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三章 ― 子 ―

三章-8

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「実は、中宮様に引き抜きを頼んでくださったのは、女御様なんよ。うちが居づらいのを見兼ねて、お願いしてくださったと、中宮様から聞いたんよ。ここにいるより、藤壺の方が、うちが楽しく過ごせるやろうからって」

「麗景殿でいじめがあったことが表に出れば、評判が下がる。だから、右近は、自主的に藤壺に行ったことにした。違う?」

 紫檀の付け足しに、紹子はこくんと頷いた。

「そうやよ。女御様に迷惑はかけたくなかったんよ。藤壺の女房方は事情を知っていたから、優しくしてくださって、快適な女房生活やよ。でも、まさか麗景殿の女房方にこんなにぐちぐち裏切り者って言われるとは思うてなかったけど。あの方々しつこいなあ」

 紹子は軽い調子で、しつこい女性は嫌われるのになー、とか言っている。

 中宮、女御双方の尽力があって、紹子は女房を続けることが出来ている。中宮の傍にいながらも、女御のことも気にかけているのは、そういうわけだったのだ。

「僕が調べられたのは、ここまで。右近しか知らないことが、この先にある、はず」
「分かったわ」

 紫檀から小声でそう言われて、菫子は頷いた。何とかして聞き出さなければならない。

「右近さん、あなたが女御様を大事に想うのは分かったわ。中宮様への感謝も。ならどうして、御子を殺めるなんて言うの」
「それは……」
「教えて。お願い」
 長々しい言葉は無駄に思えた。紹子の目を見て、短い言葉で乞う。

「毒小町は、中宮様の味方? 女御様の味方?」
「どちらでもないわ。強いて言うなら、内裏女房の立場だから、主上の味方よ」

 帝に会ったばかりのころも同じようなことを言った覚えがある。宮中には、競うどちらかの側につかなければ、という強迫観念のようなものがあちこちである。どちらかに所属することで、安心したり、相手側を貶める理由にしたり。

 政治に直結する人間関係が数多存在するこの場所では仕方のないことかもしれないが、せめてどちらでもない、と言わせて欲しい。

「本当!? うちも、どっちでもないんよ。中宮様も女御様も、どちらも幸せでいていただきたいんよ」

 紹子が、ぱあっと顔を輝かせて菫子に近付いてきた。紫苑がすかさず、触れたら危ないでしょって、間に入ってくれた。ついうっかりなんて、笑うが、全く笑いごとではない。菫子は紹子とさりげなく距離を広げてから、もう一度問うた。

「あなたは、何を知っているの」
「今から言うこと、誰にも言わんって約束して」
「分かったわ」

「……主上は、夜伽をなさっていないんよ。中宮様とも女御様とも」
「!?」

 紹子が声をひそめて言ったことを、すぐには理解が出来ない。帝は、中宮も女御も平等に夜、清涼殿に召しているのではなかったのか。

「どうして」
「理由は、うちには分からんけど」
「どうして右近さんがそれを知っているの」

「中宮様、女御様それぞれから、お聞きしたからやよ。中宮様は、待つしかないわねとおっしゃっていたけれど、女御様は随分悩まれていた、と思う。麗景殿から藤壺へ移る時、それぞれの内情を相手側に話してはならないことになっているから、このことは、今まで誰にも言うてない」

 帝がどちらの妃とも夜伽をしていない。そんなことは、中宮や女御に近しいものしか知らないだろう。しかも、それを両方知っているのは、帝を除いては紹子しかいない。

「え、じゃあ、どうして女御様はご懐妊なさったのかしら」
「相手は、主上やないってことになる」
「……!」

 菫子は、言葉をなくした。女御のお腹の子は、不義の子ということになる。ようやく、紹子の言った『このままでは女御の立場が危うい』の意味が分かった。不義をはたらいたなど、世間に知られれば、評判は地に落ちる。

 大人しく聞いていた双子も、予想外だったらしく、驚いていた。

「そうか、だから主上は……」
 女御の懐妊の祝いを述べた時、帝の反応に違和感があったのは、そういうことだったのだ。

「そうよ、主上はすでにご承知よね。でも、どうして何もおっしゃらないのかしら」
「まずは毒への対処を優先させたんだと思うよ。あとは、真偽を確かめているか、相手を探しているのかもね」

 俊元が、念誦堂の戸を開けて顔を出した。もしも、紹子が毒を混入させた犯人なら危険だと思って、控えてもらっていた。結果的に俊元も一緒に話を聞くことになった。

「え、もう一人いたん。どうしよ、うち色々としゃべっちゃったけど」
「侍従の立場にかけて、誰にも言わないよ。それに、主上の様子からなんとなく察してはいたし」

 紹子は、橘侍従様か、と遅れて俊元のことを認識したらしい。
 菫子は俊元の近くへ行き、どうしますかと聞いた。ここからどう動くかは決めていなかった。
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