上 下
57 / 74
四章 ― 鬼 ―

四章-8

しおりを挟む
「右近さん。毒は、平気だったの……?」
「一日半くらい高熱は出たけど、その後、この通り回復したんよ」

「本当に、今しんどくはないの? 息苦しいとか」
「全然」

 紹子は、にっこりと笑ってその場でくるりと一回転した。本当に、体調は問題ないらしい。

「ありがとう、生きていて、くれて」
「体は丈夫やって言うたもん。あんな熱くらい、平気平気」

「本当に、良かった……。もしかして、右近さんも毒が効かない体質だったの?」
「いや、そういうことやないと思う、実際、熱は出たし。実はそのことで、話しておきたいことがあってな」

 少し小声になって、紹子は語り出した。その顔が真剣そのもので、菫子は少し怖く思いながらも耳を傾ける。

「藤小町の髪に触れた部分の、黒い痣、あれを見たことがあるって人がいたんよ」
「痣を? 一体どこで」

「十年くらい前に、その人、弁の命婦みょうぶの友人が体調を崩して、見舞いに行った時やって。会いに行った時にはもう熱は下がってて、大丈夫って笑っていたのに、その後急死してしまったって。なんか不自然やったって」

「そのご友人の名前は……?」
藤内侍とうのないしって言うてた。食い下がって、名前聞き出したんよ。季子としこさんやって。聞いたことある?」

「……!」

 藤原季子、菫子の母の名である。母の見舞いに来ていた人がいたらしい。見舞客と話が出来るほど、元気になっていた? 菫子の記憶では、母はずっと臥せっていた。いや、それは一体何日間の記憶なのだろう、数時間だったような気もしてくる。

 あの頃の記憶は、母の言葉以外、あやふやだ。

「藤小町の毒って、ほんまに人が死んでしまうような毒なん?」
「それは、だって」
「うちは生きてるよ」

 菫子の髪に触れたせいで、母と侍女は死んでしまった。それは紛れもない事実。でも、同じように痣が出た紹子は、生きている。何が違うというのか。

「中宮様に詳しく調べてもらえるか、頼んでみる」
「え、今わたしは宮中で毒事件の犯人にされているんじゃないの? 中宮様もご存じよね」

「中宮様は、信じていらっしゃらない。当然うちも。中宮様が果物を用意してくださって、何とかして会いに行っておいでって、おっしゃったんよ」
「そう、だったの」

 念誦堂の外は全て、菫子を犯人とする人しかいないと思っていたが、そうではなかったらしい。信じてくれている人がいるのは、嬉しい。

「第一、橘侍従様が行方不明になってるんやから、おかしいに決まってる」
「行方不明!?」

 つい、大きな声を出してしまいそうになって、自分の手で口を塞いで、言葉を押し込めた。思っていたよりも事態は深刻そうだ。

「三日くらい前から、どこにもいないんやって。主上が探させているけど、見つからん。橘侍従様がいらっしゃらないから、この軟禁も、うやむやにされてしまってるんよ。さすがに中宮様でも役人を動かすのは難しいって」
「三日前……じゃあやっぱり」

 この軟禁の処置を下したのは、俊元ではない。指示が出せるはずがない。俊元の名前を騙った別の誰かの仕業だ。まさか、東宮派が動き出したのか。

 菫子を軟禁状態にして、紹子を毒に触れさせ、俊元を行方不明にした。帝が危険に晒される状況になっている。強硬手段に出るかもしれない。

「どうしよう……」
「毒を盛った、ほんまの犯人が、悪いんよね」

「ええ。でも、えっと」
「話せんこと、公になってないことがあるんよね。主上が関わっておられることなら、仕方ないことやよ。うちに出来ることない?」

「橘侍従様から、何か聞いていない?」
「うちは何も。中宮様も調査のことはほとんど聞いていらっしゃらないって」

 毒を盛った犯人が分かっているのは、蟲毒と青梅の源少将だけ。漆かぶれは事故のようなもので、犯人なし。唐胡麻の犯人は分かっていない。正月に帝を襲った杯の毒は、その毒の正体すら分からない。



 ――何のために、ここにいるの。毒で、これ以上誰も苦しまないため、わたしが出来ることを。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】悪役令嬢のトゥルーロマンスは断罪から☆

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:1,896

初恋の王女殿下が帰って来たからと、離婚を告げられました。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:76,452pt お気に入り:6,930

後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:6,313pt お気に入り:663

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:37

あやかし警察おとり捜査課

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:65

異世界転生したけどチートもないし、マイペースに生きていこうと思います。

児童書・童話 / 連載中 24h.ポイント:10,863pt お気に入り:1,041

花火の思い出

青春 / 連載中 24h.ポイント:9,627pt お気に入り:1

ブラック・スワン  ~『無能』な兄は、優美な黒鳥の皮を被る~ 

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,151pt お気に入り:192

処理中です...