無垢なる密蕾は、愛しき腕にて咲き誇らん

古都助(幸織)

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~ルイヴェル・フェリデロード編~

王兄姫と王宮医師の密月~ルイヴェル×幸希~

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 ――Side ルイヴェル


「今戻った。セレス姉さん」

 延びに延びた半月の出張を終え、見慣れた王宮医務室の扉を開いた俺は、ソファーで寛いでいる双子の姉、セレスフィーナに帰宅の挨拶を告げた。
 向かいのソファーに腰を下ろし、出張疲れの溜息を吐く。
 今回の出張先は、獅貴族(しきぞく)の王国、ゼクレシアウォード。
 その国内にある学院に特別講師として招かれた俺は、少々面倒な件に遭遇し、それを解決した後……、ようやく帰って来れた、というわけだ。
 
「お帰りなさい、ルイヴェル。今、お茶を淹れるわね」

「頼む……。それと、俺が不在の間に、王宮内に変わった事はあったか?」

「……」

「セレス姉さん?」

 茶を淹れていたセレス姉さんの肩がわかりやすく震えるのを見た俺は、片眉を僅かに跳ね上げた。
 俺が留守の間に、……何か面倒事でも起こったか?
 曖昧な笑みを纏いながら振り返った姉の姿を観察しつつ、問いを続ける。

「セレス姉さん……『何』があった?」

「えぇ……と、どう説明すればいいのかしら、ねぇ」

 何故報告を躊躇う必要がある? 
 ゆっくりとした気まずい足取りで茶を持ってくるセレス姉さんに、俺は足を組み替えながら再度尋ねる。
 俺が他国に行っている間に、一体どんな面倒事が起こったのか、と。
 ソファーに座ったセレス姉さんは、暫しの間話すべきかどうかと迷う素振りを見せ、ようやく口を開く気になった。

「実は……、ね。その……、ユキ姫様が」

「ユキ? ユキがどうかしたのか?」

 ウォルヴァンシア国王の兄であるユーディス様の娘ユキは、俺の恋人だ。
 幼い頃は可愛い妹のように思っていたものだが、この世界に戻って来たユキと共に過ごす内、保護者的だった感情は、一人の女を愛するそれへと変化した。
 その想いを告げた時は全力で逃げられまくったものだが、俺の『真摯な想い』が通じた事もあり、今では互いを想い合う、相思相愛の仲だ。
 そのユキに……、一体何があったというのだろうか。
 セレス姉さんの表情を見る限り、ユキの身に危険が生じたわけではなさそうだが……。
 
「セレス姉さん、焦らさないで貰えるか?」

「焦らしてるわけじゃないのよ? ただ……、これを言ったら、貴方」

 絶対に怒るでしょう? と、困惑した様子で口を開いたセレス姉さんから告げられた『報告』は、確かに……一部、俺の望まないものが含まれていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ルイヴェル帰還から遡ること、一日前の午後。


 ――Side 幸希


「くしゅんっ!!」

「「「ニュイ~?」」」

 うぅ、……何だか、寒いような気が。
 クシャミを漏らした私を、愛らしい桃色ボディのふさふさ動物こと、ファニルちゃん達が不思議そうに見上げてくる。
 この子達は、エリュセードという世界の裏側の空間に存在するこの国、ガデルフォーン皇国だけに生息する、希少な動物。
 昔、この国に遊学した際に出会い、一匹のファニルちゃんを皇宮の人達からプレゼントされた私は、遊学が終わってからも、そのファニルちゃんと仲良く暮らしている。
 けれど、やっぱり同じ種族の子が表側の世界にはいないから、時々こうやって、ファニルちゃんの生まれ故郷であるガデルフォーンに足を伸ばしているのだ。

「ごめんね。吃驚(びっくり)させて」

「「「ニュイ、ニュイ!!」」」

 気にするなとでも言っているかのように、ファニルちゃん達は私の周りを楽しそうに跳ねまわる。
 長い兎の耳に似たそれが、跳ねる度に揺れるのを見つめながら、私は『あの人』の事を思い浮かべた。

「ルイヴェルさん……、もう帰って来た頃かなぁ」

 ウォルヴァンシアの王宮医師、銀の髪に美しい深緑の相貌を抱く男性の姿を思い出しながら、私はファニルちゃんの頭を手のひらで撫で撫でと、その感触を楽しむ。
 ルイヴェルさんが出張に行ってしまってから、早半月近く……。
 最初は数日ほどで戻って来られるという話だったのだけど、向こうで何か問題が起こったらしく、それが済むまではウォルヴァンシアに戻って来られなくなってしまった。
 お互いに依存し合っている関係ではないけれど、元気な顔を見られない日が続くと、少しだけ寂しく感じてしまう。
 顔を合わせれば、ルイヴェルさんの意地悪ないじりを受けたりと、色々と困った状況にも遭遇してしまうのだけど、それを恋しく感じてしまう程度には、……早く会いたいなと願っている。
 そんな私の許に、数日前、ガデルフォーンに住んでいる騎士団長のサージェスティンさんから手紙が届いた。
 ガデルフォーン皇国の皇都を舞台に雪を降らせ、城下町の方では大規模なお祭りを開催し、夜はガデルフォーン皇宮の大広間で舞踏会を開く予定だと。
 それに参加しないかとのお誘いで、丁度何の予定もなかった私は、ファニルちゃんと一緒に気分転換も兼ねて、ガデルフォーン皇国へとやって来た。
 で、お祭りは明日の朝からなのだけど……。

「ルイヴェルさんと一緒に来たかったなぁ……」

 一応、サージェスさんや魔術師団のユリウスさん、クラウディオさん達と一緒にお祭りを見てまわる事になっているのだけど、本当は……、ルイヴェルさんと一緒にお祭りを楽しみたかった。
 特に……、夜に開かれる舞踏会を。

「正装姿のルイヴェルさんと……、一緒に」

 ウォルヴァンシア王宮で開かれる舞踏会では、いつもルイヴェルさんが私のエスコート役を務めてくれている。
 王宮医師であり、魔術師団の団長でもあるルイヴェルさんの正装は、何度見ても格好良いもので……。
 滅多に見られるものではないから、その件も合わせて勿体なく感じてしまう。
 だけど、ルイヴェルさんは他国でお仕事中だし、我儘を言うわけにもいかない。
 舞踏会はサージェスさんが相手をしてくれると親切にも気を利かせてくれたし、ルイヴェルさんの事は忘れて、思いっきり楽しまないと!
 私は気分を切り替えて明日のお祭りを楽しみにしながら自分のファニルちゃんを抱き上げると、一度部屋に戻る為に回廊へと向かい始めた。
 しかし……、二、三歩足を進めた私は、不意に眩暈のような感覚に襲われてしまう。

「ん……、な、なに?」

 ふっと身体から力が抜ける感覚。
 危うく芝生の上に倒れこみそうになった私は、何とか膝を着くぐらいで済んだ。
 今日の朝、目を覚ました時から気怠さを感じてはいたけれど、風邪でも引き始めているのだろうか。
 
「ニュイ~?」

「風邪薬でも飲んだ方がいいかなぁ……」

 底冷えするような寒さを身体に感じた私は、やっぱり風邪の引き始めか何かかなぁと、眠気まで生じ始めた身体をよろよろと動かして、ガデルフォーンの皇宮医務室へと向かう事にした。
 あそこに行けば風邪薬も常備されているだろうし、明日のお祭りを楽しむ為にも、今日はゆっくりと休む事にしよう。私を心配して、前足をタシタシと触れさせてくるファニルちゃんを抱え直し、私は向かう先を皇宮医務室へと変更させるのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あれ? ユキちゃん、どうしたの?」

 皇宮医務室へと訪れると、そこには丁度サージェスさんの姿があった。
 白衣を纏っているサージェスさんは、騎士団長としての役職に就いているけれど、実はお医者様としても優秀な人だったりするのだ。
 サージェスさんは私の姿をそのアイスブルーの瞳に映すと、近寄ろうとした私の方へと寄ってきた。

「今ね、ちょっと寝台の方には近づかない方がいいから、こっちで話そうね」

「あの、何かあったんですか?」

 奥のベッドの方に視線を向かわせると、何やら苦しそうな呻き声が……。
 もしかして、誰か怪我でもしたのだろうか。
 
「実はねー、ちょーっと困った事に、ウチの団員二人が病気をしちゃってね」

「病気、ですか?」

「命に関わるとか、そういう類のものじゃないから心配しなくてもいいよ。二週間くらい大風邪状態を余儀なくされて、寝台で寝込むだけだから」

 いえ、それって……、十分心配せずにはいられない症状だと思うんですけど。
 私の声にならないツッコミを察してくれたのか、サージェスさんは苦笑を零しながら説明をしてくれた。
 奥で苦しんでいる団員さん達は、この季節に流行っている特殊な菌からの攻撃を防ぐ予防用のお薬を呑んでいなかった為に、訓練中に発症してしまったらしい。
 私のいた世界で言うところの、インフルエンザの類に症状が似ているのだけど、治るまでには最低二週間、悪化すれば、一か月は苦しむ羽目になるそうで……。
 近づくと移る可能性もあるからと、感染を防ぐ結界の外にいるようにと言い含められた。
 
「可哀想ですね……」

「薬を呑み忘れていたのが一番の原因だから、自業自得なんだけどねー。でもまぁ、楽しいお祭りを明日に控えているっていうのに、不憫な子達だよ」

「本当に……。あ、サージェスさん、申し訳ないんですけど、風邪薬って貰えますか?」

 ここに来た本来の目的を告げると、サージェスさんは一応診察をしてからの方が良いだろうと提案し、風邪かどうかの確認を行ってくれた。
 けれど、……右手のひらを私の身体の前に翳していたサージェスさんが、不思議そうに首を傾げてしまう。

「う~ん……、これ、風邪じゃないね」

「え? 風邪じゃないなら……、ただの体調不良でしょうか?」

「いや、……ユキちゃん、ちょっと身体に触るけどいいかな?」

「は、はい」

 ぺたぺたと首筋や頬、腕を探るように触られ続け、その手がサージェスさんの許に戻って行くのを見ていると、「なるほどね……」と、納得した様子で小さな笑いを零されてしまった。
 
「風邪でも、体調不良でもないよ、これは」

「じゃあ……、一体」

「あ、言っておくけど、妊娠でもないからね?」

「あ、当たり前です!!」

「えー、ユキちゃん、そんな事言ってるけど、ルイちゃんと仲良しさんでしょー?」

「な、仲良しって……」

 サージェスさんが言っているのは、普通の仲良しという意味じゃない。
 含みのある声音に潜んでいるそれは、恋人同士として、私とルイヴェルさんが……、その、そういう事をしていないわけがないと確信を持っているのだ。
 そしてその答えは、カァァァッと、夕暮れの夕日にも負けないくらいに赤く染まった私の頬の様子を見れば一目瞭然なわけで……。
 
「ユキちゃんてば、相変わらず純情で可愛いねー。まぁ、あのルイちゃんが本命と両想いになって、手を出さずにいるとは思ってなかったけど。予想通り、仲良しさんのようで、俺も嬉しいよー。だけど、流石ルイちゃん、ウォルヴァンシアの王様達から瞬殺されないように、気配りは出来てるようだね」

「うぅ……、も、もう、その話はやめてくださいっ」

「あはは。ごめんね? お兄さん、ユキちゃんのそういう可愛い反応が見たくて、ついつい意地悪しちゃうんだよねー」

 全然悪いと思ってない!
 ニコニコと人の好い笑みを纏いながら私の頭を撫でるサージェスさんを恨みがましく見上げると、「もう言わないから、許して?」と、怒るに怒れない優しい声音が降ってきた。
 この人の場合、ルイヴェルさんとはまた別の意味で心臓に悪いからかいをしてくるのは、通常仕様だとわかってはいるけれど……。今回のは一番ダメージが大きかったように思う。
 ルイヴェルさんと恋人同士になって何年かが経つけれど、……一応、『そういう事』はあったりする。
 私は頭の中に思い出してしまったある光景を瞬時に頭を振って掻き消すと、自分が診察を受けた理由を思い出し、今の状態を教えて貰う事にした。
 
「知りたい?」

「知りたいというか、自分の身体の事なので、教えて頂かないと困るというか……」

 だから、どうしてそんなに楽しそうな顔をしているんですか、サージェスさん!!
 なかなか診察の結果を教えてくれないサージェスさんは、一体何を確認してしまったのか……。
 何度か焦らすように問答を続けた後、私の耳元に顔を寄せたサージェスさんが含み笑いと共に教えてくれたのは……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 翌日、朝から大賑わいの城下町に出た私は、サージェスさんと魔術師団のユリウスさん、そして、クラウディオさんと一緒に、出店を見てまわっていた。
 今日この日の為に、皇都以外からも沢山の人達や出店を開くために訪れた商人さん達もいるらしく、見た事のない食べ物や装飾品などが、私の視界に流れ込んでくる。

「ルイちゃんも来られれば良かったんだけどねー」

「ふん、ルイヴェルと祭りを見てまわるなど、不快以外の何物でもないだろう」

 暢気な声音でルイヴェルさんの事を口にしたサージェスさんをぎろりと睨み、敵愾心のような気配を漂わせつつそっぽを向いたのは、ガデルフォーン魔術師団のクラウディオさんだ。
 ワインレッドの髪を纏うクラウディオさんは、幼い頃にルイヴェルさん絡みで色々とあったらしく、顔を合わせれば自分から喧嘩を売りに行ってしまう、ちょっと困った人。
 だけど、偉そうな物言いをしてはいても、意外と打たれ弱かったり、可愛い部分もある人なので、憎む事は出来ない性格をしている。

「クラウディオ~、いい加減にルイヴェル殿と仲良くする姿勢を見せてはどうですか? いつまでも、子供のように嫌い嫌いと口にしていては、進歩がありませんよ?」

 そして、その横で苦笑しながらクラウディオさんを宥めている、柔らかなクセのある長い甘栗色の髪を纏う優しそうな男性は、ユリウスさん。
 クラウディオさんとは幼い頃からの付き合いで、物言いは優しいけれど、時々、グサッとクラウディオさんの心を抉るような言葉を放つ事もある頼もしい人だ。

「気に入らないものは気に入らないんだ! 大体な、ルイヴェルは昔から人の事を馬鹿にしたような言動や行動が目立つんだ。あれを好きになれと言われても、素直に頷けるものかっ」

「はいはーい。君の歪んだ被害妄想は、その辺のゴミ箱にでもぶち込んでくれるかなー? 今日は、せっかくの楽しいお祭りをユキちゃんと過ごせるんだから、そっちに集中集中!」

「ふん……。おい、小娘」

「クラウディオ、ユキさんの名前をちゃんと呼びなさい。名前を呼ぶのが気恥ずかしいのはわかりますが、小娘呼びはいけません」

「ぐっ……、だ、誰が気恥ずかしくなどっ」

「女の子と仲良くするのも苦手なお子様だから、仕方がないよ。さてと、あ、ユキちゃん、あっちに見える出店の食べ物、美味しそうだよー。買いに行こっか?」

「は、はい」

 相変わらずの三人の姿に小さく笑った私は、サージェスさんに手を引かれ、少し離れた場所にある出店へと向かう事になった。
 いつもなら……、この手を引いてくれるのは、あの人のはずなのに。
 自分に触れる違う温もりに少しだけ寂しさを感じながら、私は視線を下に向ける。
 
(まだ……、戻ってないのかな、ルイヴェルさん)

 あとで一度ウォルヴァンシアに連絡を取ってみようか。
 もしかしたら、出張からウォルヴァンシアに戻っているかもしれないし。
 その足で……夜の舞踏会に来てくれるかもしれない。
 それに、……『あの事』も報告しないと。

「ルイヴェル……さん」

 小さく呟いた恋しい人の音は、賑わう人々の気配に紛れ、誰に聞かれる事もなく消えていった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 同日・夕方


 ――Side ルイヴェル


「ふぅ……、これでようやく半分か」

 出張から戻り早々、ユキに関する報告を聞いた俺は、すぐにガデルフォーンに向かう事も出来ず、セレス姉さんが持ってきた書類の山と戦う羽目になってしまった。
 王宮医師の仕事だけじゃない。
 俺が団長を務めているウォルヴァンシア魔術師団の仕事も入っている。
 それに全て目を通し、必要事項を埋めていく作業を繰り返し過ごしていたら、あっという間に夕方になってしまった……。今頃ユキは、ガデルフォーンの城下で祭りを楽しんでいるのか。
 それとも、皇宮に戻って夜の舞踏会の準備に入っているのか……。
 どちらにしろ、ユキの傍に在る事が出来ない俺としては、……非常に面白くない。
 百歩譲って、城下町の祭りの方はまだいい。
 だが、夜の舞踏会では、サージェスがこれでもかという程にユキを着飾って輝かせる事だろう。
 そして、……大勢の男の目に、あれが晒される。
 まだ、狼王族として、『少女期』に当たるとはいえ、本人に自覚はないが、ユキは人の目を惹きつける容姿と性格をしている為、それに群がる害獣が沸くのは避けられない。
 申し込まれれば、相手に悪いと思い、ダンスの相手さえ引き受けてしまう事だろう。

「……」

 持っていた羽根ペンを握る手に、無意識に力がこもる。
 ペンの先端がバキリと砕け、書類に黒い染みが広がっていく……。
 まるで、俺が今心の中に抱いている、狭量で歪んだ闇を表しているかのように。

「いつ終わるんだ、……このゴミ山は」

 セレス姉さんが傍にいれば、「仕事の書類をゴミ山扱いしちゃ駄目でしょう!!」と、至極真っ当な指摘が入る所だが、今の俺にとってはゴミでしかない。
 これがなければ、すぐにでもガデルフォーンに乗り込めるというのに、今日中に決裁しろと催促を乞われては、放棄して逃げた後にセレス姉さんから雷が落ちる事は確実だ。
 いっその事、この場で全て燃やし尽くして、なかった事にでもしてやろうか……。
 ……思わず、本気で炎系の魔術詠唱を唱えかけた。

「はぁ……。今すぐに帰って来いと言えば、楽になれるのか……」

 だが、祭りと舞踏会を楽しみに出かけて行ったユキの事を思うと、俺の我儘を押し付けるわけにはいかない。
 恐らくは、……ユキの相手をサージェスが務め、害獣共の手から遠ざけてはくれるだろうが。

「ルイヴェル、仕事の方は進んでいるかしら?」

「……半分以上は終わっている」

「そう。なら……、ユキ姫様とお話でもどうかしら?」

「ユキ?」

 王宮医務室へと戻って来たセレス姉さんがソファーへと俺を促すと、手のひらに納まる程度の丸い手鏡をテーブルに置いた。手鏡の内側は鏡面ではなく、水面を湛えている状態だ。
 これは、離れた場所にいる相手と連絡を取る魔術道具で、その鏡面が水の状態となっている場合、相手と通信が繋がっている状態を指す。
 今は……、保留中の状態だな。
 セレス姉さんがその状態を解き、水面から空中に向かって水の流れと共に円を描かせていくと、その中にユキの姿が浮かび上がった。

「ユキ姫様、お待たせいたしました」

「ユキ……」

 どうやら室内にいるらしいユキは、まだドレスには着替えておらず、俺の姿を見た瞬間、嬉しそうにその表情を和ませた。
 
『ルイヴェルさん、ウォルヴァンシアに戻っていたんですね。お帰りなさい。……お出迎えが出来なくて、ごめんなさい』

「謝る必要はないだろう。まぁ、お前がいないと知って、少々気落ちはしたがな」

「少々という程だったかしら……。ご褒美を貰い損ねたわんちゃんみたいな顔をしていたように見えたのだけど」

 セレス姉さん……、言わなくてもいい情報をユキの前でさらりと吐くのはやめてくれないか。
 だが、それを聞いたユキが、仄かに頬を薄桃色に染めたのを目にした俺は、これはこれでまぁ悪くはないと思い直した。

「祭りは楽しかったか?」

『はい。サージェスさん達が楽しい所にいっぱい連れて行ってくれました』

 まだ舞踏会までは時間がある為か、ユキは皇宮で借りている一室で寛いでいるらしく、城下町で目にしたものや、触れたものを声に乗せ、俺達へと嬉しそうに伝えてくる。
 城下町にずらりと並んだ出店。ウォルヴァンシアでは見られない珍しい品々や、大広場で催された、異国の芸など。
 その場所にいる事のなかった俺達でさえ、ユキの話を通して祭りの賑わいや興奮を感じられるようだ。
 特に……、あのクラウディオが催しの一部に巻き込まれ、女装したという話は、次に喧嘩を売られた時に使えるいいネタになった。
 
『あの、ルイヴェルさん……』

「どうした?」

『その、……こ、これから』

 ユキが勇気を出して何かを俺に告げようとした瞬間、王宮医務室の扉がノックされ、まさかの追加書類の束が、魔術師団員の手によって運ばれてきた。
 俺も、セレス姉さんも、通信の向こうにいるユキも、それをじっと見下ろす。
 
「あの、一応それも今日中に決裁を頂くように言われていますので、お疲れのところ申し訳ありませんが、……よ、よろしくお願いします!!」

 団員の言葉の最後の方に動揺が走ったのは、俺が不機嫌を隠さずにそちらを睨んでしまったからだろう。
 まだ半分しか終わっていない書類に、追加、だと?
 出張のせいで留守にし続けた俺のせいでもあるが、帰宅した日ぐらいはゆっくり過ごさせろ。
 そんな不満が表に出てしまった俺は、逃げるように扉を閉めて消えて行った団員を無言で見送ると、何かを言いかけたユキの方へと視線を戻した。

「すまなかったな、ユキ。……で、何か言おうとしていたようだが」

『あ、……え、えっと、そ、そろそろ、舞踏会の準備があるので、この辺で失礼しますね!!』

「待て。通信を始めたばかりだろう? 準備までにはまだ時間があると……」

 言っていただろう……、と、疑問を投げようとした瞬間、通信が虚しく途切れた。
 向こう側のユキが、強制的に通信を打ち切ったのだ。
 手鏡へと水の流れが戻り、通信が終わった事によって、その水面がただの鏡面へと変化する。
 ……暫し、俺とセレス姉さんの間に虚しい静寂が落ちる。

「……ルイヴェル、わかっているわよね?」

「あれで気づかない方がおかしいだろう。タイミングが悪かったとも言えるが、……いや、俺のせいか」

「ルイヴェル……、どうするの?」

 恐らくユキは、出張から戻った俺にガデルフォーンへ来てほしかったのだろう。
 それを頼もうとした矢先の、……ゴミ山の追加分。
 ユキはそれを見て察したのだ。仕事で忙しい俺に、……我儘を言ってはいけない、と。
 元から遠慮深い性格の娘ではあるが、俺としては、仕事よりも自分の傍に来いと駄々を捏ねられた方が喜びを感じられるというのが本音だ。まぁ……、ユキの性格的には無理な相談だな。
 俺はソファーから立ち上がると、追加で持ち込まれた書類の束を手に持ち、机の方へと向かった。
 椅子に腰かけ、羽根ペンを手に取る。

「セレス姉さん、今からこのゴミ山が全て片付くまで、一切俺に話しかけないでくれ」

「はいはい。ユキ姫様の笑顔を取り戻す為にも、気合を入れて頑張って頂戴ね」

「あぁ」

 ガデルフォーンの舞踏会が始まるまでには、まだ多少の時間が残されている。
 開始時間には間に合わないかもしれないが、途中からなら参加出来るかもしれない。
 元々、書類を片付けてユキの許に向かう気ではあったが、この追加分のせいで、ユキとサージェスが踊る事は避けられそうにもない。
 だが、そのままで終わらせる気はない……。
 通信が切れる寸前に俺の目に映った、……寂しそうなユキの表情を、この手で消し去るまでは。
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