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第十六話 苦悩

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 アンドリュー達によって《解放軍》のメンバーが奥に連れられているのを見ながら、ベンジャミンはちらちらと隣を気にしていた。
 視線の先にいるリリーが、明らかに元気がない。
 皆気にしているが、どう声を掛けて良いか分からないようだ。そしてそれはベンジャミンも同じである。

 アンドリューが戻ってくる。

「お疲れ様。誰も犠牲者が出なかったのは良い事だ。では早速報告……と言いたいところだが」

 アンドリューの目がリリーを捉えた。

「リリー。君は今すぐ帰りなさい」
「えっ? ……でも」
「帰りなさい。これは命令だ」
「……分かりました」

 リリーが唇を噛んで頷いた。

「一人では危険だ。そうだな……」

 アンドリューの目が一度レイモンドに止まるが、そこでは何も言わずにこちらを向いた。

「ベンジャミン」
「は、はい」
「リリーを家まで送り届けろ」
「了解です」

 ベンジャミンは声が大きくなり過ぎないように注意しながら敬礼をした。







 俺の名前はベンジャミン・スコット。
 今は、リリーを家まで送り届けるために彼女と二人で歩いている。

 はっきり言おう。
 俺は彼女の事が好きだ。

 最初はこの子は将来美人になるんだろうな、くらいにしか思っていなかった。
 だが、月日が経って少しずつ関わっていくうちに、俺の中で彼女に対する印象は変化した。
 関わる時間は多くないが、その聡明で大人っぽい所、実力とは裏腹の謙虚な姿勢、それでいて技が成功した時などの純粋な笑顔のギャップに惹かれた。
 ただ、俺はリリーにこの想いを伝えるつもりはない。

 俺は人に比べて少し霊術は出来るが、それ以外は平凡だ。家の出も、顔も、勉強も、運動も、全て。
 リリーは学校でもモテているみたいだし、何より彼女の近くにはレイモンドがいる。
 あの少年には、はっきり言って嫉妬すら沸かない。
 家の出はともかく、霊術、顔、運動はまず勝てない。勉強は分からないが、普段話している感じ、頭の回転は速い。
 唯一勝てるのは年齢の差によるものだが、彼の落ち着き具合は八歳のそれではない。せいぜい俺が勝てるのは身長くらいだろう。

 二人は特段甘い関係ではないようだが、彼ほどの男が近くにいたら、俺なぞは何の魅力もないように見えるだろう。
 だから俺は、時々一緒に修行をしたりはしているし、もう少し話す機会が増えたらな、というくらいにしか思っていなかった。

 だから今の状況は、なかなかどうして、困ったものだ。
 彼女の心は弱っている。付け込むなら今だぜ、と俺の中の悪い部分が囁いてくるが、人の弱みに付け込むほど俺は落ちていない。
 彼女が落ち込んでいる原因も分かっている。あれは半分、いや、それ以上は俺のせいだ。
 こんな状況下では、二人きりだなんて能天気に喜んでもいられない。
 でも、レイモンドではなく自分が選ばれた事に優越感を感じてしまっているのも、また事実だった。

 その気の緩みから何か変な事を口走ってしまいそうで、俺は今、何も言えないでいる。

 下心なしで、彼女の事は元気付けたい。しかし、何を言うべきか全く分からない。
 本部からこれまでで喋ったのは、

「すみません。お手数をかけてしまって」
「いや、大丈夫だよ」
「有難うございます」

 という彼女からの謝罪と、

「こっちで合ってる?」
「はい」

 という道の確認だけだ。
 普段ならもう少しテンポよく話せるのだが。

 徐々に彼女の家も近付いてきている。何かを言わなければ。
 ……言う事が全くない訳ではない。
 助けてくれた事へのお礼なら言える。彼女があそこで《解放軍》のメンバーを殺していなければ、死んでいたのは俺の方だった。
 ただ、その殺しこそが今の彼女を苦しめている。話題にして良いものか……。
 焦燥の中で浮かんできたのは、いつかのレイモンドとの会話だ。



『レイって物言いが本当にストレートだよね。正直というか、歯に衣着せぬというか』
『そうですね。僕ももう少し気を遣えたらいいんですけど、相手の事を考えてると、結局どう言えばいいのか分からなくなってしまうんです』
『考えすぎるって事?』
『はい。それで何も言えなくなって、結果焦って変な事を言ってしまう、というのが多々あったんです。だったら、多少空気が読めなくても本音を言った方が、焦って本音でもない変な事を言ってしまうよりはマシだと思って、今のスタイルになりました』
『それはまあ、君らしいというからしくないというか……』



 これだ。
 今の状況は、まさに昔のレイモンドの陥った状況とそっくりだ。
 俺は今、焦っている。きっとこのままでは変な事を言ってしまう。
 だからといって、何も言わないのも違う気がする。
 ……伝えよう。正直な思いを。

 リリーの家に着く直前、俺は立ち止まってリリーに声を掛けた。

「リリー」

 リリーが振り向く。

「有難う」
「……え?」
「俺には君が正しかったとかそういうのは全然分からないけど、君のお陰で俺が生きているのは紛れもない事実だ。俺とネイサンさん。君は間違いなく二人の人間の命を救った。それだけは覚えていて欲しいし、俺は心の底からリリーに感謝している……それだけ伝えたかった。改めて有難う」

 俺は頭を下げ、リリーの顔を見た。
 逆光でその表情はよく分からない。

「それじゃ、また」

 そういって来た道をたどり始めた俺の背中に、今度はリリーから声が掛かる。

「ベン先輩」
「ん?」

 立ち止まり、振り返る。

「こちらこそ、有難うございます」
「……おう」

 頭を下げるリリーに手を振り、俺は今度こそ帰路に就いた。
 少しだけ、心が軽くなった。







 ベンジャミンとリリーが別れた頃、本部では報告が一通り終わったところだった。

「レイモンド」

 グレイスは帰り支度をしている少年に声を掛けた。

「話がある。時間、良いか?」
「はい」

 レイモンドと共に本部を出る。
 周囲に人がいなくなった事を確認すると、グレイスは立ち止まった。
 レイモンドも立ち止まり、向かい合う体勢になる。
 グレイスはレイモンドの目を見据えた。

「単刀直入に聞く。お前、リリーと何かあったのか?」

 レイモンドの表情に大きな変化はない。が、それは逆にリリーと何かがあった事を明確に知らせていた。
 レイモンドは一つ溜息を吐くと、口を開いた。

「今日、学校でソフィーが上級生二人に詰められていました」

 いきなりの暴露に少し動揺するが、レイモンドがこうして話すという事はソフィアは無事なのだろう。
 今は、この話がどこに行きつくのかを聞かなければ。

「理由は嫉妬です。その上級生達はリリーさんのクラスメートで最終的にはナイフを持ち出しました。その時点で僕とリリーさんで止めに入ったため、怪我人はいません。ソフィーもナイフに恐怖はしていましたが、精神的ショックは大きくなかったようです。勇敢にも言い返していましたしね」

 レイモンドが僅かに口元を緩めたが、その顔は一瞬にして真顔に戻る。

「その後の二人の処遇で、僕とリリーさんの意見は食い違いました。僕は二人に物理的な制裁を加えようとしました。二人はリリーさんにも手を加えるつもりだったので、もう二度とソフィーやリリーさんに手を出されないようにするには、死の恐怖を身体に刻み込むのが一番だと思ったからです。でも、彼女は違いました。彼女は僕を止め、二人を逃がしました。その後一応僕の意見は伝えましたが、彼女はどこか苦しげな表情をしていました。これが、僕と彼女の間に起こった事です」

 レイモンドの口調は終始淡々としていた。
 彼の中にあるのは、仲間を大切に想う優しさと、その為なら何かを切り捨てる事を躊躇わない決断力と残虐性だ。
 後者は普通の人間なら受け入れられないだろう。
 リリーの反応は正常だと言って良い。「死の恐怖を身体に刻み込む」などという発言を素直に呑み込め、という方が無理な話だ。
 しかし、グレイスはこれを受け入れた。というより、仕方がないか、と思ったのだ。

 その理由は、レイモンドの両親にあった。
 アンドリューから聞いた話を思い出す。
 ……あんな経験をしてしまえば、今のレイモンドのような考えになるのも頷ける。

 そして同時にアンドリューがリリーの送りをレイモンドに任せなかったのも理解出来た。
 リリーは仲間を助けるために敵を殺した。その行為をレイモンドは肯定するだろう。
 でも、それでは駄目なのだ。
 今のリリーは人を殺した自分を肯定していない。レイモンドの言葉はおそらく逆効果だ。

 その点、ベンジャミンは適役だ。
 彼は数値に表せる部分で言えば殆どレイモンドに負けているが、空気が読めるという点では彼に軍配が上がる。
 リリーを励ませるかは分からないが、少なくともマイナスに作用する事はないはずだ。

 だから今はリリーの事は考えない。
 考えるべきは目の前の少年だ。

「レイ」

 再びグレイスとレイモンドの視線が交わった。

「お前とリリーは似ている。霊術の才能があり、それでいて努力を惜しまない。幼子らしからぬ冷静さと状況判断力もある。だがな、お前達は全く別物の人生を歩んできているんだ」

 レイモンドは何も言わない。

「お前の考えを否定するつもりはない。出来るものでもないしな。それに事実、リリーも今回お前と同じような考えのもとに行動し、人を殺めた。でも、だからといって、あの子がお前と同じように感じている訳じゃない……何故お前ではなくベンがリリーの護衛に選ばれたか、分かるか?」
「……空気が読めるから?」
「大雑把に言えばそうなる。では聞くが、お前、もし今リリーに声を掛けるとしたら何て言う?」
「君のした事は間違いじゃなかった。君のお陰で仲間は死なずに済んだ……と」
「ベンなら前半部分は言わないだろうな」

 レイモンドが僅かに目を見開いた。

「後悔しているかは知らないが、彼女は自分が相手を殺してしまった事で自分を責めているだろう。そんな時に君は間違ってない、などと言われても彼女の心は晴れない」
「でも、相手を殺さなければ仲間は死んでいた。仕方ないし、向こうが先に仕掛けてきたんだから、正当防衛でもあるはずです」
「理屈で言えばな。恐らくあいつもそれは理解している。でも、感情というのは理屈でどうにかなるものじゃない。頭では理解していても心が追い付けない、なんて事は実はザラだ。特に人を殺す事に強い抵抗を持っていたリリーなら、今はまさにそんな状況だろう」

 レイモンドは考え込むように視線を斜め下に向けた。
 そんなレイモンドに、グレイスは一番伝えたかった事を告げた。

「特殊な環境下で育ってきたお前に、リリー達の感情の動きを理解しろ、というのは難しいかもしれないし、お前は戦闘員としてはこの上なく優秀だ。考え方を変えろ、とも言わない。だが、相手を理解しようとする事は決して怠るな。前に言っていたように、考えすぎて言葉が出ないなら本音をそのまま言っても良い。だが、そんな時でも考える事は放棄するな。常に相手の事を理解しようとして、自分の考えばかりを貫き通そうとするな。相手の言葉に従ってみて初めて見えてくるものもある。それを忘れるな」

 レイモンドは返事をしなかった。
 返事はしなかったが、その目を見ればこちらの言葉が届いているのは一目瞭然だ。
 彼は、グレイスの言葉を呑み込み、必死に考えていた。
 あとは彼自身の問題だ。

「長話、済まなかった。またな」

 ひらりと手を振り、グレイスは歩き出した。
 グレイスが曲がり角で振り返っても、レイモンドはまだ動かずに突っ立っていた。
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