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四章 ― 鬼 ―
四章-8
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「右近さん。毒は、平気だったの……?」
「一日半くらい高熱は出たけど、その後、この通り回復したんよ」
「本当に、今しんどくはないの? 息苦しいとか」
「全然」
紹子は、にっこりと笑ってその場でくるりと一回転した。本当に、体調は問題ないらしい。
「ありがとう、生きていて、くれて」
「体は丈夫やって言うたもん。あんな熱くらい、平気平気」
「本当に、良かった……。もしかして、右近さんも毒が効かない体質だったの?」
「いや、そういうことやないと思う、実際、熱は出たし。実はそのことで、話しておきたいことがあってな」
少し小声になって、紹子は語り出した。その顔が真剣そのもので、菫子は少し怖く思いながらも耳を傾ける。
「藤小町の髪に触れた部分の、黒い痣、あれを見たことがあるって人がいたんよ」
「痣を? 一体どこで」
「十年くらい前に、その人、弁の命婦の友人が体調を崩して、見舞いに行った時やって。会いに行った時にはもう熱は下がってて、大丈夫って笑っていたのに、その後急死してしまったって。なんか不自然やったって」
「そのご友人の名前は……?」
「藤内侍って言うてた。食い下がって、名前聞き出したんよ。季子さんやって。聞いたことある?」
「……!」
藤原季子、菫子の母の名である。母の見舞いに来ていた人がいたらしい。見舞客と話が出来るほど、元気になっていた? 菫子の記憶では、母はずっと臥せっていた。いや、それは一体何日間の記憶なのだろう、数時間だったような気もしてくる。
あの頃の記憶は、母の言葉以外、あやふやだ。
「藤小町の毒って、ほんまに人が死んでしまうような毒なん?」
「それは、だって」
「うちは生きてるよ」
菫子の髪に触れたせいで、母と侍女は死んでしまった。それは紛れもない事実。でも、同じように痣が出た紹子は、生きている。何が違うというのか。
「中宮様に詳しく調べてもらえるか、頼んでみる」
「え、今わたしは宮中で毒事件の犯人にされているんじゃないの? 中宮様もご存じよね」
「中宮様は、信じていらっしゃらない。当然うちも。中宮様が果物を用意してくださって、何とかして会いに行っておいでって、おっしゃったんよ」
「そう、だったの」
念誦堂の外は全て、菫子を犯人とする人しかいないと思っていたが、そうではなかったらしい。信じてくれている人がいるのは、嬉しい。
「第一、橘侍従様が行方不明になってるんやから、おかしいに決まってる」
「行方不明!?」
つい、大きな声を出してしまいそうになって、自分の手で口を塞いで、言葉を押し込めた。思っていたよりも事態は深刻そうだ。
「三日くらい前から、どこにもいないんやって。主上が探させているけど、見つからん。橘侍従様がいらっしゃらないから、この軟禁も、うやむやにされてしまってるんよ。さすがに中宮様でも役人を動かすのは難しいって」
「三日前……じゃあやっぱり」
この軟禁の処置を下したのは、俊元ではない。指示が出せるはずがない。俊元の名前を騙った別の誰かの仕業だ。まさか、東宮派が動き出したのか。
菫子を軟禁状態にして、紹子を毒に触れさせ、俊元を行方不明にした。帝が危険に晒される状況になっている。強硬手段に出るかもしれない。
「どうしよう……」
「毒を盛った、ほんまの犯人が、悪いんよね」
「ええ。でも、えっと」
「話せんこと、公になってないことがあるんよね。主上が関わっておられることなら、仕方ないことやよ。うちに出来ることない?」
「橘侍従様から、何か聞いていない?」
「うちは何も。中宮様も調査のことはほとんど聞いていらっしゃらないって」
毒を盛った犯人が分かっているのは、蟲毒と青梅の源少将だけ。漆かぶれは事故のようなもので、犯人なし。唐胡麻の犯人は分かっていない。正月に帝を襲った杯の毒は、その毒の正体すら分からない。
――何のために、ここにいるの。毒で、これ以上誰も苦しまないため、わたしが出来ることを。
「一日半くらい高熱は出たけど、その後、この通り回復したんよ」
「本当に、今しんどくはないの? 息苦しいとか」
「全然」
紹子は、にっこりと笑ってその場でくるりと一回転した。本当に、体調は問題ないらしい。
「ありがとう、生きていて、くれて」
「体は丈夫やって言うたもん。あんな熱くらい、平気平気」
「本当に、良かった……。もしかして、右近さんも毒が効かない体質だったの?」
「いや、そういうことやないと思う、実際、熱は出たし。実はそのことで、話しておきたいことがあってな」
少し小声になって、紹子は語り出した。その顔が真剣そのもので、菫子は少し怖く思いながらも耳を傾ける。
「藤小町の髪に触れた部分の、黒い痣、あれを見たことがあるって人がいたんよ」
「痣を? 一体どこで」
「十年くらい前に、その人、弁の命婦の友人が体調を崩して、見舞いに行った時やって。会いに行った時にはもう熱は下がってて、大丈夫って笑っていたのに、その後急死してしまったって。なんか不自然やったって」
「そのご友人の名前は……?」
「藤内侍って言うてた。食い下がって、名前聞き出したんよ。季子さんやって。聞いたことある?」
「……!」
藤原季子、菫子の母の名である。母の見舞いに来ていた人がいたらしい。見舞客と話が出来るほど、元気になっていた? 菫子の記憶では、母はずっと臥せっていた。いや、それは一体何日間の記憶なのだろう、数時間だったような気もしてくる。
あの頃の記憶は、母の言葉以外、あやふやだ。
「藤小町の毒って、ほんまに人が死んでしまうような毒なん?」
「それは、だって」
「うちは生きてるよ」
菫子の髪に触れたせいで、母と侍女は死んでしまった。それは紛れもない事実。でも、同じように痣が出た紹子は、生きている。何が違うというのか。
「中宮様に詳しく調べてもらえるか、頼んでみる」
「え、今わたしは宮中で毒事件の犯人にされているんじゃないの? 中宮様もご存じよね」
「中宮様は、信じていらっしゃらない。当然うちも。中宮様が果物を用意してくださって、何とかして会いに行っておいでって、おっしゃったんよ」
「そう、だったの」
念誦堂の外は全て、菫子を犯人とする人しかいないと思っていたが、そうではなかったらしい。信じてくれている人がいるのは、嬉しい。
「第一、橘侍従様が行方不明になってるんやから、おかしいに決まってる」
「行方不明!?」
つい、大きな声を出してしまいそうになって、自分の手で口を塞いで、言葉を押し込めた。思っていたよりも事態は深刻そうだ。
「三日くらい前から、どこにもいないんやって。主上が探させているけど、見つからん。橘侍従様がいらっしゃらないから、この軟禁も、うやむやにされてしまってるんよ。さすがに中宮様でも役人を動かすのは難しいって」
「三日前……じゃあやっぱり」
この軟禁の処置を下したのは、俊元ではない。指示が出せるはずがない。俊元の名前を騙った別の誰かの仕業だ。まさか、東宮派が動き出したのか。
菫子を軟禁状態にして、紹子を毒に触れさせ、俊元を行方不明にした。帝が危険に晒される状況になっている。強硬手段に出るかもしれない。
「どうしよう……」
「毒を盛った、ほんまの犯人が、悪いんよね」
「ええ。でも、えっと」
「話せんこと、公になってないことがあるんよね。主上が関わっておられることなら、仕方ないことやよ。うちに出来ることない?」
「橘侍従様から、何か聞いていない?」
「うちは何も。中宮様も調査のことはほとんど聞いていらっしゃらないって」
毒を盛った犯人が分かっているのは、蟲毒と青梅の源少将だけ。漆かぶれは事故のようなもので、犯人なし。唐胡麻の犯人は分かっていない。正月に帝を襲った杯の毒は、その毒の正体すら分からない。
――何のために、ここにいるの。毒で、これ以上誰も苦しまないため、わたしが出来ることを。
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