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小さなその手が救ったもの
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1日しか経っていないと言うのになんだかやけに久しぶりなように思え、自らのアパートだと言うのに他人の家のように感じる。あの事件で失ったものは決して小さくなく、1人で抱え切るには重すぎる決断を下した。あの医者は何も間違ったことはしていない。少なくとも俺はそう思う。人としては間違った道を歩んでいたかもしれないが、医者として、医の道を歩むものとして道を違えているかと問われればはっきりとそうとは言えないのだ。彼を尊敬することはあっても愚かだと笑うことはできない。命の取捨選択をした渡は優秀な医師だったのだ。彼の背負ってきたものを考えると身震いする。果たして俺にそんなことができただろうか。
そんなことを考えながら歩いた帰路は酷く孤独で、暗くなった空は重たく眼に蓋をする。ドアノブにかけた手が重たい。彼女はどんな顔をするだろうか、何を言われるだろうか、そもそも待っていてくれてるのだろうか。彼女からは昨日の晩「お腹すいた」という短いメールが1通。何を考えてるのかわからないのも彼女らしいといえば彼女らしいのだが。夜風で冷え切ったドアノブをゆっくりと回し、音を立てないようしてに入る。そこでまず目に飛び込んできたのはソファーに横たわる彩葉の姿だった。ただ寝てるだけのようだが神経質になっているだけに少し怖い。もう目を覚まさないのではないかと不安がよぎる。そんな感情を汲み取ったかのように彼女はゆっくりと目を開いた。
「おかえり、遅かったね」
「うん、ちょっとね。色々あって」
「次からはメールくらい返してね、不安だから。面倒ごとに巻き込まれてたのはなんとなく分かるけど」
「……ごめん」
彩葉はいつでもそうだ。あまり深くに聞いてこない、それは彩葉がどこまでも優しいから。言いたくないことは言わなくていい、言いたいのならそちらからいって欲しい。前酔った時に彩葉が言っていた。ゆっくりと心に温もりが広がっていく。
「生きててくれてよかった。待ってるの辛かったんだよ」
我慢できなかった。優しさに触れて、彩葉の顔を見てしまったせいで今まで抑えていた感情が洪水のように流れ始める。叫ぶように嘔吐のようにここ数日の出来事をこぼしていく。彼女のお腹に顔を埋め感情と事実を叩きつけるように叫ぶ。また人を不幸にしてしまったこと。自分は誰かを犠牲にして生き残ってしまったこと。自分がまた無力だったこと、彩葉はそれを黙って聞いていた。その時間は数時間だったかも知れないし、数分だったかもしれない。あっという間にその感情は流れ切った。
息を切らしながら全てを吐き出し、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見せまいと一層強く顔をうずめる。そんな頰を両手で包み彼女は無理やり目を合わせたその顔は笑っていた。
「ごめんなさいより、ありがとうって言ってあげよ」
その言葉が耳に飛び込むと涙が止まった。生きてくださいと言ったあの子の顔が忘れられない。そうだ、後ろを向いちゃダメだ。前を向かなきゃ、俺にも救える人がいる。これから戦わなきゃいけないのは、渡だけではないのだ。
「皐月のそういうとこはいいところ。人の不幸を背負える強さがあって、誰かのために本気で泣ける皐月はきっといいお医者さんになれる。けどね、それを引きずってうじうじしちゃうとこは悪いとこ。それでも前を向ける強さがあるのに前を向こうとしないとこは皐月の弱いとこ」
どこまでも慈愛に満ちた笑みで彼女は続ける。
「そんな皐月のこと、私はかっこいいと思うよ。今回も救われた人はいたんじゃないかな」
泣いてちゃいけない。泣いてる暇なんてない。そうだ、おれにだって今回救えたものがあったのではないだろうか。命を救えなくても心を救えた人が。
「ありがとう」
「うん、感謝してね」
気持ちが落ち着き、やっと前を向ける。きっと今回の事件は俺の人生観を変える大きな出来事だろう、前を向く切っ掛けになっただろう。いつまでもうじうじしてるわけにはいかないのだ。荷物を片付けるために部屋を移動する。
「……よかった」
泣き腫らした彼女の涙でできた絨毯のシミに気づかないまま。
そんなことを考えながら歩いた帰路は酷く孤独で、暗くなった空は重たく眼に蓋をする。ドアノブにかけた手が重たい。彼女はどんな顔をするだろうか、何を言われるだろうか、そもそも待っていてくれてるのだろうか。彼女からは昨日の晩「お腹すいた」という短いメールが1通。何を考えてるのかわからないのも彼女らしいといえば彼女らしいのだが。夜風で冷え切ったドアノブをゆっくりと回し、音を立てないようしてに入る。そこでまず目に飛び込んできたのはソファーに横たわる彩葉の姿だった。ただ寝てるだけのようだが神経質になっているだけに少し怖い。もう目を覚まさないのではないかと不安がよぎる。そんな感情を汲み取ったかのように彼女はゆっくりと目を開いた。
「おかえり、遅かったね」
「うん、ちょっとね。色々あって」
「次からはメールくらい返してね、不安だから。面倒ごとに巻き込まれてたのはなんとなく分かるけど」
「……ごめん」
彩葉はいつでもそうだ。あまり深くに聞いてこない、それは彩葉がどこまでも優しいから。言いたくないことは言わなくていい、言いたいのならそちらからいって欲しい。前酔った時に彩葉が言っていた。ゆっくりと心に温もりが広がっていく。
「生きててくれてよかった。待ってるの辛かったんだよ」
我慢できなかった。優しさに触れて、彩葉の顔を見てしまったせいで今まで抑えていた感情が洪水のように流れ始める。叫ぶように嘔吐のようにここ数日の出来事をこぼしていく。彼女のお腹に顔を埋め感情と事実を叩きつけるように叫ぶ。また人を不幸にしてしまったこと。自分は誰かを犠牲にして生き残ってしまったこと。自分がまた無力だったこと、彩葉はそれを黙って聞いていた。その時間は数時間だったかも知れないし、数分だったかもしれない。あっという間にその感情は流れ切った。
息を切らしながら全てを吐き出し、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見せまいと一層強く顔をうずめる。そんな頰を両手で包み彼女は無理やり目を合わせたその顔は笑っていた。
「ごめんなさいより、ありがとうって言ってあげよ」
その言葉が耳に飛び込むと涙が止まった。生きてくださいと言ったあの子の顔が忘れられない。そうだ、後ろを向いちゃダメだ。前を向かなきゃ、俺にも救える人がいる。これから戦わなきゃいけないのは、渡だけではないのだ。
「皐月のそういうとこはいいところ。人の不幸を背負える強さがあって、誰かのために本気で泣ける皐月はきっといいお医者さんになれる。けどね、それを引きずってうじうじしちゃうとこは悪いとこ。それでも前を向ける強さがあるのに前を向こうとしないとこは皐月の弱いとこ」
どこまでも慈愛に満ちた笑みで彼女は続ける。
「そんな皐月のこと、私はかっこいいと思うよ。今回も救われた人はいたんじゃないかな」
泣いてちゃいけない。泣いてる暇なんてない。そうだ、おれにだって今回救えたものがあったのではないだろうか。命を救えなくても心を救えた人が。
「ありがとう」
「うん、感謝してね」
気持ちが落ち着き、やっと前を向ける。きっと今回の事件は俺の人生観を変える大きな出来事だろう、前を向く切っ掛けになっただろう。いつまでもうじうじしてるわけにはいかないのだ。荷物を片付けるために部屋を移動する。
「……よかった」
泣き腫らした彼女の涙でできた絨毯のシミに気づかないまま。
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