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私はヒロインになれない(7)

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夜になってもエルバートは姿を見せなかった。

 普段であれば飼い主に飛びつく子犬のような無邪気さで一目散にソフィーの元へ駆け寄ってくる足音が聞こえない。
 募る不安感に先ほどの光景を思い出す。あの皇帝を一瞬でも子犬なんて可愛らしいものに例えてしまった自分にぞっとした。
 たった一月半の間でどれだけ絆されているのだろう。
 無意識にドレスを握るソフィーを、義妹は愛らしい顔で覗き込んだ。

「お義姉様、お風呂……一緒に入ってくださる?」

 シンデレラは先ほど気分転換にと使用人に準備してもらった風呂に案内されたばかりだ。それが部屋を出て数分後に戻ってきたのだからおかしいと思った。

「お風呂くらい一人で入りたいのだけれど?」

 はぁ、と大げさにため息をつく。慌てて睨む目つきも忘れない。シンデレラが王子と結婚し、役目を果たせたと思っていたから気が抜けている。
 まさかこの天空の帝国でシンデレラと再会するとは思ってもいなかったから、取り乱して悪役あるまじき態度を取ってしまったけれど、冷静になった今、それらしく振る舞う義務がソフィーにはある。

「でも、お義姉様も使用人に身体を洗わせるのよね?」
「……ここではそうね」
 
 一体なにが言いたいのか。メイドとは一緒に入るわけではないし、シンデレラも王太子妃となってからは毎日使用人に世話をされているだろう。
 柔らかな笑みを浮かべた義妹は「よかった!」とソフィーの手を取った。

「私ね、結婚してから初めてお風呂は使用人と入るものって知ったの。しかも王族だけじゃなくて貴族なら大抵がそうっていうのよ」
「ええ……」
 
 押しの強い口調に思わず頷いてしまう。ソフィーはもちろん、知識としては知っていたけれど一人ではいるのは気楽だったし、なによりシンデレラにお風呂で世話を焼かれるなんて想像しただけで落ち着かなくなる。だから、一度姉がその話を母に持ち出そうとしたとき、それはもう二度と口には出したくないほど汚い言葉を並べて納得させたものだった。

「なら、バルス家では使用人も同然だった私がお義姉様のお背中を流すのは当然だと思うの。さあ、いきましょうお湯が冷めちゃうっ」
「えぇ……っ」

 細くて真っ白な手に引かれるとソフィーはもう抵抗できなかった。
 もしかして、もしかしなくても、自分は押しに弱いのかもしれないとこの瞬間に初めて自覚した。
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