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第6章「最高神生誕祭」
131話 開かずの■
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*
────退屈だ。
自分の部屋で弁当を口にしつつ、ヴィータは悶々とした気持ちを抑えられずにいた。
最近、クリムの様子がおかしい。原因は明白だった。数日前の出来事が起きてから、何か思い詰めているように思える。
こんなことなら、自分も祭りへ向かってクリムのところに行けばよかった────なんてどう足掻いても無理だ、と言い聞かせる。ここに封印されている存在がいる以上、下手に空けては解けてしまうだろう。
考え事をしているうちに、弁当は食べ終えた。箱などを片付けてから、自分の部屋を出て隣の書斎へ向かう。
「……あまり、こういうことはよくありませんが。終わってから原状復帰すれば問題ないでしょう」
先日のクリムとアリアの会話が気になっていたのだ。どこが、と言われても多すぎて羅列しにくい。
誰もいない書斎に入り、手始めに本棚をチェックする。手前から本を一冊ずつ手に取るが、法学書や哲学書などの読み物ばかりだ。逆に、部屋の奥にある机の近くの本棚になると、重要そうな書類が多くなってくる傾向があった。
ヴィータも暇潰しがてら、過去の事件の書類はある程度目を通している。ただ、直近の事件の書類はクリムが作業している状態が続いていたため、まだ確認できていない。
「……ん? これはなんでしょう……読んだことない」
机の近くの本棚を探っていると、ケースに入れられて束ねられた書類を見つけた。書類の上部に記載された日付を見たところ、かなり最近のものだった。
事件名は……「一般神立てこもり暴走事件」。聞き慣れない名前だったので、ちょっと中身を確認する。
「神隠し事件のちょっと後の日付……事件の詳細。第五世代一般神のメア・シュナーベルが突如魔物に取り憑かれ、数人の一般神を謎の魔法の巻き添えにした……これ、メアの事件のことですね」
書類をめくり、続きを確認することにした。
犯人は前述の通り、メア・シュナーベル……に取り憑いた実体が曖昧な魔物。被害者は以下の通り。第四世代一般神、ノイン・ヴィオランドゥール及び、アルバトス・ヴィオランドゥール。アストラルによる謎の魔法により一時意識不明状態に陥ったが、三日後に無事回復。
メアが同じ第五世代一般神のユキア・アルシェリアを人質にとり、彼女の世話神であるミラージュ・シュピーゲルの屋敷に立てこもったため、アーケンシェンのクリム・クラウツ、第五世代一般神のシオン・エタンセル、ソル・フォレテール、そして箱庭の外からの来訪者アスタでメアを取り押さえる。
人質は奪還し、魔物も討伐したが、メアは黒幽病に感染し重体。以後はカルデルトに治療を任せた────
というのが、書類に書かれた詳細だった。
ケースの中に、もう一束書類が挟まっていた。こちらもメアの事件について書かれているが、さっき読んだものとは少し違う。
「……ん? 魔物の討伐後メアが暴走したが、それをユキアとアスタが謎の力で食い止めたことで沈静化……これ、クリムが個人的に記入したものですね」
ヴィータはメアの事件そのものには大きく携わったわけではないので、ほとんどクリムやアスタからの伝聞で情報を得ているものの、大体自分の記憶と一致している。
クリムはアイリスたちに理解されにくそうな部分だけ隠して、他はきちんと提出用の書類に残している。だから、アイリスもクリム以外のアーケンシェンも、クレーの正体に気づいていなかった。ユキアの戦女神化のことも知らない。
ヴィータも、その辺りは正直に書かなくてもいいことだとは思っている。余計に理解を困難にさせるだけだからだ。ユキアの戦女神化も、周りにはさらっと受け流されているらしいので詳しくは話していないらしい。
あとは、夢牢獄事件の資料もあった。こちらの場合、事件の内容は大体正確に伝えられている。
「……ん? ラケルがどうなったかについて……どちらも同じ?」
提出された書類も、クリムの持つ書類も、ラケルの処遇についての記載が同じだ。「事件終結後、ラケルはしばらく意識不明の状態が続いたが、命に別状はなく目覚めた。しかし、事件以前と以後では人格の相違が見られた。原因は不明」と、どちらにも書かれている。
別に記載が間違っているわけではない。クリムは嘘を吐いているわけではなく、「知らない」のだ。
逆に、アリアはラケルがどうなったかを知っているような口ぶりだった。何か関係しているのは間違いない、とヴィータは数日前の会話を思い出し考える。
一旦書類を元の場所にしまった。本棚はあらかた調べ終わったので、次は別のところを探ってみることにする。
机の上に目を向けると、一冊の本が置かれていた。表紙にも背表紙にも題名が書かれていない……と不思議に思ったが、ヴィータはこの本には見覚えがあった。
神隠し事件のとき、クリムに手渡されたことがある本だ。あのとき、この本には神隠し事件の犯人の痕跡──今思えばクロウリーの魔力だ──がここに納められていて、そのおかげで箱庭へ向かうことができた。
あれから詳しい話は聞いていなかったが、この本は確か「原罪の記録書」と調査に必要な器具だろう。
「……クリムったら、こんな大事なもの忘れていったんですね。まったく」
本を手に取って持ち上げた。その下に、何か紙切れが置かれていた。まだ筆跡も新しいメモ書きのようだ。
『アリアの様子がおかしかった。僕の言葉のせい? アイリス様に反抗的だと思われたから?』
慌てて書いたというより、何か混乱していたような筆跡の乱れ方だ。
もしや、数日前の出来事のことだろうかと考える。あの日、クリムはアリアに対してこう怒鳴っていた。「いつからそんなひとになってしまったんだよ」────と。
(わたしやお兄様が知っているアリアと、『そんなひとになってしまった』前のアリアは、何かが違う? ……わたしじゃわかるはずがないか)
ヴィータたちは、つい最近この箱庭のことを知り始めたばかりだ。彼女のことなんて何も知らない。ただ、ヴィータが乱入した直後のアリアの目は、いつもより虚ろなものだった。
もう少し何か調べられないだろうかと、書斎を見回すが、自分が手にしているものに意識を向けた。
メモの上に置かれていた「原罪の記録書」の中身も見てみることにした────が、開かない。
「……あれ? おかしいですね……紙がくっついてる? にしては固すぎますし……」
いくら力を入れても、まったく開く気配がない。魔法か何かで開かないように細工してありそうだった。
この場合、普通に考えたらクリムしか開くことができないということになる。いつかクリムに見せてもらえるよう言うしかない。また今度にしよう、と本に込めた力を抜いた。
「おーい、ヴィータ。ここにおったのか」
「ひゃっ!?」
急に肩を叩かれ、驚きのあまり背後の人物を足蹴にした。筋肉質の初老の神には、軽々と避けられてしまったが。
「いきなり何をするんじゃ!」
「お、驚かすから悪いんです! 何の用ですか、カトラス」
「いやな、お主が祭りの間どう過ごすつもりだったのか、気になってのう」
嫌味のつもりか、と言いそうだったがやめておいた。ヴィータがここに一人で残り続けているのは、封印を少しでも長く保持させるためだ。カトラスもそれをわかっている。
「クリムもおらんのに、何をしておったのじゃ」
「単なる調べ物です。ああそうだ、この本をクリムに届けてくださいますか」
カトラスがちょうどよくやって来たので、ヴィータは原罪の記録書をカトラスへ差し出した。そうか、と受け取ろうとする直前で、カトラスが手を引っ込めた。
「その本、お主が持って行ってはくれんかのう」
「え……でも、封印は」
「わしを誰だと思っておるのじゃ。封印の件には関わっておるし、仕組みもわかっておる」
カトラスがヴィータに本を押しつけ、早く行けと言わんばかりに書斎から押し出そうとしてくる。
「一体、どういうつもりなのですか」
「クリムが心配なのじゃ。開会式で会ったのじゃが、何か思い詰めているみたいでのう。今の環境で、あの子を本当の意味で理解してやれるのは……ヴィータ、お主だけじゃろう」
胸元で原罪の記録書を抱きしめたまま、何も返せなかった。
心配しているのは、ヴィータだって同じだ。だが、ヴィータにはクリムのことがわからなかった。いくらわかったつもりになったところで、本当の心もわかるとは限らない。
「……とりあえず、これだけは渡してきます。できるだけ早く帰ってきますので」
「おお、行ってこい」
厳しい顔つきになることが多い彼は、珍しく優しい笑みを浮かべていた。
誰もいなくなった書斎に、カトラスはただ一人佇んでいた。やがて、書斎を出てデウスプリズンの出入り口ではない方へ歩いていく。
廊下の突き当たりに、固く閉じられた鉄格子の扉がある。隙間から黒い霧のようなものが漏れ出しており、カトラスは顔をしかめた。
「奴め……やはり、封印が弱まってきておるのう」
漏れ出す霧の量が、増えていた。
この廊下の突き当たりには、滅多に誰も来ない。デウスプリズンの管理者であるクリムでさえ、この辺りにはほとんど近寄らない。元々は来なくてもよかった場所だったからだ。
「ごきげんよう、カトラス王。現代で会うのは初めてですね」
その誰も来ないはずの牢獄に、甘い少女の声が響き渡った。カトラスは目を見開き、バッと後ろを振り返った。
黒に近い灰色の廊下に、長い白髪と真っ白なドレスの少女が立っていた。楕円の模様が刻まれた翡翠色の目を細めながら、ニッコリと笑みを浮かべている。
「相変わらず、お主は人を苛立たせる天才じゃのう。わしはもう現役引退しとるんじゃが?」
「あら、それなら『カトラス卿』の方が正しかったでしょうか? 失礼しましたわ」
「たわけがッ!!」
カトラスが召喚したのは、白銀の金属でできた巨大な鉄槌だった。両手で構えた瞬間に、少女──ノーファに向けて振り下ろす。
しかし、ノーファは身を翻してすんなりと避けた。廊下の床が僅かにへこんだ。
「あなたが恨んでいるのは、わたくしじゃないでしょう? 殺すなら愚弟の方にしてくださいな」
「ふん、何をやられても死なぬくせにぬかすな。ここに来たのは『最凶最悪の存在』目当てじゃろう?」
「それもありましたわ。ただ、こちらには様子を見に来ただけです。今はまだ、目覚めることはできないとわかっていますので」
ノーファは丸腰で肩をすくめているが、カトラスは武器を納めずに構えをとり、ノーファを睨みつけている。
「貴様らの企みはわかっておる。既にそっちの『隠れ家』に仲間を送り込んだ。潰れるのも時間の問題じゃよ」
「あら、意外ですわ。てっきり気づいていらっしゃらないかと」
「わしを誰だと思っておる? もはや老いぼれとはいえ、ただ街でのんびり鍛冶をやっていただけではないぞ」
うふふ、と甘い笑い声を漏らすノーファに、カトラスは眉をひそめるばかりであった。
鉄槌を構えられて、今にも叩き潰さそうな状況であるにもかかわらず、ノーファは悠長とした態度で続ける。
「ええ、もちろん存じておりますわ。偽神の祖なる原初神が一人、『剛毅』のカトラス卿。叛逆の意志を後世にまで継ごうとしたあなたに敬意を表して、一つお教えしますわ」
前髪で隠れていない右目を細め、笑みを崩さぬままカトラスを見据えた。
「生誕祭は終わりません。今までのように平穏には、ね」
「むっ……そ、それはどういう意味じゃ!?」
「『隠れ家』を潰されたとて、大した痛手ではありません。なぜなら、あれは『仮のアジト』に過ぎないから。本来、わたくしたちに隠れ家など必要ないのです」
言い終わると、ノーファは背を向けて歩き出した。カトラスは、その背中を叩き潰すことはしない。ただ床を損傷させるだけだとわかっているからだ。
「カトラス卿。あなたには、裏切り者を見つけることができますか?」
振り返りながら尋ねてきた少女は、いたずらっぽく笑みを浮かべながら口元を綻ばせていた。
────退屈だ。
自分の部屋で弁当を口にしつつ、ヴィータは悶々とした気持ちを抑えられずにいた。
最近、クリムの様子がおかしい。原因は明白だった。数日前の出来事が起きてから、何か思い詰めているように思える。
こんなことなら、自分も祭りへ向かってクリムのところに行けばよかった────なんてどう足掻いても無理だ、と言い聞かせる。ここに封印されている存在がいる以上、下手に空けては解けてしまうだろう。
考え事をしているうちに、弁当は食べ終えた。箱などを片付けてから、自分の部屋を出て隣の書斎へ向かう。
「……あまり、こういうことはよくありませんが。終わってから原状復帰すれば問題ないでしょう」
先日のクリムとアリアの会話が気になっていたのだ。どこが、と言われても多すぎて羅列しにくい。
誰もいない書斎に入り、手始めに本棚をチェックする。手前から本を一冊ずつ手に取るが、法学書や哲学書などの読み物ばかりだ。逆に、部屋の奥にある机の近くの本棚になると、重要そうな書類が多くなってくる傾向があった。
ヴィータも暇潰しがてら、過去の事件の書類はある程度目を通している。ただ、直近の事件の書類はクリムが作業している状態が続いていたため、まだ確認できていない。
「……ん? これはなんでしょう……読んだことない」
机の近くの本棚を探っていると、ケースに入れられて束ねられた書類を見つけた。書類の上部に記載された日付を見たところ、かなり最近のものだった。
事件名は……「一般神立てこもり暴走事件」。聞き慣れない名前だったので、ちょっと中身を確認する。
「神隠し事件のちょっと後の日付……事件の詳細。第五世代一般神のメア・シュナーベルが突如魔物に取り憑かれ、数人の一般神を謎の魔法の巻き添えにした……これ、メアの事件のことですね」
書類をめくり、続きを確認することにした。
犯人は前述の通り、メア・シュナーベル……に取り憑いた実体が曖昧な魔物。被害者は以下の通り。第四世代一般神、ノイン・ヴィオランドゥール及び、アルバトス・ヴィオランドゥール。アストラルによる謎の魔法により一時意識不明状態に陥ったが、三日後に無事回復。
メアが同じ第五世代一般神のユキア・アルシェリアを人質にとり、彼女の世話神であるミラージュ・シュピーゲルの屋敷に立てこもったため、アーケンシェンのクリム・クラウツ、第五世代一般神のシオン・エタンセル、ソル・フォレテール、そして箱庭の外からの来訪者アスタでメアを取り押さえる。
人質は奪還し、魔物も討伐したが、メアは黒幽病に感染し重体。以後はカルデルトに治療を任せた────
というのが、書類に書かれた詳細だった。
ケースの中に、もう一束書類が挟まっていた。こちらもメアの事件について書かれているが、さっき読んだものとは少し違う。
「……ん? 魔物の討伐後メアが暴走したが、それをユキアとアスタが謎の力で食い止めたことで沈静化……これ、クリムが個人的に記入したものですね」
ヴィータはメアの事件そのものには大きく携わったわけではないので、ほとんどクリムやアスタからの伝聞で情報を得ているものの、大体自分の記憶と一致している。
クリムはアイリスたちに理解されにくそうな部分だけ隠して、他はきちんと提出用の書類に残している。だから、アイリスもクリム以外のアーケンシェンも、クレーの正体に気づいていなかった。ユキアの戦女神化のことも知らない。
ヴィータも、その辺りは正直に書かなくてもいいことだとは思っている。余計に理解を困難にさせるだけだからだ。ユキアの戦女神化も、周りにはさらっと受け流されているらしいので詳しくは話していないらしい。
あとは、夢牢獄事件の資料もあった。こちらの場合、事件の内容は大体正確に伝えられている。
「……ん? ラケルがどうなったかについて……どちらも同じ?」
提出された書類も、クリムの持つ書類も、ラケルの処遇についての記載が同じだ。「事件終結後、ラケルはしばらく意識不明の状態が続いたが、命に別状はなく目覚めた。しかし、事件以前と以後では人格の相違が見られた。原因は不明」と、どちらにも書かれている。
別に記載が間違っているわけではない。クリムは嘘を吐いているわけではなく、「知らない」のだ。
逆に、アリアはラケルがどうなったかを知っているような口ぶりだった。何か関係しているのは間違いない、とヴィータは数日前の会話を思い出し考える。
一旦書類を元の場所にしまった。本棚はあらかた調べ終わったので、次は別のところを探ってみることにする。
机の上に目を向けると、一冊の本が置かれていた。表紙にも背表紙にも題名が書かれていない……と不思議に思ったが、ヴィータはこの本には見覚えがあった。
神隠し事件のとき、クリムに手渡されたことがある本だ。あのとき、この本には神隠し事件の犯人の痕跡──今思えばクロウリーの魔力だ──がここに納められていて、そのおかげで箱庭へ向かうことができた。
あれから詳しい話は聞いていなかったが、この本は確か「原罪の記録書」と調査に必要な器具だろう。
「……クリムったら、こんな大事なもの忘れていったんですね。まったく」
本を手に取って持ち上げた。その下に、何か紙切れが置かれていた。まだ筆跡も新しいメモ書きのようだ。
『アリアの様子がおかしかった。僕の言葉のせい? アイリス様に反抗的だと思われたから?』
慌てて書いたというより、何か混乱していたような筆跡の乱れ方だ。
もしや、数日前の出来事のことだろうかと考える。あの日、クリムはアリアに対してこう怒鳴っていた。「いつからそんなひとになってしまったんだよ」────と。
(わたしやお兄様が知っているアリアと、『そんなひとになってしまった』前のアリアは、何かが違う? ……わたしじゃわかるはずがないか)
ヴィータたちは、つい最近この箱庭のことを知り始めたばかりだ。彼女のことなんて何も知らない。ただ、ヴィータが乱入した直後のアリアの目は、いつもより虚ろなものだった。
もう少し何か調べられないだろうかと、書斎を見回すが、自分が手にしているものに意識を向けた。
メモの上に置かれていた「原罪の記録書」の中身も見てみることにした────が、開かない。
「……あれ? おかしいですね……紙がくっついてる? にしては固すぎますし……」
いくら力を入れても、まったく開く気配がない。魔法か何かで開かないように細工してありそうだった。
この場合、普通に考えたらクリムしか開くことができないということになる。いつかクリムに見せてもらえるよう言うしかない。また今度にしよう、と本に込めた力を抜いた。
「おーい、ヴィータ。ここにおったのか」
「ひゃっ!?」
急に肩を叩かれ、驚きのあまり背後の人物を足蹴にした。筋肉質の初老の神には、軽々と避けられてしまったが。
「いきなり何をするんじゃ!」
「お、驚かすから悪いんです! 何の用ですか、カトラス」
「いやな、お主が祭りの間どう過ごすつもりだったのか、気になってのう」
嫌味のつもりか、と言いそうだったがやめておいた。ヴィータがここに一人で残り続けているのは、封印を少しでも長く保持させるためだ。カトラスもそれをわかっている。
「クリムもおらんのに、何をしておったのじゃ」
「単なる調べ物です。ああそうだ、この本をクリムに届けてくださいますか」
カトラスがちょうどよくやって来たので、ヴィータは原罪の記録書をカトラスへ差し出した。そうか、と受け取ろうとする直前で、カトラスが手を引っ込めた。
「その本、お主が持って行ってはくれんかのう」
「え……でも、封印は」
「わしを誰だと思っておるのじゃ。封印の件には関わっておるし、仕組みもわかっておる」
カトラスがヴィータに本を押しつけ、早く行けと言わんばかりに書斎から押し出そうとしてくる。
「一体、どういうつもりなのですか」
「クリムが心配なのじゃ。開会式で会ったのじゃが、何か思い詰めているみたいでのう。今の環境で、あの子を本当の意味で理解してやれるのは……ヴィータ、お主だけじゃろう」
胸元で原罪の記録書を抱きしめたまま、何も返せなかった。
心配しているのは、ヴィータだって同じだ。だが、ヴィータにはクリムのことがわからなかった。いくらわかったつもりになったところで、本当の心もわかるとは限らない。
「……とりあえず、これだけは渡してきます。できるだけ早く帰ってきますので」
「おお、行ってこい」
厳しい顔つきになることが多い彼は、珍しく優しい笑みを浮かべていた。
誰もいなくなった書斎に、カトラスはただ一人佇んでいた。やがて、書斎を出てデウスプリズンの出入り口ではない方へ歩いていく。
廊下の突き当たりに、固く閉じられた鉄格子の扉がある。隙間から黒い霧のようなものが漏れ出しており、カトラスは顔をしかめた。
「奴め……やはり、封印が弱まってきておるのう」
漏れ出す霧の量が、増えていた。
この廊下の突き当たりには、滅多に誰も来ない。デウスプリズンの管理者であるクリムでさえ、この辺りにはほとんど近寄らない。元々は来なくてもよかった場所だったからだ。
「ごきげんよう、カトラス王。現代で会うのは初めてですね」
その誰も来ないはずの牢獄に、甘い少女の声が響き渡った。カトラスは目を見開き、バッと後ろを振り返った。
黒に近い灰色の廊下に、長い白髪と真っ白なドレスの少女が立っていた。楕円の模様が刻まれた翡翠色の目を細めながら、ニッコリと笑みを浮かべている。
「相変わらず、お主は人を苛立たせる天才じゃのう。わしはもう現役引退しとるんじゃが?」
「あら、それなら『カトラス卿』の方が正しかったでしょうか? 失礼しましたわ」
「たわけがッ!!」
カトラスが召喚したのは、白銀の金属でできた巨大な鉄槌だった。両手で構えた瞬間に、少女──ノーファに向けて振り下ろす。
しかし、ノーファは身を翻してすんなりと避けた。廊下の床が僅かにへこんだ。
「あなたが恨んでいるのは、わたくしじゃないでしょう? 殺すなら愚弟の方にしてくださいな」
「ふん、何をやられても死なぬくせにぬかすな。ここに来たのは『最凶最悪の存在』目当てじゃろう?」
「それもありましたわ。ただ、こちらには様子を見に来ただけです。今はまだ、目覚めることはできないとわかっていますので」
ノーファは丸腰で肩をすくめているが、カトラスは武器を納めずに構えをとり、ノーファを睨みつけている。
「貴様らの企みはわかっておる。既にそっちの『隠れ家』に仲間を送り込んだ。潰れるのも時間の問題じゃよ」
「あら、意外ですわ。てっきり気づいていらっしゃらないかと」
「わしを誰だと思っておる? もはや老いぼれとはいえ、ただ街でのんびり鍛冶をやっていただけではないぞ」
うふふ、と甘い笑い声を漏らすノーファに、カトラスは眉をひそめるばかりであった。
鉄槌を構えられて、今にも叩き潰さそうな状況であるにもかかわらず、ノーファは悠長とした態度で続ける。
「ええ、もちろん存じておりますわ。偽神の祖なる原初神が一人、『剛毅』のカトラス卿。叛逆の意志を後世にまで継ごうとしたあなたに敬意を表して、一つお教えしますわ」
前髪で隠れていない右目を細め、笑みを崩さぬままカトラスを見据えた。
「生誕祭は終わりません。今までのように平穏には、ね」
「むっ……そ、それはどういう意味じゃ!?」
「『隠れ家』を潰されたとて、大した痛手ではありません。なぜなら、あれは『仮のアジト』に過ぎないから。本来、わたくしたちに隠れ家など必要ないのです」
言い終わると、ノーファは背を向けて歩き出した。カトラスは、その背中を叩き潰すことはしない。ただ床を損傷させるだけだとわかっているからだ。
「カトラス卿。あなたには、裏切り者を見つけることができますか?」
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