ホビーレーサー!~最強中年はロードレースで敗北を満喫する~

大場里桜

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1章 最強中年は敗北を求める

第4話 最強中年は挫折する

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 一週間後の土曜日。
 今日は念願のロードバイクが納車される日だ。
 店主のシゲさんから納車の説明の後、ブレーキのかけ方と変速のやりかたを習った。
 特に念入りに習ったのが、『ビンディングシューズ』というペダルに固定出来るシューズの取り外し方だ。
 シューズをペダルに取り付けるのは、足裏のパーツの先端をペダルに引っ掛けた後に踏み込むだけだから簡単だ。
 でも外す方はなれない動きだからなかなか難しい。
 でも練習していないと、停車する時に転んでしまうから危険だ。
 ロードバイクを購入して最初に行うのが、シューズの取り外しの練習になるとは思いもよらなかった。
 一通り練習が終わった後、練習に付き合ってくれたシゲさんに別れを告げて店を出た。
 私の傍らには青色のロードバイクがあるーー我が愛車『ディープ・シー深海』だ!

 *

 翌日の早朝、西野と約束したヤビツ峠に向かって走る。
 待ち合わせ先は西野がサイコンに登録してくれているから、案内に従って走るだけだ。
 待ち合わせより30分早い5時30分を少し過ぎた所で、サイコンが目的地に着いた事を告げる。
 だが、約束していた『』という地名が見つからない。
 サイコンに案内された目的地の周辺を走りながら『』を探すが見つからない。
 途方に暮れてコンビニで立ち尽くしていると、全身茶色のジャージを着たガタイがいい男性に声をかけられた。

「お困りですか?」
「実は待ち合わせ場所の『』が見つからなくて困ってるのですよ。場所を知ってますか?」

 ボディービルダーの様な圧巻の体格だが、身に纏った雰囲気が落ち着いていて優しそうだったので『』の場所を聞いてみた。
 男性はすっと信号機の上の看板を指差した。
『名古木』……『なこぎ』がどうしたのだろう?

「あれで『名古木ながぬき』って読むのですよ」

 これは恥ずかしい事を聞いてしまったのだろうか。
 でも初めてで『名古木アレ』を『ながぬき』と読める人はいないと思うけど……

「げっ、何で南原なんばらいるの? 猛士の知り合いだった?」

 待ち合わせ相手の西野がスッと来て、ガタイがいい男性に話しかけた。

「待ち合わせ相手は西野でしたか。見るからに始めたばかりの初心者をヤビツ峠に連れてくるなんて、初心者狩りですか?」
「失礼ね! 後輩の指導、し、ど、う、よっ!」

 西野が男性をパシパシ親しげに叩く。
 南原と呼ばれた男性が西野の知り合いだった事も驚いたが、西野が知り合いに『ノノ』と呼ばれていない事に驚く。
 もしかして西野の事を『ノノ』って呼んでるのシゲさんだけだったのか?

「大変だと思うけど、頑張って下さい。それじゃお先に!」

 南原さんが僕に手を振り峠を上っていった。

「さて、私達も上りましょ? 私について来て?」

 信号が変わるのを待った後、西野に続いて坂を上り始める。
 結構キツイな。
 サイコンを覗くと時速12kmと表示されている。
 ロードバイクってこんなに遅いものなのか?
 右カーブに差し掛かた所で、だんだん西野との距離が開いていく。
 さらに先の左カーブに消えた西野を追って、私も左カーブを曲がって西野を探した。
 だが、眼前に広がったのは見通せない程に真っすぐに伸びる坂道。
 西野の姿は全く見えない。
 ペダルが更に重くなる……徒歩で登る様に右、左と交互にペダルを踏みしめる。
 これじゃ歩いた方がロードバイクの重量が無い分早いのではないだろうか?
 時速8kmを維持するのが限界だ。
 時速8kmより早く走れないし、時速8kmより遅くなれば転ぶと思う。
 体が重い、熱が逃げない、腰が痛い。
 ハッハッハッハァ! 不整脈の様に呼吸が乱雑になる。
 ーーそういえば子供の頃、鬼ごっこで塀の上によじ登って逃げられるのが近所の子供の勲章だったな。
 私も皆に自慢したくて必死に上り続けたよな。
 今思えばくだらない事だけど、あの頃は必死で毎日が輝いていたなーー
 まずい、走馬灯のように過去の努力の思い出が噴き出してくる。
 気は紛れたけど、ボケっとしていたら危険だ。
 歩く様にゆっくり走っているとはいえ、ここは公道なんだ。
 必死に耐えて上り続けると、道路の真ん中に鳥居がそびえ立っているのが見えた。
 脇には停車している西野いる。
 スタートから20分が経過したが、ここがゴールか!
 疲れ切った体に鞭を打ち、西野の隣まで登り切った。

「やっと追いついた。結構大変だったけど何とか登りきれたよ」
「何言ってるの? まだ全体の1/6くらいよ。先に道が続いているのが見えないの? 」

 ゴールの様にそびえ立つ鳥居のせいで勘違いしたが、西野の言う通り道は続いている。
 気づけなかったのではない……これ以上登らなければならない事を認めたくなかったのだ。
 西野に促されて再び上ろうと思ったが坂道発進が出来ない。
 西野に手伝ってもらっても足が動かない。
 情けないがこれ以上登れそうにもないから、仕方なく入口のコンビニまで下りた。
 疲れ切って座り込みながら西野に話しかける。

「すまないな。折角誘ってくれたのに無理そうだ」
「嫌になった?」

 西野がサングラス越しでも分かるくらいに不安そうな顔で私を見ている。
 私は自身の疲れと西野の不安を吹き飛ばす様に明るく振る舞う。

「次は何とかしてみるさ。手ごわい分、長く楽しめそうだしな」
「登り切れず挫折したのに、どうしてそんなに楽しそうなの?」

 私は西野になら、ロードバイクを始めた理由を教えても良いと思った。
 色々世話になった相手で、気が許せる相手だと感じ始めていたから。

「この年になるとさ、全力で挑んでくれる相手がいなくなるんだよ。『社会人として』とか適当な事を言ってはぐらかす。道『徳』とか美『徳』とか言うけどな、それはアンタにとって『得』なだけだろって思ってるよ。だから負けても全力で挑めるのは楽しい。西野は何で峠が好きなんだ?」
「峠が好きなんて一言も言ってないわよ」
「でも、好きだろ?」
「ーーそうね、私くらい可愛いと仕事でも助けてくれる人が沢山いるの……でもね、チヤホヤされてるんじゃないの。何もさせてもらえないだけ」
「つまらないか?」
「えぇ、でも峠は違う。峠の厳しさは誰に対しても平等なの。私だって猛士と同じでヒルクライムは苦しいのよ……だから好き」

 どうやら私と西野は同類のようだな。

『私は強さ故に仕事で戦う相手を失った』
『西野は可愛さ故に仕事する機会を失った』

 そして二人共、仕事の不満を解消する手段としてロードバイクを選んだのだ。

「待ってたのに、登ってこないから心配しましたよ」

 坂を下ってきた南原さんが僕達に声をかけてきたので、西野が南原さんに疲れ切った私が無事帰れるか不安だと相談した。
 親切な南原さんは家が近いからとの理由で、私と一緒に帰ってくれる事になった。
 名古木の交差点で西野と別れて南原さんと一緒に帰路についた。
 別れ際に連絡先を交換して次の土曜日に南原さんと走りに行く事となったーー
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