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竜と獣医の切れない縁
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トリシアとの会話を終えて出てきただけあって、アルノルドとの死別はひと波を越えたところだったようだ。
小さな子供たちはまだ涙を流していたが、母親はこちらに気がつくと頭を下げてきた。
「この度は、ありがとうございました……!」
声を出せばまだ感情の波が揺り返してくるらしい。母親は口元を押さえて堪えている。
多少の慰めにはなったのだろう。
しかしながら、彼を生還させるという奇跡まで起こせなかった身としては複雑な思いもある。カドは向けられる感謝だけを受け取り、壁に空いた穴から外を見た。
そちらには、イーリアスというらしい不治の呪詛使いの剣士と、確かスコットとかいうハルアジスの弟子がいた。彼らは恐竜の骨のようなものの横で話している。
いかにも死霊術師が操っていますという風体の骨がいるということは、ハルアジスもこの場に残っているのだろう。
時間まではあと三十分ほどはあるはずだ。
カドはアルノルドの家族との話をその間につけようと視線を戻す。
「すみませんが、悲しみにいつまでも浸らせておく時間はありません。あのハルアジスは性格が悪い人なので、満足のいかない結果になったらアルノルド君の死体を解剖したり、あなたたちに危害を加えたりする可能性もあります。僕があちらの相手をしているうちに裏口から出て、この街から離れるなり何なりしたほうが良いと思います」
本当のところはいつまでもそっとしておきたいところだが、彼らを巻き込むのも後味が悪い。
促してみると母親はテーブルに項垂れて事切れているアルノルドの肩に触れた。
「この街なら生きる道もあるかと、必死に生きてきました……。でも、そんな甘い話はなかったようです……。あの子が残してくれたお金でやり直して、せめてこの子たちは別の人生を送れるようにしてあげたいと思います」
彼女は残る宝とも言える子供たちに視線を投げ、彼らを安心させるように何とか微笑もうとしていた。
そんなやり取りを終えた後、彼女は「ですが、その前に一つだけさせてほしいことがあります」と断ってくる。
「なんですか?」
問い返すと、母親は厨房に向かっていった。
そして鍋からお椀にスープをよそうと、匙と一緒に持ってくる。
差し出されたそれは先程作られたばかりで湯気が立っていた。肉と根菜を煮ただけのシンブルな料理である。
「どうぞ。それは息子の好物で、最期に味わえて良かったと零していました」
「……そうですか。それなら、頂きます」
促されるまま、カドは透き通った色のスープに匙を入れた。
息子の最期の晩餐のために、丁寧にアクを取ったのだろう。野菜の甘みと肉の出汁が体に染みる。それに彼女の工夫なのか、香草が後味を良くしてくれていた。
決して良い素材を使ったわけではないのだろうが、相手を想って作ったのがよく味に表れている。
何なのだろうか。この料理が、胸にぐっと詰まる。
自分は良いことをした。現在出来うる精一杯であったし、他の人間であれば端から見捨てていたであろうことは間違いない。
だが、胸に複雑な感情が渦巻くのだ。これは一体何故だろう。
物語の英雄のように彼を救えなかったことが、そんなに辛かったのだろうか?
違う。それも一つの理由だろうが、全てではない。もっと大きな理由がある。
カドは料理を一口ずつ噛み締めているうちに、答えを得た。
「……ああ、そうか。僕、元の家族を残してきたんですもんね」
きっと、アルノルドの家族のように想ってくれる存在がいただろう。
その温かみと、心に残る料理を体の何処かで覚えていたのかもしれない。それが刺激されたのが、この感情の正体だった。
ああ、それならば止まることは出来ない。これは生前の自分の弔い合戦である。
カドは決意と共に、食器を置いた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。家族の味を思い出しました。……さ、いろいろと心残りはあるでしょうが行ってください」
家を破壊したり、アルノルドを目の前で解剖しようとしたことからしてもそれは実感していたのだろう。
アルノルドの母親は彼の遺体を担ぎ、与えられた金貨を胸に入れると子供たちを促して裏口に向かっていった。
さて、これですべきことは行った。
あとは竜にこれからについて伝えておくべきだろう。
『ドラゴンさん、立て込んでいてすみません。最後に連絡することがあります』
『最後とはまた剣呑なことを言う。汝はまさか危険に手を出そうといているのではあるまいな』
『ええ、そのまさかです。会話の成り行きでハルアジスに少し魔法のお話をすることになっちゃいまして。そのついでに積年の恨みを晴らしてやろうかな、と』
そう言いながら、カドは外套の大きな内ポケットに収納されていた魔本――装備を収納できるそれを手に取り、あるページを開いて背中に入れた。
ズボンに半分入り込ませ、ベルトで締めればずり落ちることはない。
続いて胸元にいたサラマンダーを外套のフードに入れる。頭の上に乗り出されてしまうのだが、まあ懐にいなければどうでも良いことだ。この程度は気にしない。
そんなことをしていると、竜の叱責が飛んできた。
『阿呆かっ。奴は仮にも五大祖に名を連ねる者。汝が挑んだところで、自殺行為ぞ!?』
『でも、魔素の質が良いからといっても本質は研究オタク。鍛えた戦士じゃありません。予備動作もなく突き出される凶器を避けられるものでもないですよね』
体を構成する魔素の質から言えば、クラスⅣのハルアジスよりこちらが上。
そしてかたや生まれたてで成長途中。かたや老い萎びた上に重度のインドア派だ。
確かに魔法戦ではひっくり返っても勝算はないだろうが、肉体的な素質では大差はないはずである。
『……汝は一体、何を考えている?』
即座に否定が入らない。それだけカドの言ったことには実現性があるということだろう。
カドはその感触だけで十分と微笑んだ。
『ハルアジスに一矢報いた後のお話です。僕はイーリアスというらしい不治の呪詛使いに解呪の交渉をしてみます。しかし恐らく決裂すると思うので、武力行使に出ようと思います。それが駄目だった時はドラゴンさん自身で何とかしてください』
『その必要はない。汝を生かそうとした我の厚意を無為にするつもりか!? それこそ恩返しとは程遠いと知れ!』
鋭い主張だ。竜は本当に過保護である。
それに彼にとっては大切な思い出の人の特徴を少しでも受け継いでしまっただけに、気になってしまうのだろう。
『違いますよ。イーリアスとの戦いは僕のわがままからのついでです。僕としては、ハルアジスを前にして、生前の僕の敵討ちと、数カ月に渡る拷問のお礼をしないわけにはいきません。なんて言ったって、今の僕としての人生の蓄積は恨みが大半ですし』
先程の料理の味わいを思い出したカドは、胸に手を当てる。
『そんでもって、お偉いさんが目の前で危害を加えられたら冒険者は動かざるを得ないじゃないですか。見逃してくれるなら逃げますよ、僕は。そのついでで解呪も聞いてみるだけです。だから気にしないでください』
そんなこじつけを伝えてみると、竜からの返答は続かなかった。
だが、納得したわけではない。
意識共有越しに、彼からは呆れと不満が伝わってくる。
『では、我も勝手にするとしよう。良いか。汝が前にしている男で違いないのであれば、探す手間も省ける。時間を置けば管理局もあれこれと面倒な手を打つことだろう。故に先手を打つ』
とんだ意趣返しだ。
こちらがその気なら、あちらも押し付けがましい善意を向けてくるらしい。
こんな展開にしてしまったカドは、ハイ・ブラセルの塔の故人に少しばかり申し訳ない気持ちを抱く。
『そんなに生き急いで良いんですか?』
『ふんっ。よく抜かすものだ。ならば人の間に居場所をなくした汝を拾い、しばしゆるりとするとしよう。故にカドよ、死んでくれるな?』
思わぬラブコールだ。
それを受けたカドは思わず噴き出してしまった。今回の自分の人生は、人との縁はない癖に、人外との縁は本当に充実しているらしい。
『ええ、わかりました。楽しみにしておきます。それから一つ、お願いをしてもいいですか?』
『何だ?』
『事が終わったらあなたの名前を教えてください』
『……良かろう』
実のところ、リリエが叫んだ事もあってそれらしいものを聞いた覚えはある。
だが、本人から改めて聞きたいのだ。
竜の返答を聞いたカドは小さく口を緩めると、家の外にいるハルアジスたちのもとに向かっていった。
小さな子供たちはまだ涙を流していたが、母親はこちらに気がつくと頭を下げてきた。
「この度は、ありがとうございました……!」
声を出せばまだ感情の波が揺り返してくるらしい。母親は口元を押さえて堪えている。
多少の慰めにはなったのだろう。
しかしながら、彼を生還させるという奇跡まで起こせなかった身としては複雑な思いもある。カドは向けられる感謝だけを受け取り、壁に空いた穴から外を見た。
そちらには、イーリアスというらしい不治の呪詛使いの剣士と、確かスコットとかいうハルアジスの弟子がいた。彼らは恐竜の骨のようなものの横で話している。
いかにも死霊術師が操っていますという風体の骨がいるということは、ハルアジスもこの場に残っているのだろう。
時間まではあと三十分ほどはあるはずだ。
カドはアルノルドの家族との話をその間につけようと視線を戻す。
「すみませんが、悲しみにいつまでも浸らせておく時間はありません。あのハルアジスは性格が悪い人なので、満足のいかない結果になったらアルノルド君の死体を解剖したり、あなたたちに危害を加えたりする可能性もあります。僕があちらの相手をしているうちに裏口から出て、この街から離れるなり何なりしたほうが良いと思います」
本当のところはいつまでもそっとしておきたいところだが、彼らを巻き込むのも後味が悪い。
促してみると母親はテーブルに項垂れて事切れているアルノルドの肩に触れた。
「この街なら生きる道もあるかと、必死に生きてきました……。でも、そんな甘い話はなかったようです……。あの子が残してくれたお金でやり直して、せめてこの子たちは別の人生を送れるようにしてあげたいと思います」
彼女は残る宝とも言える子供たちに視線を投げ、彼らを安心させるように何とか微笑もうとしていた。
そんなやり取りを終えた後、彼女は「ですが、その前に一つだけさせてほしいことがあります」と断ってくる。
「なんですか?」
問い返すと、母親は厨房に向かっていった。
そして鍋からお椀にスープをよそうと、匙と一緒に持ってくる。
差し出されたそれは先程作られたばかりで湯気が立っていた。肉と根菜を煮ただけのシンブルな料理である。
「どうぞ。それは息子の好物で、最期に味わえて良かったと零していました」
「……そうですか。それなら、頂きます」
促されるまま、カドは透き通った色のスープに匙を入れた。
息子の最期の晩餐のために、丁寧にアクを取ったのだろう。野菜の甘みと肉の出汁が体に染みる。それに彼女の工夫なのか、香草が後味を良くしてくれていた。
決して良い素材を使ったわけではないのだろうが、相手を想って作ったのがよく味に表れている。
何なのだろうか。この料理が、胸にぐっと詰まる。
自分は良いことをした。現在出来うる精一杯であったし、他の人間であれば端から見捨てていたであろうことは間違いない。
だが、胸に複雑な感情が渦巻くのだ。これは一体何故だろう。
物語の英雄のように彼を救えなかったことが、そんなに辛かったのだろうか?
違う。それも一つの理由だろうが、全てではない。もっと大きな理由がある。
カドは料理を一口ずつ噛み締めているうちに、答えを得た。
「……ああ、そうか。僕、元の家族を残してきたんですもんね」
きっと、アルノルドの家族のように想ってくれる存在がいただろう。
その温かみと、心に残る料理を体の何処かで覚えていたのかもしれない。それが刺激されたのが、この感情の正体だった。
ああ、それならば止まることは出来ない。これは生前の自分の弔い合戦である。
カドは決意と共に、食器を置いた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。家族の味を思い出しました。……さ、いろいろと心残りはあるでしょうが行ってください」
家を破壊したり、アルノルドを目の前で解剖しようとしたことからしてもそれは実感していたのだろう。
アルノルドの母親は彼の遺体を担ぎ、与えられた金貨を胸に入れると子供たちを促して裏口に向かっていった。
さて、これですべきことは行った。
あとは竜にこれからについて伝えておくべきだろう。
『ドラゴンさん、立て込んでいてすみません。最後に連絡することがあります』
『最後とはまた剣呑なことを言う。汝はまさか危険に手を出そうといているのではあるまいな』
『ええ、そのまさかです。会話の成り行きでハルアジスに少し魔法のお話をすることになっちゃいまして。そのついでに積年の恨みを晴らしてやろうかな、と』
そう言いながら、カドは外套の大きな内ポケットに収納されていた魔本――装備を収納できるそれを手に取り、あるページを開いて背中に入れた。
ズボンに半分入り込ませ、ベルトで締めればずり落ちることはない。
続いて胸元にいたサラマンダーを外套のフードに入れる。頭の上に乗り出されてしまうのだが、まあ懐にいなければどうでも良いことだ。この程度は気にしない。
そんなことをしていると、竜の叱責が飛んできた。
『阿呆かっ。奴は仮にも五大祖に名を連ねる者。汝が挑んだところで、自殺行為ぞ!?』
『でも、魔素の質が良いからといっても本質は研究オタク。鍛えた戦士じゃありません。予備動作もなく突き出される凶器を避けられるものでもないですよね』
体を構成する魔素の質から言えば、クラスⅣのハルアジスよりこちらが上。
そしてかたや生まれたてで成長途中。かたや老い萎びた上に重度のインドア派だ。
確かに魔法戦ではひっくり返っても勝算はないだろうが、肉体的な素質では大差はないはずである。
『……汝は一体、何を考えている?』
即座に否定が入らない。それだけカドの言ったことには実現性があるということだろう。
カドはその感触だけで十分と微笑んだ。
『ハルアジスに一矢報いた後のお話です。僕はイーリアスというらしい不治の呪詛使いに解呪の交渉をしてみます。しかし恐らく決裂すると思うので、武力行使に出ようと思います。それが駄目だった時はドラゴンさん自身で何とかしてください』
『その必要はない。汝を生かそうとした我の厚意を無為にするつもりか!? それこそ恩返しとは程遠いと知れ!』
鋭い主張だ。竜は本当に過保護である。
それに彼にとっては大切な思い出の人の特徴を少しでも受け継いでしまっただけに、気になってしまうのだろう。
『違いますよ。イーリアスとの戦いは僕のわがままからのついでです。僕としては、ハルアジスを前にして、生前の僕の敵討ちと、数カ月に渡る拷問のお礼をしないわけにはいきません。なんて言ったって、今の僕としての人生の蓄積は恨みが大半ですし』
先程の料理の味わいを思い出したカドは、胸に手を当てる。
『そんでもって、お偉いさんが目の前で危害を加えられたら冒険者は動かざるを得ないじゃないですか。見逃してくれるなら逃げますよ、僕は。そのついでで解呪も聞いてみるだけです。だから気にしないでください』
そんなこじつけを伝えてみると、竜からの返答は続かなかった。
だが、納得したわけではない。
意識共有越しに、彼からは呆れと不満が伝わってくる。
『では、我も勝手にするとしよう。良いか。汝が前にしている男で違いないのであれば、探す手間も省ける。時間を置けば管理局もあれこれと面倒な手を打つことだろう。故に先手を打つ』
とんだ意趣返しだ。
こちらがその気なら、あちらも押し付けがましい善意を向けてくるらしい。
こんな展開にしてしまったカドは、ハイ・ブラセルの塔の故人に少しばかり申し訳ない気持ちを抱く。
『そんなに生き急いで良いんですか?』
『ふんっ。よく抜かすものだ。ならば人の間に居場所をなくした汝を拾い、しばしゆるりとするとしよう。故にカドよ、死んでくれるな?』
思わぬラブコールだ。
それを受けたカドは思わず噴き出してしまった。今回の自分の人生は、人との縁はない癖に、人外との縁は本当に充実しているらしい。
『ええ、わかりました。楽しみにしておきます。それから一つ、お願いをしてもいいですか?』
『何だ?』
『事が終わったらあなたの名前を教えてください』
『……良かろう』
実のところ、リリエが叫んだ事もあってそれらしいものを聞いた覚えはある。
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