんだ。
 今の僕は、神隠し事件が起きる前とは違う。表向きだけは聞き分けが良い、自分勝手な奴だ。

「さっきのこと、他には誰が知ってるの? 神隠し事件に巻き込まれたみんなは知っているんじゃないの?」
「……それ、は」
「正直に言いなよ。クリムは嘘吐きじゃない、そうでしょう?」

 耳元で囁かれたときに、僕は自分がアリアに抱き寄せられていることに気づいた。彼女の吐息がやけに生温かく感じられて、唇から感覚が消えそうになる。

「……アイリス様に渡した書類が事件のすべてだよ。ここに置いてある書類は、ミスが多すぎて出せなかったものさ」
「被害者には私の知り合いがいっぱいいた。でも、誰もクレーの正体なんて言わなかった。口裏合わせでもしていたのかなぁ? ねぇ、どうなの?」

 そんな手をこまねくようなことはしていない。本当のことを言ったところで、あんな事実誰も信じないとみんなわかっている。
 僕の嘘など無駄だと言いたげにすべてを無視して、着実に僕から真実を聞き出そうとしている。本気になったアリアに、僕が太刀打ちできるかなんてわからなかった。

「本当に危ないところだったなぁ。私がここに来なかったら、クリムに事実を隠蔽されるところだったよ」
「隠蔽なんて……僕はただ、クロウが生き返ったことを知られるのが怖くて────」
「違う。大罪を犯した神を殺したくなくて、でしょ?」

 ぎらり、と金属製のフォークが首元で光った。顔に影を落としたアリアが、僕の首元にフォークを突きつけたのだ。

「クリムは、どうして自分が冷酷な断罪神に見られているのか、わかってる? ────君が、罪人を殺すことができる存在だからだよ。君に逆らったら殺されるって、みんな知っているから」

 フォークの先が首筋に触れた。軽く突きつけられただけだから、痛くない。ただ、無機質で冷たい感覚が込み上げてくるだけだった。

「でもね、仕方ないよ。それがアイリス様のご命令なんだもの。ここに住む『汚れ役』がいなくなってしまったから、今度は君にその役が回ってきただけ。アイリス様のお役に立てているんだから、君は十分幸せなんだよ」
「そういう問題じゃ……!」
「いい、クリム? 役に立たないものに存在価値はないの。いらないものは壊さなきゃ。アイリス様の命令を守れない失敗作なんて、この世には必要ないんだよ」

 鋭い痛みが走る────首筋にフォークがめり込んでいるのだ。血は出ないけれど、痛いことに変わりはない。
 実際に絞められているわけでもないのに、首を絞められているような気持ちになる。

「メアが事件を起こしたのだって、本当はもっと重要事項として考えるべきだった。メアが絡んだ事件はあれで二回目だったんだから、もし死者が複数出ていたら殺さなきゃいけなかった。ラケルも同じようにすべきだったんだけど、私がアイリス様にお願いしてレイチェルだけを生かすようにしたんだよ。レイチェルに感謝しなよ。あの子まで悪い子だったら、クリムが殺さなきゃいけなかったかもしれないんだよ」

 呪詛を吐くように、恨めしさをぶつけるように、怖い顔でまくし立ててくる。
 僕を抱きしめて愛でようとするいつものアリアと、全然違う。僕が余計なことをしているとバレたことで、変なスイッチが入ったかのようだった。

「……ねぇ、アイリス様に何か言われたの? 君がこんなことをするなんて、変だよ」
「何言ってるの? 私はいつも通りだよ。変なのはクリム、あなたの方だよ」

 夢牢獄事件のとき、アリアはアイリス様に黙って行動していた。あれはどうしようもない、不可抗力だった。それさえも、アイリス様は許してくれなかったのか?

「私たちは、誇り高きアーケンシェン。アイリス様の下で、神の箱庭の統治を行う特別な神なんだよ。私たちがアイリス様の命令を聞かないで、他の誰が守るというの?」

 そんなことはどうでもいい。僕にとって、自分が特別であるかどうかはまったく重要じゃない。

 ────クリムも、みんなを救える子になってね。私たち神は、幸せな世界を守るために存在してるんだから────

 あの言葉を僕にくれた目の前の彼女は、そんなことを言ったことさえ忘れてしまった。かつては、言いつけを守らないのはよくないなんて言いつつ、遠回しに「諦めろ」と言うようなひとじゃなかったのに。
 僕を導いてくれる唯一の道標だったのは「目の前にいるひと」じゃない、「記憶の奥底に眠る彼女」だ。

「アイリス様に相談しようか? 役割も何もかも見失って困ってるって。アイリス様なら、その余計な悩みも全部忘れさせてくれるよ」
「それだけで全部解決するわけないだろ」

 フォークを突き立てるその手を取り、振り払った。フォークが乾いた音を立てて落ちたとき、僕はアリアの両肩をがっしりと掴んだ。

「いい加減にしてよ、アリア! 僕たちはアイリス様の道具じゃない! 誰のものでもない、一人一人が大事な命だって、そう教えてくれたのはアリアじゃないか! いつからそんなひとになってしまったんだよ!?」

 ふと、気づいた。今のアリアの目が、やけに虚ろだった。光をほとんど失っており、沼の底のように瞳が濁っている。
 そして……普段、彼女の頭に浮かんでいる青白い光の輪が、どんどん薄くなっているように見えた。

「…………ああ。クリムも壊れちゃったんだ。なんで神って、次々壊れちゃうのかなぁ……古いからかな? クリムももうダメなんだね」

 ふらりと立ち上がったアリアの目が、冷たく光っているように見えた。思わず立ち上がった際に、机の椅子が倒れてしまう。
 アリアが両手剣を召喚しようと、片腕を横に広げながら言った。

「このままじゃ捨てられちゃう。私の大好きなクリムを元に戻さなきゃ。『クラーウィス・アペリエ────」
「うるさいです。静かにしてください」

 突然、書斎のドアが開けられたことで、アリアの詠唱が打ち切られる。いかにも不機嫌そうに眉をひそめているヴィータが、つかつかと書斎に入ってきた。

「え、ヴィータ? あ、えっとぉ……」
「さっきから何を物騒な話をしているんですか。とにかく、もう夜も遅いので帰ってください」
「なんで知ってるの!? まさか聞いてたの!?」
「いいから帰りなさい。それと、今日のことアイリスに伝えでもしたら、真っ先にアイリスを破壊しますから」
「こ、怖いよっ! 冗談だよぉ!」

 ヴィータがアリアの腕を引っ張り、無理やり書斎の外に押し出して扉を閉めた。無理やりにでも入ってくるかと思ったら、それっきりアリアの気配を感じることはなかった。

「……ありがとう、ヴィータ」
「全部聞いていましたよ。はぁ……なんとなく、いつかはこうなると思っていました。どうするんですか、アイリスにバレて困るのはあなたですよ」

 確かに、迂闊だった。けれど、正直に伝えたところでノーリスクというわけではなかっただろう。
 今更、アリアをどうにかできるとは考えない方がいい。アイリス様に正直に話したところで、僕の立場が危うくなるだけだ。

「迷うくらいなら、すべて切り捨ててしまえばいいのに」

 考えを巡らせていたある瞬間、ピシャリと言われた言葉が胸に深く突き刺さる。
 今のヴィータの手は、どちらも空っぽだった。何もない拳を握って、冷たい目つきで僕を見据えてくる。

「あなたは迷ってばかりですね。常に板挟みにされていて、どちらかを選び取ることができない。ユキアとお兄様はいつだって、たった一つの目的に突き進んでいるのに」
「別に、迷っているわけじゃない。それに僕はユキアたちと立場が違う。一緒にしないで」
「そうやって、あなたは周りを突き放すんですね。デミ・ドゥームズデイの頃から、ずっとそうしてきたわけですか」

 ヴィータがとことこと歩み寄ってきたと思ったら、いきなり頬を平手で叩かれた。

「痛っ!? ちょっと、何を────」
「最初にわたしを利用したのはあなたの方ですよ? あなたにわたしを突き放す権利なんて、ありませんから」

 そう吐き捨てたと思ったら、僕に背を向けてさっさと書斎から出て行った。叩かれた頬が熱を持って、じんわりと痛み続けている。
 ……本当はわかっている。ヴィータの言うことは何も間違っておらず、むしろ正論だ。わかっているからこそ────過去と後悔を思い出しては、苦しくなって独りになりたくなってしまう。ヴィータやユキアたちは、未来を見つめることができているのに。
 僕は、ズボンのポケットにしまいこんだ小さな手帳を、服の上からぎゅっと押さえた。

(あれをどうにかしない限り……僕はあの日と決別できないんだ)

 時間は無限にあるわけじゃない。そろそろ、どうにかしないといけない気がした。
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