ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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【巨大聖戦編】第7章「誰がための選定」

171話 片翼の兄弟

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 血の匂いと肉が焼け焦げる匂いが漂っていた。不快な空気に嗚咽し、地面は汚らわしい色で染まっていた。壊れた建物から炎が燃え上がり、死体がいくつも転がっている。
 僕はこの光景を、よく覚えていた。これは、百年前のキャッセリア……デミ・ドゥームズデイが起きた日の景色だ。

「ひぐっ……うぅっ、にーさん……どこに行くの……?」

 背後から泣き声が聞こえ、振り返る。そこには、左肩にのみ翼を生やした少年が立っている。彼から少し離れた場所に、右肩に翼を持つ少年がいた。
 なんとなく、泣いている少年がセルジュで、もう一人がジュリオだろうと思った。どちらも、僕が知る二人より幼く見えた。まだ一人前にすらなっていない、正真正銘の子供だ。

「……セルジュ。おれ、ラミエルを連れてくるよ」

 幼いジュリオは、とても思い詰めた顔をしていた。はっと顔を上げたセルジュは、恐る恐る声を絞り出す。

「に、にーさん。何を言ってるの? ラミエルはぼくたちを庇って────」
「生き返らせるんだよ。ラミエルを元に戻してくれるひとを見つけたんだ」
「そ、そんなことできるわけないよ! 死んだ生命はもう二度と生き返らないって……!」

 幼いセルジュの言葉を無視して、背中を向ける。僕からも、ジュリオがどんな顔をしていたのか見えなかった。

「ごめん。全部、お前のためなんだ」

 俯いたまま走り出す兄。セルジュも後を追いかけようとするが、地面の瓦礫に足を引っ掛けて転んでしまう。
 遠ざかる片翼の背中に向かって、必死に手を伸ばした。

「にーさんまでぼくを置いていくの!? いやだ、独りにしないで!! にーさん!!」

 悲痛な叫びは、確かに耳に入っているはずだ。泣き叫ぶ声が響いているのに、ジュリオは一回も振り返らなかった。



 まばたきすると、本をめくったかのように場面が変わった。あまりよく知らない路地裏にやってきたようだ。
 とはいっても、街はまだボロボロだ。デミ・ドゥームズデイはまだ終わっていないか、終わった直後くらいの時期だろう。

「家族に別れは告げてきたかしら?」

 観客である僕の前で、二人の子供が向き合って会話をしていた。一人は、さっき走り去って行ったはずのジュリオ。もう一人は、白く長い髪と真っ白なドレスが特徴的な女の子。翠の瞳は、見つめ続けていたら吸い込まれそうなほど美しく見えた。

「世界の理を覆すのだから、あなたは簡単には帰ってこられない。それでも、あなたは完全な天使にもう一度会いたいのでしょう?」

 笑みを絶やさぬ白い女の子は、ジュリオの迷いを見抜いていた。
 やがて、彼女はドレスの懐から小さな何かを取り出し、ジュリオに差し出した。僕は、手のひらに乗ったその小瓶をどこかで見たことがあったと思った。

「あなたたちは不幸にも、最高神の失敗作として生まれてしまった。それは他でもない、最高神アイリスの罪。わたくしの手伝いをしてくれれば、あなたの願いを叶えてあげる」

 ジュリオは、小瓶を塞ぐコルク栓を引き抜いて、その中身を喉に流し込んだ。その様を、白い女の子はにっこりと笑いながら見守っている。

「さあ、大嫌いな生みの親を殺しなさい。あなたの悲願を叶えなさい。それが、わたくしの願いの成就に直結するのだから」

 小瓶が空っぽになったとき、幼いジュリオの顔は恍惚とした笑みを浮かべていた。僕には、それがたまらなく不気味に思えた。
 キャッセリアの神が、どのようにしてミストリューダの構成員となったのか。外から来た邪悪に犯されていったのか。この短時間で理解してしまったからだ。



「────先輩! クリム先輩起きて! 起きてください!!」

 金色の瞳が僕を覗き込んで、声を荒げながら僕を揺らしていた。その声が、戦えなかったセルジュのものだと気づいたとき、意識が現実へと引き戻される。

「セルジュ、気がついたの!? 大丈夫?」
「それはこっちのセリフです! 助けてください、ティアル指揮官がぼくとにーさんを庇って……!!」

 身体を抱き起こされ、確認する間もなく状況がわかった。僕のすぐ近くに、ティアルが頭や鎧の隙間から血を流して倒れていたのだ。ジュリオも血まみれで座り込んでいて、まともに戦える状態じゃない。
 そして、アスタはある人物と未だに戦闘を続けていた。

「アスタ!? どうなってるの!?」
「クー、起きたばかりで悪いけどみんなをお願い! アイツはボクが────」
「『オブリビアス・ストリング』」

 糸が放たれ、短剣を持つ腕が切り落とされる。アスタから短い悲鳴が上がり、真っ赤に染まった床に細い腕が落ちる。
 ある人物……ナターシャは黒い瘴気をまとっており、だらだらと血を流しているにもかかわらず、その場にしっかりと立っていた。
 赤い目は虚ろというより、ひとかけらの感情も宿っていない無機質なものに見えた。

「ナターシャ。まだ戦うつもりかい?」
「……説明が必要のようですので、もう一度。私はナターシャとは仮初の人格です。アイリス様の死亡と同時に役目を終え、消滅いたしました。最高神アイリス様の死亡を確認したため、『裁定モード』へ移行していますので、私のことは『最高神選定者』とお呼びください」
「えっ……?」

 僕の問いに返してきた答えは、ひどく無機質な声だった。ナターシャの人格が消えた、という言葉は間違っているわけではなさそうだ。
 それより、彼女の言葉が気になって仕方がなかった。僕が気を失っている間に、アイリス様は────

「アイリス様の死亡により、『最凶最悪の存在』の封印を維持する要が一つ失われました。速やかに対処すべく、第三代デウスガルテン最高神を決定する必要があります」
「君が決めるの?」
「『現在生きている候補に『試練』を課し、最後に残った一人だけが最高神となる』────そのような決まりとなっていますので、私はそれに従うまでです」
「これのどこが試練なんですか!! 本当にアイリス様がそう仰っていたのですか!?」

 震えながら悲痛な叫びを上げたセルジュを、ナターシャ──否、最高神選定者は虚ろな目で見据える。
 あのひとがどれだけ冷酷な一面を持っているとしても、これがアイリス様の望んでいたことだとはどうしても信じられない。
 今となってはもう、確かめようもないけれど。

「アイリス様のご命令通り、最高神の選定を最優先しなくてはいけません。最高神の力量に満たない失敗作など、アイリス様は必要としていませんので」

 黒々としたメイスを召喚し、身構えてすぐにセルジュへと飛びかかってくる。セルジュも白いクロスボウを召喚するも、彼女の方が素早く距離を詰めていた。
 僕は、とっさにガラスの剣を握って飛び起きた。最高神選定者をまとう黒い瘴気からは嫌な気配を感じ、右目が痛む。
 それでも、ガラスの剣を彼女の横腹に突き刺してセルジュを守る。

「他の神の血で染まった最高神を君臨させるつもり? 君は本当にそれでいいの!?」

 痛みで一瞬彼女の顔が歪んだが、すぐにこちらにメイスを振りかざしてくる。攻撃から逃れると同時に剣を抜き、赤黒い血が噴き出した。
 横腹を真っ赤に塗れた手で押さえながら、僕を凝視してくる。剣にまとわりついた血を振り払いつつ、僕はセルジュの方に声をかけた。

「セルジュ、ジュリオ! あいつは『最高神代替候補プラエパラトゥス』だけを狙ってる。君たちは下がって!」
「は、はいです! ティアル指揮官も連れて行きますです!」

 ティアルは大怪我で動けなくなっているし、彼女の腰当ての中にはルマンさんもいるけれど何もできない。容赦がなくなった向こうの実力がどれだけかわからないが、僕とアスタで対応するしかない。

「────ナターシャ! オマエの相手はボクだ!!」

 幸い、アスタは腕を断ち切られたというのに、すでに再生しきっていて万全な状態に戻っていた。すぐに最高神選定者へ攻撃を仕掛けようと走り込んでいたので、あちらの心配はいらないだろう。

「否。私は最高神選定者です」
「ボクからすればどっちも変わんない! さっさと諦めてよ!!」

 とにかく、この場にいる「最高神代替候補プラエパラトゥス」が殺されないように動きつつ、最高神選定者となってしまったナターシャを止めなくては。
 最高神選定者の意識が再びアスタへ向けられたので、僕はセルジュたちの前に立ち塞がる。

「にーさん、クリム先輩とアスタが時間を作ってくれてる! 早く逃げよう!」

 クロスボウを一度魔力に変えて霧散させ、セルジュが座り込んだままのジュリオの肩を揺らした。ジュリオの手には狙撃銃が握られているが、引き金に指はかかっておらず全体的に力が抜けていた。
 ふと見ると、ジュリオの顔もかなり憔悴しきったものになっていることに気づく。

「セルジュ、いいんだ。おれはもういい」
「よくないよ! にーさん、死にそうになってるじゃないか! もっと自分を大切にしてよ、にーさんのバカ!!」

 セルジュは兄の手を握りながら、声を震わせていた。ジュリオははっと顔を上げるものの、呆然とした表情のままセルジュを見つめていた。

「思い出せないんだ……どうしてすべてを裏切って、アイリスを殺そうとしたのか。何か願いがあったはずなんだ。なのに、何のためにミストリューダに入ったのか、まったく……」
「────ラミエルさんってひとを、蘇らせたかったんでしょう?」
「っ!? ど、どうしてクリム先輩がそれを……!?」

 僕が答えると、なぜかセルジュの表情だけが凍りついた。ジュリオは首を傾げるのみで、身に覚えがなさそうだった。
 僕でさえ唖然とするほどの凄惨な記憶を、彼が忘れているとは思えない。何かがおかしい、そう感じつつも夢で見た惨劇を思い出していく。

「デミ・ドゥームズデイで、ジュリオはノーファ……僕たちの敵である観測者に出会ったんだ。そこで、自分の願いを叶えてもらうために、僕たちを裏切ってミストリューダに入った。それからずっと、ノーファの言いなりになっていたんだと思う」

 ただの悪夢にしてはあまりにも生々しかった。ノーファは見た目に寄らず、狡猾で悪魔みたいな子供であることは間違いないだろう。彼女の行為は、僕や他の神々の目を掻い潜りながら、裏切り者を作り出していたようなものだ。僕の記憶に残る惨劇となんら変わりないとさえ感じた。
 僕が見たのはワンシーンに過ぎず、陰ではもっと多くの神々が裏切り者になっていただろう。

「そんな……そんな方法で生き返っても、ラミエルは喜ばない! ぼくだって素直に喜べないよ!!」

 セルジュは百年近く経ってやっと、兄の行動の意味を理解した。そして、とても複雑そうな顔で俯く。そんな弟を見たジュリオもまた俯いて、小さく肩を震わせた。

「だけど、結局ノーファ様の手を煩わせてしまった。おれはきっと、願いを叶えることもできないまま殺される。いくらお前でも、こんな愚かな兄を許せるわけ────」
「ぼくの気持ちも知らないで、勝手なことばかり言わないで!!」

 俯いたまま、聞いたこともないくらい大きな怒鳴り声を上げた。ジュリオだけでなく、僕も少し圧倒されるくらいの勢いだった。
 顔をゆっくりと上げたセルジュの顔もまた、怒りと悔しさがこれでもかというほど滲んだものだった。

「ぼくはにーさんも、ラミエルもいなくなったあの日から……ずっと、ずっと死にたかった。何も守れない出来損ないに生きる価値なんかないんだから。失い続けるばかりなら死んでしまいたいって、何度も思った。そんなぼくの気持ちが、にーさんにはわかるの!?」

 二人とも、今にも泣きそうな顔をしていた。
 僕は最初、家族を捨てるような彼の行動の意味がまったく理解できず、その愚かさを糾弾した。だが、今は頭ごなしにジュリオを否定したことを後悔している。
 僕は、セルジュのこともジュリオのことも、全然わかっていなかった。

「……ごめん、セルジュ。おれはお前をきちんと守ってやれなかった。そんな気持ちを抱かせたのは、他でもないおれのせいだ」
「にーさん……?」

 ジュリオは狙撃銃から手を離し、セルジュを優しく抱き寄せた。儚い笑みを浮かべる金色の瞳から、一筋の涙が流れていた。

「本当は、死にたくなんかない。このまま殺されたくなんかない。できることなら、セルジュを……大切な家族を、もう二度と置いていきたくない……!!」

 何もかもを繕い、偽りの笑顔ばかりを浮かべていた彼の本当の気持ちを聞くことができた気がした。
 今、僕にできることは決まっている。最高神となるであろう者たちを、理不尽な運命から守る。アイリス様がいなくなっても、神の在り方は変わらないのだから。

「安心して、ジュリオ。君たちは僕が守る」

 僕は剣を構え直し、最高神選定者とアスタの戦いを注視して彼女の隙を窺う。この塔は広いから、神幻術を切り札にすることはできる。それでも塔が崩れない保証はないので、あまり使いたくない手ではあるが……。

「クリム先輩。ぼくも戦います」
「セルジュ?」

 ゆっくりと立ち上がり、再びクロスボウを召喚して構えて、僕の隣にやってきた。目尻から涙がこぼれているのを、僕は見逃さなかった。

「小さい頃、にーさんはずっとぼくを守ってくれました。だから今度は、ぼくがにーさんを守る番です!」

 力強い表情に迷いはなかった。決意を秘めた目つきになった彼を心強いと感じて、自分から微笑みがこぼれるのがわかった。
 僕とセルジュが駆け出し、最高神選定者へと迫る。向こうも、アスタ一人から僕たちの方に意識を向けた。

「三番目。自ら運命に立ち向かうその勇気は、褒めてあげましょう」
「おまえなんかに褒められても嬉しくないです! クリム先輩、アスタ! 向こうを牽制しつつ、ぼくを守ってください!」
「えぇ!? ボクがアイツを潰すつもりだったんだけど!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで言う通りにしやがれです!!」

 魔特隊の第一小隊隊長らしく、素早く指示をくれた。何か考えがあるのだろう。
 セルジュは僕の背後で立ち止まり、クロスボウを持つ右手を天に掲げる。徐々に強まる魔力の奔流から、彼がやろうとしてることを察知した。

「変幻叶えし銀白よ、我が命に応じ目覚めよ」

 金色の瞳を閉じ、詠唱が始まる。魔力の奔流が濃くなるにつれ、片翼に巻き付いた銀白色の鎖がどろどろと溶け出していく。
 溶けた金属が浮遊し、セルジュの背後へ飛んでいく。金属に魔力の奔流が流れ込み、質量を増していく。みるみる大きくなる金属の塊は、やがて一体の巨大なゴーレムへと形を変えていく。

「我が敵を穿ち滅ぼす偶像を、今ここに顕現せし! 『楽園金傀儡イードールム・アルカディア』!!」

 セルジュが目を開け、高らかに叫んだ。その瞬間、銀白色のゴーレムの姿が固着し、空気を震わせるほどの咆哮を上げた。
 ゴーレムの屈強な腕が最高神選定者へ振るわれる。拳が地面に叩きつけられると、塔全体が大きく揺さぶられた。当たったら間違いなく身体が潰されるが、拳のそばで黒い人影が動いているのが見えた。

「ちっ、すばしっこい。さっさとくたばりやがれです、クソ教師!」
「キミも殺意すごくない!?」
「そりゃそーです、昔散々なことを言われましたし! にーさんの分まで頑張っちゃいますよ!」

 頬を膨らませながらクロスボウを構える。セルジュはたまに怒ると口が悪くなるところがあったけど、ナターシャが相手だと怒りが顕著に思える。
 ナターシャに対する気持ちは、僕も同じだ。平気で他者を傷つけようとする神こそ、僕が断罪すべき相手なのだから。
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