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秋~婚約打診
2. 婚約の申し入れ
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日々の忙しさにかまけてミシェルとの婚約話については先延ばしにし、せっせと魔石に魔法陣を刻んでいたある日、エリサはジャンに呼び出された。呼び出された屋敷の執務室へと向かう廊下の窓から見える庭の木々はすっかり紅葉し、落ち葉となっている。
目覚まし時計のことで何かあるのかとのん気に出向いた部屋にはナタリーもいたが、二人とも険しい表情をしている。何かよくないことが起きたのか。よく考えれば、ジャンは商会で仕事をしているはずの日中に、お屋敷の執務室にいること自体、何かがあったと物語っている。
「エリサちゃん、フォール侯爵家三男のシモン様から、婚約の申し入れがあった」
「え?」
「三日後には正式な婚約を結ぶためにいらっしゃると、手紙には書いてある。侯爵家相手では、こちらから断ることは難しい」
シモンは侯爵家の三男、四十代で独身、条件だけ聞けばとても良い。問題なのは、魔法省に勤めている魔法陣技師であるということだ。魔法陣技師同士で話も合うだろう、と見せてもらった手紙には書いてあった。
だがジャンが調べたところ、シモンは魔法省には勤めているものの、役職のないただの技師だ。実家の爵位と年齢を考えれば、何かしら役職がついていてもおかしくない。となると、おそらくあまり優秀ではないのだ。その人物からこのタイミングでの申し込み、十中八九、エリサの魔法陣の技術が目的だ。
それに手紙の端々からは、侯爵家の私が男爵家の娘と結婚してやるのだから感謝しろという傲慢さが見て取れる。
しかも有無を言わせず三日後には正式に婚約など、時間をかけて断られては困る何かがあるのだ。
「エリサちゃん、ミシェル様とはどうなってるの?」
「エリサ、三日以内に何としてもミシェル様と婚約を結びなさい」
無茶を言う。いくらなんでも無理だ。いや、頼み込めばいけるか? だが、ミシェルの家は伯爵家だ。侯爵家の横やりを防げるだろうか。
そうだ、それなら、もっといい人がいる。
「お父様、エポワス侯爵から以前、第二夫人の話がありましたので、そちらにお願いできませんか?」
「ミシェル様は?」
「……お父様、お母様、申し訳ございません。ミシェル様とは、お互いに婚約しないということで合意しています」
「どういうこと?!」
ナタリーが悲鳴をあげてしまった。せっかくナタリーが設定してくれたお見合いの結果をこんな形で告げたくはなかったが、これ以上嘘はつけない。
最初に顔を合わせたときから、お互いに婚約する気はないが、婚約話を持ち込まれないように結論を出さずにいたことを白状した。ナタリーの好意を踏みにじり、だましていたとなじられても、甘んじて受けるしかない。
「エリサちゃん……。いや、その話はまた今度だ。それよりも、エポワス宰相補佐様は、外遊に出ていらっしゃる」
「そんな……! ではエリサはシモン様との婚約を受けるしかないのですか?!」
これは、シェルヴァンが不在のところを狙われたのだ。やられた。
どこの派閥にも属していないクレッソン男爵家では、こういうときに守ってくれる高位貴族もいない。唯一頼れそうな魔法陣商品の後ろ盾であるシェルヴァンは外遊中で、セシルも王族の護衛で同行している。
魔法省の魔法陣技師は戦闘や防衛に特化しているから、競合しないと油断していた。目覚まし時計とタイマーのヒットで目立ちすぎて目をつけられた。足元を固めてから、やるべきだった。
だが、いまさら後悔しても遅い。まずは今できることをしよう。
「ミシェル様にお手紙を書いてみます」
「でも、ミシェル様は」
「何か手立てを考えてくださるかもしれません。失礼します」
ミシェルとは恋愛関係にはならなかったが、お互いにいい関係は築けていると思う。だから、何かこの状況を切り抜ける案を示してくれるかもしれない。
その日のうちに、連絡先であるモルビエ伯爵家へと手紙を持たせたが、そこから騎士団の宿舎に寝泊まりしているミシェルの元まで届くのがいつになるかは分からない。三日の猶予では間に合わないかもしれない。けれど、他に伝手はないのだ。
ロクサーヌにセドリックを通してミシェルに言ってもらうのはどうか、と思いついたが実行には移さなかった。侯爵家相手に喧嘩を売るような事態に友人を巻き込めない。
結局考えてもそれ以上の案は浮かばず、その日はそれ以上何もできないまま、じりじりとした時間を過ごした。
浅い眠りで迎えた翌朝、家の中が沈んでいる。エリサのせいなので、申し訳ない気持ちになる。
「アンリ、今日は学園を休みなさい。フォール侯爵家の縁者から何かを言われると面倒だ」
「はい、父上。姉上、大丈夫ですか?」
「平気よ。迷惑をかけてごめんなさい」
昨日のうちにジャンがシモンについて調べたが、身分が下の者には横柄な態度をとり、魔法省での評価も高くないなど、やはり評判はあまりよくなかった。性格を一言で表すなら、陰険だ。下級貴族が一日に調べられる範囲でこれだけよくない評価が出てくるのだから、実情は相当なのだろう。エリサの魔法陣技師としての手柄を横取りするつもりなのは、ほぼ確定だ。きっとエリサの技術だけでなく商会の売り上げも狙っているのだろう。商会に迷惑をかけるなら魔法陣は書かないと取引できるか。頭の中でいろいろシミュレーションしてみるものの、気が散ってまとまらない。
こういうときは、魔法陣を書くに限る。
「魔法陣を刻んでいますので、お手紙が届いたら呼んでください」
「エリサ、こんなときまで仕事をしなくてもいいでしょう。少し手を休めて話でもしましょう」
「お母様、お気遣いありがとうございます。でも、やることがあるほうが気がまぎれるのです」
魔法陣に熱中していれば、わずらわしいことは忘れられる。ナタリーの誘いを断って、自室に戻って作業に没頭しよう。
面倒なことを全部解決できる魔法のような魔法陣があればいいのに。
一心不乱に魔法陣を刻んでいると、使用人が呼びに来た。すでにお昼を過ぎているが、待ちに待ったミシェルからのお手紙が届いたようだ。
ジャンとナタリーが見守る中、手紙を開けるが、この手紙でエリサの人生が決まると言っても過言ではないので、封を切る手が震える。
開いた手紙にはとても簡潔に一文だけ書いてあった。
――とても魅力的な申し出をいただきましたが、私では力不足ですので、適任者を向かわせます。
ミシェルには断られたが、適任者がくるらしい。適任者って誰だ? いまいち手紙の内容がつかめない。
これは、エリサの将来はがけっぷちでぎりぎり踏みとどまっていると思っていいのだろうか。
目覚まし時計のことで何かあるのかとのん気に出向いた部屋にはナタリーもいたが、二人とも険しい表情をしている。何かよくないことが起きたのか。よく考えれば、ジャンは商会で仕事をしているはずの日中に、お屋敷の執務室にいること自体、何かがあったと物語っている。
「エリサちゃん、フォール侯爵家三男のシモン様から、婚約の申し入れがあった」
「え?」
「三日後には正式な婚約を結ぶためにいらっしゃると、手紙には書いてある。侯爵家相手では、こちらから断ることは難しい」
シモンは侯爵家の三男、四十代で独身、条件だけ聞けばとても良い。問題なのは、魔法省に勤めている魔法陣技師であるということだ。魔法陣技師同士で話も合うだろう、と見せてもらった手紙には書いてあった。
だがジャンが調べたところ、シモンは魔法省には勤めているものの、役職のないただの技師だ。実家の爵位と年齢を考えれば、何かしら役職がついていてもおかしくない。となると、おそらくあまり優秀ではないのだ。その人物からこのタイミングでの申し込み、十中八九、エリサの魔法陣の技術が目的だ。
それに手紙の端々からは、侯爵家の私が男爵家の娘と結婚してやるのだから感謝しろという傲慢さが見て取れる。
しかも有無を言わせず三日後には正式に婚約など、時間をかけて断られては困る何かがあるのだ。
「エリサちゃん、ミシェル様とはどうなってるの?」
「エリサ、三日以内に何としてもミシェル様と婚約を結びなさい」
無茶を言う。いくらなんでも無理だ。いや、頼み込めばいけるか? だが、ミシェルの家は伯爵家だ。侯爵家の横やりを防げるだろうか。
そうだ、それなら、もっといい人がいる。
「お父様、エポワス侯爵から以前、第二夫人の話がありましたので、そちらにお願いできませんか?」
「ミシェル様は?」
「……お父様、お母様、申し訳ございません。ミシェル様とは、お互いに婚約しないということで合意しています」
「どういうこと?!」
ナタリーが悲鳴をあげてしまった。せっかくナタリーが設定してくれたお見合いの結果をこんな形で告げたくはなかったが、これ以上嘘はつけない。
最初に顔を合わせたときから、お互いに婚約する気はないが、婚約話を持ち込まれないように結論を出さずにいたことを白状した。ナタリーの好意を踏みにじり、だましていたとなじられても、甘んじて受けるしかない。
「エリサちゃん……。いや、その話はまた今度だ。それよりも、エポワス宰相補佐様は、外遊に出ていらっしゃる」
「そんな……! ではエリサはシモン様との婚約を受けるしかないのですか?!」
これは、シェルヴァンが不在のところを狙われたのだ。やられた。
どこの派閥にも属していないクレッソン男爵家では、こういうときに守ってくれる高位貴族もいない。唯一頼れそうな魔法陣商品の後ろ盾であるシェルヴァンは外遊中で、セシルも王族の護衛で同行している。
魔法省の魔法陣技師は戦闘や防衛に特化しているから、競合しないと油断していた。目覚まし時計とタイマーのヒットで目立ちすぎて目をつけられた。足元を固めてから、やるべきだった。
だが、いまさら後悔しても遅い。まずは今できることをしよう。
「ミシェル様にお手紙を書いてみます」
「でも、ミシェル様は」
「何か手立てを考えてくださるかもしれません。失礼します」
ミシェルとは恋愛関係にはならなかったが、お互いにいい関係は築けていると思う。だから、何かこの状況を切り抜ける案を示してくれるかもしれない。
その日のうちに、連絡先であるモルビエ伯爵家へと手紙を持たせたが、そこから騎士団の宿舎に寝泊まりしているミシェルの元まで届くのがいつになるかは分からない。三日の猶予では間に合わないかもしれない。けれど、他に伝手はないのだ。
ロクサーヌにセドリックを通してミシェルに言ってもらうのはどうか、と思いついたが実行には移さなかった。侯爵家相手に喧嘩を売るような事態に友人を巻き込めない。
結局考えてもそれ以上の案は浮かばず、その日はそれ以上何もできないまま、じりじりとした時間を過ごした。
浅い眠りで迎えた翌朝、家の中が沈んでいる。エリサのせいなので、申し訳ない気持ちになる。
「アンリ、今日は学園を休みなさい。フォール侯爵家の縁者から何かを言われると面倒だ」
「はい、父上。姉上、大丈夫ですか?」
「平気よ。迷惑をかけてごめんなさい」
昨日のうちにジャンがシモンについて調べたが、身分が下の者には横柄な態度をとり、魔法省での評価も高くないなど、やはり評判はあまりよくなかった。性格を一言で表すなら、陰険だ。下級貴族が一日に調べられる範囲でこれだけよくない評価が出てくるのだから、実情は相当なのだろう。エリサの魔法陣技師としての手柄を横取りするつもりなのは、ほぼ確定だ。きっとエリサの技術だけでなく商会の売り上げも狙っているのだろう。商会に迷惑をかけるなら魔法陣は書かないと取引できるか。頭の中でいろいろシミュレーションしてみるものの、気が散ってまとまらない。
こういうときは、魔法陣を書くに限る。
「魔法陣を刻んでいますので、お手紙が届いたら呼んでください」
「エリサ、こんなときまで仕事をしなくてもいいでしょう。少し手を休めて話でもしましょう」
「お母様、お気遣いありがとうございます。でも、やることがあるほうが気がまぎれるのです」
魔法陣に熱中していれば、わずらわしいことは忘れられる。ナタリーの誘いを断って、自室に戻って作業に没頭しよう。
面倒なことを全部解決できる魔法のような魔法陣があればいいのに。
一心不乱に魔法陣を刻んでいると、使用人が呼びに来た。すでにお昼を過ぎているが、待ちに待ったミシェルからのお手紙が届いたようだ。
ジャンとナタリーが見守る中、手紙を開けるが、この手紙でエリサの人生が決まると言っても過言ではないので、封を切る手が震える。
開いた手紙にはとても簡潔に一文だけ書いてあった。
――とても魅力的な申し出をいただきましたが、私では力不足ですので、適任者を向かわせます。
ミシェルには断られたが、適任者がくるらしい。適任者って誰だ? いまいち手紙の内容がつかめない。
これは、エリサの将来はがけっぷちでぎりぎり踏みとどまっていると思っていいのだろうか。
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