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【巨大聖戦編】第7章「誰がための選定」
幕間 古記録:秘密の子供について
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これは、現在から遥か昔、古代と呼ばれた時代のお話。
よく晴れた昼下がりの花園。色とりどりの花や草木が生い茂り、嬉しげに蝶が舞っている。紅茶と砂糖の匂いが香っている。
花園は、とある王国の城の庭にある。庭の中央にあるガゼボにて、一人の女性──ローゼマリーと初老の男──カトラスがお茶をしていた。
ローゼマリーは、長く美しいストロベリーブロンドと金色の瞳、煌びやかなティアラと柔らかな桃色のシルクのドレスが印象的な、優しそうな女王のような人物だ。カトラスは、短い銀髪と緑目、褐色の筋肉質の身体が特徴的な者だ。彼もまた一国の王であったが、玉座にふんぞり返るようなタイプではなく、少し傷がついた甲冑に身を包む戦士でもあった。
「また子供を作ったのか、お主らは。若いのう」
「別にいいじゃない、私は子供大好きだもの。ユーリもまんざらじゃないみたいだしね」
カトラスが呆れたようにため息をつく中、ローゼマリーは何の変哲もなさそうなお腹をさすりながら微笑んでいる。
ローゼマリーは古代に君臨した神でありながら、普通の人間のように何人もの子供を儲けていた。カトラスもまた、少し年の離れた妻との間に子供がいる。神同士の子供もまた古代に生きる神となり、親世代となったローゼマリーたちは子供たちの成長を見守りながら、それぞれの国を守っていた。
今二人が佇んでいるのは、ローゼマリーとその夫が治める国の城だ。カトラスはそれに相対するもう一つの国の王であったが、現在は同盟を組んでおり、時折こうして交流のために城を訪れることがあった。
「私の予想だけど、女の子のような気がするの。カトラスさん、なんて名前がいいと思う?」
「むぅ……わしは子供が大の苦手であること、知っておろう?」
「少し、名前の案が欲しいだけなの」
困ったように笑うローゼマリーを見かねて、カトラスは仕方なくため息をついた。ガゼボから周辺の庭を見回し、咲き誇る花々を眺める。
その中で、とある紫の花が目に留まった。しばらく考えた後、カトラスは再びローゼマリーに向き直った。
「なら、『アイリス』はどうじゃ?」
「もしかして、そこのお花を見て思いついたの?」
「悪いか」
「いいえ、全然」
彼女は目を閉じながら、小さく首を横に振った。カトラスは自身の記憶を探りながら続ける。
「アイリスの花言葉は、『大きな志』、『メッセージ』、『強い希望』……子供につけるには少し大仰かもしれんが、悪くないのではないかと思ってな」
「あら、よく知ってるのね」
「花が大好きな奴から聞いただけじゃ」
カトラスは照れくさそうに紅茶を一気飲みし、空になったカップをテーブルに置いた。ローゼマリーは小さく微笑みながら、その様子を眺めている。
「アイリスちゃん、ね。いい名前だわ。カトラスさんって、案外センスがあるわよね」
「案外は余計じゃ。ユリウスにも聞いてみればよい。お主の話に反対することはなかろう」
「それなんだけど……できれば、このことは私とカトラスさんの秘密にしてもらえないかしら」
いつもはにかんでいる彼女の顔から微笑みが消えた。カトラスは話の空気が変わったことを察知し、少しだけ顔をしかめる。
ローゼマリーはゆっくりと金色の瞳を開き、まだ中身が残っている紅茶を飲むことなく続ける。
「あの子が不穏なことを言ってたの。もうすぐ、この平和が終わるかもしれないって」
「エフェメラか? またあやつの戯言ではないのかえ?」
「こういうときはすごく真面目になる子だし、嘘とは思えないわ。それに、私自身も嫌な予感がしているの」
エフェメラとは、二人と二人のパートナーの共通の友人の名前だった。真剣な場面で彼女の名前が出ると、大抵は波乱の予兆かすでに起きた不幸の出来事の知らせについて話すことになる。今回の場合は前者であろうと、カトラスは頭の中で考えていた。
ローゼマリーはカトラスを祈るような目で見据え、口を開いた。
「カトラスさん。もし私に何かあったら、この子をあなたに託していいかしら」
「な、何を考えておる!? お主の子供じゃろう!?」
「そう。この子は私の子供であると同時に、次の世代を守る礎になる。奴らはきっと、最高神である私の子供を真っ先に狙うわ」
お腹をさすった後、ぐっと拳を握りしめる。ローゼマリーの背はぴんと伸び、愛らしくも凛々しい女王の気品を感じさせる姿勢を崩さなかった。
「私のお腹に子供がいると知ったら、みんな『戦うな』って言うでしょう? 私はデウスガルテンの最高神だもの、みんなの厚意に甘えるわけにはいかないわ。他でもない私が、底知れぬ虚無に立ち向かわなくてはいけないの」
ローゼマリーは、誰よりも平和を願う女神だった。後に古代と呼ばれることになるこの時代では最強の実力を持っていながら、誰よりも心優しく面倒見のよい女性だった。思想も価値観も違う神々をまとめ上げ、神よりも弱き人間たちを守り、世界のすべてを包み込むほど慈悲深い女神────それが、古代の最高神たる彼女の人柄だった。
カトラスは、そんなローゼマリーが軟な説得で変わるほどの人物ではないことをよく知っていた。だから、ため息をつきつつも彼女の主張を否定することはしなかった。
「……策はあるのだろうな?」
「もし無事にアイリスちゃんが生まれることができれば、私と同じ力が宿るはずよ。カイザーちゃんにユーリの力が宿ったのと同じようにね」
「『慈愛』のセフィラ……他者に奇跡を与える力か。お主は我々原初神の中でも規格外じゃからのう」
「エフェメラちゃんの知識とあなたの技術さえあれば、私たちに近い命を作ることだってできるはずよ。今までだって、私たちはお互いに知恵を出し合って危機を乗り越えてきたでしょう?」
カトラスは頷き、テーブルの隅に置かれた懐中時計を見遣った。いい時間だと思い、席から立ち上がってガゼボを離れるが、去り際にローゼマリーのことを振り返った。
「本当に、わしにその娘を託す気でいるのか? ローゼよ」
険しい顔を浮かべるカトラスとは裏腹に、ローゼマリーは柔らかな笑顔を浮かべた。
「カトラスさんはいつも厳しい顔してるけれど、ただちょっと不器用なだけなのよ。本当は優しい人だって、私は知ってるから」
「……買い被りすぎじゃよ。お主もユリウスも」
今度こそ彼女に背中を向けて、その場を後にした。儚い笑顔を浮かべているローゼマリーは、去り行く屈強な背中を座ったまま見送る。
────それから、どれだけの時が経ったのか。長い時を生きすぎたカトラスには、うまく思い出せなかった。
次のカトラスが目覚めたときには、すでに戦いは終わっていた。自分も戦いに参加していたはずだったのに。
自分が残されていたのは、焼野原に等しい荒野だった。荒野には真っ白な宮殿と、真っ黒な牢獄が建っていた。真っ黒な牢獄を目にした瞬間、カトラスは戦いの記憶を鮮明に思い出した。同胞や仲間、果てには最愛の家族までもが命を落としたことを────世界を滅ぼそうとした最凶最悪の存在たちに殺されたことを、忘れることはできなかった。
そして、遺された新しい宮殿は、未来へ繋ぐための拠点として用意されたものだということも思い出した。
カトラスは宮殿の地下深くへ向かった。地下の最奥には「命誕の間」と名付けた施設があった。自分が作った大きな炉がそこに収められていることも知っていた。
壁際には複数の本棚、いくつかの不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。黒い箱の中には、人間の死体がいくつか入っていた。カトラスは何も思わなかった。
歩くのに邪魔にならないような部屋の端には、広いテーブルと椅子、人一人が眠れるくらいの大きさのベッドらしきものが設置されている。
部屋の一番奥に置かれた、カトラスの背ですら軽く超すほど大きな白い炉。その前には、旧友の固有武器である金色の杖が放置されていた。
カトラスは杖を目にすると、急いで炉の前に駆け寄った。しかし、杖の持ち主はどこにも見当たらない。いくら部屋を見回しても、カトラス以外には誰もいない。
ふと、テーブルに紙きれが置かれているのを見つけた。本棚にあらかじめ置かれていたであろうペンとインクが放置されているのも気にせず、カトラスは紙きれに書かれた文章を目で追った。
『準備はしておきました
目の前の神炉を動かして その中の命を目覚めさせてあげてください
アイリスのこと お願いします』
紙きれはしわだらけで、字はひどく乱れていた。走り書きに加え、書いた本人はすでにかなり衰弱している状態だったと窺えた。
何より、紙きれにはいくつもの涙の跡が残っていた。
カトラスは自分の身体が震えていることすらわからず、その場で紙きれを握っていた。目頭が熱くなり、口が痺れるような感覚の中で呟いた。
「……牢記せよ……我が役目を、己が使命を……神たらしめるものを……」
口から出たのは、自分に言い聞かせるための口上だった。紙きれを懐に入れ、カトラスは白い神炉へ近づいた。
炉の中から、ゴゥンゴゥンという静かな低音が響いている。炉の扉を開けたりはせず、カトラスは炉へ自分の魔力を送り込んだ。
やがて、神炉が白く輝きだした。低く静かな音は少しずつうるさくなっていくが、カトラスは耳を塞ぐことなくまっすぐ炉を見つめていた。
炉の輝きが収まるまで、数分はかかった。炉の光が消えると同時に、産声が聞こえ始めた。
カトラスは炉の扉を開ける。硬い機械の中で、赤子が泣いていた。赤子を抱き上げ、優しく胸に抱き寄せた。
「新たな最高神、アイリスよ。どうか、我が友の志を継いでくれ……」
神同士の子供である赤子は、数日のうちに成長する。すべてを受け入れる他なかったカトラスにとって、赤子──アイリスを二代目の最高神に仕立て上げることが最優先事項だった。偽りの神を生み出すことで次なる厄災に対応することを考えたのは、その後のことだ。
施設の中に黒い箱の中に入った人間の死体を補充するべく、宮殿の中庭に用意されたゲートも使った。元々は遠い場所へ転移するためだけに作られたものだったはずが、世界が予定外の形になってしまったために、バラバラになってしまった世界間を移動するための装置になった。原初神であるカトラスは、アストラルに不自由なく適応することができていたため、ゲートを使いこなすことができた。
古代の終わりで起きた戦いにより、死に絶えた人間は数え切れぬほど生まれてしまった。人間の死体をある程度補充し終わると、カトラスは中庭のゲートを使うのをやめた。古代では一国の王であり神であった自分が、僅かに生き残った他の人間たちに会うことを恐ろしく思ったのだ。
カトラスはアイリスとともに、なかなか尽きることがないほど集めた人間の死体とアイリスの血肉を使い、偽りの神を生み出し続けた。人員を増やし、最凶最悪の存在を退けられる軍隊を作らんとする勢いだった。
命誕の間に設置された本棚には、エフェメラが書いた幅広い知識を詰め込んだ本が大量に残されていた。その中には禁忌の知識すらもあった。カトラスは、最凶最悪の存在を殺す方法を探し続けた。
しかし、時が経つほど────現代という時代が進むにつれて、カトラスは諦めを見せつつあった。原初神の中で唯一生き残ってしまった彼は、偽りの神たちに囲まれていてもなお孤独を感じ続けていた。
そんな中、忘れ形見が死んだ。自分に残されたものは、何もなくなった────カトラスは、そう思いながら葬儀に臨み、鎮魂歌を歌った。
偽りの神たちに、牢獄に封印された最凶最悪の存在を対処できるかわからなかった。もう終わりかもしれない、カトラスはそう感じていた。そんな気持ちの中で、アイリスの子供である一人の神がカトラスに問い詰めてきた。
「古代で何があったのですか? 今の世界に至るまでの歴史を知らずに、これから迫りくる厄災を防ぐことなんてできないでしょう!?」
偽りの神の中でも稀な金と緑のオッドアイは、若者らしく力強いものに見えた。白銀の翼が雨に濡れかけてもなお、真実を聞き出そうとする姿勢を崩さない。
カトラスは諦める様子のない天使の子供を、鋭く睨みつけて冷たく言い放った。
「……所詮は神もどきか。ただの人間と変わりない」
ヤケになっていて鬱陶しく思ったあまり、そんな言葉が口をついて出た。何も知らず、諦めの悪い相手を気遣う余裕すらなくなっていたのだと、そのとき気づいた。
これ以上、どうしろと言うのか────カトラスは、雨のやまない空を見上げながら思った。どうせなら、この長すぎる生を早く終わらせてほしいとも。
よく晴れた昼下がりの花園。色とりどりの花や草木が生い茂り、嬉しげに蝶が舞っている。紅茶と砂糖の匂いが香っている。
花園は、とある王国の城の庭にある。庭の中央にあるガゼボにて、一人の女性──ローゼマリーと初老の男──カトラスがお茶をしていた。
ローゼマリーは、長く美しいストロベリーブロンドと金色の瞳、煌びやかなティアラと柔らかな桃色のシルクのドレスが印象的な、優しそうな女王のような人物だ。カトラスは、短い銀髪と緑目、褐色の筋肉質の身体が特徴的な者だ。彼もまた一国の王であったが、玉座にふんぞり返るようなタイプではなく、少し傷がついた甲冑に身を包む戦士でもあった。
「また子供を作ったのか、お主らは。若いのう」
「別にいいじゃない、私は子供大好きだもの。ユーリもまんざらじゃないみたいだしね」
カトラスが呆れたようにため息をつく中、ローゼマリーは何の変哲もなさそうなお腹をさすりながら微笑んでいる。
ローゼマリーは古代に君臨した神でありながら、普通の人間のように何人もの子供を儲けていた。カトラスもまた、少し年の離れた妻との間に子供がいる。神同士の子供もまた古代に生きる神となり、親世代となったローゼマリーたちは子供たちの成長を見守りながら、それぞれの国を守っていた。
今二人が佇んでいるのは、ローゼマリーとその夫が治める国の城だ。カトラスはそれに相対するもう一つの国の王であったが、現在は同盟を組んでおり、時折こうして交流のために城を訪れることがあった。
「私の予想だけど、女の子のような気がするの。カトラスさん、なんて名前がいいと思う?」
「むぅ……わしは子供が大の苦手であること、知っておろう?」
「少し、名前の案が欲しいだけなの」
困ったように笑うローゼマリーを見かねて、カトラスは仕方なくため息をついた。ガゼボから周辺の庭を見回し、咲き誇る花々を眺める。
その中で、とある紫の花が目に留まった。しばらく考えた後、カトラスは再びローゼマリーに向き直った。
「なら、『アイリス』はどうじゃ?」
「もしかして、そこのお花を見て思いついたの?」
「悪いか」
「いいえ、全然」
彼女は目を閉じながら、小さく首を横に振った。カトラスは自身の記憶を探りながら続ける。
「アイリスの花言葉は、『大きな志』、『メッセージ』、『強い希望』……子供につけるには少し大仰かもしれんが、悪くないのではないかと思ってな」
「あら、よく知ってるのね」
「花が大好きな奴から聞いただけじゃ」
カトラスは照れくさそうに紅茶を一気飲みし、空になったカップをテーブルに置いた。ローゼマリーは小さく微笑みながら、その様子を眺めている。
「アイリスちゃん、ね。いい名前だわ。カトラスさんって、案外センスがあるわよね」
「案外は余計じゃ。ユリウスにも聞いてみればよい。お主の話に反対することはなかろう」
「それなんだけど……できれば、このことは私とカトラスさんの秘密にしてもらえないかしら」
いつもはにかんでいる彼女の顔から微笑みが消えた。カトラスは話の空気が変わったことを察知し、少しだけ顔をしかめる。
ローゼマリーはゆっくりと金色の瞳を開き、まだ中身が残っている紅茶を飲むことなく続ける。
「あの子が不穏なことを言ってたの。もうすぐ、この平和が終わるかもしれないって」
「エフェメラか? またあやつの戯言ではないのかえ?」
「こういうときはすごく真面目になる子だし、嘘とは思えないわ。それに、私自身も嫌な予感がしているの」
エフェメラとは、二人と二人のパートナーの共通の友人の名前だった。真剣な場面で彼女の名前が出ると、大抵は波乱の予兆かすでに起きた不幸の出来事の知らせについて話すことになる。今回の場合は前者であろうと、カトラスは頭の中で考えていた。
ローゼマリーはカトラスを祈るような目で見据え、口を開いた。
「カトラスさん。もし私に何かあったら、この子をあなたに託していいかしら」
「な、何を考えておる!? お主の子供じゃろう!?」
「そう。この子は私の子供であると同時に、次の世代を守る礎になる。奴らはきっと、最高神である私の子供を真っ先に狙うわ」
お腹をさすった後、ぐっと拳を握りしめる。ローゼマリーの背はぴんと伸び、愛らしくも凛々しい女王の気品を感じさせる姿勢を崩さなかった。
「私のお腹に子供がいると知ったら、みんな『戦うな』って言うでしょう? 私はデウスガルテンの最高神だもの、みんなの厚意に甘えるわけにはいかないわ。他でもない私が、底知れぬ虚無に立ち向かわなくてはいけないの」
ローゼマリーは、誰よりも平和を願う女神だった。後に古代と呼ばれることになるこの時代では最強の実力を持っていながら、誰よりも心優しく面倒見のよい女性だった。思想も価値観も違う神々をまとめ上げ、神よりも弱き人間たちを守り、世界のすべてを包み込むほど慈悲深い女神────それが、古代の最高神たる彼女の人柄だった。
カトラスは、そんなローゼマリーが軟な説得で変わるほどの人物ではないことをよく知っていた。だから、ため息をつきつつも彼女の主張を否定することはしなかった。
「……策はあるのだろうな?」
「もし無事にアイリスちゃんが生まれることができれば、私と同じ力が宿るはずよ。カイザーちゃんにユーリの力が宿ったのと同じようにね」
「『慈愛』のセフィラ……他者に奇跡を与える力か。お主は我々原初神の中でも規格外じゃからのう」
「エフェメラちゃんの知識とあなたの技術さえあれば、私たちに近い命を作ることだってできるはずよ。今までだって、私たちはお互いに知恵を出し合って危機を乗り越えてきたでしょう?」
カトラスは頷き、テーブルの隅に置かれた懐中時計を見遣った。いい時間だと思い、席から立ち上がってガゼボを離れるが、去り際にローゼマリーのことを振り返った。
「本当に、わしにその娘を託す気でいるのか? ローゼよ」
険しい顔を浮かべるカトラスとは裏腹に、ローゼマリーは柔らかな笑顔を浮かべた。
「カトラスさんはいつも厳しい顔してるけれど、ただちょっと不器用なだけなのよ。本当は優しい人だって、私は知ってるから」
「……買い被りすぎじゃよ。お主もユリウスも」
今度こそ彼女に背中を向けて、その場を後にした。儚い笑顔を浮かべているローゼマリーは、去り行く屈強な背中を座ったまま見送る。
────それから、どれだけの時が経ったのか。長い時を生きすぎたカトラスには、うまく思い出せなかった。
次のカトラスが目覚めたときには、すでに戦いは終わっていた。自分も戦いに参加していたはずだったのに。
自分が残されていたのは、焼野原に等しい荒野だった。荒野には真っ白な宮殿と、真っ黒な牢獄が建っていた。真っ黒な牢獄を目にした瞬間、カトラスは戦いの記憶を鮮明に思い出した。同胞や仲間、果てには最愛の家族までもが命を落としたことを────世界を滅ぼそうとした最凶最悪の存在たちに殺されたことを、忘れることはできなかった。
そして、遺された新しい宮殿は、未来へ繋ぐための拠点として用意されたものだということも思い出した。
カトラスは宮殿の地下深くへ向かった。地下の最奥には「命誕の間」と名付けた施設があった。自分が作った大きな炉がそこに収められていることも知っていた。
壁際には複数の本棚、いくつかの不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。黒い箱の中には、人間の死体がいくつか入っていた。カトラスは何も思わなかった。
歩くのに邪魔にならないような部屋の端には、広いテーブルと椅子、人一人が眠れるくらいの大きさのベッドらしきものが設置されている。
部屋の一番奥に置かれた、カトラスの背ですら軽く超すほど大きな白い炉。その前には、旧友の固有武器である金色の杖が放置されていた。
カトラスは杖を目にすると、急いで炉の前に駆け寄った。しかし、杖の持ち主はどこにも見当たらない。いくら部屋を見回しても、カトラス以外には誰もいない。
ふと、テーブルに紙きれが置かれているのを見つけた。本棚にあらかじめ置かれていたであろうペンとインクが放置されているのも気にせず、カトラスは紙きれに書かれた文章を目で追った。
『準備はしておきました
目の前の神炉を動かして その中の命を目覚めさせてあげてください
アイリスのこと お願いします』
紙きれはしわだらけで、字はひどく乱れていた。走り書きに加え、書いた本人はすでにかなり衰弱している状態だったと窺えた。
何より、紙きれにはいくつもの涙の跡が残っていた。
カトラスは自分の身体が震えていることすらわからず、その場で紙きれを握っていた。目頭が熱くなり、口が痺れるような感覚の中で呟いた。
「……牢記せよ……我が役目を、己が使命を……神たらしめるものを……」
口から出たのは、自分に言い聞かせるための口上だった。紙きれを懐に入れ、カトラスは白い神炉へ近づいた。
炉の中から、ゴゥンゴゥンという静かな低音が響いている。炉の扉を開けたりはせず、カトラスは炉へ自分の魔力を送り込んだ。
やがて、神炉が白く輝きだした。低く静かな音は少しずつうるさくなっていくが、カトラスは耳を塞ぐことなくまっすぐ炉を見つめていた。
炉の輝きが収まるまで、数分はかかった。炉の光が消えると同時に、産声が聞こえ始めた。
カトラスは炉の扉を開ける。硬い機械の中で、赤子が泣いていた。赤子を抱き上げ、優しく胸に抱き寄せた。
「新たな最高神、アイリスよ。どうか、我が友の志を継いでくれ……」
神同士の子供である赤子は、数日のうちに成長する。すべてを受け入れる他なかったカトラスにとって、赤子──アイリスを二代目の最高神に仕立て上げることが最優先事項だった。偽りの神を生み出すことで次なる厄災に対応することを考えたのは、その後のことだ。
施設の中に黒い箱の中に入った人間の死体を補充するべく、宮殿の中庭に用意されたゲートも使った。元々は遠い場所へ転移するためだけに作られたものだったはずが、世界が予定外の形になってしまったために、バラバラになってしまった世界間を移動するための装置になった。原初神であるカトラスは、アストラルに不自由なく適応することができていたため、ゲートを使いこなすことができた。
古代の終わりで起きた戦いにより、死に絶えた人間は数え切れぬほど生まれてしまった。人間の死体をある程度補充し終わると、カトラスは中庭のゲートを使うのをやめた。古代では一国の王であり神であった自分が、僅かに生き残った他の人間たちに会うことを恐ろしく思ったのだ。
カトラスはアイリスとともに、なかなか尽きることがないほど集めた人間の死体とアイリスの血肉を使い、偽りの神を生み出し続けた。人員を増やし、最凶最悪の存在を退けられる軍隊を作らんとする勢いだった。
命誕の間に設置された本棚には、エフェメラが書いた幅広い知識を詰め込んだ本が大量に残されていた。その中には禁忌の知識すらもあった。カトラスは、最凶最悪の存在を殺す方法を探し続けた。
しかし、時が経つほど────現代という時代が進むにつれて、カトラスは諦めを見せつつあった。原初神の中で唯一生き残ってしまった彼は、偽りの神たちに囲まれていてもなお孤独を感じ続けていた。
そんな中、忘れ形見が死んだ。自分に残されたものは、何もなくなった────カトラスは、そう思いながら葬儀に臨み、鎮魂歌を歌った。
偽りの神たちに、牢獄に封印された最凶最悪の存在を対処できるかわからなかった。もう終わりかもしれない、カトラスはそう感じていた。そんな気持ちの中で、アイリスの子供である一人の神がカトラスに問い詰めてきた。
「古代で何があったのですか? 今の世界に至るまでの歴史を知らずに、これから迫りくる厄災を防ぐことなんてできないでしょう!?」
偽りの神の中でも稀な金と緑のオッドアイは、若者らしく力強いものに見えた。白銀の翼が雨に濡れかけてもなお、真実を聞き出そうとする姿勢を崩さない。
カトラスは諦める様子のない天使の子供を、鋭く睨みつけて冷たく言い放った。
「……所詮は神もどきか。ただの人間と変わりない」
ヤケになっていて鬱陶しく思ったあまり、そんな言葉が口をついて出た。何も知らず、諦めの悪い相手を気遣う余裕すらなくなっていたのだと、そのとき気づいた。
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