114 / 218
8巻
8-2
しおりを挟む†
こうして、風見ら一行――六名とアースドラゴン及び飛竜二頭は、ハイドラを出発した。
ちなみに、タマには風見、キュウビの飛竜には飼い主とリズとクイナ、もう一頭の飛竜にはクライスとクロエという乗員構成である。
ハイドラはこの帝国の東端に位置している。国の中央にある帝都までは直線距離で六百キロもあり、山脈も越えなければならない。そのため、徒歩なら一ヶ月はかかるそうだ。
だが、空を行ける飛竜はともかく、地竜のタマまで、その距離を一泊二日で走破した。
そこにあったのは快適な旅路ではない。二日の行程を終えて帝都の入口に辿り着いた風見は、死に物狂いの激戦を乗り越えた兵士のように疲弊し、まともに話せないほどぼろぼろだった。
「もう、やだ……。ドラゴン酔い、死ねる……。慣れ……、ない……」
途中、風見がこうやって酔ったり、休憩を取ったりしたので、実質の走行時間は十時間ほどである。しかも直線距離は六百キロでも、山道や崩れやすい道などは迂回したため、実際にはもっと長い距離を進んだはずだ。
にもかかわらず、タマは十時間で走破してのけた。十数トン級の体躯でありながら、毎時百キロ近い速度で爆走し続けられた事実からも、ドラゴンがいかに人知を超えているかわかる。
「あらあら、うふふ。乗馬と同じですから、回数をこなせばきっと慣れますわ」
地面にばたりと倒れ伏した風見を微笑んで見つめるキュウビは余裕の表情だ。日頃から飛竜を乗り回しているので、耐性があるのだろう。
「無……理……。クロエ、しばらくこのままで……」
「はい。いつまででも結構ですから、存分にお休みください」
風見を膝枕で介抱するクロエはぴんぴんしている。
リズも同じく元気である。高いところが苦手なため、飛竜で空を飛んでいた時は尻尾の毛が限界まで逆立って膨らんでいたが、陸に下りればもう平気らしい。
ところが、同じ亜人種でもクイナはちょっと違った。
「リズ、だんちょ……そこ、背中じゃ、ない、です……。胸、です……」
「おっと、いかんいかん。間違えてしまったね。よしよし、ゆっくり休んでいるといいよ?」
「……うぁい」
飛竜酔いしたクイナは、ぐったりとリズにもたれかかっている。
それをいいことに悪さをしていたリズだが、気付かれていると知ってもなお、いい人のふりをして彼女を独占している。貴重な子供成分を逃す気はないらしい。
彼らは帝都には入らず、街の外で座り込んだままだ。
ここで時間を潰しているのには、理由がある。複数の竜種を連れているため、帝都の警備隊の対応に時間がかかるのだ。今はクライスが諸々の手続きをしている最中で、風見らは待機中というわけである。
そうして奇妙な一団が待機しているから、自然と注目されてしまう。キュウビは街の入り口に現れた見物の衆にちらりと視線をやると、煙たそうに息を吐いた。
「すっかり見世物ですわね。ハチなら火を噴いていたところですわ」
「帝都の人間からすれば、見世物だろうさ。活躍劇で語られる伝説の人なんだから」
物陰から様子をうかがう輩に、堂々とこちらを見る輩。どれも同様に邪魔くさい。しかも帝都に入れば、さらに貴族や皇族が加わるのだ。リズとしては、不躾な輩が何かしでかすのではないかと懸念してしまう。
リズが眉を寄せていると、キュウビはにまにまとした表情になった。それが無性に癇に障ったのか、リズはケッと嫌な顔をして、クイナに視線を戻す。
そうして十数分も経っただろうか。垣根ができそうなくらいに人が増えてきた頃、クライスが戻ってきた。
「お待たせいたしました。タマ様は北方の放牧地に、飛竜はその近辺にある竜舎にお連れくださいませ。お待たせしている間に何か困り事がございましたか?」
彼は不機嫌なリズの顔を見ながら尋ねる。リズはそっけなく応じた。
「別に。それで私たちは?」
「迎賓館へお越しください。ユーリス様がお忍びでお待ちです」
「……そっか。なら、逃げられないうちに行かなきゃ、か」
復活した風見は名残惜しくもクロエの柔らかな足から離れると、タマを誘導し始めた。
指示された場所には牛に似た生物が放牧されており、タマはじゅるりとよだれを垂らしていたのが少し心配だ。風見はタマに、それらを食べないよう言い含めておく。
続いて飛竜を近くの竜舎に預けた後、風見らは借り受けた馬に乗り、改めて帝都に戻った。
帝都に足を踏み入れると、出迎えてくれたのはレンガ造りの街並みだ。
大通りには二、三階建ての建物が隙間なく並び、先を見れば背の高い鐘楼や一際大きな建物が散在している。大きな建物は教会、ギルド、役所などだ。
しばらく進むと、街を仕切る城壁が見えてきた。そこから先は大きく豪華な家々がある。さらにその奥に存在する二つ目の城壁は、城を囲うものだ。塀も城も高く、街のどこからでも見失いようがない。
「この街並みも久しぶりだな。ハイドラにずっと入り浸りだったから、この世界に来てすぐ以来になるか。どんな規模の都なのかもよく覚えてないな」
風見が呟くと、クロエがガイドを始めてくれる。
「この先にある半径二キロほどの外壁は貴族街を囲んでいます。その周囲――このあたりは、一般市民が住む平民街。城、貴族街、平民街と三区画に分かれているのです。総人口は三十万かそれ以上と言われていますが、スラムもあるため、正確な数はわかっていません」
クロエのガイドを聞きつつ、一行は平民街を歩いて抜ける。
一等地の貴族街へ繋がる中央道はかなり幅が広く、片側二車線の道路と同じ規模だ。やはり帝都なだけあり、道はハイドラよりも整備されている。
少々進むと、道すがら馬車が停まっていた。これで迎賓館まで案内してくれるらしい。
一行はさっそく馬車に乗り込む。
いざ進みだすとクイナは風見の膝の上ではしゃぎながら窓の外に首ったけだった。風見も一緒になって、いろいろなところに目をやっている。
「シンゴ! あれ、なんだろう?」
「なんだろうな。サイみたいな爬虫類……? 恐竜っぽいな」
「あのローブを被った人は?」
「うーん、雨も降っていないし、お尋ね者か何かかもな。帝都ならいろいろありそうだし」
「ふーん?」
そんなやりとりを見て笑っていたキュウビは、ふと何かを気に留めた様子で外を見た。
彼女の様子に風見は首を傾げる。
「どうした、キュウビ?」
「いえ、何やら覚えのある嫌な予感がした気がしまして。いつだったか焼き殺した魔獣の欠片と似た臭いがしたのです。でも、気のせいでしょう。帝都は物に溢れているので、同種の魔物の付加武装の気配を感じてしまったのかもしれません」
「そうなのか?」
「ええ。魔獣ヒュージスライム。この陽の下でその欠片でも存在したなら、帝都は丸ごとスライムに同化吸収されてしまうことでしょう。同化と成長だけしか能のないスライムですが、それだけに凶悪なのです。一切触れることなく、山を蒸発させる芸当でもできなければ、あれは殺しきれません。そんなものが帝都にいたとしたら、地獄が待っていますわ」
その後もキュウビは外に視線をやっていたが、ついぞ正体は掴めなかったようだ。
そうしているうちに馬車は貴族街に入り、風景が様変わりする。そこでは貴婦人が道端で会話していたり、騎士が歩いていたりと落ち着いた雰囲気だ。店も、絨毯やドレスを取り扱う高級そうな商店ばかりである。
そんな貴族街でも特に大きな門の前で馬車は停まる。どうやらそこが目的の迎賓館らしい。
門から本館までは五百メートル近くもあり、プールのように巨大な噴水に出迎えられる。本館の奥には庭園が広がっていて、その他には和風の別館もあるのだとか。これはマレビトの文化を再現した家屋なのだろう。総面積は辺境伯であるドニの城を上回っていそうだ。
「えっと。迎賓館っていうのは、このバカでっかい敷地にあるのか?」
「左様でございます。中ではワタクシの妹とユーリス様が待っているかと。まいりましょう」
「え、ちょっと待った。お前に妹なんていたのか……」
また偏屈な人が出てきそうだなぁ、と風見は予感する。それは他のメンバーも同じなようで、彼らは元気のない表情で迎賓館に入り、応接室に向かった。
廊下の各所には綺麗に着飾った兵が警備しており、応接室前にも二人控えている。彼らはびしりと踵を揃えて風見らに向けて敬礼すると、「猊下御一行のご来館です」と中に声をかけた。続いて、息ぴったりの動作で扉を開ける。
中では皇太子ユーリスと女性が談笑していた。あの非の打ちどころのない笑顔で、どれだけ厄介ごとを押し付けられたことか、と風見は恨みがましくユーリスを見る。すると、女性は姿勢を正し、傍に控え直した。
金髪ストレートを二つ結びにした女性だ。彼女がクライスの妹らしい。確かに整っているという点で容姿は似ている。だが、クライスはシルバーブロンドの髪と白磁の肌をしたモノクロな印象なのに対し、彼女の容姿には色がある。微笑みもごく自然で、人形じみてはいない。
無機質な彫刻の兄と、鮮やかな肖像画の妹。この兄と妹には、そんな印象が感じられる。
ユーリスは片手を上げると、親しげに話しかけてくる。
「やあ、シンゴ。久しぶりだね。元気だったかい?」
「近くにいようが遠くにいようが、面倒事を寄越してくる誰かさんに、困らされていたけどな。元気に頑張ってやったぞ、この野郎」
ユーリスにとっては聞くまでもない話だった。風見の情報は誰よりも収集している上に、クライスも報告しているはずだ。それでも見た目通りの優男を装ってくる。食えない男である。
「はっはっは。それは災難だったね。猊下ともなると、そういう悩み事が絶えないのかな? 召喚主の僕としては手元に置いて、手厚く援助したいところだよ」
「断固拒否する。というか、お前に仲間扱いされると面倒が増えそうだから、抗議に来たんだ」
ユーリスは「そうだろうね」と見透かしたような顔をした。話が早い半面、風見はどうも気にくわない。
また、風見とユーリスのやりとりの陰では、兄妹が感動の再会をしていた。
「兄さん、遠路遥々ようこそ。相も変わらず、元気なのかどうかわからないお顔で何よりです。きっと元気なのでしょうね」
「健康そのものでございますよ。死体と見間違われて叩き起こされることもなくなりました。猊下、こちらがワタクシの妹でレナ・アスト・アールハイトと申します。皇太子様とは、ワタクシと同様に幼馴染として育てられたこともあり、妹も皇太子様の下僕として働いております」
「この兄の奇抜な表現はともかく、私たちは皇太子――ユーリス君の側近とでもお考えください。さて、立ち話もなんですので、こちらのお席へどうぞ」
レナに、ふかふかのソファーを示された。皇太子を君付けで呼ぶなんて随分砕けた態度の側近だな、と驚きながら腰かけようとする風見。するとクロエはすすっと右端の位置を取る。左には気づけばリズが陣取っていた。風見は必然的にユーリスの正面に当たる真ん中に腰かける。
居場所がなかったクイナは、キュウビに手を引かれて横のソファーに座った。残るクライスは皇太子側のソファーの横に起立する。
「猊下、それではご用件をどうぞ」
メイドがお茶と菓子を並べたところで、レナは風見に目を向けた。綺麗に足を揃えて居住まいを正した彼女には、やはり貴族らしい気品がある。
クロエはともかく、一般庶民の風見や野良犬紛いのリズとは、明らかな差が見えた。
「用件はさっき言った通りだ。正直、俺はユーリスの味方をしているつもりはない。できることをしているだけだ。だから、自分が皇太子派だの誰派だのと周囲に色眼鏡で見られたり、そのせいで敵視されて貴族の争いに巻き込まれたりするのは困る。誰かに肩入れする気も、お前を贔屓する気もない」
「なるほど、もっともな意見だね。けれどシンゴが僕の配下だと思われないための解決策なら、随分前に君に渡したはずだよ」
「……えっ?」
いや、そんなことはない。ユーリスは面倒な仕事は寄越してきたが、ためになる知らせはくれなかったはずだ。風見が記憶を掘り起こしていると、ユーリスは困った顔になる。
これは惚けているわけではない。本当に善意で何かしてくれた様子である。
「忘れているかもしれないとは思っていたよ。ほら、グリフォンが急死した原因を突き止めた時、僕は別れ際に貴族の紹介状を渡しただろう。国の利益となる人材で、シンゴが助けたところで僕は得をしない……むしろ損をすることもある貴族を紹介したつもりだったんだ。彼らが抱えている問題は、君なら処置しうると思ってね」
「あー……。そういえばそんなものがあった気も……」
言われてみれば、と風見はその存在を思い出す。しかしそれの所在はまったく心当たりがない。
リズとクロエにも目を向けてみたが、返ってきた答えはノーだ。リズは素っ気ない「知らんよ」の一言で、「残念ながら……」と言うのはハの字に眉を寄せたクロエである。
その時、クライスが眼鏡をキランと光らせた気がした。彼はごそごそと胸元から何かを取り出すと、マジシャンを彷彿とさせるキレでそれを扇状に構える。
それは紛れもなく、当時渡された紹介状だった。
風見が事務的な雑務を頼んでいるから、クライスはその紹介状の所在を知っていたのだろう。しかも今回、風見がユーリスに物申す話の流れを読んで、持ってきていたに違いない。
先々を見越した対処といい、それをこの場に用意する配慮といい、彼ら主従の頭の出来は数段上なのを痛感する。改めて紹介状を渡された風見は、わなわなとその手を震わせた。
黙りこくる彼に、リズが声をかける。
「おい、シンゴ。気に入らんから一言言ってやるつもりじゃなかったのかな?」
「そ、そうだったけど、これじゃダメだろ。ぐうの音も出ないだろ……!?」
ここまで出鼻を挫かれると、積もり積もった恨み言をぶちまけるのも、負け犬の遠吠えに思えてしまうではないか。
情けない主に、リズはため息をつく。そんなやり取りを見たユーリスが微笑を浮かべた。
「用件は済んだようだね。では、シンゴにわかりやすい指針をあげよう。帝都では今、貴族や裕福な者に限定して、衰渇の病や帝都の呪いと呼ばれるものが流行っている。君がその原因を見つけ予防と治療を施せば、貴族全員が利益を得るだろう。僕の敵味方問わず助けて、身に覚えのない誹りを退ければいい。――そんな具合でどうかな?」
風見の傾向と実績を理解しているユーリスは、良案を提示してきた。
けれど、話を聞いた風見は逆に頭を抱える。彼はそのままクロエを見て、そっとぼやいた。
「クロエ、どうしよう。こいつの言うことを聞くのは嫌なのに、本当にぐうの音も出ない……」
今までいいように使われてきた分、ユーリスからの頼み事や提案を断ってスカッとしたいという思いもあって、帝都まで来た。それにもかかわらず、また彼の言う通りにするのが最善のようだ。文句の一言も言えやしない。
「あ、あはは。感情論はともかく、結果論としては、今までの面倒事も悪いことばかりではありませんでした。残念ながら、今回にしても悪い話ではないと思います」
「だよなぁ……」
クロエが言うように、ここでああだこうだと言っては、大人ではないだろう。項垂れが極まって机に突っ伏していた風見は、とうとう観念した。体を起こし、ユーリスに頷きを返す。
それを見たユーリスは笑みを深めた。そして傍らにいるクライスとレナに、何事かを指示する。すると二人は揃ってドアに向かう。
「感謝しよう。さて、改めまして我らが帝都にようこそ、猊下。目的を遂げるまではここに滞在してくれればいい。それから今宵は歓待の催しも手配しているんだ。是非とも君に会いたいと言う者が多くてね。彼らと楽しく交流してくれ」
「またそういうのか……」
ため息をつくものの、これはポーズである。食事も酒も極上のものが揃っているだろうし、美しい娘と歓談できたりもするのだ。面倒ではあるが、悪い気はしない。
まあ、一度くらいならいいか。そんな気分でいると――
「おおっ、そなたがあの壮観なドラゴンに乗っておったマレビトなのだな!?」
そんな声がすると同時に風見は両腕をガチリと掴まれ、いとも簡単に担ぎ上げられる。両脇にいたはずのリズとクロエは、いつのまにか壁際に避難していた。
これは想定していた黄色い声でも、華奢でたおやかな少女でもない。風見を担ぎ上げたのは、武勲こそ至上の栄光と言い出しそうなタイプの、筋骨隆々な猛者どもだった。
ああ、そういえば、ユーリスは『彼らと交流してくれ』と言ったではないか。
「え、ええと、確かに俺はドラゴンには乗っていましたけど、皆さんは、ど、どちら様ですか?」
歴戦のオーラ漂う筋肉、もとい猛者にあっという間に囲まれた風見は、表情を引きつらせながらも、なんとか問いかける。
「彼らはこの帝都で竜騎士をしているんだよ。ドラゴンを乗りこなすシンゴの噂を聞きつけて、機会があれば面会を、と嘆願書を出していてね」
「いや、だからってな。それはそもそも俺の本業とはまったく違うっていうか――」
「そのような会話は後でよかろう! 惜しいことに語り合える時間は限られているのだ。かねがね噂で聞いていた猊下に、飛竜についてお尋ねしたいことがある。そのあとには竜種に乗る者として冒険譚も聞きたいのだ。こんなところで問答している暇はない。さあ、さあ、さあっ!」
人の了解も得ずにこのような席を設けるのはいかがなものか。ユーリスにそんな抗議をしようとした風見は、両腕にも背中にも手を回され、否応なく運ばれていく。
風見は「ユーリス。ユーリスゥゥゥーッ!!」と怨嗟の声を残し、連れ去られたのだった。
†
竜騎士たちに引きずられてから数時間後。
風見は震える足で迎賓館のベッドに辿り着くと、そのまま倒れ込んだ。
体調不良の飛竜を城で介抱しているから診てほしいと頼まれたり、扱い方を聞かれたりしたのはともかく、その後の宴が酷い。竜に跨る者の男気を、酒の飲み方や肉の食らい方で見せられた上に、風見も飲まされ食わされて――そんな酷い洗礼であった。
「おうふ、肝臓と胃が滅びる……。これ、太る……。俺は絶対に肥えてしまう……」
呻く風見に、クロエは苦笑気味だ。
「見た目どおり歓迎の仕方も豪快だったんですね。その酒宴の前は何をなさっていたんですか?」
「舎飼いにされている飛竜が、枷や運動不足のせいで床ずれやら、むくみなんかができていたから診てくれって言われたんだよ。炎症止めと利尿剤とかをあげてきた。今後、様子見が必要だな」
風見はそう言ってぐったりしていた。
クロエが風見の世話に精を出す一方、リズやクイナは暇を持て余していた。ハイドラでなら隷属騎士団の兵舎で訓練に勤しんだり、風見が作った東国の捕虜の集落を訪ねたりと暇潰しはいくらでもある。けれど迎賓館ではそうもいかない。現在はリズがクイナをラッコのごとく抱え、ソファーで重なり合って暇を飽かしている。
「シンゴぉー、ひまぁー」
クイナはむくっと起き上がって主張した。
「俺は現在、故障中です……。この後もタマの相手をする体力だけは残しておかないといけないし、我慢してくれ」
クイナは風見のつれない返事にふて腐れる。むくれた表情のまま、尻尾をぱたりぱたりと上げたり下げたりを繰り返した。
そんな様子を見ると風見も何かしてあげねばとは思うが、悲しいことにもう元気が残っていない。
リズも退屈そうにぼやく。
「はあ。絢爛豪華な施設とは言っても、やることがないね。つまらん……。いっそのこと、帝都お抱えの騎士団に殴り込みしてきてもいいかな? その方が得るものがある気がするよ」
「それで得られるのは手配書だけです。やめてください。いつものように昼寝はどうですか?」
呆れた調子で言うのはクロエだ。彼女は無難な案を提示する。
「寝心地が違う。ここは落ち着かんよ」
臭いんだ、とリズは言う。その言葉にクロエは首を傾げた。
リズによると、ベッドの質はいいものの、誰ともわからない他人の臭いがそこかしこからするので落ち着けず、寝付けないらしい。
「クイナも同じなのですか?」
「あまり好きじゃない臭いがする……」
「そうだね。肥え太った品のない臭いばかりだ。香水の残り香もあるし、酒飲みや年寄り特有の臭いとか、諸々。カーテンやシーツを洗った程度では消えんよ」
「国家レベルの要人が泊まるので、最上級の手入れをしているはずなのですが……」
手入れが行き届いていても、亜人種の鼻はごまかせないのだろう。
彼女らは暇そうにしているが、風見の身の回りの世話をこなすクライスは、事情が異なる。彼は常に動き回っていた。さっきまで昼食の片づけをしていたかと思ったら今度は手紙を受け取ってきて、ベッドに伏せっている風見に差し出す。この状況でも遠慮する様子がないあたり、彼は悪魔だ。
「猊下、夕餉のパーティに向けた挨拶文でございます」
「勘弁してつかーさい……」
「これも人脈を作るため、と割り切られてもよろしいのでは?」
「限度がある。獣医はあくまで現場の人間。上りつめてもせいぜい施設の所長レベルまでなんだから、偉くなるためのコネ作りなんていらないんだよ」
風見の様子を把握し、クライスはそれ以上の口出しを控えた。かわりに、ソファーの上で暇そうにしているリズとクイナを見やる。
「お二方。お暇でしたら帝都の観光はいかがでございましょう。国中の人と物が揃う場所なので、一日で見飽きるものではないかと存じます」
「帝都観光ね。確かに暇だし、行くのも手かな」
そう言うと、リズはクイナを見る。クイナはこくこくと頷き返した。
「……外に行くのか? じゃあ小遣いをやろうか」
風見の提案にリズは首を横に振る。
「いらんよ。道中で倒した魔物の素材を売れば、十分な金になるさ。どうしても足りん時は、治安の悪いところにでも行こう。絡んでくる輩を返り討ちにして、金を巻き上げるよ」
リズは同じ方法で隷属騎士の年少組を甘やかすための小銭を稼いでいたので、特に悪びれた様子はない。それどころか、訓練にもなって一石二鳥だと胸を張っている。
「すごく性質が悪いから、それはやめような」
リズが本気でやるとは思っていないが、風見は一応釘を刺しておく。帝都で騒ぎを起こしたら厄介事に発展しそうなので、自重願いたいところだ。
ともあれ、リズは円筒型のバッグを荷物から出してきた。中には魔物の鉤爪や角、牙などが入っている。これらや毛皮は、付加武装にはならないが、丈夫なので売り物になることが多いのだ。
旅行中の資金は、これらを売って補充することも多い。
「さて。帝都観光とは言ったものの、案内がないとさすがに迷いそうかな」
素材袋をクイナに持たせ、リズ自身は太刀を担いだ時のこと。ちょうど部屋に戻ってきたキュウビは、二人を見つめた。彼女はまたふらっとどこかに出ていたようだ。
「あら、お出かけですの?」
彼女はハイドラの街でもよくいなくなっていた。いつも何をしているのだろうか。野暮用ならばいいが、彼女はサキュバスの亜種の血を引いている。若い男女の精が吸い取られた、なんて怪事件が起これば、真っ先に疑ってしまうだろう。
「あ、キツネ様、おかえりなさい。ちょっと外を見てこようかと思ってます」
元気に答えたクイナに、キュウビは目を細める。
「それはいいですわね。ご一緒しても? わたくしもこれを機に、飛竜の鱗や爪を換金してしまいましょう。ついでに帝都散策に繰り出してみるのも、また一興ですわ」
「別に構わんが、この街をそこまでじっくりと見て回る気はないよ?」
「それではつまらないではありませんか。こういう古都の裏路地には、掘り出し物を扱う店があって面白いですよ? 他にも路上の賭け試合に、名物料理巡り。それから男漁りや女漁りに、人さらいや賞金首狩り。帝都の地下に広がる反逆者の収容所への侵入。楽しもうと思えばいくらでも――」
生を謳歌することに関して、キュウビに敵う者はいない。それは確かに頷けるが、邪道も平気で勧めるので教育にはよろしくない。途中から聞いていられなくなった風見は、悪い子の道を説くキュウビの言葉を遮る。
「いい子はそういうの、やめておこうな。いい子は」
「変なことに加担する気はないが、やることもないしね。案内は任せるよ」
リズは唆されても興味を持たなかったが、たまにはいいかと珍しくキュウビとの行動を決める。
「うふふ。それはいい答えを聞けました」
「ついでだ。シンゴ、何か欲しいものは?」
「胃腸薬と栄養ドリンク……」
「お前が求めるレベルの物はないだろうね。まあ、適当に何か見繕ってくるよ」
やれやれと息を吐いて、リズは外へ出る。クイナもその後に続いた。最後に残ったキュウビも出て行くと思われたが、何かを思い出した様子で手を叩き、風見に視線を向ける。
「シンゴ様、どうせなら〝あれ〟をいただいてもよろしいですか? せっかく帝都に来たのですから、宝の持ち腐れはこれまでにいたしましょう」
「あー……。俺も使い道は浮かばないから、キュウビに任せた……」
「かしこまりました。よきに計らいますわね」
ベッドでへたったままひらひらと手を振る風見に会釈し、キュウビもリズらの後を追って散策に出かけるのであった。
22
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
