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第8章「神智を超えた回生の夢」
183話 向き合う時
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*
まだ雨の匂いが残る街を、月明かりが淡く照らしている。ランタンも魔法の光もない中で、宮殿の惨状をありありと見せつけられた。
真っ白な屋根が壊され、穴が空いているように見えた。壁が一部壊れてひび割れており、焦げているように黒ずんでいる部分もある。周囲に植えられた木々や花も、宮殿に近いものは焼けていた。
アイリス様が誘拐された宮殿の襲撃以降、宮殿に近づく者はめっきり減った。そんな中、僕は人気が一切なくなった宮殿の前に立っている。
「……ヴィータ。この宮殿の地下は、思っていた以上に深いみたいなんだ」
僕の隣には、銀髪とクローバーを宿した赤い瞳を持つ少女がランタンを片手に立っている。僕はあらかじめ知っていることをヴィータに伝えるが、何気ない様子で「知ってます」と返してきたのに驚かされる。
「以前、わたしとお兄様で宮殿の地下深くに行ったことがあるのです。元々はシファの隠れ場所を探していたのですが、奥で思いも寄らぬものを色々見つけましたよ」
「そ、そんなことしてたのかい? 全然知らなかったよ」
「言ってませんからね」
どうやら、元々キャッセリアでは理解が浅い観測者が宮殿に侵入したことを、他の神々に知られたくなかったらしい。
僕は固唾を飲み、ヴィータを連れて宮殿へ入った。彼女の持つランタンによって、周囲が橙色に照らされる。壊れているのは一部だけのようで、すぐに崩れ出す気配はない。
「それより、本当に僕たち二人で宮殿に来てよかったの? 封印が弱まってるって話だったでしょ」
「かといって、またカトラスに留守を頼むのは癪ですから。今は牢獄に居候や罪人も入れていることですし、今夜限りなら持つと思いますよ」
……クロウとジュリオのことか。まあ、二人とも眠っている時間帯だろうから、何も問題は起こらないと思いたい。
倉庫や遺体安置室がある地下への階段を下りようとしたとき、いきなりヴィータが立ち止まった。
「クリム。何か聞こえませんか」
「え?」
辺りは耳が痛くなるくらい静かだが、よく耳を澄ませてみる。微かだが、地下から何かがぶつかる音が聞こえてきた。一度だけではなく、不定期に鳴り響いてくる金属音は、人為的に生み出されているものだった。
「地下から聞こえてくるにしては、音が遠いような気がするけど」
「その感覚は正しいです。わたしについてきてください」
ランタンで辺りを照らしながら歩き出したので、その背中を追った。
襲撃の被害は地上だけのようで、地下通路では相変わらず魔法の赤い炎の照明が灯っている。暗い色の通路に隣接する遺体安置室や倉庫を通り抜け、最終的に何も置かれていない部屋へ辿り着いた。
その部屋の中央には、取っ手のようなものがついた場所がある。ヴィータが取っ手を掴んで引っ張り上げると、四角い入り口が姿を現した。古びた螺旋階段がついており、僕が知る地下よりもさらに深い場所に繋がっているみたいだ。
ヴィータが先んじて階段を下りていく。僕も足を踏み入れて階段を下りるが、足を踏みしめるたびに金属が軋む音がうるさく響いた。
螺旋階段を下り続けているうちに、光に照らされている床が見えてきた。上を見上げたら、いつの間にか何も見えなくなっていた。
「音、近くなっていますね」
階段から離れると、僕が知る地下よりも広いフロアに出た。淡い銀色のランタンに照らされている通路は、どこか不思議な雰囲気に包まれている。ヴィータの言う通り、金属音の源に少しずつ近づいているようだ。
地上にいるときはわからなかったが、この音は剣が壁にぶつかったときの音に近い。誰かがこの近くで武器を振るっているとなれば、その人物は────
「アリア! 近くにいるんでしょ、返事して!」
知らない廊下を走る。アリアはきっとここにいると信じて、あらゆるフロアを覗いた。本棚が陳列する部屋、何かをしまい込んだ箱が部屋いっぱいに並ぶ部屋、ベッドが置かれている部屋など、この地下は色々な用途に使われているみたいだ。
音を頼ってあちこち見て回ったが、アリアの姿は見つけられない。
「……こっちですよ」
呆れた様子のヴィータが、僕を引きずるように腕を引っ張った。そこは、他の部屋よりも広そうな場所へ続く両開き扉の前だ。
激しくぶつかるような音が響くたび、扉が震えた。音の大きさからして、相当大きな武器を何度もぶつけている。僕の予想が正しければ、アリアの両手剣だろう。
「アリア、そこにいるの!?」
「うぅ……誰でもいいから……早く、出して……」
扉の向こうから聞こえてきたのは紛れもなく、アリアの声だった。暴走状態が続いているのは間違いないが、あまりにもか細い声だった。
扉を押し開けようとするが、何かが引っかかっているのかびくともしない。
「……鍵みたいですね。クリム、ちょっとどきなさい」
ヴィータが乱暴に僕を押しのけて、扉の中央部分を見据える。そこには、四角い鍵穴がついた機構が設置されている。
その機構めがけて、彼女は右足で機構を蹴破った。驚くことに、子供の足で蹴られた機構は粉々に破壊され、その場に欠片がボロボロと散らばった。呆気なさすぎて、ぽかんとしてしまう。
僕が固まっていることに気づいたヴィータは、涼しい顔のまま首を傾げた。
「なんですか? そんな驚いた顔して」
「いや、ヴィータの力って意外とすごいんだと思って……」
「ちょっとムシャクシャしてただけです。それより扉を」
鍵は壊してもらったので、すぐに扉を押し開ける。僕一人で開けるにはかなり重い扉だったが、ヴィータが手伝ってくれたので難なく開けられた。
扉を開けてすぐのところに、アリアがうつ伏せで倒れている。身体が青白くなってしまっており、床に転がった薄桃色の刃は刃こぼれができている。
僕はすぐにアリアへ駆け寄り、彼女の身体を揺らした。彼女に触れた瞬間、右目が鈍い痛みを発したが気にしない。さっきまで扉の向こうから声が聞こえていたのに、今は少しも反応を見せてくれない。
「しっかりして、アリア!」
「ひどい具合ですね……食事もまともにできていないことによる衰弱でしょう」
目に見えてやせ細っているわけではないが、気を失うほど弱っているとなるとこちらも冷静になれない。
先日の事件で人間の箱庭から帰ってきた頃から、アリアはずっと自我を失っていた状態だった。今までアリアを見ていたのはカトラスさんだったが、あのひとがついていながらここまで衰弱することになるなんて思わなかった。
「カトラスさん、どうしてこんなひどいことを……」
「無理言ってやるなよ。最低限の食事だけ与えておくくらいにしとかなきゃ、ここが壊れちまうんだろうよ」
扉の前で座り込む僕たちの背後を、黒い影が追い越した。真っ黒な翼を持つ、黒髪と黒い服の男だ。両手をズボンのポケットに突っ込みながら歩く背格好から、クロウが僕たちと同じく地下深くにやってきたのだと理解する。
「クロウ! なんでついてきたの!?」
「オマエらがコソコソ動いてたから気になってな。それより、ここが前に話した『命誕の間』だ。すべての神はここで生まれるんだぜ」
鋭い青と赤のオッドアイを向けて、ニヤリと笑いかけてくる。そこで僕は初めて、両開き扉の向こうの部屋の実態を掴んだ。
壁際には複数の本棚があり、不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。箱は蓋が開けられ、本も床に放られたものがあり、まるで荒らされたように散らかっていた。ヴィータが落ちた本を一冊拾い上げ、中身を読み始める。
部屋の端には広いテーブルと椅子、布団も枕もないベッドらしきものが設置されている。
部屋の一番奥には、大きく真っ白な炉が設置されている。少なくとも僕には馴染みがないもので、ただの暖炉には見えない。クロウは、その真っ白な炉を指さした。
「あそこにアイリスの血肉や人間の死体をぶち込んだら、神もどきができあがるんだぜ。アイリスやカラスのじじいが考えた神ってのは、オレたちが思うよりもお安くできてんだ」
「……なるほど。あなたは最初から、現代神の生まれ方を知っていたのですね。だから、ここを見ても微塵も驚かなかった」
ヴィータが本を読みながら、クロウの言葉に応える。クロウは怪訝そうな目でヴィータのいる方を向いた。
「あ? もしかして、オマエ気づいてたのか?」
「ほんのりと予想していただけです。最高神が一人、それも幼すぎる状態で早急に神を増やすとなれば、それ相応の代価を要求されます。それを考慮しても、最終的に人体実験に手を染めるしかなかった、そう考えるのが妥当と判断したまでですよ」
「……子供の見た目のくせに、随分と理論的に考えるこった」
クロウはやれやれとした顔になって、ヴィータから目を離した。僕は、神の真実をわざわざヴィータに話したりはしなかったけど、こちらから話す必要はなかったようで少し安心した。
だが、今はこんな話をしている場合じゃない。僕は正直、神の生まれよりもアリアの惨状の方が重要だった。
「そんなことどうでもいい。アリアが倒れてるっていうのに、クロウは何とも思わないの!?」
クロウを睨みつけると、向こうは気まずそうに肩をすくめてみせた。
「……そのアリアをどうするって言うんだ。デウスプリズンに持ってく気か?」
「当たり前だよ。こんな寒い場所に放置しておけない」
「そう言うだろうと思ったぜ。仕方ねぇ、オレも手伝ってやる」
クロウはやれやれとしつつ、ポケットから手を出してアリアに近づいた。そのとき、急にアリアが素早く動き出して、何かを振り上げた。
「うおああぁっ!? 何すんだよ!?」
「アリア!?」
衰弱しているはずなのに立ち上がり、刃こぼれだらけの両手剣を拾い上げた。獣のように歯をむき出しにして、クロウを睨みつけている。
「かえ、せ……私たちから奪ったもの……返せッ!!」
アリアが剣を振り上げ、クロウへ一心不乱に突撃する。クロウが何度もアリアの攻撃を回避しても、何度も剣を振るわれる。意外なことに、彼は自分の武器を召喚しようとしなかった。
僕がガラスペンを剣に変形させようと握ったとき、ヴィータが銀の魔導書を片手にアリアの元へ飛び込んだ。
「落ち着きなさい、アリア!」
「邪魔すんじゃねぇッ!!」
ヴィータが蹴りを入れようとしたが、アリアに腹を蹴り飛ばされ身体が吹き飛んでしまう。壁に激突する前に、僕がヴィータを受け止めた。
「大丈夫?」
「くっ……すみません、クリム」
僕が手を離すと、すぐに体勢を整えた。アリアは僕たちに目もくれず、クロウに向かってさらに剣を振りかざす。
いつもは冷静沈着なヴィータの顔に、少しばかり焦りの色が滲んでいる。
「以前より暴走が激しくなっている気がします。クリム、原因に心当たりは?」
「ううん、僕もここまで暴れてるのは初めて見た」
ヴィータは生誕祭のときに初めて、正気を失ったアリアを見た。邂逅の数は少ないながら、彼女のさらなる異変に気づいたみたいだった。
アリアの体調はいいとは言えず、むしろ倒れるくらい悪い状態だ。しかも、いつも以上に衝動的に暴れていて、狙いはなぜかクロウだけ────。
「ぐあぁッ!?」
こちらが動く前に、何か鈍い音とともにクロウが叫んだ。いつの間にか、アリアがクロウを壁に追い詰めて、彼の腹に剣を突き刺していたのだ。クロウの口から、赤黒い血が吐き出される。
僕はいても立ってもいられず、アリアの背後から腕を回して止めた。
「もうやめて、アリア!」
「テメェ、離せ! 離さないならお前も殺す!!」
いくら振りほどかれそうになっても、必死にアリアに抱き着いていた。彼女にはもう二度と神を殺してほしくない────ただその一心で。
アリアをクロウから引き剥がすべく力を込める。そのとき、アリアから何か嫌な力を感じて、また右目が痛くなった。魔力とは違う異質な力の気配が、僕の右目に痛みを与えている気がした。
「……この気配って」
「クリム、早くアリアを」
「う、うん」
駆け寄ってきたヴィータに促され、一緒にアリアの身体を引っ張る。ヴィータの力が強かったのか、徐々にアリアの身体がクロウから剥がされ、剣から手が離れた。案の定、標的から引き剥がした僕たちを目の敵にし始めた。
「くそっ! 邪魔すんじゃねぇって言って────」
「〈風よ、我が友を安らかな眠りへ誘え〉!」
「────ふにゃああ……」
アリアがこちらを振り返ったとき、僕が風の魔力を行使したことで薄い緑の光に包まれる。吊り上っていた目がとろんとしてきて、気が抜けるような声とともに床に倒れそうになったアリアを、僕がなんとか受け止める。
魔法で眠らせたアリアは、すやすやと寝息を立てて穏やかに眠っている。だが、リミッターもかけられない今の状態では、目覚めた途端に再び暴れだすだろう。安心して息を吐けるのは今だけだ。
「オマエら、何か気づいたのか」
刺された腹を片手で押さえながら、クロウが尋ねてきた。ふとヴィータの方を見ると、彼女も僕を見ていた。
「クリム。カトラスからアリアの状態を聞いているのでしょう」
僕は頷いて、葬儀が終わった後のカトラスさんの言葉を思い出す。
カトラスさんがこう言っていた。アリアは黒幽病を発症しているが、普通の黒幽病とは違い簡単には治せない。暴走するようになった原因を事細かに探らないことには、アリアを助けることはできないとも。
「普通の黒幽病とは違うとなると、非常に厄介な問題です。少なくともわたしやお兄様では、アリアを治療することは難しいでしょう」
「じゃあ、どうしたら?」
「簡単です。アリアをこんな風にした相手に治療させるんですよ」
僕はさらっと言いのけたヴィータから目を逸らし、出血が止まった腹をさするクロウに目を向けた。向こうもこちらの視線に、ムッとした顔になる。
「な、なんだよ」
「当時の状況はどうあれ、アリアを致命傷に追い込んだのはクロウだよね? 責任とるのが筋じゃない?」
「だから言っただろ、殺すつもりはなかったって! よりにもよってアリアにアストラルなんか流し込むなんて、そんな真似できるか!!」
一気に怒鳴った直後、クロウが腹を押さえて痛がった。叫んだことで傷が開きかけたのだろう。
僕でも珍しいと思うほどの剣幕で否定したのを見て、さすがに少し申し訳なくなった。さらに考えを巡らせてみるが、いい答えには辿り着かない。
「クロウリーがアリアに致命傷を負わせたことは関係ないと思います。もし、彼がやったとしたらあなたたちが苦労する必要もなかったはずです」
「だとしたら、別に犯人がいるということか」
「そうだと思います。この場所には本や物品がたくさんあるようですし、詳しく調べたいところですが……今はアリアを安全なところに運ばないといけませんね」
ここで推理をしても意味がない。アリアが目覚める前に、デウスプリズンに連れていく方が何かとスムーズだろう。
僕はヴィータとクロウと一緒にアリアを運び、深い地下から出た。最近は夜明けが早いのか、空が白み始めているところだった。
まだ雨の匂いが残る街を、月明かりが淡く照らしている。ランタンも魔法の光もない中で、宮殿の惨状をありありと見せつけられた。
真っ白な屋根が壊され、穴が空いているように見えた。壁が一部壊れてひび割れており、焦げているように黒ずんでいる部分もある。周囲に植えられた木々や花も、宮殿に近いものは焼けていた。
アイリス様が誘拐された宮殿の襲撃以降、宮殿に近づく者はめっきり減った。そんな中、僕は人気が一切なくなった宮殿の前に立っている。
「……ヴィータ。この宮殿の地下は、思っていた以上に深いみたいなんだ」
僕の隣には、銀髪とクローバーを宿した赤い瞳を持つ少女がランタンを片手に立っている。僕はあらかじめ知っていることをヴィータに伝えるが、何気ない様子で「知ってます」と返してきたのに驚かされる。
「以前、わたしとお兄様で宮殿の地下深くに行ったことがあるのです。元々はシファの隠れ場所を探していたのですが、奥で思いも寄らぬものを色々見つけましたよ」
「そ、そんなことしてたのかい? 全然知らなかったよ」
「言ってませんからね」
どうやら、元々キャッセリアでは理解が浅い観測者が宮殿に侵入したことを、他の神々に知られたくなかったらしい。
僕は固唾を飲み、ヴィータを連れて宮殿へ入った。彼女の持つランタンによって、周囲が橙色に照らされる。壊れているのは一部だけのようで、すぐに崩れ出す気配はない。
「それより、本当に僕たち二人で宮殿に来てよかったの? 封印が弱まってるって話だったでしょ」
「かといって、またカトラスに留守を頼むのは癪ですから。今は牢獄に居候や罪人も入れていることですし、今夜限りなら持つと思いますよ」
……クロウとジュリオのことか。まあ、二人とも眠っている時間帯だろうから、何も問題は起こらないと思いたい。
倉庫や遺体安置室がある地下への階段を下りようとしたとき、いきなりヴィータが立ち止まった。
「クリム。何か聞こえませんか」
「え?」
辺りは耳が痛くなるくらい静かだが、よく耳を澄ませてみる。微かだが、地下から何かがぶつかる音が聞こえてきた。一度だけではなく、不定期に鳴り響いてくる金属音は、人為的に生み出されているものだった。
「地下から聞こえてくるにしては、音が遠いような気がするけど」
「その感覚は正しいです。わたしについてきてください」
ランタンで辺りを照らしながら歩き出したので、その背中を追った。
襲撃の被害は地上だけのようで、地下通路では相変わらず魔法の赤い炎の照明が灯っている。暗い色の通路に隣接する遺体安置室や倉庫を通り抜け、最終的に何も置かれていない部屋へ辿り着いた。
その部屋の中央には、取っ手のようなものがついた場所がある。ヴィータが取っ手を掴んで引っ張り上げると、四角い入り口が姿を現した。古びた螺旋階段がついており、僕が知る地下よりもさらに深い場所に繋がっているみたいだ。
ヴィータが先んじて階段を下りていく。僕も足を踏み入れて階段を下りるが、足を踏みしめるたびに金属が軋む音がうるさく響いた。
螺旋階段を下り続けているうちに、光に照らされている床が見えてきた。上を見上げたら、いつの間にか何も見えなくなっていた。
「音、近くなっていますね」
階段から離れると、僕が知る地下よりも広いフロアに出た。淡い銀色のランタンに照らされている通路は、どこか不思議な雰囲気に包まれている。ヴィータの言う通り、金属音の源に少しずつ近づいているようだ。
地上にいるときはわからなかったが、この音は剣が壁にぶつかったときの音に近い。誰かがこの近くで武器を振るっているとなれば、その人物は────
「アリア! 近くにいるんでしょ、返事して!」
知らない廊下を走る。アリアはきっとここにいると信じて、あらゆるフロアを覗いた。本棚が陳列する部屋、何かをしまい込んだ箱が部屋いっぱいに並ぶ部屋、ベッドが置かれている部屋など、この地下は色々な用途に使われているみたいだ。
音を頼ってあちこち見て回ったが、アリアの姿は見つけられない。
「……こっちですよ」
呆れた様子のヴィータが、僕を引きずるように腕を引っ張った。そこは、他の部屋よりも広そうな場所へ続く両開き扉の前だ。
激しくぶつかるような音が響くたび、扉が震えた。音の大きさからして、相当大きな武器を何度もぶつけている。僕の予想が正しければ、アリアの両手剣だろう。
「アリア、そこにいるの!?」
「うぅ……誰でもいいから……早く、出して……」
扉の向こうから聞こえてきたのは紛れもなく、アリアの声だった。暴走状態が続いているのは間違いないが、あまりにもか細い声だった。
扉を押し開けようとするが、何かが引っかかっているのかびくともしない。
「……鍵みたいですね。クリム、ちょっとどきなさい」
ヴィータが乱暴に僕を押しのけて、扉の中央部分を見据える。そこには、四角い鍵穴がついた機構が設置されている。
その機構めがけて、彼女は右足で機構を蹴破った。驚くことに、子供の足で蹴られた機構は粉々に破壊され、その場に欠片がボロボロと散らばった。呆気なさすぎて、ぽかんとしてしまう。
僕が固まっていることに気づいたヴィータは、涼しい顔のまま首を傾げた。
「なんですか? そんな驚いた顔して」
「いや、ヴィータの力って意外とすごいんだと思って……」
「ちょっとムシャクシャしてただけです。それより扉を」
鍵は壊してもらったので、すぐに扉を押し開ける。僕一人で開けるにはかなり重い扉だったが、ヴィータが手伝ってくれたので難なく開けられた。
扉を開けてすぐのところに、アリアがうつ伏せで倒れている。身体が青白くなってしまっており、床に転がった薄桃色の刃は刃こぼれができている。
僕はすぐにアリアへ駆け寄り、彼女の身体を揺らした。彼女に触れた瞬間、右目が鈍い痛みを発したが気にしない。さっきまで扉の向こうから声が聞こえていたのに、今は少しも反応を見せてくれない。
「しっかりして、アリア!」
「ひどい具合ですね……食事もまともにできていないことによる衰弱でしょう」
目に見えてやせ細っているわけではないが、気を失うほど弱っているとなるとこちらも冷静になれない。
先日の事件で人間の箱庭から帰ってきた頃から、アリアはずっと自我を失っていた状態だった。今までアリアを見ていたのはカトラスさんだったが、あのひとがついていながらここまで衰弱することになるなんて思わなかった。
「カトラスさん、どうしてこんなひどいことを……」
「無理言ってやるなよ。最低限の食事だけ与えておくくらいにしとかなきゃ、ここが壊れちまうんだろうよ」
扉の前で座り込む僕たちの背後を、黒い影が追い越した。真っ黒な翼を持つ、黒髪と黒い服の男だ。両手をズボンのポケットに突っ込みながら歩く背格好から、クロウが僕たちと同じく地下深くにやってきたのだと理解する。
「クロウ! なんでついてきたの!?」
「オマエらがコソコソ動いてたから気になってな。それより、ここが前に話した『命誕の間』だ。すべての神はここで生まれるんだぜ」
鋭い青と赤のオッドアイを向けて、ニヤリと笑いかけてくる。そこで僕は初めて、両開き扉の向こうの部屋の実態を掴んだ。
壁際には複数の本棚があり、不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれていた。箱は蓋が開けられ、本も床に放られたものがあり、まるで荒らされたように散らかっていた。ヴィータが落ちた本を一冊拾い上げ、中身を読み始める。
部屋の端には広いテーブルと椅子、布団も枕もないベッドらしきものが設置されている。
部屋の一番奥には、大きく真っ白な炉が設置されている。少なくとも僕には馴染みがないもので、ただの暖炉には見えない。クロウは、その真っ白な炉を指さした。
「あそこにアイリスの血肉や人間の死体をぶち込んだら、神もどきができあがるんだぜ。アイリスやカラスのじじいが考えた神ってのは、オレたちが思うよりもお安くできてんだ」
「……なるほど。あなたは最初から、現代神の生まれ方を知っていたのですね。だから、ここを見ても微塵も驚かなかった」
ヴィータが本を読みながら、クロウの言葉に応える。クロウは怪訝そうな目でヴィータのいる方を向いた。
「あ? もしかして、オマエ気づいてたのか?」
「ほんのりと予想していただけです。最高神が一人、それも幼すぎる状態で早急に神を増やすとなれば、それ相応の代価を要求されます。それを考慮しても、最終的に人体実験に手を染めるしかなかった、そう考えるのが妥当と判断したまでですよ」
「……子供の見た目のくせに、随分と理論的に考えるこった」
クロウはやれやれとした顔になって、ヴィータから目を離した。僕は、神の真実をわざわざヴィータに話したりはしなかったけど、こちらから話す必要はなかったようで少し安心した。
だが、今はこんな話をしている場合じゃない。僕は正直、神の生まれよりもアリアの惨状の方が重要だった。
「そんなことどうでもいい。アリアが倒れてるっていうのに、クロウは何とも思わないの!?」
クロウを睨みつけると、向こうは気まずそうに肩をすくめてみせた。
「……そのアリアをどうするって言うんだ。デウスプリズンに持ってく気か?」
「当たり前だよ。こんな寒い場所に放置しておけない」
「そう言うだろうと思ったぜ。仕方ねぇ、オレも手伝ってやる」
クロウはやれやれとしつつ、ポケットから手を出してアリアに近づいた。そのとき、急にアリアが素早く動き出して、何かを振り上げた。
「うおああぁっ!? 何すんだよ!?」
「アリア!?」
衰弱しているはずなのに立ち上がり、刃こぼれだらけの両手剣を拾い上げた。獣のように歯をむき出しにして、クロウを睨みつけている。
「かえ、せ……私たちから奪ったもの……返せッ!!」
アリアが剣を振り上げ、クロウへ一心不乱に突撃する。クロウが何度もアリアの攻撃を回避しても、何度も剣を振るわれる。意外なことに、彼は自分の武器を召喚しようとしなかった。
僕がガラスペンを剣に変形させようと握ったとき、ヴィータが銀の魔導書を片手にアリアの元へ飛び込んだ。
「落ち着きなさい、アリア!」
「邪魔すんじゃねぇッ!!」
ヴィータが蹴りを入れようとしたが、アリアに腹を蹴り飛ばされ身体が吹き飛んでしまう。壁に激突する前に、僕がヴィータを受け止めた。
「大丈夫?」
「くっ……すみません、クリム」
僕が手を離すと、すぐに体勢を整えた。アリアは僕たちに目もくれず、クロウに向かってさらに剣を振りかざす。
いつもは冷静沈着なヴィータの顔に、少しばかり焦りの色が滲んでいる。
「以前より暴走が激しくなっている気がします。クリム、原因に心当たりは?」
「ううん、僕もここまで暴れてるのは初めて見た」
ヴィータは生誕祭のときに初めて、正気を失ったアリアを見た。邂逅の数は少ないながら、彼女のさらなる異変に気づいたみたいだった。
アリアの体調はいいとは言えず、むしろ倒れるくらい悪い状態だ。しかも、いつも以上に衝動的に暴れていて、狙いはなぜかクロウだけ────。
「ぐあぁッ!?」
こちらが動く前に、何か鈍い音とともにクロウが叫んだ。いつの間にか、アリアがクロウを壁に追い詰めて、彼の腹に剣を突き刺していたのだ。クロウの口から、赤黒い血が吐き出される。
僕はいても立ってもいられず、アリアの背後から腕を回して止めた。
「もうやめて、アリア!」
「テメェ、離せ! 離さないならお前も殺す!!」
いくら振りほどかれそうになっても、必死にアリアに抱き着いていた。彼女にはもう二度と神を殺してほしくない────ただその一心で。
アリアをクロウから引き剥がすべく力を込める。そのとき、アリアから何か嫌な力を感じて、また右目が痛くなった。魔力とは違う異質な力の気配が、僕の右目に痛みを与えている気がした。
「……この気配って」
「クリム、早くアリアを」
「う、うん」
駆け寄ってきたヴィータに促され、一緒にアリアの身体を引っ張る。ヴィータの力が強かったのか、徐々にアリアの身体がクロウから剥がされ、剣から手が離れた。案の定、標的から引き剥がした僕たちを目の敵にし始めた。
「くそっ! 邪魔すんじゃねぇって言って────」
「〈風よ、我が友を安らかな眠りへ誘え〉!」
「────ふにゃああ……」
アリアがこちらを振り返ったとき、僕が風の魔力を行使したことで薄い緑の光に包まれる。吊り上っていた目がとろんとしてきて、気が抜けるような声とともに床に倒れそうになったアリアを、僕がなんとか受け止める。
魔法で眠らせたアリアは、すやすやと寝息を立てて穏やかに眠っている。だが、リミッターもかけられない今の状態では、目覚めた途端に再び暴れだすだろう。安心して息を吐けるのは今だけだ。
「オマエら、何か気づいたのか」
刺された腹を片手で押さえながら、クロウが尋ねてきた。ふとヴィータの方を見ると、彼女も僕を見ていた。
「クリム。カトラスからアリアの状態を聞いているのでしょう」
僕は頷いて、葬儀が終わった後のカトラスさんの言葉を思い出す。
カトラスさんがこう言っていた。アリアは黒幽病を発症しているが、普通の黒幽病とは違い簡単には治せない。暴走するようになった原因を事細かに探らないことには、アリアを助けることはできないとも。
「普通の黒幽病とは違うとなると、非常に厄介な問題です。少なくともわたしやお兄様では、アリアを治療することは難しいでしょう」
「じゃあ、どうしたら?」
「簡単です。アリアをこんな風にした相手に治療させるんですよ」
僕はさらっと言いのけたヴィータから目を逸らし、出血が止まった腹をさするクロウに目を向けた。向こうもこちらの視線に、ムッとした顔になる。
「な、なんだよ」
「当時の状況はどうあれ、アリアを致命傷に追い込んだのはクロウだよね? 責任とるのが筋じゃない?」
「だから言っただろ、殺すつもりはなかったって! よりにもよってアリアにアストラルなんか流し込むなんて、そんな真似できるか!!」
一気に怒鳴った直後、クロウが腹を押さえて痛がった。叫んだことで傷が開きかけたのだろう。
僕でも珍しいと思うほどの剣幕で否定したのを見て、さすがに少し申し訳なくなった。さらに考えを巡らせてみるが、いい答えには辿り着かない。
「クロウリーがアリアに致命傷を負わせたことは関係ないと思います。もし、彼がやったとしたらあなたたちが苦労する必要もなかったはずです」
「だとしたら、別に犯人がいるということか」
「そうだと思います。この場所には本や物品がたくさんあるようですし、詳しく調べたいところですが……今はアリアを安全なところに運ばないといけませんね」
ここで推理をしても意味がない。アリアが目覚める前に、デウスプリズンに連れていく方が何かとスムーズだろう。
僕はヴィータとクロウと一緒にアリアを運び、深い地下から出た。最近は夜明けが早いのか、空が白み始めているところだった。
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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