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第6章「最高神生誕祭」

137話 朗らかな無情

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「あら。リコリスが吹っ飛んでしまったわ。驚いた」

 ノーファが少し呆けたように呟いた。助けに行く様子も見られない。
 リコリスが抱えていたトルテさんの身体は横に放り投げられ、彼女は気を失っていた。どうやら、魔法が放たれる直前に手放したようだ。

「ユキ、大丈夫!?」

 謎の攻撃を食らって動けなくなっていたアスタが、私の近くに駆け寄った。

「アスタこそ、平気なの?」
「ちょっと動きを封じられただけだったから。それよりごめん、油断して……」
「そんなの、今はどうだっていい」

 短期間だったが、身体を鍛え抜いたおかげで魔力量も前より増えていた。そして、今着ている服のおかげで、その質も向上しているのがわかる。
 無意識に大量の魔力を使ってしまったせいで、体力がごっそり持っていかれたものの、思ったよりも魔力切れの症状は軽い。しばらく魔法を使わなければ魔力はすぐに回復しそうだった。
 とにかく、トルテさんを助けないと。そう思い、彼女に駆け寄ろうとしたが────

「無駄ですよ?」
「ユキっ!!」

 銀の斧が目の前に迫り、とっさに剣で防いだ。あまりにも力が強く、軽く後ろに飛ばされてしまうが、地面に倒れ込もうとしたところにアスタが受け止めてくれた。
 その隙に、ノーファがトルテさんの前に立ち塞がる。身に余る大きさの斧を両手に構えながら。

「あなたに彼女は救えませんわ。潔く手を引く方が賢明じゃないかしら?」
「嫌だ。トルテさんを返して」
「……聞き分けが悪いですね。あまり調子に乗っていると、首を斬り落としてしまいますよ?」

 特に動じる様子もないどころか、二丁の斧を手にしたまま笑みを浮かべる。可愛い顔をしているくせに、だいぶ残虐なことを口走っている。
 雨の勢いが、だんだん強まってきた。もうすぐで土砂降りになりそうだったが、みんなお構いなしだった。

「ノーファ、なんでトルテを狙ったの? 彼女とどういう関係なの」
「狙った、なんて人聞きが悪いですね。彼女はわたくしの『同胞』ですわ」

 同胞、という言葉が出てくるなんて思わなかった。キャッセリアの神であるトルテさんと、観測者のノーファが仲間である理由がわからない。
 アスタはノーファの言葉に思うところがあったのか、苦虫を噛み潰したような顔で彼女を見据える。

「やっぱり、やっていることは昔と変わってないね」
「あら、どうしてもわたくしを悪者にしたいんですか?」
「どうせトルテの心の弱い部分につけ込んで、星幽術の薬で自分の思い通りにさせてるんでしょ! この鬼畜!!」

 ここまで怒りを露わにするアスタも珍しい気がした。このノーファという観測者とは、敵である他にただならぬ因縁がありそうだ。
 罵倒も怒鳴り声も無視して、ノーファは肯定も否定もせず、ふうと息をついた。

「好き勝手言うのは構いませんが、少し訂正させてくださいな。あなたたちが知っている彼女は、あなたたちが言う『洗脳された』状態なんですよ」

 私もアスタも、言葉を失った。すぐに言葉の意味を理解できなかったのだ。

「本当の彼女は百年前の事件で壊れてしまいました。亡くした恋人の弟を、愛する彼だと思い込んでしまうほどにね」

 聞いているだけで、頭がくらくらしてくる。
 トルテさんも、デミ・ドゥームズデイで大切なひとを失ったんだ。そんな話、一度も聞いたことがない。彼女はずっと明るく振る舞っていたから。
 弱さを、ずっと隠し続けてきたんだ。

「わたくしの薬がなければ、彼女は自ら命を絶っていたでしょう。わたくしは彼女の命の恩人みたいなものです」
「……命の恩人? ふざけないで! アスタが言っていることが本当なら、あんたがやったことはそそのかしただけじゃない!!」
「ええ、そうですよ。でも、それで救える命もあるんです。若すぎるあなたには、きっと理解できないでしょうけど」

 達観したような口ぶりなのが、とても腹立たしかった。あどけない笑みを保ったまま、ノーファは続ける。

「彼女が作ったスイーツを食べた者たちに何が起きたのか、教えましょうか? あれは、星幽術で作られたケーキなのですよ」
「星幽術で、ケーキ……?」
「元々、彼女は極上のお菓子を作る力を持っていました。その因果でしょうか、星幽術もそれによく似たものとなったようです。ただ、唯一違うのは……星幽術で作られたお菓子を食べた者たちは、みんな彼女の虜となり、思い通りに動く人形となるということです」
「ち、ちょっと待って。なんでキャッセリアの神が星幽術を使えるの? アストラルにさらっと適応できるわけないはずじゃ」
「あなたが知らないだけで、適応者は結構いるものですよ。能ある鷹は爪を隠すと言いますし、よほどの愚か者でなければ大っぴらにはしませんわ」

 何がなんだか、もうわからない。唯一、トルテさんは私たちよりも遥か遠い場所にいるのだということは理解してしまった。
 トルテさんのお菓子は、キャッセリアでは一番人気の食べ物だった。彼女の神としての力は、そんな美味しいお菓子を作るという役割を与えられ、アイリスによってこの世に生み出されたのだろう。
 彼女はお菓子を作れるだけで幸せだったのだろう。それが彼女の役割であり、きちんとこなせていたのだから。
 その心を壊したのは────無情な戦いで生まれた犠牲。ノーファは壊れた心をいいように利用している。

「じゃあ……トルテは、ユキたちを殺そうとしてたんだ」
「な、なんでそうなるのよ!?」
「お菓子を食べた神たちがユキとルナステラを襲ったのが、その証拠だよ。失敗作とみんなに言わせていたのも、きっと────」
「それ以上言わないで! そんなの嘘だ!!」

 アスタは隠し事が多いけど、嘘を吐かない子だ。それでも嘘だと、そう思わないと正気でいられなかった。
 トルテさんは私によくしてくれた。素敵なお菓子をたくさん作ってくれた。ステラのことだって、嫌っている様子はなかった。
 ただ、私たちが気づかなかっただけなの?

「かわいそうですね、ユキア。最高神によって弄ばれて生まれ、悲しい運命を背負わされてしまった失敗作。わたくしが楽にして差し上げますよ?」
「……あんた、私の何を知っているというのよ。今まで会ったこともないくせに」
「知っていますよ? あなたの他に失敗作と呼ばれた神の存在も、最高神とカトラス卿しか知らないはずの秘密も────ね」

 アイリスとカトラスさんしか知らない秘密? なんでそんなものをノーファが知っているの?
 突然、ノーファの背後に黒い穴が空いた。空間に空いた穴から、黒いローブの人物が現れる。さっき吹き飛んだリコリスよりも、背丈が低い。

「ノーファ様、最終フェーズの用意が整いました」
「ご苦労様、ノルン。ピオーネをお願いしていいかしら。それと、リコリスを回収して」
「……わかりました」

 今度はノルンと呼ばれたその人物が、トルテさんの身体を抱えた。彼女が目覚める気配は、やはりない。
 このままじゃまずい。取り戻さなきゃ────その一心で、手を伸ばした。
 
「トルテさん! 待って!!」
「『クロノス・オペレーター』〈フリーズ〉」

 何か魔力が作用した瞬間、目の前からすべての敵が消えていた。そして、トルテさんの姿もなかった。
 本当に、一瞬のうちに姿を消してしまった。なすすべもなく。

「ちょっと、待って……今、何が起きたの?」
「時を止められたみたい。その間に、撤退していったんだ」

 一気に力が抜けて、その場に座り込んでしまう。ざああ、と雨が滝のように降り注いでくる。
 視界が濡れる。世界が潤んで見えて、目の前の何もない景色が歪んでいく。

「どう、して……私が助けなきゃいけなかったのに……!!」
「ユキ……」

 堰を切ったように泣き出してしまう。レーニエ君と約束したのに、果たせなかった。彼に何と言ったらいいのだろう。
 こぼれる涙を抑えられない私を、アスタは背中から抱きしめてくれた。

「ユキは悪くないよ。相手が悪すぎた。あそこでノーファが現れるなんて、ボクも思わなかったし」
「なんで……なんで私とステラが失敗作って言われなきゃいけないの!! ステラは私よりも魔法使うの上手だし、これからまだまだ成長できるのに!! こんなのおかしいじゃない!!」

 地面の土を抉るように握りしめながら、泣き叫んだ。
 泣いている暇なんかないのに、ずっと耐えてきたツケを払わされるかのように、泣き続けてしまう。雨が容赦なく私たちを叩きつける。
 雫が痛い。せっかくの服が雨で濡れていく。もう、最悪だ。

「ユキ、前に言ってくれたよね。たとえ他の奴がボクを化け物扱いしても、ボクのこと人間だって思ってるって」

 聞き慣れた声はとても優しくて、私の心に静かに溶け込んでいく。少しだけ、涙が落ち着いてきた。

「ボクね、すごく嬉しかったんだよ。人間の形をしているだけのボクを人間だって言ってくれて……また、救われた気がしたんだ」
「また、って……」
「ずっと昔に、ユキと同じことを言ってくれたひとがいたんだ。でも、ボクはそのひとを助けられなかった」

 彼がどんな顔をしているのか、当然ながらわからなかった。ただ、私を抱きしめる力が強くなった気がする。

「みんながユキを失敗作と呼んで始末しようとしても、ボクが絶対守るよ。もう二度と、友達を失いたくないから」

 アスタは、確かに頼もしい存在だ。だけど、守られたいなんて思っていない。私はそんな優しささえ重荷に感じていた。
 私の身は私が守らないといけない。それに……ステラは、私の妹に等しい存在だ。アルバトスが近くにいない今、私が守れなくてどうするんだ。

「守られるだけなんて、私は嫌。何のために鍛錬してると思ってんの」
「ユキ……!」
「私には生きる意味が、叶えたい夢があるの。どれだけつらい目に会おうとも……諦めるなんてできない」
 
 私の夢。カイザーが作ろうとしていた素敵な世界を見たい。神と人間が一緒に生きていた、バラバラになってしまった世界を一つに戻したい。それが、私の生きる理由であり願いだ。
 これが神として間違っている生き方であれば、私は失敗作でもいい。私の価値を決めるのはアイリスでも、他の神たちでもない。

「ユキはもっと強くなれる。ボクは、そんなユキを導く一番星になりたいんだよ」
「……あんた、本当にロマンチストよね」
「ユキだって、理想を追い求めるのは嫌いじゃないでしょ?」

 私は何度もあの星の瞳に助けられた。アスタという星の導きがあったからこそ、私は死なずにここまで来られたのかもしれない。
 こんな比喩的な言い方をしたら、私までロマンチストみたいになってしまいそうだけど。
 
「まあ、まずは目の前のことからどうにかしなきゃね! ルナステラとレーニエを探しに行こう」

 急に声が普段通り明るくなって、私を立たせてくれた。
 私たちはトルテさんの行方を知る手段を持ち合わせていない。ならば、先に二人と合流する方が確実だ。

「アルバトスやシュノーたちを見つけられれば、ステラを任せることだってできるしね」
「それに、クーやメアたちだって頑張ってる。ユキがへこたれる時間はないよ!」
「そうだよね……ごめん。私がしっかりしなきゃ」

 トルテさんが作ってくれた服の胸元を握りしめる。
 そうだ、諦めるわけにはいかないんだ。一度抱いた理想を捨てるなんて、あってはならない。
 私たちは、繁華街のある方向へと向かった。スイーツを食べた者たちに見つからぬよう、慎重に行動しないと。
 雨は、まだ止む気配がない。
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