明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ

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第六幕 覚醒

覚醒―4

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 琥珀に呼ばれたような気がして、あさぎは重たい瞼を持ち上げた。指先に触れた髪飾りを手の中に握り直した。眩しくて目を細めたが、この明るさが炎によるものだと気が付いて、一気に意識が覚醒した。

「逃げなきゃ……!」
「ん、うう……」
 なだれ込むように一緒に倒れていた凪が、声を上げた。ゆっくりと瞼が開いて、視線があさぎを捉えた。

「凪!」
「ごめんなさい。わたしの、せいで。……あさぎは、動ける?」
「なんとかね」
「なら、早く逃げて。あさぎ一人なら、まだいけるわ」

 凪は玄関を指さした。確かに今なら走れば多少の火傷程度で抜けられるかもしれない。だが、凪は未だ起き上がるだけで精いっぱいだ。

「凪を置いてはいけない」
「混ざり子で、裏切り者、こんな者は放って行って」
「絶対に嫌!」

 凪を置いて一人で逃げるなんて、考えられない。あさぎは、凪の腕をもう一度自分の肩に回す。凪は腕を振りほどこうとするが、あさぎはぎゅっと掴んで離さない。煙がどんどん増えてきている。

「あさぎ、わたしはもういいのよ。蘭の家から捨てられたわたしに、価値なんてないわ」
「そんなことどうでもいい! 私が、凪と一緒にいるのが楽しいんだから、それでいいの」
 凪は弱々しいが、確かに笑顔を浮かべた。あさぎは、まだ重たい足を懸命に前に出す。

「皆と過ごす日々は楽しかった。芝居をしている時は、自分自身を認めてもらえたように思えたわ。芝居がない時も、花音と流行りの服の話をしたり、佐奈と一緒にお菓子を食べたり、あさぎの恋の話を聞いたり、本当に楽しかったわ。……友人なんて、一生出来ないと思っていたから、仮初でも嬉しかったわ」
「仮初なんかじゃないよ!」
 あさぎが、強い口調でそう言っても、凪はゆるゆると首を振った。

「……ああ、わたしは、どこで間違えたのかしら。あの占いにでも聞いてみれば良かったわ」
「占い?」
「花音がやってた、学校で流行っている占いよ。あれも楽しかったわ。何でも答えてくれるらしいわよ」

 凪が諦めを含んだ声音で、楽しかった時を思い返して微笑んでいる。確か、皆で不思議な形の置物を囲んで座っていた、あれだ。花音が試験の結果を占っていたのだった。

「後で、名前を聞いたのよ。確か、そう、『こっくりさん』だったわ」
 その名前が、あさぎの中に染み込んできた。ずっと呼ばれ続けていた、あの声と重なった。



 ――さん。――こっくりさん、こっくりさん



 頭の中にずっとあった霧のような雨が、さあっと消え去り、声がはっきりと聞こえた。ずっと、名前を呼ばれていたのだ。ふわふわと不安定に浮かんでいた体が、ようやく地面に着地した感覚だった。自分の手足が、声が、ようやく自分のものとして機能した。
 あさぎは、ようやく知り得た、何者かを口にした。

「私は、こっくりさん」

 あさぎを中心に風が巻き起こり、集まってくる。その勢いで凪が風の外に追い出された。あさぎは、風にすっぽりと覆われて、自分の内側から抑えきれないほどの強い熱が溢れ出した。そして、風が弾けた。その風で、辺りに漂っていた煙がはじき出された。

 あさぎの髪の間から銀色の狐の耳が天に向かってピンと立っていて、背後にはふさふさとした豊かな白銀の尻尾が揺れていた。あさぎは、解放感さえあるこの姿で、くるりとその場で回った。

「あさ、ぎ?」
「あっ、凪の手を離しちゃってた。ごめん、大丈夫?」
「それより、その姿……記憶を思い出したの?」
 凪の質問に、あさぎは首を振った。

「私は、こっくりさん。記憶を失ったんじゃなくて、あの天気雨の日、生まれた妖だった。思い出す記憶なんて、なかったんだ。ただ、自分が何者かが、抜け落ちてしまってただけ」

 こっくりさんは、去年西洋から渡ってきて、今年明治二十年に学生の間で流行り出したものだった。妖の一覧を見ても、地方の伝承を見ても、いないはずだ。古来から存在する妖は結婚し、子を成すことで何代にも渡って繁栄し、続いていくが、新しい妖は、無からその存在が生まれてくるのだ。

 聞いたことに何でも答えてくれるこっくりさんは、未来視が出来るわけではなく、見聞きしたものを全て記憶し、そこから答えを導き出す妖。見たもの聞いたものを全て記憶し、人に聞かれた時に、その答えを導き出す才が最も発揮される。それ自体があさぎの第六感だったのだ。

「こっくりさん……。狐狗狸と書く、狐の妖による占いなのだと聞いたわ。そう、あなたが」
 あさぎは、こくりと頷いた。薄くて見えなかった手の甲の花紋は、はっきりと山吹の花が見える。狐の一員であることを、花紋を見て実感した。

「ねえ、あなたの本当の名前は?」
 凪が少し寂しそうな表情をしながら、聞いてきた。あさぎは、満面の笑みで即答した。

「あさぎ、だよ。私には、凪に付けてもらったこの名前だけ」
「! そう。嬉しいわ、あさぎ」

 ごおっと音を立てて、炎の勢いが増してきた。煙も戻ってきている。あさぎ一人だとしても、抜け出すのは厳しいだろう。もう、時間がない。あさぎは、凪の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「凪、私に聞いて。どうすれば、ここから出られるかを」
「分かったわ」
 あさぎの意図を瞬時に理解してくれた凪は、一つ息を吐いてから、その文言を口にした。

「こっくりさんこっくりさん、ここから出るにはどうしたらいいですか。教えてください」
 その瞬間、あさぎの頭の中に何百という草子が一気に開かれた。今まで見聞きした全ての情報が展開されて、それらに手を伸ばしていく。膨大な中から最適なものを選び出す。かかる時間はわずか瞬き二回ほど。

「凪、ヤナの第六感を使おう」
「え?」

 妖の一覧から見つけ出した。ヤナは丁族の妖で、昔ある城の外堀に住んでいたぬしが起源とされている。城に敵が攻めてきた時に霧を起こし、洪水を起こして敵を追い払ったのだという。伝わるのはこの話一つのみ。それゆえに周知が低いのだろう。そして、その第六感は伝承に沿ったものだ。

「ヤナの第六感は、洪水を起こすこと、つまり水を生み出せるんだよ」
「それは、知っているわ。でも、使ったことないのよ。蘭の家で汚らわしいと言われるのが目に見えていたもの。それに、自分を捨てた母の力なんて……」

 凪は、左手の甲にある薄の花紋を憎々しげに見つめた。右手の蘭の花紋にも、同様の視線を向けた。どちらの苗字も、凪を苦しめるものでしかない。それならば。

「蘭でも、薄でもなくていいと思う」
「それはどういう」
「凪もここの名前をもらおう。黄昏凪。私とお揃いだよ、どう?」

 凪は、目を大きく見開いてあさぎを見つめた。その目からはらりと涙が零れた。声にならない声で、黄昏凪、と口にした。わずかに口元に笑みが浮かぶのが見えた。

「凪なら、出来る。信じて。こっくりさんが言うんだから」
「……分かったわ。ヤナの血は半分だけ、洪水まで起こせるかは不安だけど」

 凪は、深呼吸をすると、妖姿になった。着物の裾から見える魚の尾は、何度見ても美しい。凪は左手をまだそこまで熱を持っていない床の一部に当てた。床と凪の手の間から、水がじわりと滲み出てきた。ヤナの第六感が使えている。だが、この火を消すほどの水を生み出すことは、おそらく厳しい。
 凪が、手にぐっと力を込めたまま、声を上げた。

「こっくりさん! どうすればいいの」
「……入口へ向けて、真っすぐに水を流して。一瞬でいい、道を作って」
「分かったわ。合図をして、すぐにあさぎは走って。わたしは走れないわ」
 凪は魚の尾を目線で示してそう言った。が、あさぎは置いていくつもりなど微塵もない。

「絶対に凪も連れて行く。行くよ、一、二、三!」

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