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第6章「最高神生誕祭」

127話 トルテとレーニエ

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 時刻は昼下がりに近づこうとしていた。ヴィータは、徒歩で繁華街までやってきた。
 クリムが以前、もうすぐ最高神生誕祭が開かれると言っていた。文字通り、アイリスの誕生日が近いので、街で祭りを開催してお祝いするのだそう。おかげで繁華街は、いつもとは違う意味で明るい雰囲気に包まれている。ヴィータは、準備に勤しむ神たちの間を通り抜けつつ、ゆっくりと周りを見渡す。

(一人でのんびり外を歩くなんて、久しぶり)

 外に出ることはあっても、大体が緊急事態だったり切羽詰まった状況である場合が多かったため、今のヴィータはどこか浮世離れした気分にさせられている。
 道行くひととすれ違うところで、少年に肩を叩かれる。振り向くと、後ろに短くまとめたミルクティーブラウンの髪と藍色の瞳が見え、運び神の制服である濃い緑のコートを着ていることがわかった。

「よう。元気そうだな」
「……あなたは、確か」

 ヴィータが永い眠りから目覚めたとき、最初に見た二人の少年のうち一人だった。片方はトゥリヤで、もう一人は彼──レーニエだったことを思い出す。

「レーニエ。あのときはありがとうございました」
「今更礼を言わなくてもいいって。俺もトゥリヤさんもテンパってたしさ」

 頬を掻きながら目を逸らすレーニエ。ヴィータは、まさかここで彼と再会するとは思っていなかった。あのときとは違って、ゆっくり話せるかもしれない。しかし、肝心の話題が思いつかず、会話が続けられない。

「そうだ。これからトルテのカフェに行くんだけど、お前もどうだ?」
「は、はあ」

 ヴィータはレーニエによって片手を掴まれ、言われるがまま手を引かれる。別に何も用事はなかったので、彼に付き合うことにした。
 カトラスがいる鍛冶屋よりも宮殿から離れた位置に、一軒のおしゃれなカフェが建っていた。白を基調としており、色とりどりの花壇で装飾されている。店の前にはテラス席がいくつか設置されているが、テラスには誰もいない。
 テラスのそばに濃い金色のバイクが置かれている。キャッセリアでは数少ない珍しい形の乗り物であるが、ヴィータは既視感を覚えていた。
 レーニエがカフェの扉を開けると、チリンチリンと小さな鈴の音が鳴る。慣れない甘い匂いとともに、「いらっしゃいませー」と明るい女性の声が聞こえてきた。

「ありぇ、ゔぃーた? なんでふぉふぉに?」

 入口のそばの席から名を呼ばれた。ヴィータがとある席の方を向くと、片翼の天使の男の娘──セルジュがチョコレートケーキを頬張っている姿を捉えた。
 その向かい側には、ヴィータが前回の事件で出会ったリーゼントの青年が座っていた。彼も例に漏れずフルーツタルトを食べていた。

「おっ、もしかしてアスタの妹のヴィータか? オレっちはオルフだ! よろしくな」
「はあ……まさかあなたたち、昼食にスイーツですか?」
「たまにはお菓子を主食にしたっていいじゃないですかー。血糖値爆上がりしますけど」

 レーニエは基本的に静かだからついてきた、というのが正直な理由だった。そのため、ヴィータは少し後悔した。甘党ばかりな上、騒がしさのあまり気が滅入りそうだ。
 話をしていると、やがて厨房らしいところから、赤毛のポニーテールと赤い目を持つ女性がやってきた。ワイン色の制服を着ているところから、店員を担う女神だろう。

「あ、レーニエ! 結構早かったね!」
「トルテ。今日は仕事が少なかったから早く来れたんだ」
「そうだったの。……あら? 知らない子ね」

 トルテと呼ばれた女性が、ヴィータの存在に気づいた。彼女よりも背が高い、明るい印象のひとだ。

「初めまして。ヴィータと申します」
「よろしくね、ヴィータちゃん。あたしはトルテ。ここのカフェの店員をやってて、お菓子をよく作ってるの」
「えっと……レーニエとは、どういう関係なんです?」
「ただの幼なじみだよ」

 レーニエはぶっきらぼうに言うが、トルテは正反対でニコニコしている。なんだか、お互いの認識に温度差がありそうだ。

「……トルテ、セルジュさんとオルフからちょっとは意見もらったんだろ。少し試作してきたらどうだ?」
「ああ、そうだね。一回ちょっと作ってみる! みんな、ちょっと待っててね!」

 トルテはいそいそと厨房へ向かった。ここに初めて来たヴィータは、何が何だかわからない。

「あの、試作って何の話です?」
「ああ、トルテが最高神生誕祭に向けて、新作のスイーツを作るって言っててな。どういうものを作るかコンセプトが決まらないって言ってるから、いろんな神から意見を聞いているんだって」

 レーニエがそう教えてくれる。ヴィータにとって、スイーツはまったく興味もない対象だった。そんなもの、「厄災」を止めることには何の関係もない────そう思っているからだ。
 彼らは何も知らないゆえに、悠長にしていられるだけなのだから。

「……暇なんですね、あなたたち」
「いいじゃないですかー、別に。楽しみがなきゃ面白くないでしょ?」
「そうだぜ! なあなあセルジュ先輩、あとでトルテさんが戻ってきたら、こういう案を────」

 皮肉を込めて言ったつもりだったのだが、セルジュとオルフは特に気にした様子もなく、わくわくした顔で新作スイーツの話を始める。
 ヴィータは二人のいる隣のテーブル席へと座った。そこで本を読もうと開きかけたところ、向かいにレーニエが座る。

「セルジュたちのところには行かないのですか」
「あいつら、トルテのお菓子の話題になるとうるさいんだよ」

 レーニエはやれやれとした様子で頬杖をつきつつ、この場にいる神たちの関係性についてヴィータに簡単に話す。
 オルフとセルジュは同じ魔特隊の隊員で、以前から繋がりがある。お互いにトルテのお菓子が好きだということが判明してからは、かなり意気投合しているらしい。
 レーニエもまた、オルフとは以前一緒に仕事をした仲で、セルジュとも顔見知りとのこと。
 ヴィータにとって、このキャッセリアという神の街は、本当に狭いものだと感じていた。

「ていうか、ヴィータはどうして外にいるんだ? いつもは大体クリムさんが出てるだろ」
「……さあ。わたしは出かけてて、としか言われていませんし。一人になりたいんだと思います」
 
 あえてつっけんどんに言ったヴィータの言葉に、レーニエは複雑そうな顔をして俯いた。
 先日のデウスプリズンの出来事のせいか、クリムは表面上はいつも通りに接しているものの、やはりどこか塞ぎこんでいるように見えていた。デウスプリズンから出る用事もないのなら、ヴィータが外に出ても別に問題はない。
 セルジュとオルフには聞こえていないのか、和気あいあいとした話が続いている。ヴィータとレーニエの間だけでしばしの沈黙が漂った。

「あの。レーニエはどうして、わたしをここに連れてきたのですか」
「べ、別に理由なんてどうだっていいだろ。たまたま見かけたから、ちょっと誘ってみただけだ」
「本当に?」
「し……強いて言うなら、そうだな……トルテのお菓子に何かアドバイスとか、してくれればな……って」

 心なしか、レーニエの頬にさす赤みが強くなっていた。ヴィータはただ、疑問に思うばかりだった。たったそれだけの目的を告げるのに、手間をかける必要なんてないのに。

「それならそうと、素直に言ったらどうですか。わたしは別に断りませんよ」
「は、はぁ~!? わけわかんねーよ、あんた!」

 わけがわからないのは、あなたの方だ────なんて言っても、どうしようもない。ヴィータの感情の波の静かさに、レーニエも自ずと心を落ち着かせていく。

「ヴィータはどういうものが好きなんだ?」
「どういうものって……曖昧ですね」
「食べ物とか、趣味とかさ。何かないのかよ」

 ヴィータは、食べ物には興味がない。趣味なんて、本を読むことと、兄のアスタをからかうことくらいだ。
 ふと、ヴィータは店内を見渡した。カウンター席の近くに、桃色のネメシアの花が咲いていた。花瓶に入れられたばかりなのか、まだしゃんと立っている。花瓶に入れられた時点で早くしおれてしまうと思うと、少しだけ哀れにも見えていた。

「そうですね……花。花を見るのは、好きかもしれません」

 そう呟いたとき、厨房からカウンター席を通って、トルテがこちらへ近づいて来た。誰が見てもすぐわかるくらいの落ち込みようだった。

「どうしたんだよ、トルテ」
「うーん、やっぱりいいアイデアが思いつかないよ。なんかこう、違うんだよね」
「違うって、どう違うんだよ」
「やっぱり、アイリス様の生誕を祝うケーキにしたいのよ。感謝とか尊敬とか、いろいろ伝えたいことがあるのに、伝えきれないもどかしさみたいなものがあって。全然納得できないんだよーっ!」
「い、痛い痛い。やめろって!」

 トルテがレーニエの肩をぽこぽこ叩きながら嘆く中、レーニエはうんざりとした表情で抵抗している。
 セルジュとオルフもトルテが戻って来たことに気づき、案を話そうとするも、彼女はしばらくレーニエの肩たたきをしていた。
 しばらく待って落ち着いたところで、ヴィータはふと思いついてトルテに話しかけた。

「あの、花びらか花びらを模した砂糖を添えるのはどうでしょうか。例えば、アヤメの花とか」
「えっ、花びら?」
「アイリスはアヤメの花の別名ですから、アヤメの花びらはどうかと思ったのです。確か、アヤメの花言葉は『大きな志』とか、『メッセージ』、『強い希望』でしたし、悪くはないんじゃないですか」

 トルテはしばらく考え込んだ末、何かをひらめいたように顔をぱっと明るくさせた。

「それ、いいかも! ありがとう、ヴィータちゃん!」
「そ、そうですか……あ、黄色のアヤメだけはやめた方がいいですよ。あれの花言葉は怖いですから」
「トルテさん! ケーキならこういうのがいいと思うんですけど!」
「あーっ、オレっちの考えも聞いてくださいー!」
「ありがとう、みんな! よーし、あたし頑張っちゃうぞー!」

 ポケットから手帳みたいな何かを取り出したトルテは、セルジュやオルフの話も聞きながらペンを走らせる。メモが一段落したところで、手帳を閉じて厨房へと戻っていった。
 セルジュとオルフはまたスイーツの話に戻った。レーニエはようやく叩かれなくなって、大きくため息をつく。ヴィータはそんな彼らを見て、なんだか懐かしい気持ちになる。

「本当に、人間らしいですね。あなたも、トルテも、セルジュたちも」

 ヴィータの言葉に、なぜかレーニエはきょとんとしている様子だった。首を傾げて、ヴィータの顔をまじまじと見つめている。

「ヴィータって、人間を見たことがあるのか?」
「そういうあなたは、ないのですか?」
「ああ。ここに住んでる奴の大半は、人間なんて見たことない。ここには、神しかいないんだ」

 先日、アスタがアイリスと話していた内容に、人間はどこにいるのかというものがあった。現代の神はどのようにして生まれたのかも。
 とはいえ、ヴィータは実際に二人の会話を聞いていたわけではなく、アスタから後日内容を聞いただけにすぎない。もしかしたら、誰も知らないだけで人間もいるかもしれないが……正直、探し出してどうするのか、という気持ちしか湧かない。

「人間って、俺たちより生きられる時間が短いんだろ。それって、どういう感覚なんだろうな」
「わたしも人間じゃないからわかりませんよ。ただ……先に死にゆく者を見るのは、少しつらいかもしれません」

 不老不死である観測者ならではの悩みだった。とはいえ、ヴィータはもうほとんど慣れている。淡白だと思われるのは仕方がない。
 結局は、種族が違うから生きられる時間も違う、ただそれだけの話なのだ。変えることのできない現実だって、この世には存在する。それをどうこうしようと足掻くのは時間の無駄だ。
 変えられるものから変えていくしかない……そう思うのは、やっぱり冷血な女なのかもしれない。ヴィータは密かにそう考えている。

「……ヴィータはさ。大切な誰かを失うこと、想像したことはあるか?」

 レーニエは窓の外を眺めながら、寂しそうな声でそう尋ねてくる。

「どうしたんですか、いきなり。そんなの、当たり前でしょう」
「もし、その誰かを失ったら……もう一度会いたいって、何をしてでも取り戻したいって、思ったりする?」

 普通なら、こう思うだろう。そんなこと、できるわけがないと。
 だけど、この世ではなぜかそれが叶ってしまう。禁忌に手を染めた結果蘇った存在が、ヴィータたちの前に立ちはだかったことがあるからだ。

「俺、昔は兄貴がいたんだ。同じ運び神だったけど……死んだんだ」

 息を潜めるように、レーニエが語り出す。ヴィータ以外に聞かれるのを拒んでいるようで、彼女は本を置いて言葉を詰まらせた。

「レーニエ、一体どうしたのですか」
「……実は、あんたに頼みたいことがあるんだ」

 ゆっくりと顔を上げたレーニエは、とても思い詰めていた。身体を引き裂かれるような痛みに必死に耐えている、そんな苦しい顔をしている。

「トルテのこと、少しの間だけでいいから見守っていてくれないか」
「……なぜ、トルテなのです?」
「元々、兄貴の彼女だったんだ。兄貴がいなくなってから、トルテがずっと変でさ。たまに誰かとボツボツ話してたり、変なテンションで接してきたりするから、心配で……」

 レーニエの兄が死んだのはいつなのか聞いたところ、どうやら百年前らしい。……デミ・ドゥームズデイと重なる。
 彼女はただスイーツが大好きな神という印象が強かった。あんなに明るく振る舞っているのも、もしかしたら無理をしているのだろうか?
 ヴィータにはトルテが無理をしているようには見えなかったが、今日会ったばかりのひとを正確に判断することなど至難の業だ。

「……お断りします。わたしに何のメリットがあるのですか。わたしはわたしでやることがあるんです」
「やることって、なんだよ」
「あなたには関係ないことです。というか、そういうことならクリムに話せばいいでしょう」
「クリムさんとトルテは面識がない。それに……あんまり、こういうことは話したくない」

 ヴィータはなんとなく察した。兄がデミ・ドゥームズデイで亡くなっているという事情のせいもあるのだろう。確かに、クリムはあの事件の話をあまりしたがらないし、ヴィータにも必要以上に話してはくれない。
 ならば、実際にあの事件を経験しているわけじゃない者が関わっても、何もいいことなんてない。

「正直、わたしやクリムが関わっても、トルテは迷惑だと思います。彼女が一番そばにいてほしいのは、レーニエではないのですか」
「っ! それは……」
「わたしやクリムには、トルテを支えることはできません。他人ではない、親しいひとにしかできないことが、この世にはあるんです」

 そこまではっきりと話して、レーニエはうなだれつつもゆっくり頷いた。

「そう……だよな。すまん、変なこと頼んで」
「本当ですよ。もしかして、トルテのこと嫌いなんですか?」
「は、はあ? なんでそうなるんだよ、ばっかじゃねぇの」

 本当に素直じゃない、とヴィータは口元を緩める。
 どうして、人間も神も意地を張るのだろう。そこに区別はいらない。レーニエはそういうひとである、それだけだ。

「……トルテのお菓子は、どのくらい美味しいんですか?」
「ん? キャッセリアじゃ一番人気だぞ。多分今試作を作ってるだろうから、できたら食べるか?」
「当然、食べますよ。わたしもアドバイスしたんですから」

 ほんの少し、お腹がすいたので────と、最後に付け加えてから、ヴィータは読書を再開した。
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