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第6章「最高神生誕祭」
123話 半滅の日にて(1)
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明かりの一つもない部屋で、妙にふわふわした意識を保ちながら佇む。
ここは、デウスプリズンの拷問部屋だった。血生臭く、陰鬱とした空気が充満しているこの部屋で僕はどうしていたのか、前後の記憶が曖昧だ。
わかることは、僕の手に血まみれになったガラスの剣があることと、血で濡れた黒髪が生えた生首が目の前に転がっていることだ。
────また、『あのとき』の夢を見ているみたいだった。
「よくやったのう、クリム。妾の命令を忠実にこなしてくれて助かったわい」
あどけない声色が耳に入り、背筋が凍った。僕の背後に、小さく微笑みを浮かべるアイリス様の姿があったのだ。
この場面にアイリス様が立ち会っていた記憶はない。やっぱり、これは夢だ。
「かわいそうに。こんなに血まみれになって……じゃが、幸せじゃろう?」
「何を、おっしゃっているのですか」
「生みの親の役に立つのは幸せなことなのじゃよ。神であろうが人間であろうが、それは変わらん」
そんな幸せ、僕は知らない。仲間を殺して幸せを感じるなんておかしい。たとえ、それがアイリス様の望みであるとしても。
「クリム、お主は幸せじゃないのかえ?」
「……わかりません」
「それならそれで別に構わん。妾の命令に背くようなことをしなければ、な」
一瞬だけ、得体の知れない狂気のようなものを感じ取った。
「妾に逆らったらどうなるか。忘れたわけではあるまいな?」
言い放ってすぐに消えたアイリス様の目が、見たこともないくらい鈍くギラついていた。
空間が消えて、僕の身体が闇に放り込まれる。底知れぬ闇へと吸い込まれ、意識がまた落ちる。
僕が生まれた頃、この世界には僕を含めて八人の神しかいなかった。
アイリス様、アイリス様の養父のカトラスさん。そして、アーケンシェンであるクロウやアリア、カルデルト、ティアル、トゥリヤに僕。
それが、かつてはもっと多くの神がいたものの、現代ではもうとっくに三百人を超えた。みんな例外なく、アイリス様によって生み出された者たちだ。
この世界で最も名誉とされることは、「最高神であるアイリス様の役に立つ」ことだ。僕たちの後に、アイリス様によっていろいろな役割を担う神々が生み出されたが、彼らもみんなアイリス様の役に立つために生きていた。
最初期の神々であるアーケンシェンは、最もアイリス様に近い位置で貢献していることから、神の街キャッセリアで一番の名誉を与えられている。僕自身はおろか、他のアーケンシェンもみんなそれを誇りに思っていた。
……ただ一人を除いて。
僕がアーケンシェンとして役割を果たす日々を送るようになって、数百年が経った頃。デミ・ドゥームズデイが起きる、たった数か月前の話だった記憶がある。
当時の僕の役割の中でも、デウスプリズンの管理をすることは変わっていない。ただ、その他は現在とはほんの少しだけ違い、「罪を犯した神々を正しい方向へ導くこと」が僕の役割の一つだった。実際に断罪する役割を担っていたのはクロウで、僕はあくまで事件の調査、罪人の更生や記録といった仕事だけをこなしていたのだ。
ある日、白の宮殿内にあるアーケンシェン専用の個室で書類整理をしていた。クロウの住むデウスプリズンへ報告書を持っていくためだ。
なぜ僕がデウスプリズンの管理を任されているのに、クロウが住んでいるのか疑問に思うかもしれない。理由は単純、クロウもまたデウスプリズンの管理を任されており、僕の住むはずの場所を占有したからだ。そのため、本当はあまり顔を合わせたくないのだけど頻繁にデウスプリズンへ向かわなくてはいけない。
ちょうど整理が終わったとき、コンコン、と個室の扉をノックされたので扉を開けたら、アリアが立っていた。この頃はまだ、頭に青白い光の輪がなかった。
「クリム、クロウのところに行こう。報告書、持って行くんでしょ?」
「また? アリア、クロウの世話好きだよね」
「だって、私がやらないと誰もやらないじゃない」
アリアの片手に何かがぶら下がっていた。薄い黄色の布に包まれた箱のようなものが見える。心なしかいい匂いも漂ってくる。
僕は整理を終えた書類を抱えて、アリアの後ろをついていった。
デウスプリズンは、街から大きく離れた森付近に建てられた不気味な建物だ。どこか無機質で、妙な気配が漂っているというのに、クロウはたった一人でここに住んでいた。
「起きなさいっ、クロウ! 何時だと思ってるのよ!」
アリアが書斎の扉を開け放ってすぐにそう叫んだ。僕も書斎を覗いたが、一言で言えば魔境だった。本棚に収められていたはずの資料が床に散乱し、机の周りは丸められた紙屑だらけだ。
当の本人は、机に突っ伏して大いびきをかきながら眠っていたが、アリアの叫びとともにゆっくりと身体を起こした。その体たらくにまたアリアが声を荒げた。
「あーもう! こんなに散らかして! また変な研究やってたんでしょ!?」
「うっせーなぁ、今何時だと思ってんだよ……って、もう真昼かよやっべ」
「ていうかご飯は!? 神兵が持ってきた弁当は!?」
「もう腐ってると思うぜ。朝届いた弁当が真昼まで持つとは思えねーし。つーか、神兵の飯はまずいから食いたくねぇ」
……僕は、生まれた頃からクロウのことは好きじゃなかった。
真昼まで寝てるし、大事な食料を粗末にするし。やっぱりクロウはアーケンシェンらしくない、アイリス様の役に立っているかどうかも怪しい不敬な神だ。
「やっぱり。まったく、もうちょっと自己管理しっかりしてよね」
そんなクロウに向かってアリアが突き出したのは、いい香りの漂う布に包まれた箱だった。気怠そうにしていたクロウが、「おっ」と声を上げて目をぱっちり開けた。
さんきゅ、とクロウがアリアの手から箱を奪い取った。布が撤去されたことで、その箱はアリア特製の弁当だとわかった。蓋を開けて、ぱくぱくと食べ始めるクロウの顔は、少し和やかなものに見えた。
「あー、うめーうめー。やっぱり最低限このくらいじゃないとな」
「クロウって、なんか知らないけど私の弁当は好きよね」
「ちげーよ、弁当の中ではオマエの弁当が一番マシだって言ってんだ。できることならがっつりステーキ食いてぇよ」
「文句言うなら食べるな!」
アリアがクロウから弁当箱を奪い取ろうとするが、ひょいひょいかわされる。かわしつつも料理を食べているから、器用なものだ。
いつまでも遊んでいるわけにもいかない。僕は抱えていた書類を、クロウの机にどさっと積んだ。これも散らかされたら溜まったものじゃないけども。
「クロウ、これ今月の報告書。ちゃんと整理してから本棚に入れておいてよ」
「おー、はいはい。いつも真面目にご苦労さん。そうだ、今度飲みに行こうぜ」
「僕はお酒が嫌いだって言ってるじゃないか! というか、お前とは絶対行かないっ!」
「なんでだよ。あ、ひょっとしてオレに酔った姿見られたくないってか? 別になんも思わねーよ」
「うるさい! 軽口叩いてないで真面目に仕事してよ!」
わかったわかった、とクロウは書類を規定の本棚に詰め込んだ。彼のことだ、恐らく確認はあとでやるのだろう。本当はすぐ確認してほしいけれど、言っても無駄なので本人に任せることにしている。
早くも弁当を食べ終わったクロウが弁当箱を片付けていると、ちょうど布に包み直そうとしたところでアリアが布ごと箱を奪い取った。
「今日はいくらなんでもひどすぎ! 曲がりなりにもアーケンシェンなんだから、もうちょっとしっかりして!」
「ピーピーうるせぇな。オレはオレなりに仕事してんだからいいだろ。オマエらもさっさと仕事に戻れよ」
シッシッと手を動かすクロウに、僕たちは毎度のごとく呆れるしかなかった。
僕たちが背を向けたとき、彼はいつもとは違う一面を見せてきたのを覚えている。
「なぁアリア、クリム。オマエらって、神のことどう思ってんだ」
書斎を出ていこうとした僕たちに、彼が問いかけてきたのは極めて哲学的な問いだった。
クロウは、仕事とは別に趣味で研究をしていた。その研究についての問いなんだろうとは思っていたが、実際のところはわからなかった。
「今度は何よ。研究は絶対手伝わないからね」
「別に手伝えとは言ってねぇよ。じゃあ、質問を変える。神は、万能だと思うか?」
神が、万能かどうか────?
クロウは、その意味のわからない問いをさらに突き詰めていき、何度も僕たちに投げかける。
「カラスのじじいがこう言っていた。『神は自らに似せて人間を創った』ってな。神が新たに生命を生み出したという事実は、神は万能である証だって言っていた」
クロウが「カラスのじじい」と呼んでいるのは、カトラスさんのことだ。こいつはアイリス様のことも呼び捨てだし、敬意を示すということをまったくしない。
そんなクロウが、いつにも増して真剣な顔で僕たちを見ていた。何か企んでいるのではないか、と思った。
「オレたちは『神』だ。だが、オレたちは人間を超越しているのか? オレにはそうは思えねぇんだ」
あまりにも真面目な問いだったから、僕も思わず考え込んでしまった。
よく考えてみれば────「神様は万能だ」と決めつけたのは、誰が最初なのだろう。僕も、多分他のアーケンシェンも知らない。
人間の世界でいう「神」というのは、人知を超えた特別な存在らしい。あらゆる生命を慈しみ、救う神もいれば、この世にあるものすべてを滅ぼす神もいる。そのどちらも、この世の理を書き換える力を持っている。
この世のあらゆるものを自分の意にできる彼らを、人間たちは崇拝し、畏怖し……ときに迫害しようとした。
僕たちは、一体「どっち」なんだろう?
「神が万能か、人間を超えているかどうかなんて、どうでもいいよ」
アリアは思い悩む様子もなく、ただまっすぐと答えた。その姿はあまりにも凛々しく、自分が情けなくなるくらいだった。
「私たちは神。私たちには、アイリス様のお役に立って弱き者を助ける役目がある。救えるものはすべて救う、それが神というものでしょう?」
「なるほどな。けれど、オレたちはたまにどうしようもないくらい、人間みたいな一面を見せる。神が人間を超越しているなら、神は何のために人間を創ったんだろうな?」
「神は自分たちよりも弱い存在を助けるべきよ。人間たちがお互いを助け合って生きるように、私たちもお互いの足りない部分を補って生きればいい。昔の神は、きっとその答えに辿り着くために、自分たちよりも弱い人間を創ったのよ」
「……ほーん。そういう答えもまた、人間らしいと言うべきなのかもな」
クロウはそれだけ答えて、散らかった机に向き直った。今度こそ、話は終わったと思って書斎から出ていこうとしたが。
「いつかこの研究の答えに辿り着いたら、オマエらにだけは教えてやるよ」
「なんでよ。ティアルたちにも教えたらいいじゃない」
「いいんだよ。こんなオレに普通に接してくれるのは、オマエらとカラスのじじいくらいだし」
僕たちが出ていく間際、背中で語る言葉が妙に寂しそうなものに思えた。
アリアと僕が書斎から出て、扉をしようとした瞬間、クロウは独り言のように呟いた。
「オレたちが本当の神だと思えないのは……神を神たらしめるものを忘れたから、なんだろうな」
デウスプリズンから出て、残りの仕事を終わらせるため四苦八苦しているうちに、夕暮れが訪れようとしていた。
アリアとは一度別れて動いていたのだが、ちょうど仕事を終えた頃にアリアと出くわした。
「クリム、仕事終わったのね。そろそろ食事会の時間だから行こう」
「う、うん」
「宮殿の食事ってゴージャスで美味しいよね。クロウも食べに来ればいいのに」
アリアが何気なく言った言葉で、僕は昼間のクロウの様子を思い出していた。
クロウは、アーケンシェンの最年長、かつ最強の戦闘能力を持っていながら、とんでもない変わり者であった。アイリス様の一番近くにいる神とは思えないくらい不敬で、不真面目で、ずる賢い部分もある。
アーケンシェンはたまに、アイリス様と食事会を行うことがあるのだけど、クロウは絶対に来ない。普段デウスプリズンにいるとはいえ、別に来ちゃいけない決まりなんてないのに。
正直、どうしてアーケンシェンでいられるのかが不思議なくらいだった。けれど、僕は心のどこかで思っていた。クロウが変わり者にならざるを得なかった理由があったのではないかと。
「アリア。クロウは罪人を殺しすぎて、おかしくなったのかな」
僕が罪人を導く役なら、クロウはどうしようもなくなった神を処刑する役割を担っていた。しかし、僕が知る限りおかしくなるような数を殺してはいないはずだ。
あまりにもいつもと様子が違ったから、僕も好きじゃない割に気になっていた。アリアは逆に、全然気にしていない様子だった。
「クロウは最初から不真面目だし、だらしない奴だよ。おまけに逆張り大好きだしね。でもあいつ、たまにちょっと面白いこと言うんだよ。私たちとは考え方が違うから、ある意味参考になるしね」
「そっか。そういえば、アリアは自分が人間だったらって想像とかはしないの?」
「うーん……クロウにも言ったけど、私自身は神でしかないから、そういう想像はあまり意味がないと思う。問題は、自分が何のために生きるかだと思うから。それこそ、みんなが自分を神たらしめるものを見つけられれば、それでいいんじゃないかな」
自分が、何をしたいか。僕は、何のために生きているのか。
アイリス様のお役に立つため。自らを神たらしめるものを失わないため。
……というのは、あまりにも模範的回答すぎるだろうな。
「私はね、自分が助けられる命は、できることなら全部助けたいんだ。そう命じられたからじゃなくて、私がそうしたい。私たちはアイリス様の道具じゃなくて、誰のものでもない大事な命だから。神として命を救うこと……それが私のやりたいことで、私を神たらしめるものだと思ってる」
自分の胸に手を当てて、アリアは優しく、力強く告げた。彼女の二つ名、「慈愛の白天使」に恥じぬ、美しい天使の誓いだった。
そんな彼女の姿を見て、僕ははっきりと「こんな神になりたい」と願ったのだ。
「クリムも、みんなを救える子になってね。私たち神は、幸せな世界を守るために存在してるんだから」
「僕も?」
「うん。他のみんなだってそう。私たちはみんな、アイリス様の願い……世界の平和を望んでいるんだから」
他人のために笑い、怒り、泣くことのできる彼女は優しい。誰に対しても、僕であっても。
僕も優しい神でありたい。アリアのように、みんなを支えて救う神になりたい。自分が生きる理由を、アリアの言葉に見出したんだ。
明かりの一つもない部屋で、妙にふわふわした意識を保ちながら佇む。
ここは、デウスプリズンの拷問部屋だった。血生臭く、陰鬱とした空気が充満しているこの部屋で僕はどうしていたのか、前後の記憶が曖昧だ。
わかることは、僕の手に血まみれになったガラスの剣があることと、血で濡れた黒髪が生えた生首が目の前に転がっていることだ。
────また、『あのとき』の夢を見ているみたいだった。
「よくやったのう、クリム。妾の命令を忠実にこなしてくれて助かったわい」
あどけない声色が耳に入り、背筋が凍った。僕の背後に、小さく微笑みを浮かべるアイリス様の姿があったのだ。
この場面にアイリス様が立ち会っていた記憶はない。やっぱり、これは夢だ。
「かわいそうに。こんなに血まみれになって……じゃが、幸せじゃろう?」
「何を、おっしゃっているのですか」
「生みの親の役に立つのは幸せなことなのじゃよ。神であろうが人間であろうが、それは変わらん」
そんな幸せ、僕は知らない。仲間を殺して幸せを感じるなんておかしい。たとえ、それがアイリス様の望みであるとしても。
「クリム、お主は幸せじゃないのかえ?」
「……わかりません」
「それならそれで別に構わん。妾の命令に背くようなことをしなければ、な」
一瞬だけ、得体の知れない狂気のようなものを感じ取った。
「妾に逆らったらどうなるか。忘れたわけではあるまいな?」
言い放ってすぐに消えたアイリス様の目が、見たこともないくらい鈍くギラついていた。
空間が消えて、僕の身体が闇に放り込まれる。底知れぬ闇へと吸い込まれ、意識がまた落ちる。
僕が生まれた頃、この世界には僕を含めて八人の神しかいなかった。
アイリス様、アイリス様の養父のカトラスさん。そして、アーケンシェンであるクロウやアリア、カルデルト、ティアル、トゥリヤに僕。
それが、かつてはもっと多くの神がいたものの、現代ではもうとっくに三百人を超えた。みんな例外なく、アイリス様によって生み出された者たちだ。
この世界で最も名誉とされることは、「最高神であるアイリス様の役に立つ」ことだ。僕たちの後に、アイリス様によっていろいろな役割を担う神々が生み出されたが、彼らもみんなアイリス様の役に立つために生きていた。
最初期の神々であるアーケンシェンは、最もアイリス様に近い位置で貢献していることから、神の街キャッセリアで一番の名誉を与えられている。僕自身はおろか、他のアーケンシェンもみんなそれを誇りに思っていた。
……ただ一人を除いて。
僕がアーケンシェンとして役割を果たす日々を送るようになって、数百年が経った頃。デミ・ドゥームズデイが起きる、たった数か月前の話だった記憶がある。
当時の僕の役割の中でも、デウスプリズンの管理をすることは変わっていない。ただ、その他は現在とはほんの少しだけ違い、「罪を犯した神々を正しい方向へ導くこと」が僕の役割の一つだった。実際に断罪する役割を担っていたのはクロウで、僕はあくまで事件の調査、罪人の更生や記録といった仕事だけをこなしていたのだ。
ある日、白の宮殿内にあるアーケンシェン専用の個室で書類整理をしていた。クロウの住むデウスプリズンへ報告書を持っていくためだ。
なぜ僕がデウスプリズンの管理を任されているのに、クロウが住んでいるのか疑問に思うかもしれない。理由は単純、クロウもまたデウスプリズンの管理を任されており、僕の住むはずの場所を占有したからだ。そのため、本当はあまり顔を合わせたくないのだけど頻繁にデウスプリズンへ向かわなくてはいけない。
ちょうど整理が終わったとき、コンコン、と個室の扉をノックされたので扉を開けたら、アリアが立っていた。この頃はまだ、頭に青白い光の輪がなかった。
「クリム、クロウのところに行こう。報告書、持って行くんでしょ?」
「また? アリア、クロウの世話好きだよね」
「だって、私がやらないと誰もやらないじゃない」
アリアの片手に何かがぶら下がっていた。薄い黄色の布に包まれた箱のようなものが見える。心なしかいい匂いも漂ってくる。
僕は整理を終えた書類を抱えて、アリアの後ろをついていった。
デウスプリズンは、街から大きく離れた森付近に建てられた不気味な建物だ。どこか無機質で、妙な気配が漂っているというのに、クロウはたった一人でここに住んでいた。
「起きなさいっ、クロウ! 何時だと思ってるのよ!」
アリアが書斎の扉を開け放ってすぐにそう叫んだ。僕も書斎を覗いたが、一言で言えば魔境だった。本棚に収められていたはずの資料が床に散乱し、机の周りは丸められた紙屑だらけだ。
当の本人は、机に突っ伏して大いびきをかきながら眠っていたが、アリアの叫びとともにゆっくりと身体を起こした。その体たらくにまたアリアが声を荒げた。
「あーもう! こんなに散らかして! また変な研究やってたんでしょ!?」
「うっせーなぁ、今何時だと思ってんだよ……って、もう真昼かよやっべ」
「ていうかご飯は!? 神兵が持ってきた弁当は!?」
「もう腐ってると思うぜ。朝届いた弁当が真昼まで持つとは思えねーし。つーか、神兵の飯はまずいから食いたくねぇ」
……僕は、生まれた頃からクロウのことは好きじゃなかった。
真昼まで寝てるし、大事な食料を粗末にするし。やっぱりクロウはアーケンシェンらしくない、アイリス様の役に立っているかどうかも怪しい不敬な神だ。
「やっぱり。まったく、もうちょっと自己管理しっかりしてよね」
そんなクロウに向かってアリアが突き出したのは、いい香りの漂う布に包まれた箱だった。気怠そうにしていたクロウが、「おっ」と声を上げて目をぱっちり開けた。
さんきゅ、とクロウがアリアの手から箱を奪い取った。布が撤去されたことで、その箱はアリア特製の弁当だとわかった。蓋を開けて、ぱくぱくと食べ始めるクロウの顔は、少し和やかなものに見えた。
「あー、うめーうめー。やっぱり最低限このくらいじゃないとな」
「クロウって、なんか知らないけど私の弁当は好きよね」
「ちげーよ、弁当の中ではオマエの弁当が一番マシだって言ってんだ。できることならがっつりステーキ食いてぇよ」
「文句言うなら食べるな!」
アリアがクロウから弁当箱を奪い取ろうとするが、ひょいひょいかわされる。かわしつつも料理を食べているから、器用なものだ。
いつまでも遊んでいるわけにもいかない。僕は抱えていた書類を、クロウの机にどさっと積んだ。これも散らかされたら溜まったものじゃないけども。
「クロウ、これ今月の報告書。ちゃんと整理してから本棚に入れておいてよ」
「おー、はいはい。いつも真面目にご苦労さん。そうだ、今度飲みに行こうぜ」
「僕はお酒が嫌いだって言ってるじゃないか! というか、お前とは絶対行かないっ!」
「なんでだよ。あ、ひょっとしてオレに酔った姿見られたくないってか? 別になんも思わねーよ」
「うるさい! 軽口叩いてないで真面目に仕事してよ!」
わかったわかった、とクロウは書類を規定の本棚に詰め込んだ。彼のことだ、恐らく確認はあとでやるのだろう。本当はすぐ確認してほしいけれど、言っても無駄なので本人に任せることにしている。
早くも弁当を食べ終わったクロウが弁当箱を片付けていると、ちょうど布に包み直そうとしたところでアリアが布ごと箱を奪い取った。
「今日はいくらなんでもひどすぎ! 曲がりなりにもアーケンシェンなんだから、もうちょっとしっかりして!」
「ピーピーうるせぇな。オレはオレなりに仕事してんだからいいだろ。オマエらもさっさと仕事に戻れよ」
シッシッと手を動かすクロウに、僕たちは毎度のごとく呆れるしかなかった。
僕たちが背を向けたとき、彼はいつもとは違う一面を見せてきたのを覚えている。
「なぁアリア、クリム。オマエらって、神のことどう思ってんだ」
書斎を出ていこうとした僕たちに、彼が問いかけてきたのは極めて哲学的な問いだった。
クロウは、仕事とは別に趣味で研究をしていた。その研究についての問いなんだろうとは思っていたが、実際のところはわからなかった。
「今度は何よ。研究は絶対手伝わないからね」
「別に手伝えとは言ってねぇよ。じゃあ、質問を変える。神は、万能だと思うか?」
神が、万能かどうか────?
クロウは、その意味のわからない問いをさらに突き詰めていき、何度も僕たちに投げかける。
「カラスのじじいがこう言っていた。『神は自らに似せて人間を創った』ってな。神が新たに生命を生み出したという事実は、神は万能である証だって言っていた」
クロウが「カラスのじじい」と呼んでいるのは、カトラスさんのことだ。こいつはアイリス様のことも呼び捨てだし、敬意を示すということをまったくしない。
そんなクロウが、いつにも増して真剣な顔で僕たちを見ていた。何か企んでいるのではないか、と思った。
「オレたちは『神』だ。だが、オレたちは人間を超越しているのか? オレにはそうは思えねぇんだ」
あまりにも真面目な問いだったから、僕も思わず考え込んでしまった。
よく考えてみれば────「神様は万能だ」と決めつけたのは、誰が最初なのだろう。僕も、多分他のアーケンシェンも知らない。
人間の世界でいう「神」というのは、人知を超えた特別な存在らしい。あらゆる生命を慈しみ、救う神もいれば、この世にあるものすべてを滅ぼす神もいる。そのどちらも、この世の理を書き換える力を持っている。
この世のあらゆるものを自分の意にできる彼らを、人間たちは崇拝し、畏怖し……ときに迫害しようとした。
僕たちは、一体「どっち」なんだろう?
「神が万能か、人間を超えているかどうかなんて、どうでもいいよ」
アリアは思い悩む様子もなく、ただまっすぐと答えた。その姿はあまりにも凛々しく、自分が情けなくなるくらいだった。
「私たちは神。私たちには、アイリス様のお役に立って弱き者を助ける役目がある。救えるものはすべて救う、それが神というものでしょう?」
「なるほどな。けれど、オレたちはたまにどうしようもないくらい、人間みたいな一面を見せる。神が人間を超越しているなら、神は何のために人間を創ったんだろうな?」
「神は自分たちよりも弱い存在を助けるべきよ。人間たちがお互いを助け合って生きるように、私たちもお互いの足りない部分を補って生きればいい。昔の神は、きっとその答えに辿り着くために、自分たちよりも弱い人間を創ったのよ」
「……ほーん。そういう答えもまた、人間らしいと言うべきなのかもな」
クロウはそれだけ答えて、散らかった机に向き直った。今度こそ、話は終わったと思って書斎から出ていこうとしたが。
「いつかこの研究の答えに辿り着いたら、オマエらにだけは教えてやるよ」
「なんでよ。ティアルたちにも教えたらいいじゃない」
「いいんだよ。こんなオレに普通に接してくれるのは、オマエらとカラスのじじいくらいだし」
僕たちが出ていく間際、背中で語る言葉が妙に寂しそうなものに思えた。
アリアと僕が書斎から出て、扉をしようとした瞬間、クロウは独り言のように呟いた。
「オレたちが本当の神だと思えないのは……神を神たらしめるものを忘れたから、なんだろうな」
デウスプリズンから出て、残りの仕事を終わらせるため四苦八苦しているうちに、夕暮れが訪れようとしていた。
アリアとは一度別れて動いていたのだが、ちょうど仕事を終えた頃にアリアと出くわした。
「クリム、仕事終わったのね。そろそろ食事会の時間だから行こう」
「う、うん」
「宮殿の食事ってゴージャスで美味しいよね。クロウも食べに来ればいいのに」
アリアが何気なく言った言葉で、僕は昼間のクロウの様子を思い出していた。
クロウは、アーケンシェンの最年長、かつ最強の戦闘能力を持っていながら、とんでもない変わり者であった。アイリス様の一番近くにいる神とは思えないくらい不敬で、不真面目で、ずる賢い部分もある。
アーケンシェンはたまに、アイリス様と食事会を行うことがあるのだけど、クロウは絶対に来ない。普段デウスプリズンにいるとはいえ、別に来ちゃいけない決まりなんてないのに。
正直、どうしてアーケンシェンでいられるのかが不思議なくらいだった。けれど、僕は心のどこかで思っていた。クロウが変わり者にならざるを得なかった理由があったのではないかと。
「アリア。クロウは罪人を殺しすぎて、おかしくなったのかな」
僕が罪人を導く役なら、クロウはどうしようもなくなった神を処刑する役割を担っていた。しかし、僕が知る限りおかしくなるような数を殺してはいないはずだ。
あまりにもいつもと様子が違ったから、僕も好きじゃない割に気になっていた。アリアは逆に、全然気にしていない様子だった。
「クロウは最初から不真面目だし、だらしない奴だよ。おまけに逆張り大好きだしね。でもあいつ、たまにちょっと面白いこと言うんだよ。私たちとは考え方が違うから、ある意味参考になるしね」
「そっか。そういえば、アリアは自分が人間だったらって想像とかはしないの?」
「うーん……クロウにも言ったけど、私自身は神でしかないから、そういう想像はあまり意味がないと思う。問題は、自分が何のために生きるかだと思うから。それこそ、みんなが自分を神たらしめるものを見つけられれば、それでいいんじゃないかな」
自分が、何をしたいか。僕は、何のために生きているのか。
アイリス様のお役に立つため。自らを神たらしめるものを失わないため。
……というのは、あまりにも模範的回答すぎるだろうな。
「私はね、自分が助けられる命は、できることなら全部助けたいんだ。そう命じられたからじゃなくて、私がそうしたい。私たちはアイリス様の道具じゃなくて、誰のものでもない大事な命だから。神として命を救うこと……それが私のやりたいことで、私を神たらしめるものだと思ってる」
自分の胸に手を当てて、アリアは優しく、力強く告げた。彼女の二つ名、「慈愛の白天使」に恥じぬ、美しい天使の誓いだった。
そんな彼女の姿を見て、僕ははっきりと「こんな神になりたい」と願ったのだ。
「クリムも、みんなを救える子になってね。私たち神は、幸せな世界を守るために存在してるんだから」
「僕も?」
「うん。他のみんなだってそう。私たちはみんな、アイリス様の願い……世界の平和を望んでいるんだから」
他人のために笑い、怒り、泣くことのできる彼女は優しい。誰に対しても、僕であっても。
僕も優しい神でありたい。アリアのように、みんなを支えて救う神になりたい。自分が生きる理由を、アリアの言葉に見出したんだ。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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