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第8章「神智を超えた回生の夢」
225話 大罪人
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*
身体の疲労感が凄まじい。いつの間にか、気を失っていたようだ。上体を起こすと、暗くなりそうな空と白い壁が目に入った。ここは、宮殿の中庭みたいだ。
私は……何してたんだっけ。
「あっ、ユキアおねーちゃん! 目が覚めた!」
「ユキア、よかったー。大事はなさそうだね」
身体を起こした私のそばに、ステラとアリアが佇んでいた。二人とも、私が目覚めるまで随分と心配していたようで、ほっと胸を撫で下ろしている。
街から宮殿にやってきたのも、多分二人が運んでくれたおかげだろう。
「最高神様! ちょっとこちらに来ていただけますか、怪我人の治療が……」
「ステラ様、お呼びですよ」
「あっ、うん! 今行きます!」
誰か知らない大人の声が聞こえた後、アルバトスに呼ばれたステラがその場から離れていく。中庭には行き場を失ったり、怪我を負った一般神たちが訪れていて、ステラが金色の杖を手に彼らを支えようとしていた。
「ステラはすごいね、ユキア。あんなに小さいのに、最高神としてみんなを必死に助けようとしてる。私もあんな風になりたいな」
「……そうね。アリア、アスタたちはどこにいるの?」
「多分、まだ繁華街で戦っていると思うよ。戦いは全然、終わる気配がないみたい……ステラだけに任せるわけにはいかないから、私も治療に行ってくるね」
アリアは小さく手を振りながら、一般神の元にいるステラのところへ向かった。
……行かなきゃ。クリムも頑張ってるんだから。
残された私は立ち上がり、誰かに断ることなく一人で中庭から離れた。
「あら、起きたの。じゃ、行くわよ」
壊れかけたエントランスにいた誰かが、私に声をかけてきた。なんだか久しぶりに聞く声だ……と思ってすぐに、向こうが私の手を掴んで宮殿の外へ歩き出した。
「み、ミラージュさん!? 何するの!?」
「ああ、ワタシはミラージュじゃなくて、ライランよ。断罪神くんから聞いていないかしら?」
聞きたいのはそっちじゃなくて……って、なんかもう情報量が多い。
私が首を横に振ると、ミラージュさん──ライランさんと名乗った女性は「そう」と短く答える。
「あの……今ってどういう状況か、わかります?」
「一応は、ね。ワタシもさっき目覚めてから、『これ』でずっと様子を窺っていたから」
宮殿の外に出て立ち止まったライランさんの手には、青い鏡の欠片があった。ミラージュさんの持ち物ではなさそうだ。
「この辺で大量に魔物が湧いていたでしょ? あれらはアナタの仲間が大方倒したわ。新しい最高神ちゃんとその付き添いの執事さん、それから天使の女神ちゃんはアナタの知っての通り。宮殿の中庭に逃げてきた一般神の治療や保護を行ってるわ」
「……クリムたちはどうしたんです?」
「魔物の討伐と、あの悪魔や復活したヴァニタスへの対処に向かったわ。他の神も、一度は行動不能になった結果、大半は復帰できているみたい。その反面、犠牲者もいるようだけど……」
私が気を失っていた間に、事態は大きく動いていたようだ。少しだけでも休めたし、巻き返す勢いで私も動き出さないと。
決意を胸に繁華街へ向かおうとしたものの、ライランさんが「待って」と呼び止めてきた。彼女は宮殿の前から動こうとしない。
「ユキアといったかしら。アナタに伝えておきたいことがあるのだけど」
「なんですか? というか、なんで私の名前を……」
「アナタ、多分もう『戦女神化』は使えないわよ」
あまりにもサラリと言われ、唖然として言葉を失う。何がなんだかわからなくなった私は、はっとしてライランさんに問い詰めた。
「なっ、何を根拠にそんなことを!? あんた、私の何を知って……!!」
「アナタの中にいるカイザーの魂、だいぶ弱ってしまっているわ。アナタたち、無茶しすぎたのよ。多分、カイザーが詳しい問題点を話さないまま、アナタに力を使わせ続けたのでしょうね」
ミラージュさんの顔で淡々と語るライランさんに、何も言い返せない。事実、彼女はすべてお見通しのようだったから。
「『戦女神化』はアナタだけの力じゃない。カイザーの魂からアストラルを割いて、アナタの魔力と一緒に混合して使う力なのよ。それはつまり、『戦女神化』を使うたびに彼の魂が削られていくってこと。最後はどうなるかなんて自明でしょ?」
「それは……そうだけど」
ふっと息を吹きかけたら一瞬で消えてしまいそうな、微かな灯火が自分の中で燃えている。この灯火は、絶対に消させたくない。そうなれば、私はもう以前のように星幽術を使うことすらできない。
私は、心のどこかで現状を楽観視しすぎていたと思う。途方もない絶望感に、心が塗り潰されていきそうだ。
「そうだ。アスタはどこに行ったか知ってる?」
「ああ……なるほどね。それなら忠告しておくわ。これ以上、アスタに関わらない方がいいわよ」
「ど、どうして!? カイザーのことを知ってるということは、あんたもローゼマリーさんやアスタたちの仲間じゃないの!?」
何か反論せずにはいられなくて、声を荒げてしまう。ライランさんはそんな私に不快感などを示すことはなく、憐れむような眼差しで私を見る。
「……ワタシはローゼマリーたちと同じ原初神であっただけで、アスタとヴィータを仲間だと認めた覚えはないわ。元々敵同士だったし」
「敵、って」
「観測者には別名が複数あるの。『異彩の子供』、『世界のすべてを知る者』……そして『悪魔の目』。どうしてこんな別名が存在するか、アナタにはわかる?」
ライランさんは私を試しているのか、微笑みながら挑発する。私が何も返せずにいると、彼女は小さくため息をついてから続けた。
「まあ、それは自分で考えなさい。ワタシがアスタと関わるなと言ったのはね……彼こそが、デウスガルテンという世界をバラバラに引き裂いた大罪人だからよ」
「────は?」
ずっと、胸に引っかかっていた疑問。ニールが口にした「アスタの罪」という言葉の意味。彼が濁した過去のこと。
聞いた瞬間、「知られたくなくて当然だ」と思った。それでも嘘だと否定した。頑として認めたくなかった。
「あの子と共にいることを選ぶなら、その罪と向き合わなければならない。アナタには……世界を敵に回すような大罪を肯定できるの?」
「そんなの────関係ない!!」
声を張り上げ、反射的に行動する。不自然なほどの静寂の中で、私は逃げるようにその場から走り去ったのだ。
この目で真実を確かめない限り、信じるもんか。私はアスタを信じているんだ。脳裏にこびりついたライランさんの言葉を何度も否定しながら、繁華街へ飛び出した。
戦いの舞台はすでに移っているみたいで、私が気を失うまで戦っていた大通りは閑散としていた。人影はほとんどない────そう思っていた。
「やっと、死んでくれた」
聞き覚えがあるはずなのに、ひどく冷たい声だった。機械のように感情を感じられない、冷然とした空気が漂っている。
私が向いたある方向に、アスタがたった一人で立ち尽くしていた。後ろ姿は、いつにも増して寂しく見えた。その足元には、黒ずんだ塵や赤黒い血で汚れた白い少女が崩れ落ちている。
駆け寄るのが恐ろしく感じられて、音を立てないようにゆっくり近づくことにした。それで、だんだんと現実が見えてくる。
「こんなに手間取ったのは久々だよ。やっぱり、観測者を相手にするなら『この力』を使うしかないんだね。本当、嫌になる」
彼の言葉は独り言に等しかった。アスタの後ろ姿から白い少女へ視線を移したとき、私はありえない光景を目にする。
白い少女の身体が、歪な形で断裂していた。血が流れるはずの身体の断面から、星空が見えていた。まるでこの空間の一部を斬り裂いて、奈落を開いたかのような現象が起きている。
「こんなことなら、ニールも同じようにすればよかった。それなら、こんなに苦しくて痛い気持ちにならずに済んだのに。こんな惨状を見せずに済んだのに……そう思わない? ユキ」
呼ばれ慣れた名であるはずなのに、今は聞いただけで息が詰まる。彼が音もなく近づいた私に向かって、ゆっくりと振り向いたのだ。
アスタの目は、見たこともないくらい虚ろだった。無表情で私を見つめたと思ったら、小さく微笑みかけてきた。何もかもを諦めたような、力ない笑い方だ。
「……やっぱり、知っちゃったんだ。なら、もう一緒にはいられないよね?」
「っ、待ってアスタ! 私は────」
「いいよ。こうなることは最初からわかってた。今まで……ありがとう」
アスタが私の横を通り抜けようとしたので、私は手を伸ばして止めようとした。でも、指は呆気なくすり抜けた。
「さよなら、ユキ」
去り際の声が私を突き放し、そして気配が消え去った。私の言葉など、聞いちゃくれなかった。
伸ばした手は空っぽだ。いつもそばにいた温もりが、消えている。自分の内側が崩れて、虚しさが募ろうとしている。
とてつもない無力感に苛まれ、目の前が潤んで見えなくなる。私は去った気配を追うこともできないまま、その場に膝をついた。
「くふふ……やっぱりだ。虚無に堕ちた君は美しい。私の見立ては間違っていなかった」
背筋がぞくりと震えた頃には、遅かった。私の身体にまとわりついた腕は生温かく、邪悪で歪な力とともに重くのしかかる。
「だから言っただろう? すべてを委ねてしまった方が幸せだと。現実を突きつけられて壊れる前にそうしておけば、君を輝かせていたものも失わずに済んだだろうに」
違う……私はまだ壊れてない。ただ、少し打ちのめされていただけだ。まだ戦えるはずだ。立ち上がれ。戦え。全部振り払え。
自分をどれだけ鼓舞しても、身体が動かない。自分のすべてを、今私の背後にまとわりついている悪魔に奪われてしまったような感覚だ。
「ほら……私とともに来たまえよ、ユキア。一緒に素晴らしい世界を見に行こうじゃないか」
甘ったるい声が、私を深淵に引きずり込もうとする。
何が────素晴らしい世界だ。私の何もわかっちゃいない。そんな奴なんて邪魔でしかない。
「私たちから何もかも奪って、めちゃくちゃにして……ふざけるなッ!!」
流れる血が滾るような怒りを覚え、身体の底から魔力が溢れ出す。怒りのままに爆発した力によって、まとわりついていた腕が引き剥がされた。
背後を見ると、ニールが地面に転がっていた。だが、私の魔力では、傷一つつけられなかった。しかも、狂気を孕んだ笑みを浮かべていた。
ああ、きっとこいつは、わざと私に吹き飛ばされたんだ。
「くふふ……そうだよ、ユキア。もっと私によく見せてくれたまえよ! 沸き立つ怒りも不条理への足掻きも、何もかもが気高く愛おしい!! 全部私が独り占めして食ってしまいたいよぉ、くはははっ!!」
「うるさい!! お前は私が殺してやる!! 今この場で死んでしまえ!!」
感じたこともなかった、黒々とした思いに支配されながら片手剣を召喚した。
どこまでも私たちを舐めやがって。腹が立つ。殺してやる。どうせこいつは死なない。だから殺す気で全部叩きつけてやる。
生命を殺す痛みを思い知らせて、お前を地獄の底に突き落としてやる────!!
「死に堕ちた万者の聖痕、その身に刻まん! 『《Vanagloria Cross》』!!」
アストラルの気配が強まると同時に、私の目の前に降ってきた何かが勢いよく突き刺さる。
地面に仰向けに転がった大人の背中に、古びた金色の巨大な十字架が突き刺さり、血潮が生まれた。うめき声を上げながら痙攣している様に怒りが冷め、逆に身が凍り付くのを感じる。
「ようやく見つけた、ゲス悪魔。そいつより先に、姉さんを二度も死なせた罪を償え。今のおまえにはそれしか価値ねぇから」
私の頭上から降ってきた声に息を飲む。×を宿した金色の瞳の少年──シファが黒い結晶の翼を展開しながら、十字架の下の大人の頭上を浮遊していた。
自分の仲間であるはずのニールを、憎悪が滲んだ眼差しで見下ろしながら────。
身体の疲労感が凄まじい。いつの間にか、気を失っていたようだ。上体を起こすと、暗くなりそうな空と白い壁が目に入った。ここは、宮殿の中庭みたいだ。
私は……何してたんだっけ。
「あっ、ユキアおねーちゃん! 目が覚めた!」
「ユキア、よかったー。大事はなさそうだね」
身体を起こした私のそばに、ステラとアリアが佇んでいた。二人とも、私が目覚めるまで随分と心配していたようで、ほっと胸を撫で下ろしている。
街から宮殿にやってきたのも、多分二人が運んでくれたおかげだろう。
「最高神様! ちょっとこちらに来ていただけますか、怪我人の治療が……」
「ステラ様、お呼びですよ」
「あっ、うん! 今行きます!」
誰か知らない大人の声が聞こえた後、アルバトスに呼ばれたステラがその場から離れていく。中庭には行き場を失ったり、怪我を負った一般神たちが訪れていて、ステラが金色の杖を手に彼らを支えようとしていた。
「ステラはすごいね、ユキア。あんなに小さいのに、最高神としてみんなを必死に助けようとしてる。私もあんな風になりたいな」
「……そうね。アリア、アスタたちはどこにいるの?」
「多分、まだ繁華街で戦っていると思うよ。戦いは全然、終わる気配がないみたい……ステラだけに任せるわけにはいかないから、私も治療に行ってくるね」
アリアは小さく手を振りながら、一般神の元にいるステラのところへ向かった。
……行かなきゃ。クリムも頑張ってるんだから。
残された私は立ち上がり、誰かに断ることなく一人で中庭から離れた。
「あら、起きたの。じゃ、行くわよ」
壊れかけたエントランスにいた誰かが、私に声をかけてきた。なんだか久しぶりに聞く声だ……と思ってすぐに、向こうが私の手を掴んで宮殿の外へ歩き出した。
「み、ミラージュさん!? 何するの!?」
「ああ、ワタシはミラージュじゃなくて、ライランよ。断罪神くんから聞いていないかしら?」
聞きたいのはそっちじゃなくて……って、なんかもう情報量が多い。
私が首を横に振ると、ミラージュさん──ライランさんと名乗った女性は「そう」と短く答える。
「あの……今ってどういう状況か、わかります?」
「一応は、ね。ワタシもさっき目覚めてから、『これ』でずっと様子を窺っていたから」
宮殿の外に出て立ち止まったライランさんの手には、青い鏡の欠片があった。ミラージュさんの持ち物ではなさそうだ。
「この辺で大量に魔物が湧いていたでしょ? あれらはアナタの仲間が大方倒したわ。新しい最高神ちゃんとその付き添いの執事さん、それから天使の女神ちゃんはアナタの知っての通り。宮殿の中庭に逃げてきた一般神の治療や保護を行ってるわ」
「……クリムたちはどうしたんです?」
「魔物の討伐と、あの悪魔や復活したヴァニタスへの対処に向かったわ。他の神も、一度は行動不能になった結果、大半は復帰できているみたい。その反面、犠牲者もいるようだけど……」
私が気を失っていた間に、事態は大きく動いていたようだ。少しだけでも休めたし、巻き返す勢いで私も動き出さないと。
決意を胸に繁華街へ向かおうとしたものの、ライランさんが「待って」と呼び止めてきた。彼女は宮殿の前から動こうとしない。
「ユキアといったかしら。アナタに伝えておきたいことがあるのだけど」
「なんですか? というか、なんで私の名前を……」
「アナタ、多分もう『戦女神化』は使えないわよ」
あまりにもサラリと言われ、唖然として言葉を失う。何がなんだかわからなくなった私は、はっとしてライランさんに問い詰めた。
「なっ、何を根拠にそんなことを!? あんた、私の何を知って……!!」
「アナタの中にいるカイザーの魂、だいぶ弱ってしまっているわ。アナタたち、無茶しすぎたのよ。多分、カイザーが詳しい問題点を話さないまま、アナタに力を使わせ続けたのでしょうね」
ミラージュさんの顔で淡々と語るライランさんに、何も言い返せない。事実、彼女はすべてお見通しのようだったから。
「『戦女神化』はアナタだけの力じゃない。カイザーの魂からアストラルを割いて、アナタの魔力と一緒に混合して使う力なのよ。それはつまり、『戦女神化』を使うたびに彼の魂が削られていくってこと。最後はどうなるかなんて自明でしょ?」
「それは……そうだけど」
ふっと息を吹きかけたら一瞬で消えてしまいそうな、微かな灯火が自分の中で燃えている。この灯火は、絶対に消させたくない。そうなれば、私はもう以前のように星幽術を使うことすらできない。
私は、心のどこかで現状を楽観視しすぎていたと思う。途方もない絶望感に、心が塗り潰されていきそうだ。
「そうだ。アスタはどこに行ったか知ってる?」
「ああ……なるほどね。それなら忠告しておくわ。これ以上、アスタに関わらない方がいいわよ」
「ど、どうして!? カイザーのことを知ってるということは、あんたもローゼマリーさんやアスタたちの仲間じゃないの!?」
何か反論せずにはいられなくて、声を荒げてしまう。ライランさんはそんな私に不快感などを示すことはなく、憐れむような眼差しで私を見る。
「……ワタシはローゼマリーたちと同じ原初神であっただけで、アスタとヴィータを仲間だと認めた覚えはないわ。元々敵同士だったし」
「敵、って」
「観測者には別名が複数あるの。『異彩の子供』、『世界のすべてを知る者』……そして『悪魔の目』。どうしてこんな別名が存在するか、アナタにはわかる?」
ライランさんは私を試しているのか、微笑みながら挑発する。私が何も返せずにいると、彼女は小さくため息をついてから続けた。
「まあ、それは自分で考えなさい。ワタシがアスタと関わるなと言ったのはね……彼こそが、デウスガルテンという世界をバラバラに引き裂いた大罪人だからよ」
「────は?」
ずっと、胸に引っかかっていた疑問。ニールが口にした「アスタの罪」という言葉の意味。彼が濁した過去のこと。
聞いた瞬間、「知られたくなくて当然だ」と思った。それでも嘘だと否定した。頑として認めたくなかった。
「あの子と共にいることを選ぶなら、その罪と向き合わなければならない。アナタには……世界を敵に回すような大罪を肯定できるの?」
「そんなの────関係ない!!」
声を張り上げ、反射的に行動する。不自然なほどの静寂の中で、私は逃げるようにその場から走り去ったのだ。
この目で真実を確かめない限り、信じるもんか。私はアスタを信じているんだ。脳裏にこびりついたライランさんの言葉を何度も否定しながら、繁華街へ飛び出した。
戦いの舞台はすでに移っているみたいで、私が気を失うまで戦っていた大通りは閑散としていた。人影はほとんどない────そう思っていた。
「やっと、死んでくれた」
聞き覚えがあるはずなのに、ひどく冷たい声だった。機械のように感情を感じられない、冷然とした空気が漂っている。
私が向いたある方向に、アスタがたった一人で立ち尽くしていた。後ろ姿は、いつにも増して寂しく見えた。その足元には、黒ずんだ塵や赤黒い血で汚れた白い少女が崩れ落ちている。
駆け寄るのが恐ろしく感じられて、音を立てないようにゆっくり近づくことにした。それで、だんだんと現実が見えてくる。
「こんなに手間取ったのは久々だよ。やっぱり、観測者を相手にするなら『この力』を使うしかないんだね。本当、嫌になる」
彼の言葉は独り言に等しかった。アスタの後ろ姿から白い少女へ視線を移したとき、私はありえない光景を目にする。
白い少女の身体が、歪な形で断裂していた。血が流れるはずの身体の断面から、星空が見えていた。まるでこの空間の一部を斬り裂いて、奈落を開いたかのような現象が起きている。
「こんなことなら、ニールも同じようにすればよかった。それなら、こんなに苦しくて痛い気持ちにならずに済んだのに。こんな惨状を見せずに済んだのに……そう思わない? ユキ」
呼ばれ慣れた名であるはずなのに、今は聞いただけで息が詰まる。彼が音もなく近づいた私に向かって、ゆっくりと振り向いたのだ。
アスタの目は、見たこともないくらい虚ろだった。無表情で私を見つめたと思ったら、小さく微笑みかけてきた。何もかもを諦めたような、力ない笑い方だ。
「……やっぱり、知っちゃったんだ。なら、もう一緒にはいられないよね?」
「っ、待ってアスタ! 私は────」
「いいよ。こうなることは最初からわかってた。今まで……ありがとう」
アスタが私の横を通り抜けようとしたので、私は手を伸ばして止めようとした。でも、指は呆気なくすり抜けた。
「さよなら、ユキ」
去り際の声が私を突き放し、そして気配が消え去った。私の言葉など、聞いちゃくれなかった。
伸ばした手は空っぽだ。いつもそばにいた温もりが、消えている。自分の内側が崩れて、虚しさが募ろうとしている。
とてつもない無力感に苛まれ、目の前が潤んで見えなくなる。私は去った気配を追うこともできないまま、その場に膝をついた。
「くふふ……やっぱりだ。虚無に堕ちた君は美しい。私の見立ては間違っていなかった」
背筋がぞくりと震えた頃には、遅かった。私の身体にまとわりついた腕は生温かく、邪悪で歪な力とともに重くのしかかる。
「だから言っただろう? すべてを委ねてしまった方が幸せだと。現実を突きつけられて壊れる前にそうしておけば、君を輝かせていたものも失わずに済んだだろうに」
違う……私はまだ壊れてない。ただ、少し打ちのめされていただけだ。まだ戦えるはずだ。立ち上がれ。戦え。全部振り払え。
自分をどれだけ鼓舞しても、身体が動かない。自分のすべてを、今私の背後にまとわりついている悪魔に奪われてしまったような感覚だ。
「ほら……私とともに来たまえよ、ユキア。一緒に素晴らしい世界を見に行こうじゃないか」
甘ったるい声が、私を深淵に引きずり込もうとする。
何が────素晴らしい世界だ。私の何もわかっちゃいない。そんな奴なんて邪魔でしかない。
「私たちから何もかも奪って、めちゃくちゃにして……ふざけるなッ!!」
流れる血が滾るような怒りを覚え、身体の底から魔力が溢れ出す。怒りのままに爆発した力によって、まとわりついていた腕が引き剥がされた。
背後を見ると、ニールが地面に転がっていた。だが、私の魔力では、傷一つつけられなかった。しかも、狂気を孕んだ笑みを浮かべていた。
ああ、きっとこいつは、わざと私に吹き飛ばされたんだ。
「くふふ……そうだよ、ユキア。もっと私によく見せてくれたまえよ! 沸き立つ怒りも不条理への足掻きも、何もかもが気高く愛おしい!! 全部私が独り占めして食ってしまいたいよぉ、くはははっ!!」
「うるさい!! お前は私が殺してやる!! 今この場で死んでしまえ!!」
感じたこともなかった、黒々とした思いに支配されながら片手剣を召喚した。
どこまでも私たちを舐めやがって。腹が立つ。殺してやる。どうせこいつは死なない。だから殺す気で全部叩きつけてやる。
生命を殺す痛みを思い知らせて、お前を地獄の底に突き落としてやる────!!
「死に堕ちた万者の聖痕、その身に刻まん! 『《Vanagloria Cross》』!!」
アストラルの気配が強まると同時に、私の目の前に降ってきた何かが勢いよく突き刺さる。
地面に仰向けに転がった大人の背中に、古びた金色の巨大な十字架が突き刺さり、血潮が生まれた。うめき声を上げながら痙攣している様に怒りが冷め、逆に身が凍り付くのを感じる。
「ようやく見つけた、ゲス悪魔。そいつより先に、姉さんを二度も死なせた罪を償え。今のおまえにはそれしか価値ねぇから」
私の頭上から降ってきた声に息を飲む。×を宿した金色の瞳の少年──シファが黒い結晶の翼を展開しながら、十字架の下の大人の頭上を浮遊していた。
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