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2 闇魔法と、王太子の空席
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――それより半月ほど前。王宮で開かれていた祝宴の夜。
祝宴の大広間には、燭台の光が幾重にも連なり、音楽と談笑が途切れることなく満ち溢れていた。王国の中枢に名を連ねる者たちが集い、視線と評価が絶えず交錯する場だった。
第一王子ルチアーノ・ディ・ヴァレンティーノは、十六歳にして、その中心に立っていた。
淡い金髪は光を受けて柔らかく輝き、整った顔立ちと相まって、否応なく人目を惹く。澄んだ青い瞳は、海を思わせる深い色を帯び、感情を抑えたまま周囲へ視線を巡らせていた。
王太子として優秀と評され、光属性と風属性の魔法の才能を持つ王子。
この国において、彼の存在は象徴でもあり、期待そのものだった。
「殿下、次は北方領の使節が挨拶を」
側近のニコラス・サルヴィが声をかけてくる。
「承知した」
短く応じて数歩進んだ、その瞬間だった。
床の感触が、わずかに変わった。
反射的に足を止め、魔力を巡らせる。
風魔法の感覚が、床下の空気の流れを捉えきれない。
(……おかしい)
次の瞬間、大広間の中央、ルチアーノの足元に複雑な紋様が浮かび上がった。幾何学的な線が重なり合い、闇色の魔力が床からせり上がる。
「――魔法陣だ!」
叫びが上がる。
ルチアーノは即座に光属性の魔力を立ち上げ、防御を展開しようとした。
だが、闇魔法はそれより早く、視覚へ直接絡みついた。
視界が、一気に崩れた。
暗闇ではないが、形が結ばれない。
色と光が引き剥がされ、濃い灰色の膜が視界全体を覆った。圧迫されるような感覚が、目の奥に広がる。
「……っ」
風を操り、距離を取ろうとする。
しかし、闇魔法は魔力経路そのものに干渉し、動きを鈍らせた。
床が遠のき、身体の軸がずれる。
「殿下!」
ニコラスが腕を掴み、ルチアーノの転倒を防ぐ。
その間に、魔法陣は跡形もなく消えていた。
残ったのは、ざわめきと、向けられる無数の視線だった。
「闇魔法だ……」
「ここまで複雑な陣を、王宮で……」
混乱が広がる中、よく通る声が場を制した。
「過剰に騒ぐ必要はありません」
王妃イリナだった。
「魔法陣は消え、殿下も命に別状はない。今は状況を整理するべきでしょう」
(命に、別状はない)
ルチアーノは、奥歯を噛みしめる。
見えない。
視界が、何ひとつ応えない。
それだけで、今まで成立していた判断が、次々と崩れていく。
「殿下、こちらへ」
ニコラスに導かれ、別室へ移動する。
周囲の気配は感じ取れるが、距離も人数も掴めない。
医師と魔術師による診断が始まった。
「……視神経に関わる魔力経路が、完全に遮断されています」
「治癒魔法では?」
「光属性でも反応しません。闇魔法が魔力経路に深く絡んでいます」
短いやり取りの末、さらに報告が続く。
「術者は、すでに自害しています」
「……そうか」
逆探知は不可能。
解除術式も残されていない。
つまり、同様の事態が再び起きないと、誰にも断言できなかった。
(計画的だ)
この場、この位置、この瞬間。
王太子という立場を正確に狙った攻撃だった。
「殿下」
ニコラスの声が、わずかに低くなる。
「視力の回復については、現時点では断言できません。ただ、時間をかければ可能性は残ります」
希望とも猶予とも取れる言葉だった。
――三日後。
王宮内で、正式な協議が始まった。
「第一王子殿下は、当面療養を」
「国政への影響を考慮すべきです」
「再発の危険も否定できません」
誰も「追放」とは言わない。
だが、結論は自然に一つへ向かっていった。
「離宮での療養が適切でしょう」
王宮の中心から外す。
その判断に、ルチアーノの意思が問われることはなかった。
「……了承した」
今は抗う段階ではない。
そう判断したのは、自分自身だった。
こうして、正式な廃嫡はされないまま、王太子の席だけが空白になる。
王宮中央から外される形で、離宮へ向かうことが決まった。
だが、その夜。
応えない視界の奥で、ルチアーノは理解していた。
これは事故ではない。
失ったのではなく、奪われた。
視力も、立場も、判断の場も。
(……ならば)
取り戻す。
闇魔法で断たれたのなら、光と風で覆す。
この一手で終わると思われるほど、甘くはない。
闇魔法と、王太子の空席。
それは終わりではなく、逆転のために用意された盤面だった。
祝宴の大広間には、燭台の光が幾重にも連なり、音楽と談笑が途切れることなく満ち溢れていた。王国の中枢に名を連ねる者たちが集い、視線と評価が絶えず交錯する場だった。
第一王子ルチアーノ・ディ・ヴァレンティーノは、十六歳にして、その中心に立っていた。
淡い金髪は光を受けて柔らかく輝き、整った顔立ちと相まって、否応なく人目を惹く。澄んだ青い瞳は、海を思わせる深い色を帯び、感情を抑えたまま周囲へ視線を巡らせていた。
王太子として優秀と評され、光属性と風属性の魔法の才能を持つ王子。
この国において、彼の存在は象徴でもあり、期待そのものだった。
「殿下、次は北方領の使節が挨拶を」
側近のニコラス・サルヴィが声をかけてくる。
「承知した」
短く応じて数歩進んだ、その瞬間だった。
床の感触が、わずかに変わった。
反射的に足を止め、魔力を巡らせる。
風魔法の感覚が、床下の空気の流れを捉えきれない。
(……おかしい)
次の瞬間、大広間の中央、ルチアーノの足元に複雑な紋様が浮かび上がった。幾何学的な線が重なり合い、闇色の魔力が床からせり上がる。
「――魔法陣だ!」
叫びが上がる。
ルチアーノは即座に光属性の魔力を立ち上げ、防御を展開しようとした。
だが、闇魔法はそれより早く、視覚へ直接絡みついた。
視界が、一気に崩れた。
暗闇ではないが、形が結ばれない。
色と光が引き剥がされ、濃い灰色の膜が視界全体を覆った。圧迫されるような感覚が、目の奥に広がる。
「……っ」
風を操り、距離を取ろうとする。
しかし、闇魔法は魔力経路そのものに干渉し、動きを鈍らせた。
床が遠のき、身体の軸がずれる。
「殿下!」
ニコラスが腕を掴み、ルチアーノの転倒を防ぐ。
その間に、魔法陣は跡形もなく消えていた。
残ったのは、ざわめきと、向けられる無数の視線だった。
「闇魔法だ……」
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混乱が広がる中、よく通る声が場を制した。
「過剰に騒ぐ必要はありません」
王妃イリナだった。
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(命に、別状はない)
ルチアーノは、奥歯を噛みしめる。
見えない。
視界が、何ひとつ応えない。
それだけで、今まで成立していた判断が、次々と崩れていく。
「殿下、こちらへ」
ニコラスに導かれ、別室へ移動する。
周囲の気配は感じ取れるが、距離も人数も掴めない。
医師と魔術師による診断が始まった。
「……視神経に関わる魔力経路が、完全に遮断されています」
「治癒魔法では?」
「光属性でも反応しません。闇魔法が魔力経路に深く絡んでいます」
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逆探知は不可能。
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つまり、同様の事態が再び起きないと、誰にも断言できなかった。
(計画的だ)
この場、この位置、この瞬間。
王太子という立場を正確に狙った攻撃だった。
「殿下」
ニコラスの声が、わずかに低くなる。
「視力の回復については、現時点では断言できません。ただ、時間をかければ可能性は残ります」
希望とも猶予とも取れる言葉だった。
――三日後。
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「国政への影響を考慮すべきです」
「再発の危険も否定できません」
誰も「追放」とは言わない。
だが、結論は自然に一つへ向かっていった。
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その判断に、ルチアーノの意思が問われることはなかった。
「……了承した」
今は抗う段階ではない。
そう判断したのは、自分自身だった。
こうして、正式な廃嫡はされないまま、王太子の席だけが空白になる。
王宮中央から外される形で、離宮へ向かうことが決まった。
だが、その夜。
応えない視界の奥で、ルチアーノは理解していた。
これは事故ではない。
失ったのではなく、奪われた。
視力も、立場も、判断の場も。
(……ならば)
取り戻す。
闇魔法で断たれたのなら、光と風で覆す。
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