明日もまた

氷柱華

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明日もまた

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「よお、久しぶりだな皐月。で、早速仕事だがこいつがつぎのターゲットだ。今回も頼むぞ」
こいつから電話で人気のない場所に呼び出しがあった時点でどうせそんな事だろうとは思った。こいつは仕事仲間の東、俺と同じくそ野郎だ。以前の俺なら喜び勇んで依頼を受けただろう。金のため、復讐のため、他人の幸せを踏みにじるために。だが俺はあの日、彩葉に想いを告げた日に決めたんだ、もう誰も不幸になんてしないと。彩葉と釣り合う人間になるために、世界一輝いてるあいつに少しでも見合う人間になると決意したのだ。
「悪いな東、俺もうそういうのやめることにしたんだ。いきなりですまないな」
「……おいおいどうした皐月。一緒に金持ちのくそ野郎に復讐しようって決めたじゃねえか、それにお前だってお前をそんな風にした奴らを痛い目に合わせれてないだろ?」
「……もういいんだよ、そんなことより大事なことができたんだ。本当に東には世話になったと思ってるし感謝もしてる。それでも俺は」
「そうか……そうかよ。……で、その大事なもんってのはこれとなんか関係があるのか?」
俺の言葉を遮り東がスマホの画面をこちらに向ける、そこには俺と彩葉が2人で写っていた。
「いや、そんなことだろうと思ったよ。この女、確かそれなりに名が通った実況者だよなぁ。それがお前みたいなやつとつるんでるって知ったら世間様はどう思うだろうな。で、どうするんだ皐月ちゃんよぉ」
言葉で頭が真っ白になる。俺のせいで彩葉に危害が加わる、そんなことは絶対にあってはならない。やはり俺はあいつと関わっていてはいけない。こんなことになるならいっそ俺はあいつの前から消えてしまった方が、
「私が関わりたい人は私が決めるよ」
あの海での光景、あの時溢れた俺の嘘偽りのない想い、あの時の彩葉の顔が一気にフラッシュバックする。あの感情は嘘じゃない。そしてそれをなかったことになんてしたくない。彩葉の明日を奪わせやしない、怒りが心を満たしどこまでも冷たい感情が体を支配していく。ここまで怒りを覚えたのはあすかの日記を読んだ時以来だろうか。もしかしたらそれ以上かもしれない。東のスマホを持つ手を蹴り上げるとメキリと嫌な音を立てスマホが宙を舞った。そのままみぞおちに脚を叩き込む。崩れ落ちた東は呼吸もできず酸素を求めて呻いている。それを見下ろす俺に感情はなく、やはり俺は屑の悪党だと理解する。
「あいつにだけは手を出すな。俺からは何を奪っても構わない、だがあいつからはなにひとつだって奪わせない。」
念入りにスマホを踏み抜き、内部のチップが砕けているのを確認し向き直る。
「お前は絶対にやっちゃいけないことをした。二度と俺と彼女の前に現れるな、次はない」
怯え、嗚咽を漏らす東をよそに暗くなった空を見上げながら帰路に着いた。

アパートの鍵は開いており、それはあいつが居ることを指している。思わず溢れる笑みを押し込みドアを開ける。
「ただいま、お前の好きなプリン買ってきたぞ感謝しやが…」
ソファの上でだらしない格好で伸びている彩葉。どうやら待ちくたびれて寝てしまったらしい。ひとまず荷物を置き、風邪をひかないように布団をかけてやる。彩葉の寝顔はどこまでも穏やかで安心しきってる。
「……ちょっとくらい警戒したほうがいいと思うんだけど。ここが男の家って分かってんのか?」
そう言いながら乱れた髪を直してやる。俺と違って穢れ一つもない綺麗な白、サラサラの髪からはいい香りがしており思わず理性が飛びそうになる。襲いたいと叫ぶ本能をなけなしの理性で押さえ込み、しかしそれでも抑えきれなかった僅かな本能に流され彩葉の顔に自分の顔が近づいていき。

ギリギリで理性が巻き返した。息がかかるほどの距離で静止して自分の心臓が高鳴っていることに気づく。聞こえてしまっているのではないかと大きな鼓動、自分は彩葉のことが好きなんだと改めて思い知らされる。
「……しないの?」
不意に動いた唇から漏れた声は間違いなく彼女のもので、焦りと驚きに体が反応しきれず腰を抜かしてしまう。彼女の顔は悪戯に成功した子供のようだった。
「い、いつから起きてた?」
「んー、最初から?」
クスクスと笑う彼女は楽しそうだがこちらはたまったもんじゃない、恥ずかしさで死にそうだ。ごそごそと彼女が起き上がり大きく伸びをする。
「それで、なんでやめちゃったの?」
こちらの顔を覗き込みながら聞いてくる彩葉は心底たのしそう。目を合わせられず視界内に彩葉を入れないように努力する自分が情けなかった。
「……お前に好きって言わせるって約束したから。それまでは何もしない。」
彩葉が俺のことを認めてくれるまで、俺は彼女の相手として胸を張れない。ただでさえ俺は犯罪者、彩葉のように輝かしい存在ではない。ありきたりな表現になるがあいつが光なら俺は影、住む世界が違うのだ。だからどれだけ思いが募ってもそれまでは手を出すことは俺が許さない。
「そっかー、つまんないの」
「そうだよ。プリンいるだろ?取ってきてやるよ」
そう言って買ってきたプリンを冷蔵庫へ取りに行く。
「好……よ、 皐月」
恥じらいからか、それともわざとなのか。小さくこぼした彩葉の言葉は皐月には届かなかった。すごく楽しそうに、でも少しだけ寂しそうに彩葉はクスリと笑った。


 結局終電がなくなるまで二人とも話し込んでしまい、彩葉はうちに泊まることになった。いつものことだからもう気にもしない。先に寝てしまった彼女の乱れた髪をまた直してやる。今度はちゃんと抑え込むことができた。こうしているだけで幸せな日々はきっと続く、いや何が何でも続けていく。その日常は俺が守らなければならないものだ。そのためならなんだってできる気がする。あの光景を思い出すだけでなんの根拠もないが飼われる気がするのだ。
 明日もまた俺はあいつに好きだと言わせるために、ふさわしい人間になるために努力する。出来ることなんてちっぽけで、普通に接することしかできないけど明日もまた二人でいて幸せだと思えるように、思ってもらえるようにするのだ。ねむってしまった彩葉の額にこれくらいならと口づけをする。これが俺の精一杯、彼女を起こさないように音を立てずに同じベッドに、潜り込む。
「また明日」
静かに部屋の明かりを消した。
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