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第6章「最高神生誕祭」

132話 戯れ

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 *

 アーケンシェンのみんなと顔を合わせたけれど、特に何も変わったことはなく、無事に開祭式も終わった。
 とはいえ、僕は早々に式場である宮殿の前から立ち去るつもりだった。さっさとデウスプリズンに帰って、少しでいいから仮眠をとりたいと思っていたのだけど。

「クリムせんぱーいっ! 一緒にお祭り回りましょー!」

 ……と、大きく手を振りながら派手に駆け寄ってきた片翼の天使に捕まったため、一緒に繁華街を歩いていた。あらかた回ったところで、宮殿の前辺りに戻ってくる。
 セルジュは今にも泣きそうな顔になりながら、肩をがっくりと落としているところだった。

「うええぇーん、なんなんですかあの行列の長さは!? トルテさんの最新スイーツ、どんだけ人気があるんですか!? いや嬉しいですけど!!」
「早起きしたりして早く並ばなかったの?」
「ぼくとしたことが、寝坊しちゃいました……あまりにも楽しみで、眠れなかったもので」

 僕も、正直驚いた。トルテさんが作るスイーツはキャッセリアですごく人気があるのだが、それに加えて今年の生誕祭では、限定スイーツを提供しているらしい。そのスイーツを目当てに、神たちが我先にとカフェに大行列を作っていた。
 セルジュがすごく並びたそうにしていたのだけど、本人が言い張るので結局並ばずにここまで来てしまった。

「やっぱり、きちんと並んだ方がよかったんじゃないかな」
「それじゃクリム先輩がお祭り回れないじゃないですか! そんなのかわいそうです!」

 気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、僕はセルジュにつらい思いはさせたくない。今まで迷惑をかけてきた部分もあるし、限定スイーツなんて今しか食べられないだろうし。
 僕はまだ、たくさんお菓子を食べたことはないけれど……大好きなものを手に入れられないのは、きっと苦しいはずだ。

「……ダメ、やっぱり並ぼう。僕も最後まで付き合うから」
「ええぇー! う、嬉しいですけど時間がぁー!」
「クリム、ちょっといいかの」

 古めかしい口調が聞こえてきた瞬間、心臓がどくりと痛んだ気がした。何かと思えば、アイリス様が単身で僕たちの前にやって来たのだ。
 アリアやトゥリヤが一緒にいるかと思ったが、いない。ティアルは魔特隊の任務でいないし、カルデルトは先に診療所へ戻ったということは知っているのだけど。

「……あ、あれ? もしかしてぼく、お邪魔でした?」
「ああ、別に構わぬ。なんならセルジュも一緒にどうかの」
「え、えぇ? はい……」

 セルジュもいる場でこう言っているとなると、どうやら重大な話ではないようだった。内心でほっと胸をなでおろす。

「なに、そうかしこまるでない。妾も祭りを回りたいのじゃ」
「……はい?」
「あ、アイリス様がじきじきにっ!? どういう風の吹き回しむぐぅーっ!?」

 失礼なことを言いそうだったので、慌ててセルジュの口を塞いだ。アイリス様はそんなセルジュの様子を見てか、どこか自嘲的な笑みを浮かべる。

「百年前の事件以来、みんなに混ざって楽しむことをやめていたからのう。今まで、外から祭りを眺めてばかりじゃったが、今年くらいは楽しんでみようかと思ってな」

 セルジュの言葉通り、本当にどういう風の吹き回しなのかわからない。アリアが何か言った……とも思えない。単なる心変わりか、気まぐれなのだろうか?

「……どうしたんでしょうね? アイリス様、今まで自分でお祭りを回ったりしたことありますっけ?」
「いや、大体は複数の神兵とかアーケンシェンを連れたりして、厳重な警備をつけながらだったよ。こんな風に単身でいらっしゃることなんて、ほとんどなかったはず」

 最高神という立場上、アイリス様の身に何かあっては困るので、他の神は近づきがたい状態で祭りを回ることが常だった。
 てっきり、アイリス様もそれを十分に理解していらっしゃるのかと思っていたが……本当は、そうじゃなかったのかもしれない。

「……って、アイリス様? アーケンシェンの僕が一緒だったら、あんまり意味がないんじゃ?」
「細かいことはいいのじゃ。のう、クリム。あれは何なのかえ?」

 アイリス様が指さしたのは、とある屋台だった。ぱっと見、僕もよくわからない。なんか薄い本みたいなものが大量に積み上げられている。
 三人で近づくと、その屋台で退屈そうに本を読んでいる一人の女神の存在に気づいた。水色の髪と薄緑の目に、水色の刀を腰に差した人物────

「ん。いらっしゃい」
「って、シュノーじゃないですか! レノはどこです?」
「アルトと一緒だよ。シュノーはここで仕事しなきゃだから」
「というか、こんなところで何をしているのですか」
「シュノー、『まんが』なるものを描いた。意外とうまく描けたから売りさばいてる」

 まんが? ……以前、どこかで読んだ「漫画」という本のことだろうか。僕は実物を読んだわけではないけれど、人間の箱庭について書かれた本に漫画の存在もあったことを思い出した。
 というか、屋台にいるだけが仕事なのか? そんなわけはないよね、さすがに。

「ふむ、これが漫画とやらか。面白そうじゃ。シュノー、これ一冊買うぞ」
「……アイリス様? アイリス様もお祭り回ってるんですか?」
「妾の誕生を祝うイベントなんじゃから、おかしくはなかろう」

 やはり、誰が見ても物珍しく思うのだろう。
 さて、どういう漫画を描いたのかちょっと見てみようかな────と思ったとき、隣にいたセルジュが「いやあああああ!!」とけたたましい悲鳴を上げた。

「シュノー!! なんてものを描いてるんですかぁ!?」
「え、百合」
「ゆりだかなんだか知りませんけど、これ子供が読んじゃダメな奴でしょーが!」

 ……二人の会話が、完全に別世界の話に聞こえてきた。アイリス様も僕と同じく、首を傾げている。

「もしかして、男の娘と正統派美少年の組み合わせの方がよかった?」
「もっとアウトです! 先輩、アイリス様、もう行きますよっ!」

 アイリス様から漫画をひったくってシュノーに返させ、僕たちを連れてずんずんと歩いていく。シュノーの屋台から結構離れたところで、セルジュが大きく息をつきながら僕たちの手を離した。

「むぅ、結局買えんかったわい。あれの何がいけないのじゃ、セルジュ?」
「え、えっとー……民衆に軽々と晒せるものではないというか、ちょっと破廉恥というか……」

 言葉を濁すセルジュに訝しげな顔になりつつも、アイリス様は改めて周りを見渡した。
 いつもよりも賑やかな繁華街に、いつもよりも陽気で楽しそうな神たちが笑い声を上げている。そんな光景を眺めるあどけない横顔は、とても愛おしいものを見るように穏やかなものだった。

「のう、二人とも。妾が話しかける前、スイーツとやらについて話しておったじゃろう?」
「あ、そういえば! アイリス様、実は今年の限定スイーツって、アイリス様への感謝を込めた特別なケーキなんです! トルテさんが作ったケーキではあるんですけど、ぼくやオルフに、レーニエさんやヴィータもアイデアを出したんです!」

 他の神たちはともかく、ヴィータも? それには僕も驚いた。多分、アリアとの騒ぎがあった後に一人で出かけていたから、そのときにカフェに行ったのかな……?
 
「気になるのう、そのスイーツ。妾、少し食べてみたいのじゃが」
「い、いいですけど結構並びますよ? 大丈夫ですか?」
「問題ないわい。今日は身体の調子がいいからのう、少しくらい立ちっぱなしになっても平気じゃろう」

 本当かなぁ、とは思うが何も言わないでおこう。
 アイリス様がそうしたいというのなら、できるだけ叶えて差し上げた方がよろしいだろう。
 結局のところ、彼女が僕たちの親であることに変わりはないのだから。

「セルジュ、よかったね」
「はい! ぼくたちの気持ち、アイリス様にも届くといいです!」

 屈託のない笑顔が、とても眩しかった。アイリス様もまた、優しい顔を見せながらセルジュを見ていた。



 トルテさんのいるカフェに向かっている間、僕たちは他愛もない話をしていた。大体はセルジュから話題を振ってくれて、僕はそれに返す……という形で会話をしている。
 そんな中、アイリス様は静かに僕たちの話を聞きながら歩いていた。初めは僕たちを見守るかのように後ろをついてきているような形だったが、セルジュが僕たちの間にアイリス様を入れさせてくれた。僕よりも気が利いている気がする。

「前々から気になっていたのじゃが、セルジュはどうしてそんな格好をしておるのじゃ? 生まれた頃は普通の格好じゃっただろう」
「えっ? や、やっぱりおかしいって思っちゃいますか? あはは……」
「むっ、もしや聞いてはいけないことだったかえ? すまぬ……」

 そんなことはないです、とセルジュは苦笑いする。不自然な笑い方だった。

「この格好は、ぼくが昔憧れていた友達に似せたものなんです。とても可愛くて、かっこいい天使」
「天使ってことは……翼を持ってたの?」
「そうです! 小さい身体なのに、クリム先輩やアリア先輩みたいな、大きな翼を持っていました。ぼくはこの通り片翼ですから、彼女にとっても憧れていたんです」

 僕やアリアのように、翼を持つ神は数が少ない。なぜ、翼を持つ神とそうでない神がいるのかは知らないが、翼を持っているとなんだかんだ目立つし、神の模範のように扱われることもある。みんなの憧れにも、脅威にもなり得るわけだ。
 アイリス様は何も言わずに俯いていた。僕もセルジュも、どのような言葉をかければいいのかわからなかった。

「もしかして、そこにいるのは……セルジュか?」

 僕たちに、誰かの声が降りかかってきた。呼ばれた本人であるセルジュは、その声が聞こえた路地裏にものすごい速さで目を向けた。
 路地裏の陰に、ピンクゴールドの短髪と金色の瞳の青年が立っていた。白を基調とした軍服に似た装束を身にまとっており、右肩にだけ白銀の翼が生えている。セルジュとどこか似た形の銀白色の鎖が、その片翼に巻かれている。
 背丈はセルジュよりも高いが、見た目自体はセルジュとかなり近いものだった。

「えっ……ジュリオ、にーさん……?」

 震える声でセルジュが呼んだことで、僕もはっと息をのんだ。
 デミ・ドゥームズデイ以降、姿を消したはずの神……ジュリオ・ベルサイファーが、僕たちの目の前に立っているのだ。
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