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一章 パンドラ
第九話 呼び出し
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ユニの朝は早い。
だからといって、規則正しい生活をしているのではない。むしろ、他の巫女と比べたら遅い。夜は夜食を食べながら遅くまで本を読んでいるし、昼は昼で惰眠を貪っているので、巫女の生活として見たら怠惰な生活だ。
それでも早起きなのは、アリスに起こされるのが楽しみだからだ。
今日もアリスに起こされるのをワクワクしながら、既に半覚醒済みの脳が、誰かが部屋に入ったのを感知する。
「ユニ、起きろ!」
薄目を開けるとハンクの赤髪が目に入る。
近い内に来ると手紙が来ていたのを思い出した。
(夜中の物音はこいつか)
前回来た時にアリスと正式な恋人になったとはいえ、ユニはアリスとハンクの同衾を許すつもりはない。アリスの部屋の前にトラップを仕掛けておいたのだが、昨晩は誰かが引っ掛かった音がしていた。
「チェンジで」
野郎に起こされたくない。アリスが起こしに来るまで二度寝する。
「いやいや。起きろって。飯できてんだよ。お前が来るまで、アリスが食わしてくんないんだよ」
頭をポンポンされる。
仮にもこの社のトップだから、ユニが来るまで食べられないのは当然だろう。幼馴染みの間柄でも礼儀は必要だ。
「んー。わーったよ。起きるー。……昼頃に」
「今!」
このままではうるさくて二度寝もままならないから、仕方なく起きる。
横になったまま大きく伸びをする。
「お前ほんと胸ないな」
伸びをしたことで、体のラインがハッキリと見れたのだろう。
蹴りで返事する。
「あっぶ」
避けられたので追撃。
「ちょっ!」
無言で人中を抉るように殴る。
「殺意!」
これも避けられた。さすがBランク冒険者。
「ちょっと落ち着こうか。無言で殺しに来られると怖いって」
「ちっ」
「舌打ち? 巫女がしちゃだめだろ!」
ふと思った。この幼馴染みの少年は、なんで朝からこんなに元気なんだろう。
「せめて、ハンクが美少女だったら」
お淑やかなアリスに起こされるのも良いけど、元気な美少女に起こされるのも良い。想像したら涎が垂れた。
「うわ。てか、こっちもだよ。幼馴染みがフレイア様の巫女だったらな、とか、幼馴染みの担当神がフレイア様だったらなって思ってんだぜ?」
豊穣の女神フレイアは、巨乳で有名な女神でもある。そして、現在の豊穣の巫女もまた、巨乳美女として有名だ。
「『よし、死ね』」
女神の声と共に攻撃を再開する。
「てめえ! は! アリス、の! オッパイで! 満足! できねえ! の! か! よ!」
全て空振りに終わる。
寝起きの激しい運動で、すぐに息があがった。
中央教会で学んだ護身術は、Bランク冒険者には通用しないみたいだ。もっとも、ユニは真面目に学んだわけではないので当然の結果なのだが。
(こうなったら)
「あ、アリス、おはよう」
開けっ放しの扉に視線を向ける。そこにアリスはいない。
「え? がっ!」
首だけ振り向いたハンクの股間を蹴り上げる。
股間を両手で押さえ膝から崩れ落ち、ユニの布団に倒れこむ。
「これでアリスの貞操は守られる」
『悪は滅びたわねー』
幼馴染みが神様から悪認定された。
悶絶するハンクを見下ろしながら「少しやりすぎたかな?」と思ったが。
「だから、貧乳は嫌いなんだよ」
ハンクの呟きに、脊髄反射で顔を踏み抜いた。
白目を剥いて転がるハンクを放っておいて、裏庭の井戸水で顔を洗ってから正殿へ。
家は使わないと傷みが早いので、最近は正殿も使うようにしている。
正殿にはすでに朝食の準備が済んでいて、アリスが待ち侘びていた。
「おはよう、ユニちゃん。ハンクは?」
「二度寝してる」
「もう。だから、夜更かししちゃダメって言ったのに」
意図したわけではないが、結果的にハンクの評価を下げることができて、内心でガッツポーズをする。
「パンドラ様もおはようございます」
三つ指ついて頭を下げる作法は、東方の礼儀作法らしい。
『はよー』
アリスに聞こえるわけでもないのに、元気に挨拶する。頭の中でうるさいので、やめてほしい。
『ユニは朝弱いねー。まだ頭回ってないっしょー?』
「そう思うなら、話しかけんなよ」
話しかけられても返すのが億劫だ。
「もう。ユニちゃん、パンドラ様にそんなこと言っちゃダメでしょ」
『アリスちゃんマジ天使』
なんで朝からこの女神は元気なんだろう。
(あ、ミネルヴァが、神は睡眠を必要としないって言ってたな……なんか、あいつのこと思い出したらムカついてきた)
神降ろしの副作用で天界に行ってから、もう一月以上経っているが、あの女神のことを思い出す度にイライラする。
「あー。ハンク殴り足りねぇ」
あの幼馴染みは丈夫なので、ストレス解消に丁度良い。
「丈夫だけど、あんまり殴っちゃダメよ」
少しくらいなら殴っても良いと解釈する。
「ハンクが揃ってないけど、先に食べよ。いただきます」
中央教会の教えでは、食事前に神への祈りを捧げなければいけないのだが、その神が「毎日の食事はー、私に関係ないから祈られても困るー」と言うので、災害の巫女の社では手を合わせるだけで済ませている。これも東方式だ。
「うん。いただきます」
今日の朝食は、パンとハムエッグと野菜スープ。
建物と食事内容が一致していないが、東方の食文化を知らない二人にはなんの違和感もない。巫女の食事としては普通だ。
『むー。米食じゃないからなー』
西方で米は貴重品だ。
少なくとも、災害の巫女に国から支給されるお金では、ちょっと手が出せないくらいの高額だ。
二人共中央教会で礼儀作法は学んだので、食事のマナーも習ってはいるが、ユニはいくら学んでも本人にやる気がなかったので身に付かず、アリスはこの後の忙しい予定を考えると早く食べ終わって片付けたいので、マナーを気にせず食べている。
まあ、食べ方が汚くなったのは、女神が強要した東方の箸が原因だ。
箸の使い方を教えるのは、実際にやって見せるのが早いのだが、言葉だけの女神ではアリスはおろかユニにも正しく伝わらなく、二人共握り箸になっていた。
『一回、神降ろししない? 箸の使い方教えるよー?』
「アリスの手料理食べたいだけでしょ?」
『それもあるけどさー。箸の使い方が汚い女の子ってー、見てらんないのよねー』
「なら、フォークとスプーンで食べさせてよ」
普通の農家の食事では、ナイフの出番はない。
「パンドラって、東方生まれなの? 名前からすると、ここからちょっと東くらいだと思ってたけど」
『ええ。そのあたりよー。仲の良い神が東方生まれが多いのよー』
「え? 友達いんの?」
普通に驚いてしまった。
「ユニちゃん。神様だって、見栄を張りたい時があるんだよ」
幼馴染みはもっと酷いことを言っている。
「ユニー! てめえ、よくもやってくれたな!」
声に振り向くと、もう一人の幼馴染みが首を押さえて立っていた。
「いいからハンクも飯食え」
ハンクの相手をするよりアリスの手作りご飯の方が重要。
興味を無くしたかのようなユニの態度に、ハンクはなにか言おうとして息を吸い込んで、結局やめた。ユニのこの態度はなにを言っても無駄なのは、経験上知っているからだ。
「ほら、ハンクこっち」
恋人になったばかりの胸の大きい幼馴染みに言われるまま、彼女の隣に座り、目の前の食事にかかる。
「私は二人の仲を認めたわけではない」
恋人の手作りご飯にだらしない顔になっているハンクを、チクリと刺す。
「ユニちゃん? その話は、もう終わったでしょ?」
散々もめた挙句、ハンクが冒険者を辞めるという条件で二人の交際を認めたのだが、引継ぎなど、今までのしがらみですぐに辞めるわけにはいかないので、未だBランク冒険者として王都支部に籍を置いている。
「冒険者を辞めるって条件でしょ? 一月経っても引継ぎが終わらないって、どういうことよ」
ユニは丁度朝食を食べ終えたので追求してみる。
「ハルケニア帝国がキナ臭いんだよ」
なにげないフリを装って言ったハンクの一言は、食後のお茶を飲む二人の少女に緊張感を与えた。
「ボルト王国が落ちたの?」
「ああ。三ヶ月から四ヶ月はかかるって言われてたのに、一ヶ月で落ちやがった」
ハンクがそう言いながら、懐から羊皮紙の束を出してユニへ放り投げる。
とりあえず必要な情報だけ斜め読みして、読んだ羊皮紙はアリスに渡す。
「もう少し粘ってくれると思ってたのにな」
全部読み終わってからの感想だ。アリスも同感だったのか頷いている。
「初戦で上手くおびき出されて殲滅されたのが、でかかったな。あれで兵の士気が落ちたまま立て直せなかったからな」
「それで? こっちの王都の様子は?」
「和平派のレディシア公爵が、なんとかコンタクトを取ろうとしているらしいけど……期待薄だな。お前の胸より薄い」
「死ね。で、帝国の和平派は?」
「そっちはダメだな。和平派筆頭だった巫女の騎士団がやらかしたからな」
故郷のカロッテ村の話をしているのに、恋人のどこか他人事のような言い方にアリスの表情が曇る。
「主戦場はどこになりそう?」
それによっては、自分達も避難する必要がある。
「ここから東のグラム平原かな。すぐそこの川は川幅はともかく浅いから、挟んで迎え撃つにはちょっとな。川を渡ってカロッテ村で陣を張っても、あの周辺は荒地が多いから、騎馬隊が多い王国軍にとってはしんどい地形だろ」
社の西を流れる川はハンクが言うように川幅は広いが浅い。橋を落としたとしても、馬で簡単に渡れてしまう程度の深さだ。一番深い場所でも膝上程度。川の東岸で防衛線を布くには、ちょっと心許ない防御壁だ。
「王国の主力は騎馬だしな。平原で一当たりして出鼻を挫ければ、和平の目も出るかな?」
国力はともかく、予想される兵力差だけ見れば、初戦を凌いで外交でなんとかなりそうだとユニは思った。
「どうかな。この期に及んで和平を結ぶ利益があちらにあるとは思えないんだよな」
「ボルト王国か」
「え? どういうこと?」
アリスだけ理解が追いついていないようだ。首を傾げるアリスに、ユニが優しく説明する。
「前提として、皇帝は西域を統一するって公言している。それは知ってるよね?」
首肯するアリスに頷き返す。
「ん。帝国にとって、ボルト王国はもう少し手ごわい相手だと思ってたの。けど実際は?」
「一月で落ちた」
「うん。おそらく、攻め落とす頃には冬になると予想していたんじゃないかな?」
「冬?」
「ローラントの冬はそれほど厳しくないけど、高地のボルト王国は結構厳しい。そうなると兵が疲れきってしまう。いくら戦神の巫女がいてもね。で、戦が終わっても、疲れきった兵を抱えていては東征もままならない。まあ、連戦だから冬じゃなくても兵を休ませていただろうけどね」
「そのための和平?」
「そ。少なくとも春までは、ね。和平派の筆頭が戦神の巫女だったのは、兵を休ませたかったからだろうね。ところが、和平派筆頭の巫女が率いる騎士団が、和平を結ぼうとしている国の村を、一つ焼き払ってしまった」
アリスの暗い表情を見たくなかったので、おどけた感じで言ってみたが失敗した。アリスが苦しそうな顔をする。
「これで和平は振り出しだ。いや、マイナスか?」
アリスの苦しそうな顔にへこんでしまったユニに代わって、ハンクが引き継ぐ。
「おそらくだが、巫女の権力と戦力を削りたい、巫女の政敵が裏で糸を引いたんだろうな。上手くいけば和平交渉の失敗を盾に、ボルト王国陥落後のローラント王国攻めを第七騎士団単独で強行させて、騎士団を削れるって考えたのかもな」
いくら戦神の加護があっても連戦だ。しかも、季節は冬。不敗の第七騎士団でも相当な犠牲が出るだろう。
「ところがボルト王国だ」
疲労どころか、少し休めばまだまだ戦えるレベルだろう。しかも、季節はまだ初秋だ。不敗の第七騎士団にとっては、本格的な冬になる前に、一度ローラントと戦って力の差を見せ付け、降伏を促すという手も使える。
「第七騎士団の疲労具合と兵糧次第では、冬になっても戦が続くかもしれないわね」
普通は冬になったら戦をやめる。防衛側はともかく、攻め手は寒くて兵の士気が上がらないからだ。
「そういえば、帝国はリューテミア王国とも戦争中だったな」
リューテミア王国はローラントから見たら北、ハルケニア帝国から見たら北東に位置する、一年中雪に閉ざされた国だ。国土は広く地下資源が豊富な反面、農業に適した土地が少ない。そして、厳しい環境のせいか軍が強い。
「ローラント攻めで、雪中行軍の訓練を兼ねるつもりだったりして」
「いくら戦神の巫女でも、そこまでローラントを舐めてはいないだろう」
「どうかな。あの女神の巫女なら、ありそうだけどね」
何度思い出しても不快な気分になる。
(あれ? ウチの女神が静かだ)
「どちらにしろ、年内に一度侵攻するだろう。って、王都では予想しているみたいだ」
「ん? ああ、そうね。私も同じ考え。規模がどの程度かまではわからないけど、戦神の巫女が第七騎士団を率いて来るだろうね」
「公爵経由の情報だと、第七騎士団の七割ってとこだよ。帝都防衛かリューテミア方面軍への援軍って名目で、巫女の戦力を削ぐらしい」
ユニが胡坐をかいたまま頭を抱えて黙考する。
しばらくの沈黙の後、ユニがこれからの方針を話す。
「まず、主戦場がここから東なら避難はしない」
「え? でも、それだと、この辺りに帝国軍が陣を張るんじゃないの?」
「んー。それだと背水の陣になっちゃうから避けると思う。川向こうのカロッテ村を物資集積所にして、一気に攻めるんじゃないかな」
「それなら、この社は真っ先に落とされちゃうんじゃ?」
「私がいるから大丈夫。たいした災害は起こせないって知られていると思うけど、いくら脳筋の巫女でも藪を突いて蛇を出すようなことはしないわよ」
アリスはまだ心配そうにしているが、ユニは「だから避難はしない」とだけ言う。
朝食を食べ終わったハンクが、湯飲みに残ったお茶を一気に飲む。
「アリス、そんなに心配なら、いつでも逃げ出せるように荷物を纏めておけよ」
「いや。今日か明日には王都から迎えが来るから……足の速い馬車を乗り継いで往復四日くらいかしら? 王都行きの準備、私とハンクの荷物を纏めておきましょ」
「やっぱり、ローラントはお前を前面に出すつもりか?」
「ローラントには他に巫女がいないしね。まあ、王様も私一人で戦うのを期待しているわけではないだろうから、無茶なことは言われないわよ」
後半は、心配そうな顔のままなにかを言いかけたアリスに向けて言った。
「勝ち目はあるのか?」
「まともにやったらないね。私が神託魔法を使ったら……ローラントが、時間を一年稼いでくれたら勝てる」
ユニがここまで強く断言するのは非常に珍しい。
二人の幼馴染みが顔を見合わせる。
「こいつが断言するのって、いつ以来だ?」
「んー。五歳の時? 日曜学校でニートの存在を知って”私は将来ニートになる”って断言した時、かな?」
(てか、なんで憶えてんのよ)
「ところでユニちゃん。王都から迎えが来るんだよね? 王様に謁見するんだよね? ……謁見の間での礼儀作法、憶えてる?」
「……えっと……」
ジッと見詰めるアリスから視線を外して、ハンクに視線を移す。
「いやいやいや。俺が知ってるわけねえって。俺、冒険者だよ?」
(期待はしてなかったけどね)
その後、王都からの迎えは昼前に来た。
勿論、礼儀作法の復習は間に合わず、本来ならハンクを護衛に連れて行こうと思っていたが、馬車の中で詰め込み教育をすることになるから、先生としてアリスが王都へ付いて来ることになった。
だからといって、規則正しい生活をしているのではない。むしろ、他の巫女と比べたら遅い。夜は夜食を食べながら遅くまで本を読んでいるし、昼は昼で惰眠を貪っているので、巫女の生活として見たら怠惰な生活だ。
それでも早起きなのは、アリスに起こされるのが楽しみだからだ。
今日もアリスに起こされるのをワクワクしながら、既に半覚醒済みの脳が、誰かが部屋に入ったのを感知する。
「ユニ、起きろ!」
薄目を開けるとハンクの赤髪が目に入る。
近い内に来ると手紙が来ていたのを思い出した。
(夜中の物音はこいつか)
前回来た時にアリスと正式な恋人になったとはいえ、ユニはアリスとハンクの同衾を許すつもりはない。アリスの部屋の前にトラップを仕掛けておいたのだが、昨晩は誰かが引っ掛かった音がしていた。
「チェンジで」
野郎に起こされたくない。アリスが起こしに来るまで二度寝する。
「いやいや。起きろって。飯できてんだよ。お前が来るまで、アリスが食わしてくんないんだよ」
頭をポンポンされる。
仮にもこの社のトップだから、ユニが来るまで食べられないのは当然だろう。幼馴染みの間柄でも礼儀は必要だ。
「んー。わーったよ。起きるー。……昼頃に」
「今!」
このままではうるさくて二度寝もままならないから、仕方なく起きる。
横になったまま大きく伸びをする。
「お前ほんと胸ないな」
伸びをしたことで、体のラインがハッキリと見れたのだろう。
蹴りで返事する。
「あっぶ」
避けられたので追撃。
「ちょっ!」
無言で人中を抉るように殴る。
「殺意!」
これも避けられた。さすがBランク冒険者。
「ちょっと落ち着こうか。無言で殺しに来られると怖いって」
「ちっ」
「舌打ち? 巫女がしちゃだめだろ!」
ふと思った。この幼馴染みの少年は、なんで朝からこんなに元気なんだろう。
「せめて、ハンクが美少女だったら」
お淑やかなアリスに起こされるのも良いけど、元気な美少女に起こされるのも良い。想像したら涎が垂れた。
「うわ。てか、こっちもだよ。幼馴染みがフレイア様の巫女だったらな、とか、幼馴染みの担当神がフレイア様だったらなって思ってんだぜ?」
豊穣の女神フレイアは、巨乳で有名な女神でもある。そして、現在の豊穣の巫女もまた、巨乳美女として有名だ。
「『よし、死ね』」
女神の声と共に攻撃を再開する。
「てめえ! は! アリス、の! オッパイで! 満足! できねえ! の! か! よ!」
全て空振りに終わる。
寝起きの激しい運動で、すぐに息があがった。
中央教会で学んだ護身術は、Bランク冒険者には通用しないみたいだ。もっとも、ユニは真面目に学んだわけではないので当然の結果なのだが。
(こうなったら)
「あ、アリス、おはよう」
開けっ放しの扉に視線を向ける。そこにアリスはいない。
「え? がっ!」
首だけ振り向いたハンクの股間を蹴り上げる。
股間を両手で押さえ膝から崩れ落ち、ユニの布団に倒れこむ。
「これでアリスの貞操は守られる」
『悪は滅びたわねー』
幼馴染みが神様から悪認定された。
悶絶するハンクを見下ろしながら「少しやりすぎたかな?」と思ったが。
「だから、貧乳は嫌いなんだよ」
ハンクの呟きに、脊髄反射で顔を踏み抜いた。
白目を剥いて転がるハンクを放っておいて、裏庭の井戸水で顔を洗ってから正殿へ。
家は使わないと傷みが早いので、最近は正殿も使うようにしている。
正殿にはすでに朝食の準備が済んでいて、アリスが待ち侘びていた。
「おはよう、ユニちゃん。ハンクは?」
「二度寝してる」
「もう。だから、夜更かししちゃダメって言ったのに」
意図したわけではないが、結果的にハンクの評価を下げることができて、内心でガッツポーズをする。
「パンドラ様もおはようございます」
三つ指ついて頭を下げる作法は、東方の礼儀作法らしい。
『はよー』
アリスに聞こえるわけでもないのに、元気に挨拶する。頭の中でうるさいので、やめてほしい。
『ユニは朝弱いねー。まだ頭回ってないっしょー?』
「そう思うなら、話しかけんなよ」
話しかけられても返すのが億劫だ。
「もう。ユニちゃん、パンドラ様にそんなこと言っちゃダメでしょ」
『アリスちゃんマジ天使』
なんで朝からこの女神は元気なんだろう。
(あ、ミネルヴァが、神は睡眠を必要としないって言ってたな……なんか、あいつのこと思い出したらムカついてきた)
神降ろしの副作用で天界に行ってから、もう一月以上経っているが、あの女神のことを思い出す度にイライラする。
「あー。ハンク殴り足りねぇ」
あの幼馴染みは丈夫なので、ストレス解消に丁度良い。
「丈夫だけど、あんまり殴っちゃダメよ」
少しくらいなら殴っても良いと解釈する。
「ハンクが揃ってないけど、先に食べよ。いただきます」
中央教会の教えでは、食事前に神への祈りを捧げなければいけないのだが、その神が「毎日の食事はー、私に関係ないから祈られても困るー」と言うので、災害の巫女の社では手を合わせるだけで済ませている。これも東方式だ。
「うん。いただきます」
今日の朝食は、パンとハムエッグと野菜スープ。
建物と食事内容が一致していないが、東方の食文化を知らない二人にはなんの違和感もない。巫女の食事としては普通だ。
『むー。米食じゃないからなー』
西方で米は貴重品だ。
少なくとも、災害の巫女に国から支給されるお金では、ちょっと手が出せないくらいの高額だ。
二人共中央教会で礼儀作法は学んだので、食事のマナーも習ってはいるが、ユニはいくら学んでも本人にやる気がなかったので身に付かず、アリスはこの後の忙しい予定を考えると早く食べ終わって片付けたいので、マナーを気にせず食べている。
まあ、食べ方が汚くなったのは、女神が強要した東方の箸が原因だ。
箸の使い方を教えるのは、実際にやって見せるのが早いのだが、言葉だけの女神ではアリスはおろかユニにも正しく伝わらなく、二人共握り箸になっていた。
『一回、神降ろししない? 箸の使い方教えるよー?』
「アリスの手料理食べたいだけでしょ?」
『それもあるけどさー。箸の使い方が汚い女の子ってー、見てらんないのよねー』
「なら、フォークとスプーンで食べさせてよ」
普通の農家の食事では、ナイフの出番はない。
「パンドラって、東方生まれなの? 名前からすると、ここからちょっと東くらいだと思ってたけど」
『ええ。そのあたりよー。仲の良い神が東方生まれが多いのよー』
「え? 友達いんの?」
普通に驚いてしまった。
「ユニちゃん。神様だって、見栄を張りたい時があるんだよ」
幼馴染みはもっと酷いことを言っている。
「ユニー! てめえ、よくもやってくれたな!」
声に振り向くと、もう一人の幼馴染みが首を押さえて立っていた。
「いいからハンクも飯食え」
ハンクの相手をするよりアリスの手作りご飯の方が重要。
興味を無くしたかのようなユニの態度に、ハンクはなにか言おうとして息を吸い込んで、結局やめた。ユニのこの態度はなにを言っても無駄なのは、経験上知っているからだ。
「ほら、ハンクこっち」
恋人になったばかりの胸の大きい幼馴染みに言われるまま、彼女の隣に座り、目の前の食事にかかる。
「私は二人の仲を認めたわけではない」
恋人の手作りご飯にだらしない顔になっているハンクを、チクリと刺す。
「ユニちゃん? その話は、もう終わったでしょ?」
散々もめた挙句、ハンクが冒険者を辞めるという条件で二人の交際を認めたのだが、引継ぎなど、今までのしがらみですぐに辞めるわけにはいかないので、未だBランク冒険者として王都支部に籍を置いている。
「冒険者を辞めるって条件でしょ? 一月経っても引継ぎが終わらないって、どういうことよ」
ユニは丁度朝食を食べ終えたので追求してみる。
「ハルケニア帝国がキナ臭いんだよ」
なにげないフリを装って言ったハンクの一言は、食後のお茶を飲む二人の少女に緊張感を与えた。
「ボルト王国が落ちたの?」
「ああ。三ヶ月から四ヶ月はかかるって言われてたのに、一ヶ月で落ちやがった」
ハンクがそう言いながら、懐から羊皮紙の束を出してユニへ放り投げる。
とりあえず必要な情報だけ斜め読みして、読んだ羊皮紙はアリスに渡す。
「もう少し粘ってくれると思ってたのにな」
全部読み終わってからの感想だ。アリスも同感だったのか頷いている。
「初戦で上手くおびき出されて殲滅されたのが、でかかったな。あれで兵の士気が落ちたまま立て直せなかったからな」
「それで? こっちの王都の様子は?」
「和平派のレディシア公爵が、なんとかコンタクトを取ろうとしているらしいけど……期待薄だな。お前の胸より薄い」
「死ね。で、帝国の和平派は?」
「そっちはダメだな。和平派筆頭だった巫女の騎士団がやらかしたからな」
故郷のカロッテ村の話をしているのに、恋人のどこか他人事のような言い方にアリスの表情が曇る。
「主戦場はどこになりそう?」
それによっては、自分達も避難する必要がある。
「ここから東のグラム平原かな。すぐそこの川は川幅はともかく浅いから、挟んで迎え撃つにはちょっとな。川を渡ってカロッテ村で陣を張っても、あの周辺は荒地が多いから、騎馬隊が多い王国軍にとってはしんどい地形だろ」
社の西を流れる川はハンクが言うように川幅は広いが浅い。橋を落としたとしても、馬で簡単に渡れてしまう程度の深さだ。一番深い場所でも膝上程度。川の東岸で防衛線を布くには、ちょっと心許ない防御壁だ。
「王国の主力は騎馬だしな。平原で一当たりして出鼻を挫ければ、和平の目も出るかな?」
国力はともかく、予想される兵力差だけ見れば、初戦を凌いで外交でなんとかなりそうだとユニは思った。
「どうかな。この期に及んで和平を結ぶ利益があちらにあるとは思えないんだよな」
「ボルト王国か」
「え? どういうこと?」
アリスだけ理解が追いついていないようだ。首を傾げるアリスに、ユニが優しく説明する。
「前提として、皇帝は西域を統一するって公言している。それは知ってるよね?」
首肯するアリスに頷き返す。
「ん。帝国にとって、ボルト王国はもう少し手ごわい相手だと思ってたの。けど実際は?」
「一月で落ちた」
「うん。おそらく、攻め落とす頃には冬になると予想していたんじゃないかな?」
「冬?」
「ローラントの冬はそれほど厳しくないけど、高地のボルト王国は結構厳しい。そうなると兵が疲れきってしまう。いくら戦神の巫女がいてもね。で、戦が終わっても、疲れきった兵を抱えていては東征もままならない。まあ、連戦だから冬じゃなくても兵を休ませていただろうけどね」
「そのための和平?」
「そ。少なくとも春までは、ね。和平派の筆頭が戦神の巫女だったのは、兵を休ませたかったからだろうね。ところが、和平派筆頭の巫女が率いる騎士団が、和平を結ぼうとしている国の村を、一つ焼き払ってしまった」
アリスの暗い表情を見たくなかったので、おどけた感じで言ってみたが失敗した。アリスが苦しそうな顔をする。
「これで和平は振り出しだ。いや、マイナスか?」
アリスの苦しそうな顔にへこんでしまったユニに代わって、ハンクが引き継ぐ。
「おそらくだが、巫女の権力と戦力を削りたい、巫女の政敵が裏で糸を引いたんだろうな。上手くいけば和平交渉の失敗を盾に、ボルト王国陥落後のローラント王国攻めを第七騎士団単独で強行させて、騎士団を削れるって考えたのかもな」
いくら戦神の加護があっても連戦だ。しかも、季節は冬。不敗の第七騎士団でも相当な犠牲が出るだろう。
「ところがボルト王国だ」
疲労どころか、少し休めばまだまだ戦えるレベルだろう。しかも、季節はまだ初秋だ。不敗の第七騎士団にとっては、本格的な冬になる前に、一度ローラントと戦って力の差を見せ付け、降伏を促すという手も使える。
「第七騎士団の疲労具合と兵糧次第では、冬になっても戦が続くかもしれないわね」
普通は冬になったら戦をやめる。防衛側はともかく、攻め手は寒くて兵の士気が上がらないからだ。
「そういえば、帝国はリューテミア王国とも戦争中だったな」
リューテミア王国はローラントから見たら北、ハルケニア帝国から見たら北東に位置する、一年中雪に閉ざされた国だ。国土は広く地下資源が豊富な反面、農業に適した土地が少ない。そして、厳しい環境のせいか軍が強い。
「ローラント攻めで、雪中行軍の訓練を兼ねるつもりだったりして」
「いくら戦神の巫女でも、そこまでローラントを舐めてはいないだろう」
「どうかな。あの女神の巫女なら、ありそうだけどね」
何度思い出しても不快な気分になる。
(あれ? ウチの女神が静かだ)
「どちらにしろ、年内に一度侵攻するだろう。って、王都では予想しているみたいだ」
「ん? ああ、そうね。私も同じ考え。規模がどの程度かまではわからないけど、戦神の巫女が第七騎士団を率いて来るだろうね」
「公爵経由の情報だと、第七騎士団の七割ってとこだよ。帝都防衛かリューテミア方面軍への援軍って名目で、巫女の戦力を削ぐらしい」
ユニが胡坐をかいたまま頭を抱えて黙考する。
しばらくの沈黙の後、ユニがこれからの方針を話す。
「まず、主戦場がここから東なら避難はしない」
「え? でも、それだと、この辺りに帝国軍が陣を張るんじゃないの?」
「んー。それだと背水の陣になっちゃうから避けると思う。川向こうのカロッテ村を物資集積所にして、一気に攻めるんじゃないかな」
「それなら、この社は真っ先に落とされちゃうんじゃ?」
「私がいるから大丈夫。たいした災害は起こせないって知られていると思うけど、いくら脳筋の巫女でも藪を突いて蛇を出すようなことはしないわよ」
アリスはまだ心配そうにしているが、ユニは「だから避難はしない」とだけ言う。
朝食を食べ終わったハンクが、湯飲みに残ったお茶を一気に飲む。
「アリス、そんなに心配なら、いつでも逃げ出せるように荷物を纏めておけよ」
「いや。今日か明日には王都から迎えが来るから……足の速い馬車を乗り継いで往復四日くらいかしら? 王都行きの準備、私とハンクの荷物を纏めておきましょ」
「やっぱり、ローラントはお前を前面に出すつもりか?」
「ローラントには他に巫女がいないしね。まあ、王様も私一人で戦うのを期待しているわけではないだろうから、無茶なことは言われないわよ」
後半は、心配そうな顔のままなにかを言いかけたアリスに向けて言った。
「勝ち目はあるのか?」
「まともにやったらないね。私が神託魔法を使ったら……ローラントが、時間を一年稼いでくれたら勝てる」
ユニがここまで強く断言するのは非常に珍しい。
二人の幼馴染みが顔を見合わせる。
「こいつが断言するのって、いつ以来だ?」
「んー。五歳の時? 日曜学校でニートの存在を知って”私は将来ニートになる”って断言した時、かな?」
(てか、なんで憶えてんのよ)
「ところでユニちゃん。王都から迎えが来るんだよね? 王様に謁見するんだよね? ……謁見の間での礼儀作法、憶えてる?」
「……えっと……」
ジッと見詰めるアリスから視線を外して、ハンクに視線を移す。
「いやいやいや。俺が知ってるわけねえって。俺、冒険者だよ?」
(期待はしてなかったけどね)
その後、王都からの迎えは昼前に来た。
勿論、礼儀作法の復習は間に合わず、本来ならハンクを護衛に連れて行こうと思っていたが、馬車の中で詰め込み教育をすることになるから、先生としてアリスが王都へ付いて来ることになった。
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