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第8章「神智を超えた回生の夢」
192話 救うためなら、なんだって(2)
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黒い短剣──クリフォトの黒刃は再び白い布に包んで、僕のポケットに入れておく。シファに逃げられぬよう、僕とヴィータで彼の手を握って連行することにした。拷問部屋を後にして、アリアが眠るヴィータの部屋へと向かう。
まだ、セルジュはアリアを見てくれているだろうか。カルデルトたちはもう帰っているし、容態の変化などなければいいのだけど。
「……離せよ。触れられてると落ち着かない」
「離したら逃げるでしょう。文句言わないでください。わたしだってあなたと手を繋ぎたくなんかありません」
「逃げねーし。ちょっとくらい信じろよ」
「信用されるとでも思ってるんですか? バカも甚だしい」
シファとヴィータが何やら言い合っているが、放っておいてひたすら引っ張った。そのときにはヴィータの部屋が目前に迫っていて、シファと繋いでいない方の手でドアを開けようとしたときだった。
「カルデルト先生! いや、クリム先輩!? なんでもいいです助けてください!!」
部屋の中からセルジュが飛び出してきて、扉を開けた僕の手を引っ張った。そのまま、強引にヴィータの部屋へと連れていかれる。
ベッドの上にはアリアが横たわっていたが、満足に休めているとは言い難かった。カルデルトが睡眠薬を飲ませたと言っていたけれど、胸を押さえて呻き声を上げながら苦しんでいる。
僕は無我夢中でアリアの元に駆け寄ったが、誰の反応にも応えることができないみたいだった。心なしか、彼女の周囲に薄く黒い瘴気が発生しているように見える。
「なんだか、ナターシャ先生のときと似てるんです……これってまずいんじゃ……」
「アストラルの侵食がかなり進んでる。放っとくとリコリスと同じ末路を辿るな」
僕とヴィータの手を振り払ったシファは、つかつかとアリアの方へ近づいた。この場で事情を知らないのはセルジュだけだったので、当然彼は大げさに驚くわけだが。
「え? は? ええぇぇ!? なんでシファがいるんです!? クリム先輩、ヴィータ、危ないですよ!?」
「黙ってろ、エンゲルの片割れ。傷つきたくないなら帰れ」
セルジュへ冷たく吐き捨ててから、血が滲んだままの包帯に包まれた右手をアリアへ向けた。
「おれにはアストラルを除去することはできない。だからこうする。『《Obsessed Replica》』」
シファが目を閉じ、手のひらから青白い光を放った。光はたちまちアリアを包み込み、一瞬だけ目が眩んでしまいそうな眩しさが溢れ出す。光が眩しくなればなるほど、アリアの苦渋に満ちた顔が和らいだものになっていく。
アリアの顔から苦しみが消えた頃には、彼女の容態も落ち着いたように見えた。ただ、彼女を包み込んでいた光はそのまま消えず、眠るアリアの横に佇む一人の実体に変わっていた。
その姿は……紛れもなく、アリアそのものだった。
「『《Obsessed Replica》』……これは魔法を行使した相手の偽物を作るというものですよね」
「そ。おれの星幽術の一つを応用した。この偽神の女の中には、確かにおれのアストラルが混入していたから、それだけを抽出して具現化させた。つまり……あのバーサーカー状態を引き起こしていた原因そのものこそが、この偽物ってことになる」
シファの星幽術によって生み出されたアリアは、無表情だった。しばらく、何もない場所をぼんやりと眺めているのみだったが、やがて僕たちの存在に気づいた。
そのとき、無表情だったアリアの綺麗な顔が憤怒や憎悪と呼べる感情で歪み────どこからともなく出した、薄桃色の刃がついた大剣を振りかざしてきた。
「死ねええぇぇぇ!!!」
「うわわわーっ!? 怖い怖い怖いですっ!! アリア先輩の偽物が襲ってきましたぁ!!」
「下がってセルジュ! 多分、シファの星幽術は元々こういうものなんだ!」
僕はとっさにガラスペンを手にして、剣に変形させてアリアの攻撃を防ぐ。
本物のアリアの持つ大剣は刃こぼれがひどかったが、偽物のアリアの剣は新品同様に鋭い。さすがに、まともに当たったらひとたまりもない。
「ちょっと、シファ! もう少しやりようはなかったんですか!?」
ヴィータが銀の魔導書を片手に、シファを問い詰める。当の本人は装束のポケットに両手を突っ込みながら、鬱陶しそうにため息をついた。
「おれはおまえやアスタとは違うし、これしかできねぇよ。それに……『救うためなら、なんだってやる』んだろ?」
ただ、両手をポケットに入れたわけではなかった。きちんと両手を出した彼の手には、複数枚の金色のカードが収まっていた。
シファは不敵な笑みとともに、カードを四方八方へ投げた。僕たちを取り囲むように投げられたカードは、一斉に光を放って視界を白く染め上げた。
「やってみろよ、クリム。本気で真なる神に抗うつもりならな!」
目の前が光で染まり、目を開けていられなくなる。しばらく目をつぶって、光が消えたのを見計らって目を開ける。そのときには、僕はデウスプリズンの中にはいなかった。
太陽はすでに落ち、世界は宵闇に染まろうとしていた。僕が立っていたのは、デウスプリズンから少し離れた場所にある草原だった。森からも中央都市からも離れているので、障害物は特にない。
僕の隣には、ヴィータも立っていた。しかし、セルジュとアリアの姿はない。僕とヴィータに相対するように、シファと偽物のアリアがそれぞれ戦闘態勢で待機していた。
「おまえらがあの偽神の女を救うには、この偽物を消滅させればいい。そうすれば暴走させていた原因は消えるからな。でも、おれはおまえらの邪魔をする。せいぜい死なない程度に頑張ることだな」
「……ここまでして、どうして僕たちの邪魔をするんだい?」
「だっておれ、おまえらの敵だし。さっきは一方的に傷つけられただけだし、そもそも敵対するのをやめるなんて一言も言ってないけど?」
やはり、小馬鹿にした笑い方をやめる気はないようだ。ため息が出そうになるが、ここで勝ってアリアを救うことができるというのなら、それが何よりも代え難い願いだ。
「本気……ですか。なら、わたしもそうしましょう」
そう言ったヴィータを見遣ると、彼女もまた真剣な面持ちになっていた。僕の視線に気づくと、横に立っていた僕を軽く押しのけて、距離を取らせてくる。
「クリム。わたしも一時的にあいつと『同じ』になります。あまりおいそれと近づかないように」
「それって────」
「《Anomalize》」
小さな口からそう唱えられた瞬間、ヴィータの周囲に赤を帯びた黒い稲妻が走った。たった一瞬の出来事だったが、ヴィータに近づこうとしたら右目に鋭い痛みが走った。なぜか、彼女の周りからアストラルが漏れ出ているみたいだ。
「さっき言った、身体から漏れ出るアストラルを抑える力を一時的に解除したんです。周りへの影響を考えて、あまり使わないようにしようとお兄様と約束していたのですが」
「な、なるほどね……」
「終わったらいつも通りに戻しますのでご安心を。わたしはシファの方を押さえますから、あなたはアリアを」
「わかった!」
ヴィータはまっすぐに、シファの方へ駆けだしていった。奴もまた、星幽術を行使して黒結晶の翼を展開し、ヴィータを遠くから攻撃し始めた。
僕も、元々変形させていたガラスの剣を構え直す。その瞬間、偽アリアは待っていたと言わんばかりに僕の元へ詰め寄ってきて、憤怒に満ちた顔で大剣を振り上げてきた。偽アリアの攻撃は、偽物ゆえなのか一切の容赦がない。ガラスの剣ですべてを受け止めるわけにはいかないので、できるだけ回避しつつ隙を見て攻撃を仕掛ける方向で動く。
「〈風よ、我が敵を斬り裂け〉!」
「邪魔だぁッ!! オラアァァッ!!」
剣に風の魔力をまとわせて刃を放つも、大剣で斬られ防がれた。そこからさらに斬りかかってきたので、もう一度回避して剣を突き出す。刃は偽アリアの頬を掠め、僅かな血が飛び散った。
「こんなもの────!!」
歯を剥き出しにしながら剣を振り上げてきたので、前に踏み込んで偽アリアの懐に飛び込んだ。そのままの勢いで左肩の翼をガラスの剣で斬り裂くと、悲痛な叫びが夜空に響き渡った。光り輝く羽が辺りに舞い散った。少なからず心苦しさを感じ、僕も歯を食いしばる。
僕は翼を広げて夜空へ飛び立ち、偽アリアを空中から取り押さえようと機会を窺う。だが、僕を追いかけるようにして彼女も白い翼を広げ、空中で剣を振り回す。
「ちょっと────ぐぅっ!?」
「墜ちろッ!!!」
飛行中では回避行動がうまくとれず、避け切れなかった羽先が切断される。小さな羽が柔らかな欠片となって舞い落ち、僕の身体のバランスが崩れそうになる。僕の頭上へ浮かんだ彼女は、そんな絶好のチャンスを物にしようと、僕の胴体めがけて刃を突き立てようと落ちてくる。
ガラスの剣では防ぎきれないと思った僕は自分の前方に魔法陣型の障壁を展開した。刃先は障壁で食い止められるものの、偽アリアが落ちてこようとするので僕もそれに巻き込まれる形になる。
このままでは、二人まとめて地面に叩きつけられる。偽アリアは本当に僕を殺すつもりのようだ。それも、自分諸共────。
「死ね……死ね、死ね死ね死んじまえッ!!!」
────地面に辿り着くのはあっという間だった。前方だけの障壁では墜落の衝撃を免れることもできず、身体が叩き壊されそうなほどの激痛を受け止めてしまう。
僅かに抉られた地面に横たわってしまい、仰向けになった状態で動けなくなったところにアリアが近づいてくる。僕を睨みつけたり、憎悪を滲ませたりはしていなかった。
「はは……やっぱり、アリアは強いな……さすがだよ」
なぜか、口元が緩んだ。右目は相変わらず痛み続けているし、身体も同じくらい痛んでいる。笑える状況であるはずがないのに。
ガラスの剣は衝撃を受けたときに手放してしまっていたが、手を伸ばせる範囲に転がっていた。なんとかグリップを掴み、剣を地面に突き立てて立ち上がろうと踏ん張る。
「でも、だからこそ諦めるわけにはいかないんだ……もう少しで、本当のアリアを取り戻せるんだから……どれだけ僕を突き落としたって無駄だよ」
なんとか立ち上がり、偽アリアをまっすぐ見つめる。彼女も、笑っていた。もう少しで苦しみから解放される、楽になれる……そんなことを言いそうな、諦めの境地に達したような笑みだった。
「やっぱり、私を見てはくれないんだね、クリム……」
「え?」
荒々しい口調から一転して、普段のアリアとほとんど同じ喋り方で話しかけてきた。子供に優しく話しかけるような甘い声は、デミ・ドゥームズデイで致命傷を負った後、アイリス様にリミッターをかけられていたときのアリアとよく似ていた。
「ごめん。暴走している風を装っていたの。リミッターがなかったときの暴走は、本物のあの子のものだけど」
「ち、ちょっと……何を言ってるの、アリア?」
「私はあなたが好きなアリアじゃない。あなたは私のことを、リミッターで作られた人格だと思っているみたいだけど、ちょっと違うんだ。デミ・ドゥームズデイでばらまかれたアストラルから生まれた魔物で……アリアの身体に入ったことで彼女と似た人格を得ただけの、偽物なの」
彼女が手にしていた大剣が手放され、地面に落ちる。僕に近づいてきたと思ったら、ガラスの剣を握る腕を引き寄せて抱きしめてきた。引き寄せられたときに腕を軽く捻られ、再び剣が手から離れてしまう。
「ずっと、あなたが好きだった。あなたは私を見てくれなかったけれど。でも、やっと終わるよ……もう少しで、こんな痛くて苦しい思いはしなくて済むんだ」
昔から変わらない、優しくて甘い匂いがした。僕の知る彼女が変わってしまった日からずっと、この匂いに触れるのが怖かった。どんな形であれ生きているのだから、こんな僕を愛してくれるのだから、このままでもいい────そんな甘い考えに至ってしまいそうだったから。
以前のように突き飛ばせば、引きずり込まれないと思った。けれど拒絶しようにも、抱きしめる力が強すぎてうまくいかない。右目が痛くて痛くて、何か生温かいものが伝っている気がする。
「やめて……痛い……」
「もう戦わなくていいよ。ずっとこうしてあげる。君が私のものになったら、全部楽になれるから……ね?」
「────クリムから離れなさいっ!!」
耳元で囁かれる甘い声と同じ、懐かしい声が聞こえた。その瞬間、僕を抱きしめていた偽アリアが何かに吹き飛ばされた。放り出された僕をその誰かが受け止めてくれて、真っ白な翼で軽く包み込んでくれたのだ。
身体が痛む中、ゆっくりと振り返る。そこには、遙か昔に見たきりの慈悲深い微笑みがあって、思わず自分の目を疑いたくなった。
「クリム、ここまでよく頑張ったね。私が来たからには、もう大丈夫だよ」
見慣れた緑と青のオッドアイが、ボロボロになった僕にひたむきな優しさを向けていたのだ。
まだ、セルジュはアリアを見てくれているだろうか。カルデルトたちはもう帰っているし、容態の変化などなければいいのだけど。
「……離せよ。触れられてると落ち着かない」
「離したら逃げるでしょう。文句言わないでください。わたしだってあなたと手を繋ぎたくなんかありません」
「逃げねーし。ちょっとくらい信じろよ」
「信用されるとでも思ってるんですか? バカも甚だしい」
シファとヴィータが何やら言い合っているが、放っておいてひたすら引っ張った。そのときにはヴィータの部屋が目前に迫っていて、シファと繋いでいない方の手でドアを開けようとしたときだった。
「カルデルト先生! いや、クリム先輩!? なんでもいいです助けてください!!」
部屋の中からセルジュが飛び出してきて、扉を開けた僕の手を引っ張った。そのまま、強引にヴィータの部屋へと連れていかれる。
ベッドの上にはアリアが横たわっていたが、満足に休めているとは言い難かった。カルデルトが睡眠薬を飲ませたと言っていたけれど、胸を押さえて呻き声を上げながら苦しんでいる。
僕は無我夢中でアリアの元に駆け寄ったが、誰の反応にも応えることができないみたいだった。心なしか、彼女の周囲に薄く黒い瘴気が発生しているように見える。
「なんだか、ナターシャ先生のときと似てるんです……これってまずいんじゃ……」
「アストラルの侵食がかなり進んでる。放っとくとリコリスと同じ末路を辿るな」
僕とヴィータの手を振り払ったシファは、つかつかとアリアの方へ近づいた。この場で事情を知らないのはセルジュだけだったので、当然彼は大げさに驚くわけだが。
「え? は? ええぇぇ!? なんでシファがいるんです!? クリム先輩、ヴィータ、危ないですよ!?」
「黙ってろ、エンゲルの片割れ。傷つきたくないなら帰れ」
セルジュへ冷たく吐き捨ててから、血が滲んだままの包帯に包まれた右手をアリアへ向けた。
「おれにはアストラルを除去することはできない。だからこうする。『《Obsessed Replica》』」
シファが目を閉じ、手のひらから青白い光を放った。光はたちまちアリアを包み込み、一瞬だけ目が眩んでしまいそうな眩しさが溢れ出す。光が眩しくなればなるほど、アリアの苦渋に満ちた顔が和らいだものになっていく。
アリアの顔から苦しみが消えた頃には、彼女の容態も落ち着いたように見えた。ただ、彼女を包み込んでいた光はそのまま消えず、眠るアリアの横に佇む一人の実体に変わっていた。
その姿は……紛れもなく、アリアそのものだった。
「『《Obsessed Replica》』……これは魔法を行使した相手の偽物を作るというものですよね」
「そ。おれの星幽術の一つを応用した。この偽神の女の中には、確かにおれのアストラルが混入していたから、それだけを抽出して具現化させた。つまり……あのバーサーカー状態を引き起こしていた原因そのものこそが、この偽物ってことになる」
シファの星幽術によって生み出されたアリアは、無表情だった。しばらく、何もない場所をぼんやりと眺めているのみだったが、やがて僕たちの存在に気づいた。
そのとき、無表情だったアリアの綺麗な顔が憤怒や憎悪と呼べる感情で歪み────どこからともなく出した、薄桃色の刃がついた大剣を振りかざしてきた。
「死ねええぇぇぇ!!!」
「うわわわーっ!? 怖い怖い怖いですっ!! アリア先輩の偽物が襲ってきましたぁ!!」
「下がってセルジュ! 多分、シファの星幽術は元々こういうものなんだ!」
僕はとっさにガラスペンを手にして、剣に変形させてアリアの攻撃を防ぐ。
本物のアリアの持つ大剣は刃こぼれがひどかったが、偽物のアリアの剣は新品同様に鋭い。さすがに、まともに当たったらひとたまりもない。
「ちょっと、シファ! もう少しやりようはなかったんですか!?」
ヴィータが銀の魔導書を片手に、シファを問い詰める。当の本人は装束のポケットに両手を突っ込みながら、鬱陶しそうにため息をついた。
「おれはおまえやアスタとは違うし、これしかできねぇよ。それに……『救うためなら、なんだってやる』んだろ?」
ただ、両手をポケットに入れたわけではなかった。きちんと両手を出した彼の手には、複数枚の金色のカードが収まっていた。
シファは不敵な笑みとともに、カードを四方八方へ投げた。僕たちを取り囲むように投げられたカードは、一斉に光を放って視界を白く染め上げた。
「やってみろよ、クリム。本気で真なる神に抗うつもりならな!」
目の前が光で染まり、目を開けていられなくなる。しばらく目をつぶって、光が消えたのを見計らって目を開ける。そのときには、僕はデウスプリズンの中にはいなかった。
太陽はすでに落ち、世界は宵闇に染まろうとしていた。僕が立っていたのは、デウスプリズンから少し離れた場所にある草原だった。森からも中央都市からも離れているので、障害物は特にない。
僕の隣には、ヴィータも立っていた。しかし、セルジュとアリアの姿はない。僕とヴィータに相対するように、シファと偽物のアリアがそれぞれ戦闘態勢で待機していた。
「おまえらがあの偽神の女を救うには、この偽物を消滅させればいい。そうすれば暴走させていた原因は消えるからな。でも、おれはおまえらの邪魔をする。せいぜい死なない程度に頑張ることだな」
「……ここまでして、どうして僕たちの邪魔をするんだい?」
「だっておれ、おまえらの敵だし。さっきは一方的に傷つけられただけだし、そもそも敵対するのをやめるなんて一言も言ってないけど?」
やはり、小馬鹿にした笑い方をやめる気はないようだ。ため息が出そうになるが、ここで勝ってアリアを救うことができるというのなら、それが何よりも代え難い願いだ。
「本気……ですか。なら、わたしもそうしましょう」
そう言ったヴィータを見遣ると、彼女もまた真剣な面持ちになっていた。僕の視線に気づくと、横に立っていた僕を軽く押しのけて、距離を取らせてくる。
「クリム。わたしも一時的にあいつと『同じ』になります。あまりおいそれと近づかないように」
「それって────」
「《Anomalize》」
小さな口からそう唱えられた瞬間、ヴィータの周囲に赤を帯びた黒い稲妻が走った。たった一瞬の出来事だったが、ヴィータに近づこうとしたら右目に鋭い痛みが走った。なぜか、彼女の周りからアストラルが漏れ出ているみたいだ。
「さっき言った、身体から漏れ出るアストラルを抑える力を一時的に解除したんです。周りへの影響を考えて、あまり使わないようにしようとお兄様と約束していたのですが」
「な、なるほどね……」
「終わったらいつも通りに戻しますのでご安心を。わたしはシファの方を押さえますから、あなたはアリアを」
「わかった!」
ヴィータはまっすぐに、シファの方へ駆けだしていった。奴もまた、星幽術を行使して黒結晶の翼を展開し、ヴィータを遠くから攻撃し始めた。
僕も、元々変形させていたガラスの剣を構え直す。その瞬間、偽アリアは待っていたと言わんばかりに僕の元へ詰め寄ってきて、憤怒に満ちた顔で大剣を振り上げてきた。偽アリアの攻撃は、偽物ゆえなのか一切の容赦がない。ガラスの剣ですべてを受け止めるわけにはいかないので、できるだけ回避しつつ隙を見て攻撃を仕掛ける方向で動く。
「〈風よ、我が敵を斬り裂け〉!」
「邪魔だぁッ!! オラアァァッ!!」
剣に風の魔力をまとわせて刃を放つも、大剣で斬られ防がれた。そこからさらに斬りかかってきたので、もう一度回避して剣を突き出す。刃は偽アリアの頬を掠め、僅かな血が飛び散った。
「こんなもの────!!」
歯を剥き出しにしながら剣を振り上げてきたので、前に踏み込んで偽アリアの懐に飛び込んだ。そのままの勢いで左肩の翼をガラスの剣で斬り裂くと、悲痛な叫びが夜空に響き渡った。光り輝く羽が辺りに舞い散った。少なからず心苦しさを感じ、僕も歯を食いしばる。
僕は翼を広げて夜空へ飛び立ち、偽アリアを空中から取り押さえようと機会を窺う。だが、僕を追いかけるようにして彼女も白い翼を広げ、空中で剣を振り回す。
「ちょっと────ぐぅっ!?」
「墜ちろッ!!!」
飛行中では回避行動がうまくとれず、避け切れなかった羽先が切断される。小さな羽が柔らかな欠片となって舞い落ち、僕の身体のバランスが崩れそうになる。僕の頭上へ浮かんだ彼女は、そんな絶好のチャンスを物にしようと、僕の胴体めがけて刃を突き立てようと落ちてくる。
ガラスの剣では防ぎきれないと思った僕は自分の前方に魔法陣型の障壁を展開した。刃先は障壁で食い止められるものの、偽アリアが落ちてこようとするので僕もそれに巻き込まれる形になる。
このままでは、二人まとめて地面に叩きつけられる。偽アリアは本当に僕を殺すつもりのようだ。それも、自分諸共────。
「死ね……死ね、死ね死ね死んじまえッ!!!」
────地面に辿り着くのはあっという間だった。前方だけの障壁では墜落の衝撃を免れることもできず、身体が叩き壊されそうなほどの激痛を受け止めてしまう。
僅かに抉られた地面に横たわってしまい、仰向けになった状態で動けなくなったところにアリアが近づいてくる。僕を睨みつけたり、憎悪を滲ませたりはしていなかった。
「はは……やっぱり、アリアは強いな……さすがだよ」
なぜか、口元が緩んだ。右目は相変わらず痛み続けているし、身体も同じくらい痛んでいる。笑える状況であるはずがないのに。
ガラスの剣は衝撃を受けたときに手放してしまっていたが、手を伸ばせる範囲に転がっていた。なんとかグリップを掴み、剣を地面に突き立てて立ち上がろうと踏ん張る。
「でも、だからこそ諦めるわけにはいかないんだ……もう少しで、本当のアリアを取り戻せるんだから……どれだけ僕を突き落としたって無駄だよ」
なんとか立ち上がり、偽アリアをまっすぐ見つめる。彼女も、笑っていた。もう少しで苦しみから解放される、楽になれる……そんなことを言いそうな、諦めの境地に達したような笑みだった。
「やっぱり、私を見てはくれないんだね、クリム……」
「え?」
荒々しい口調から一転して、普段のアリアとほとんど同じ喋り方で話しかけてきた。子供に優しく話しかけるような甘い声は、デミ・ドゥームズデイで致命傷を負った後、アイリス様にリミッターをかけられていたときのアリアとよく似ていた。
「ごめん。暴走している風を装っていたの。リミッターがなかったときの暴走は、本物のあの子のものだけど」
「ち、ちょっと……何を言ってるの、アリア?」
「私はあなたが好きなアリアじゃない。あなたは私のことを、リミッターで作られた人格だと思っているみたいだけど、ちょっと違うんだ。デミ・ドゥームズデイでばらまかれたアストラルから生まれた魔物で……アリアの身体に入ったことで彼女と似た人格を得ただけの、偽物なの」
彼女が手にしていた大剣が手放され、地面に落ちる。僕に近づいてきたと思ったら、ガラスの剣を握る腕を引き寄せて抱きしめてきた。引き寄せられたときに腕を軽く捻られ、再び剣が手から離れてしまう。
「ずっと、あなたが好きだった。あなたは私を見てくれなかったけれど。でも、やっと終わるよ……もう少しで、こんな痛くて苦しい思いはしなくて済むんだ」
昔から変わらない、優しくて甘い匂いがした。僕の知る彼女が変わってしまった日からずっと、この匂いに触れるのが怖かった。どんな形であれ生きているのだから、こんな僕を愛してくれるのだから、このままでもいい────そんな甘い考えに至ってしまいそうだったから。
以前のように突き飛ばせば、引きずり込まれないと思った。けれど拒絶しようにも、抱きしめる力が強すぎてうまくいかない。右目が痛くて痛くて、何か生温かいものが伝っている気がする。
「やめて……痛い……」
「もう戦わなくていいよ。ずっとこうしてあげる。君が私のものになったら、全部楽になれるから……ね?」
「────クリムから離れなさいっ!!」
耳元で囁かれる甘い声と同じ、懐かしい声が聞こえた。その瞬間、僕を抱きしめていた偽アリアが何かに吹き飛ばされた。放り出された僕をその誰かが受け止めてくれて、真っ白な翼で軽く包み込んでくれたのだ。
身体が痛む中、ゆっくりと振り返る。そこには、遙か昔に見たきりの慈悲深い微笑みがあって、思わず自分の目を疑いたくなった。
「クリム、ここまでよく頑張ったね。私が来たからには、もう大丈夫だよ」
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