獣医さんのお仕事 in異世界

蒼空チョコ@モノカキ獣医

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8巻

8-2

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    †


 こうして、風見ら一行――六名とアースドラゴン及び飛竜二頭は、ハイドラを出発した。
 ちなみに、タマには風見、キュウビの飛竜には飼い主とリズとクイナ、もう一頭の飛竜にはクライスとクロエという乗員構成である。
 ハイドラはこの帝国の東端に位置している。国の中央にある帝都までは直線距離で六百キロもあり、山脈も越えなければならない。そのため、徒歩なら一ヶ月はかかるそうだ。
 だが、空を行ける飛竜はともかく、地竜のタマまで、その距離を一泊二日で走破した。
 そこにあったのは快適な旅路ではない。二日の行程を終えて帝都の入口に辿り着いた風見は、死に物狂いの激戦を乗り越えた兵士のように疲弊ひへいし、まともに話せないほどぼろぼろだった。

「もう、やだ……。ドラゴン酔い、死ねる……。慣れ……、ない……」

 途中、風見がこうやって酔ったり、休憩を取ったりしたので、実質の走行時間は十時間ほどである。しかも直線距離は六百キロでも、山道や崩れやすい道などは迂回うかいしたため、実際にはもっと長い距離を進んだはずだ。
 にもかかわらず、タマは十時間で走破してのけた。十数トン級の体躯たいくでありながら、毎時百キロ近い速度で爆走し続けられた事実からも、ドラゴンがいかに人知を超えているかわかる。

「あらあら、うふふ。乗馬と同じですから、回数をこなせばきっと慣れますわ」

 地面にばたりと倒れ伏した風見を微笑んで見つめるキュウビは余裕の表情だ。日頃から飛竜を乗り回しているので、耐性があるのだろう。

「無……理……。クロエ、しばらくこのままで……」
「はい。いつまででも結構ですから、存分にお休みください」

 風見を膝枕で介抱するクロエはぴんぴんしている。
 リズも同じく元気である。高いところが苦手なため、飛竜で空を飛んでいた時は尻尾の毛が限界まで逆立ってふくらんでいたが、陸に下りればもう平気らしい。
 ところが、同じ亜人種でもクイナはちょっと違った。

「リズ、だんちょ……そこ、背中じゃ、ない、です……。胸、です……」
「おっと、いかんいかん。間違えてしまったね。よしよし、ゆっくり休んでいるといいよ?」
「……うぁい」

 飛竜酔いしたクイナは、ぐったりとリズにもたれかかっている。
 それをいいことに悪さをしていたリズだが、気付かれていると知ってもなお、いい人のふりをして彼女を独占している。貴重な子供成分をのがす気はないらしい。
 彼らは帝都には入らず、街の外で座り込んだままだ。
 ここで時間を潰しているのには、理由がある。複数の竜種を連れているため、帝都の警備隊の対応に時間がかかるのだ。今はクライスが諸々もろもろの手続きをしている最中で、風見らは待機中というわけである。
 そうして奇妙な一団が待機しているから、自然と注目されてしまう。キュウビは街の入り口に現れた見物の衆にちらりと視線をやると、けむたそうに息を吐いた。

「すっかり見世物ですわね。ハチなら火を噴いていたところですわ」
「帝都の人間からすれば、見世物だろうさ。活躍劇で語られる伝説の人なんだから」

 物陰から様子をうかがうやからに、堂々とこちらを見るやから。どれも同様に邪魔くさい。しかも帝都に入れば、さらに貴族や皇族が加わるのだ。リズとしては、不躾ぶしつけやからが何かしでかすのではないかと懸念けねんしてしまう。
 リズが眉を寄せていると、キュウビはにまにまとした表情になった。それが無性にかんさわったのか、リズはケッと嫌な顔をして、クイナに視線を戻す。
 そうして十数分も経っただろうか。垣根ができそうなくらいに人が増えてきた頃、クライスが戻ってきた。

「お待たせいたしました。タマ様は北方の放牧地に、飛竜はその近辺にある竜舎にお連れくださいませ。お待たせしている間に何か困り事がございましたか?」

 彼は不機嫌なリズの顔を見ながら尋ねる。リズはそっけなく応じた。

「別に。それで私たちは?」
迎賓館げいひんかんへお越しください。ユーリス様がお忍びでお待ちです」
「……そっか。なら、逃げられないうちに行かなきゃ、か」

 復活した風見は名残惜なごりおしくもクロエの柔らかな足から離れると、タマを誘導し始めた。
 指示された場所には牛に似た生物が放牧されており、タマはじゅるりとよだれを垂らしていたのが少し心配だ。風見はタマに、それらを食べないよう言い含めておく。
 続いて飛竜を近くの竜舎に預けた後、風見らは借り受けた馬に乗り、改めて帝都に戻った。
 帝都に足を踏み入れると、出迎えてくれたのはレンガ造りの街並みだ。
 大通りには二、三階建ての建物が隙間なく並び、先を見れば背の高い鐘楼しょうろうや一際大きな建物が散在している。大きな建物は教会、ギルド、役所などだ。
 しばらく進むと、街を仕切る城壁が見えてきた。そこから先は大きく豪華な家々がある。さらにその奥に存在する二つ目の城壁は、城を囲うものだ。塀も城も高く、街のどこからでも見失いようがない。

「この街並みも久しぶりだな。ハイドラにずっと入り浸りだったから、この世界に来てすぐ以来になるか。どんな規模のみやこなのかもよく覚えてないな」

 風見がつぶやくと、クロエがガイドを始めてくれる。

「この先にある半径二キロほどの外壁は貴族街を囲んでいます。その周囲――このあたりは、一般市民が住む平民街。城、貴族街、平民街と三区画に分かれているのです。総人口は三十万かそれ以上と言われていますが、スラムもあるため、正確な数はわかっていません」

 クロエのガイドを聞きつつ、一行は平民街を歩いて抜ける。
 一等地の貴族街へ繋がる中央道はかなり幅が広く、片側二車線の道路と同じ規模だ。やはり帝都なだけあり、道はハイドラよりも整備されている。
 少々進むと、道すがら馬車が停まっていた。これで迎賓館げいひんかんまで案内してくれるらしい。
 一行はさっそく馬車に乗り込む。
 いざ進みだすとクイナは風見の膝の上ではしゃぎながら窓の外に首ったけだった。風見も一緒になって、いろいろなところに目をやっている。

「シンゴ! あれ、なんだろう?」
「なんだろうな。サイみたいな爬虫類はちゅうるい……? 恐竜っぽいな」
「あのローブを被った人は?」
「うーん、雨も降っていないし、お尋ね者か何かかもな。帝都ならいろいろありそうだし」
「ふーん?」

 そんなやりとりを見て笑っていたキュウビは、ふと何かを気に留めた様子で外を見た。
 彼女の様子に風見は首をかしげる。

「どうした、キュウビ?」
「いえ、何やら覚えのある嫌な予感がした気がしまして。いつだったか焼き殺した魔獣まじゅう欠片かけらと似た臭いがしたのです。でも、気のせいでしょう。帝都は物にあふれているので、同種の魔物の付加武装の気配を感じてしまったのかもしれません」
「そうなのか?」
「ええ。魔獣まじゅうヒュージスライム。この陽の下でその欠片かけらでも存在したなら、帝都は丸ごとスライムに同化吸収されてしまうことでしょう。同化と成長だけしか能のないスライムですが、それだけに凶悪なのです。一切触れることなく、山を蒸発させる芸当でもできなければ、あれは殺しきれません。そんなものが帝都にいたとしたら、地獄が待っていますわ」

 その後もキュウビは外に視線をやっていたが、ついぞ正体は掴めなかったようだ。
 そうしているうちに馬車は貴族街に入り、風景が様変わりする。そこでは貴婦人が道端で会話していたり、騎士が歩いていたりと落ち着いた雰囲気だ。店も、絨毯じゅうたんやドレスを取り扱う高級そうな商店ばかりである。
 そんな貴族街でも特に大きな門の前で馬車は停まる。どうやらそこが目的の迎賓館げいひんかんらしい。
 門から本館までは五百メートル近くもあり、プールのように巨大な噴水に出迎えられる。本館の奥には庭園が広がっていて、その他には和風の別館もあるのだとか。これはマレビトの文化を再現した家屋なのだろう。総面積は辺境伯であるドニの城を上回っていそうだ。

「えっと。迎賓館げいひんかんっていうのは、このバカでっかい敷地にあるのか?」
「左様でございます。中ではワタクシの妹とユーリス様が待っているかと。まいりましょう」
「え、ちょっと待った。お前に妹なんていたのか……」

 また偏屈な人が出てきそうだなぁ、と風見は予感する。それは他のメンバーも同じなようで、彼らは元気のない表情で迎賓館げいひんかんに入り、応接室に向かった。
 廊下の各所には綺麗に着飾った兵が警備しており、応接室前にも二人控えている。彼らはびしりとかかとを揃えて風見らに向けて敬礼すると、「猊下げいか御一行のご来館です」と中に声をかけた。続いて、息ぴったりの動作で扉を開ける。
 中では皇太子ユーリスと女性が談笑していた。あの非の打ちどころのない笑顔で、どれだけ厄介ごとを押し付けられたことか、と風見はうらみがましくユーリスを見る。すると、女性は姿勢を正し、そばに控え直した。
 金髪ストレートを二つ結びにした女性だ。彼女がクライスの妹らしい。確かに整っているという点で容姿は似ている。だが、クライスはシルバーブロンドの髪と白磁はくじの肌をしたモノクロな印象なのに対し、彼女の容姿には色がある。微笑みもごく自然で、人形じみてはいない。
 無機質な彫刻の兄と、あざやかな肖像画の妹。この兄と妹には、そんな印象が感じられる。
 ユーリスは片手を上げると、親しげに話しかけてくる。

「やあ、シンゴ。久しぶりだね。元気だったかい?」
「近くにいようが遠くにいようが、面倒事を寄越してくる誰かさんに、困らされていたけどな。元気に頑張ってやったぞ、この野郎」

 ユーリスにとっては聞くまでもない話だった。風見の情報は誰よりも収集している上に、クライスも報告しているはずだ。それでも見た目通りの優男やさおとこを装ってくる。食えない男である。


「はっはっは。それは災難だったね。猊下げいかともなると、そういう悩み事が絶えないのかな? 召喚主の僕としては手元に置いて、手厚く援助したいところだよ」
「断固拒否する。というか、お前に仲間扱いされると面倒が増えそうだから、抗議に来たんだ」

 ユーリスは「そうだろうね」と見透みすかしたような顔をした。話が早い半面、風見はどうも気にくわない。
 また、風見とユーリスのやりとりの陰では、兄妹きょうだいが感動の再会をしていた。

「兄さん、遠路遥々はるばるようこそ。相も変わらず、元気なのかどうかわからないお顔で何よりです。きっと元気なのでしょうね」
「健康そのものでございますよ。死体と見間違われて叩き起こされることもなくなりました。猊下げいか、こちらがワタクシの妹でレナ・アスト・アールハイトと申します。皇太子様とは、ワタクシと同様に幼馴染おさななじみとして育てられたこともあり、妹も皇太子様の下僕として働いております」
「この兄の奇抜な表現はともかく、私たちは皇太子――ユーリスくんの側近とでもお考えください。さて、立ち話もなんですので、こちらのお席へどうぞ」

 レナに、ふかふかのソファーを示された。皇太子を君付けで呼ぶなんて随分砕けた態度の側近だな、と驚きながら腰かけようとする風見。するとクロエはすすっと右端の位置を取る。左には気づけばリズが陣取っていた。風見は必然的にユーリスの正面に当たる真ん中に腰かける。
 居場所がなかったクイナは、キュウビに手を引かれて横のソファーに座った。残るクライスは皇太子側のソファーの横に起立する。

猊下げいか、それではご用件をどうぞ」

 メイドがお茶と菓子を並べたところで、レナは風見に目を向けた。綺麗に足を揃えて居住まいを正した彼女には、やはり貴族らしい気品がある。
 クロエはともかく、一般庶民の風見や野良犬まがいのリズとは、明らかな差が見えた。

「用件はさっき言った通りだ。正直、俺はユーリスの味方をしているつもりはない。できることをしているだけだ。だから、自分が皇太子派だの誰派だのと周囲に色眼鏡で見られたり、そのせいで敵視されて貴族の争いに巻き込まれたりするのは困る。誰かに肩入れする気も、お前を贔屓ひいきする気もない」
「なるほど、もっともな意見だね。けれどシンゴが僕の配下だと思われないための解決策なら、随分前に君に渡したはずだよ」
「……えっ?」

 いや、そんなことはない。ユーリスは面倒な仕事は寄越してきたが、ためになる知らせはくれなかったはずだ。風見が記憶を掘り起こしていると、ユーリスは困った顔になる。
 これはとぼけているわけではない。本当に善意で何かしてくれた様子である。

「忘れているかもしれないとは思っていたよ。ほら、グリフォンが急死した原因を突き止めた時、僕は別れ際に貴族の紹介状を渡しただろう。国の利益となる人材で、シンゴが助けたところで僕は得をしない……むしろ損をすることもある貴族を紹介したつもりだったんだ。彼らが抱えている問題は、君なら処置しうると思ってね」
「あー……。そういえばそんなものがあった気も……」

 言われてみれば、と風見はその存在を思い出す。しかしそれの所在はまったく心当たりがない。
 リズとクロエにも目を向けてみたが、返ってきた答えはノーだ。リズは素っ気ない「知らんよ」の一言で、「残念ながら……」と言うのはハの字に眉を寄せたクロエである。
 その時、クライスが眼鏡をキランと光らせた気がした。彼はごそごそと胸元から何かを取り出すと、マジシャンを彷彿ほうふつとさせるキレでそれを扇状おうぎじょうに構える。
 それは紛れもなく、当時渡された紹介状だった。
 風見が事務的な雑務を頼んでいるから、クライスはその紹介状の所在を知っていたのだろう。しかも今回、風見がユーリスに物申す話の流れを読んで、持ってきていたに違いない。
 先々を見越した対処といい、それをこの場に用意する配慮といい、彼ら主従の頭の出来は数段上なのを痛感する。改めて紹介状を渡された風見は、わなわなとその手を震わせた。
 黙りこくる彼に、リズが声をかける。

「おい、シンゴ。気に入らんから一言言ってやるつもりじゃなかったのかな?」
「そ、そうだったけど、これじゃダメだろ。ぐうのも出ないだろ……!?」

 ここまで出鼻をくじかれると、積もり積もったうらごとをぶちまけるのも、負け犬の遠吠とおぼえに思えてしまうではないか。
 情けないあるじに、リズはため息をつく。そんなやり取りを見たユーリスが微笑を浮かべた。

「用件は済んだようだね。では、シンゴにわかりやすい指針をあげよう。帝都では今、貴族や裕福な者に限定して、衰渇すいかつやまいや帝都の呪いと呼ばれるものが流行はやっている。君がその原因を見つけ予防と治療をほどこせば、貴族全員が利益を得るだろう。僕の敵味方問わず助けて、身に覚えのないそしりを退しりぞければいい。――そんな具合でどうかな?」

 風見の傾向と実績を理解しているユーリスは、良案を提示してきた。
 けれど、話を聞いた風見は逆に頭を抱える。彼はそのままクロエを見て、そっとぼやいた。

「クロエ、どうしよう。こいつの言うことを聞くのは嫌なのに、本当にぐうのも出ない……」

 今までいいように使われてきた分、ユーリスからの頼み事や提案を断ってスカッとしたいという思いもあって、帝都まで来た。それにもかかわらず、また彼の言う通りにするのが最善のようだ。文句の一言も言えやしない。

「あ、あはは。感情論はともかく、結果論としては、今までの面倒事も悪いことばかりではありませんでした。残念ながら、今回にしても悪い話ではないと思います」
「だよなぁ……」

 クロエが言うように、ここでああだこうだと言っては、大人ではないだろう。項垂うなだれが極まって机に突っ伏していた風見は、とうとう観念した。体を起こし、ユーリスに頷きを返す。
 それを見たユーリスは笑みを深めた。そしてかたわらにいるクライスとレナに、何事かを指示する。すると二人は揃ってドアに向かう。

「感謝しよう。さて、改めまして我らが帝都にようこそ、猊下げいか。目的を遂げるまではここに滞在してくれればいい。それから今宵こよいは歓待のもよおしも手配しているんだ。是非とも君に会いたいと言う者が多くてね。彼らと楽しく交流してくれ」
「またそういうのか……」

 ため息をつくものの、これはポーズである。食事も酒も極上のものが揃っているだろうし、美しい娘と歓談できたりもするのだ。面倒ではあるが、悪い気はしない。
 まあ、一度くらいならいいか。そんな気分でいると――

「おおっ、そなたがあの壮観なドラゴンに乗っておったマレビトなのだな!?」

 そんな声がすると同時に風見は両腕をガチリと掴まれ、いとも簡単にかつぎ上げられる。両脇にいたはずのリズとクロエは、いつのまにか壁際に避難していた。
 これは想定していた黄色い声でも、華奢きゃしゃでたおやかな少女でもない。風見をかつぎ上げたのは、武勲ぶくんこそ至上の栄光と言い出しそうなタイプの、筋骨きんこつ隆々りゅうりゅう猛者もさどもだった。
 ああ、そういえば、ユーリスは『と交流してくれ』と言ったではないか。

「え、ええと、確かに俺はドラゴンには乗っていましたけど、皆さんは、ど、どちら様ですか?」

 歴戦のオーラただよう筋肉、もとい猛者もさにあっという間に囲まれた風見は、表情を引きつらせながらも、なんとか問いかける。

「彼らはこの帝都で竜騎士をしているんだよ。ドラゴンを乗りこなすシンゴの噂を聞きつけて、機会があれば面会を、と嘆願書たんがんしょを出していてね」
「いや、だからってな。それはそもそも俺の本業とはまったく違うっていうか――」
「そのような会話は後でよかろう! 惜しいことに語り合える時間は限られているのだ。かねがね噂で聞いていた猊下げいかに、飛竜についてお尋ねしたいことがある。そのあとには竜種に乗る者として冒険譚ぼうけんたんも聞きたいのだ。こんなところで問答している暇はない。さあ、さあ、さあっ!」

 人の了解も得ずにこのような席を設けるのはいかがなものか。ユーリスにそんな抗議をしようとした風見は、両腕にも背中にも手を回され、否応いやおうなく運ばれていく。
 風見は「ユーリス。ユーリスゥゥゥーッ!!」と怨嗟えんさの声を残し、連れ去られたのだった。


    †


 竜騎士たちに引きずられてから数時間後。
 風見は震える足で迎賓館げいひんかんのベッドに辿り着くと、そのまま倒れ込んだ。
 体調不良の飛竜を城で介抱しているからてほしいと頼まれたり、扱い方を聞かれたりしたのはともかく、その後のうたげが酷い。竜にまたがる者の男気を、酒の飲み方や肉の食らい方で見せられた上に、風見も飲まされ食わされて――そんな酷い洗礼であった。

「おうふ、肝臓かんぞうと胃がほろびる……。これ、太る……。俺は絶対にえてしまう……」

 うめく風見に、クロエは苦笑気味だ。

「見た目どおり歓迎の仕方も豪快だったんですね。その酒宴の前は何をなさっていたんですか?」
しゃいにされている飛竜が、かせや運動不足のせいでとこずれやら、むくみなんかができていたからてくれって言われたんだよ。炎症止めと利尿剤とかをあげてきた。今後、様子見が必要だな」

 風見はそう言ってぐったりしていた。
 クロエが風見の世話に精を出す一方、リズやクイナは暇を持て余していた。ハイドラでなら隷属騎士団の兵舎で訓練にいそしんだり、風見が作った東国の捕虜ほりょの集落を訪ねたりと暇潰しはいくらでもある。けれど迎賓館げいひんかんではそうもいかない。現在はリズがクイナをラッコのごとく抱え、ソファーで重なり合って暇をかしている。

「シンゴぉー、ひまぁー」

 クイナはむくっと起き上がって主張した。

「俺は現在、故障中です……。この後もタマの相手をする体力だけは残しておかないといけないし、我慢してくれ」

 クイナは風見のつれない返事にふて腐れる。むくれた表情のまま、尻尾をぱたりぱたりと上げたり下げたりを繰り返した。
 そんな様子を見ると風見も何かしてあげねばとは思うが、悲しいことにもう元気が残っていない。
 リズも退屈そうにぼやく。

「はあ。絢爛けんらん豪華ごうかな施設とは言っても、やることがないね。つまらん……。いっそのこと、帝都お抱えの騎士団に殴り込みしてきてもいいかな? その方が得るものがある気がするよ」
「それで得られるのは手配書だけです。やめてください。いつものように昼寝はどうですか?」

 あきれた調子で言うのはクロエだ。彼女は無難な案を提示する。

「寝心地が違う。ここは落ち着かんよ」

 臭いんだ、とリズは言う。その言葉にクロエは首をかしげた。
 リズによると、ベッドの質はいいものの、誰ともわからない他人の臭いがそこかしこからするので落ち着けず、寝付けないらしい。

「クイナも同じなのですか?」
「あまり好きじゃない臭いがする……」
「そうだね。え太った品のない臭いばかりだ。香水の残り香もあるし、酒飲みや年寄り特有の臭いとか、諸々もろもろ。カーテンやシーツを洗った程度では消えんよ」
「国家レベルの要人が泊まるので、最上級の手入れをしているはずなのですが……」

 手入れが行き届いていても、亜人種の鼻はごまかせないのだろう。
 彼女らは暇そうにしているが、風見の身の回りの世話をこなすクライスは、事情が異なる。彼は常に動き回っていた。さっきまで昼食の片づけをしていたかと思ったら今度は手紙を受け取ってきて、ベッドに伏せっている風見に差し出す。この状況でも遠慮する様子がないあたり、彼は悪魔だ。

猊下げいか夕餉ゆうげのパーティに向けた挨拶あいさつ文でございます」
「勘弁してつかーさい……」
「これも人脈を作るため、と割り切られてもよろしいのでは?」
「限度がある。獣医はあくまで現場の人間。のぼりつめてもせいぜい施設の所長レベルまでなんだから、偉くなるためのコネ作りなんていらないんだよ」

 風見の様子を把握し、クライスはそれ以上の口出しを控えた。かわりに、ソファーの上で暇そうにしているリズとクイナを見やる。

「お二方。お暇でしたら帝都の観光はいかがでございましょう。国中の人と物が揃う場所なので、一日で見飽きるものではないかと存じます」
「帝都観光ね。確かに暇だし、行くのも手かな」

 そう言うと、リズはクイナを見る。クイナはこくこくと頷き返した。

「……外に行くのか? じゃあ小遣いをやろうか」

 風見の提案にリズは首を横に振る。

「いらんよ。道中で倒した魔物の素材を売れば、十分な金になるさ。どうしても足りん時は、治安の悪いところにでも行こう。絡んでくるやからを返りちにして、金を巻き上げるよ」

 リズは同じ方法で隷属騎士の年少組を甘やかすための小銭を稼いでいたので、特に悪びれた様子はない。それどころか、訓練にもなって一石いっせき二鳥にちょうだと胸を張っている。

「すごく性質たちが悪いから、それはやめような」

 リズが本気でやるとは思っていないが、風見は一応釘を刺しておく。帝都で騒ぎを起こしたら厄介事に発展しそうなので、自重じちょう願いたいところだ。
 ともあれ、リズは円筒型のバッグを荷物から出してきた。中には魔物の鉤爪かぎづめつのきばなどが入っている。これらや毛皮は、付加武装にはならないが、丈夫なので売り物になることが多いのだ。
 旅行中の資金は、これらを売って補充することも多い。

「さて。帝都観光とは言ったものの、案内がないとさすがに迷いそうかな」

 素材袋をクイナに持たせ、リズ自身は太刀たちかついだ時のこと。ちょうど部屋に戻ってきたキュウビは、二人を見つめた。彼女はまたふらっとどこかに出ていたようだ。

「あら、お出かけですの?」

 彼女はハイドラの街でもよくいなくなっていた。いつも何をしているのだろうか。野暮用やぼようならばいいが、彼女はサキュバスの亜種の血を引いている。若い男女の精が吸い取られた、なんて怪事件が起これば、真っ先に疑ってしまうだろう。

「あ、キツネ様、おかえりなさい。ちょっと外を見てこようかと思ってます」

 元気に答えたクイナに、キュウビは目を細める。

「それはいいですわね。ご一緒しても? わたくしもこれを機に、飛竜のうろこや爪を換金してしまいましょう。ついでに帝都散策に繰り出してみるのも、また一興ですわ」
「別に構わんが、この街をそこまでじっくりと見て回る気はないよ?」
「それではつまらないではありませんか。こういう古都の裏路地には、掘り出し物を扱う店があって面白いですよ? 他にも路上の賭け試合に、名物料理めぐり。それから男あさりや女あさりに、人さらいや賞金首狩り。帝都の地下に広がる反逆者の収容所への侵入。楽しもうと思えばいくらでも――」

 生を謳歌おうかすることに関して、キュウビにかなう者はいない。それは確かに頷けるが、邪道も平気で勧めるので教育にはよろしくない。途中から聞いていられなくなった風見は、悪い子の道をくキュウビの言葉をさえぎる。

「いい子はそういうの、やめておこうな。いい子は」
「変なことに加担する気はないが、やることもないしね。案内は任せるよ」

 リズはそそのかされても興味を持たなかったが、たまにはいいかと珍しくキュウビとの行動を決める。

「うふふ。それはいい答えを聞けました」
「ついでだ。シンゴ、何か欲しいものは?」
「胃腸薬と栄養ドリンク……」
「お前が求めるレベルの物はないだろうね。まあ、適当に何か見繕みつくろってくるよ」

 やれやれと息を吐いて、リズは外へ出る。クイナもその後に続いた。最後に残ったキュウビも出て行くと思われたが、何かを思い出した様子で手を叩き、風見に視線を向ける。

「シンゴ様、どうせなら〝あれ〟をいただいてもよろしいですか? せっかく帝都に来たのですから、宝の持ち腐れはこれまでにいたしましょう」
「あー……。俺も使い道は浮かばないから、キュウビに任せた……」
「かしこまりました。よきに計らいますわね」

 ベッドでへたったままひらひらと手を振る風見に会釈えしゃくし、キュウビもリズらの後を追って散策に出かけるのであった。


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