先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村

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第一章

第32話 元三軍キャプテンとの遭遇

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「……チッ、よりによっててめえらに見られるとはな」

 武岡たけおかは忌々しげに舌打ちをして、右手を持ち上げた。スパイクが握られていた。
 彼の視線の先にはゴミ箱がある。

「何しているんですか? 武岡先輩」
「見てわかんだろ。捨てようとしてんだよ」
「……サッカー部を辞めるつもりですか?」
「ハッ」

 武岡が皮肉げに口元を歪めた。

「鼻で笑うか? 退部させようとしたやつに負けた俺を」
「そんなんじゃありません」

(武岡先輩の雰囲気、今までとは明らかに違うな。何か仕掛けてきそうは気配はないけど……)

 違和感と警戒心を覚えつつ、巧は首を振った。
 武岡の視線が鋭くなる。

「……まさかとは思うが、俺を止めようってんじゃねえだろうなぁ。如月きさらぎ、女ってのは感情の生き物だ。ここで少しでも俺に肩入れすれば、俺を嫌ってるそいつからの印象はダダ下がりだぜ?」

 武岡が、依然として強張った表情を浮かべている香奈かなを顎で示した。

「違います。ただ、謝罪とお礼だけはしておこうと思って」
「……何? お前、頭おかしいのか?」

 武岡が鼻を鳴らした。

「自分を退部させようとして、女も奪おうとした男にお礼だと?」
白雪しらゆきさんは彼女じゃありませんし、あなたのしたことは許されないことですが、それと謝罪やお礼を伝えないのは別の話です。今まで、できもしないプレーでミスをして迷惑ばかりかけてすみませんでした。それと、厳しかったけどチームを引っ張ってくれてありがとうございました。この二日間、特に昨日の練習試合では、キャプテンの声の重要性を再認識させられました」
「ハッ、そんなのは俺の自己満だ。チームの、ましてやお前のためなわけねえだろう」
「それでも、お世話になったのは事実ですから」

 巧が自分を曲げるつもりがないことを悟ったのか、武岡は顔をしかめるのみで、それ以上は何も言わなかった。

「それでは失礼します」

 巧はもう一度頭を下げた。香奈の背を叩いて歩き出した。

 武岡の脇を通り過ぎる。
 万が一を警戒して香奈を彼から遠ざけていたが、何かをしようとするそぶりすら見られなかった。

「……おい」
「はい?」

 巧と香奈は振り返った。
 武岡との距離はすでに五メートルほど離れていたが、香奈は巧の背後に隠れて彼の腕をつかんだ。

「……悪かったな」
「っ——⁉︎」

 香奈が息を呑んだ。巧も同様だった。
 まさか、武岡から謝罪の言葉が漏れ出すとは思わなかった。

 呆然としている二人を残して、元三軍キャプテンはその場を立ち去った。
 その右手には、スパイクがぶら下がっていた。



「……なんなんですか、あれ。今さら謝ってきて、許してもらえるとでも思ってるんでしょうか」

 香奈のゆっくりとした静かな話し方は、逆に彼女の感情の乱れようを表していた。
 暴発しないように、あえて口調を落ち着かせているのだ。
 その証拠に、彼女の視線は厳しく、拳は硬く握りしめられている。

「狙いはわからない。でも、ひとまずはプラスの材料として受け取っていいんじゃないかな。もう白雪さんに絡んでくることはないだろうし」

 彼女が二軍に戻ってからは、当然登下校の時間を合わせられないときも出てくる。
 巧はそのタイミングで武岡が何か仕掛けてこないか心配だったが、先程の彼の様子を見る限り、気に病む必要はなさそうだ。

「そうですけど……」

 香奈の歯切れが悪い。
 巧ほどすんなりと受け入れられていないようだ。

(理屈っていうよりは感情面の問題なんだろうな)

 少しだけ待ってから、巧は口を開いた。

「今後の登下校はどうする? 一応リスクは格段に減ったわけだけど」
「そうですね……でも、やっぱりまだちょっと怖いです。正直、しつこいのはあいつだけじゃないですし……」
「あぁ、まあそっか。モテるって大変だね」
「そうなんですよぉ。美人も楽じゃないんです」

 香奈がようやく表情を緩めた。

「だから全然、先輩の負担にならない範囲で構わないので、これからもしばらくはお願いできますか?」
「もちろん」
「やた! ありがとうございます——巧先輩」

 小声で付け足して、香奈はにっこりと笑った。

「っ……」

 巧は思わず息を呑んでしまった。

「先輩?」
「……いや、なんでもないよ。それより早く行こう。もう準備も始まってるだろうから」
「あっ、そうですね」

 二人は小走りで三軍の練習場である公園に向かった。



 到着すると、すでに何人かの部員は来ていた。

「よう、巧。お前にしては遅かったな……って、白雪っ?」

 陽気に挨拶をしたまさるは、視線を隣に移して目を見開いた。

「おはようございます、百瀬ももせ先輩」
「えっ、お前らまさか——」
「付き合ってないよ。同じマンション住みだから一緒に来たんだ」
「お、おう。そうか……よかった。先越されなくて」

 優が安堵の息を吐いた。
 巧はニヤリと笑った。

「優、そんな後ろ向きな考えだと彼女できないよ」
「うるせっ、お前もできてねえだろ」
「じゃあ、先にできたほうがアイスね」
「おっ、いいじゃねえか。その話、乗った!」

 男に二言はねえからな、と言い残して、優が準備を再開する。

「先輩先輩」
「ん?」

 香奈が巧の耳元に口を寄せた。

「百瀬先輩のアイスをくれるなら、か、彼女ってことにしてくれてもいいんですよ?」
「それ、ただ優が白雪さんにアイス買っただけにならない?」
「はい。なので私には得しかない話なのです」
「いやいや、アイス一個のために誰かの彼氏(彼女)になろうとしちゃダメだからね?」
「わかってますよー、この完璧美少女香奈様はそんなに安くありませんもん」
「完璧な人ってさ、自分のことを完璧って言わないから完璧だと思うんだ」
「安心してください。私はその上の上の存在ですから」
「一個何入るんだろ?」
「さあ?」

 香奈がすっとぼけた。
 巧は思わず吹き出してしまった。



 優以外にも巧と香奈が一緒に登校したところを見た部員は一定数いたため、何回も付き合っているのかと聞かれた。
 毎回「同じマンション住みだから」と答えていたため、そのことは練習が終わるころには三軍全体に広がっていた。

「巧さん、マジ羨ましいっすね。白雪と同じマンションとか。もうお互いの家を行き来したりとかしてんすか?」

 練習終わり、一年生の圭一けいいちが尋ねてきた。
 興味津々な様子が、前のめりの体勢に表れている。

「まさか。そんなことはしてないよ」

 来はあるけど行きはないから嘘は吐いていない、と巧は心の中で言い訳した。

「でも一緒に来るくらいには仲良いんでしょ? いいなぁ。狙ってんすか?」
「狙ってないよ。白雪さんとはそんな関係じゃないし、そもそもそういう考えは彼女に失礼だよ」
「うわっ、巧さん。そんな考えだと彼女できないっすよ」
「大丈夫。優とどっちが先に彼女作れるか勝負することになったから」
「マジすか? えー、どっち勝つんだろ」
「どっちもしれっと作ってそうだよな」
「わかるわー」

 人間の興味はすぐに移り変わる。
 話題が巧と香奈の関係から、巧と優のどっちが早く彼女を作るか論争に変わり、巧はほっと一息吐いた。

「巧」

 三軍監督の川畑かわばたが、巧に声をかけた。

「はい」
「ちょっと来てくれ」

(みんなの前では話せないことか)

 川畑はいつも通りの仏頂面だ。彼は感情を表に出すタイプではない。
 プラスとマイナス。どちらのパターンも十分に考えられるが、巧だけを呼び出すあたり、後者のほうが可能性が高そうだ。

 面倒事じゃなければいいんだけど、と巧は思った。
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