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第7章:揺れる
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恋というものに、論理はあるのでしょうか。
あると信じていたのは、きっと今までのわたしです。
人の感情の色が見える、という異能を持って生まれたせいで、ずっと他人の心を“解析”して理解してきました。
好き、嫌い、興味、欲望──全部、色として目に映る。
だから、恋愛なんて理屈で管理できる。……はずでした。
なのに。
いま、わたしは目の前の男を見ながら、どう説明していいかわからない気持ちに揺さぶられています。
「ノワール嬢、少し疲れてない?」
エリオット様の声。
今日も眩しく、穏やかで。まるで人の心を撫でるようなトーンです。
「いえ、大丈夫です」
「嘘だ」
「っ……」
涼しい笑顔で即答しないでください。困ります。
確かに寝不足でしたが、それを見抜かれるなんて、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。
彼が小さく笑って、机に片手をつきました。
近い。至近距離です。反則です。
「目の下のくまが、君らしくないな。夜更かし?」
「……読んでたんです。新刊」
「なるほど。本を選ぶていねいさ、いいね。君らしい」
……どうしてそんなふうに、何気なく褒めてくるんでしょう。
言葉のひとつひとつが静かな旋律みたいに胸で反響します。
まるで心臓を撫でられているみたいで、息苦しい。
「なに見てるの?」
「いえ……ルシアン様の“色”が、少し変わった気がして」
「色?」
「あ、いえ、その……表情です」
危ない。言いかけた本音を慌てて塗りつぶしました。
でも、たしかに――エリオット様の“色”は微妙に変わっていたのです。
いつもの銀砂の嘘。その奥に、滲むような“紅”が見えました。
それは恋の色。けれど、こそばゆくて、痛いほどに淡い赤。
ほんの少しの真実。
(……見間違いじゃ、ないですよね)
* * *
午後、校内の温室。
教師が遅れていたこともあり、わたしたちは二人きりで資料整理を頼まれていました。
「あそこにある花、君の瞳と似てる」
「……ルシアン様」
「ほら、見て。この青、冷たそうで、でも光が入ると少し黄金が混ざる。君の目、そんな色だよ」
彼が指先で指し示す花、リンドウに似た藍色の花弁。
冗談混じりに聞こえたはずなのに、不思議と胸の奥に何かがじんと染みてきました。
顔が熱くなるのを誤魔化して、資料棚の方へ足を向けます。
「観察眼が鋭いですね」と無難に返すのがやっとでした。
「観察じゃなくて、単純に見惚れてるだけ」
──今、なんと?
「……また、おかしなこと言いますね」
「研究熱心だから」
「実験台扱いはご遠慮したいんですけど!」
わざと声を尖らせると、エリオット様は愉しげに笑いました。
本当に、この人はどこまでが“本気”で、どこからが“演技”なのか。
わたしにも、もう判断がつかなくなりそうです。
だって――あんな笑顔、嘘で出来るものじゃない。
* * *
そしてその夜。
寮の窓を開けると、夜の空気が頬に触れました。冷えて心地いい。
でも、頭の中はまったく落ち着きません。
“好き”とか“嫌い”って、こういう状態を指すんですか?
胸がシグナルを送り続けていて、静まってくれない。
昼間の彼の微笑みと、紅の色が、反芻するたびに鮮やかに蘇る。
(違う。これはきっと観察対象への興味。そう、興味です)
分析モードに逃げ込む。
でも無理でした。思考のはしばしに彼の声が滲んでくる。
「君の目が好きだ」
「リディア、疲れてる。ちゃんと眠って」
(だから、どうして名前で呼ぶんですか……!)
胸の奥が妙に苦くて、息をつく。
窓の外、庭園の小道にゆらめく灯り。誰かの気配。
まさか、と思いつつ見下ろしたら、彼でした。
金の髪が月夜に溶けるように輝いて、まるで物語の登場人物みたいです。
「……なにをしてるんですか。夜ですよ?」
「ああ、見つかった」
良い笑顔です。夜中でも眩しいって、本当に罪です。
「徹夜しそうな気がして。君、寝ないタイプでしょ」
「そういう人の観察やめてくださいっ」
「はいはい。素直に“恋人が会いに来た”って喜んでくれてもいいのに」
恋人。
その一言で、心のどこかが弾けました。
「……わたしたち、本当に“恋人”なんですか?」
気づいた時には、声に出していました。
沈黙。彼が少し驚いたように目を瞬かせ、微笑みをゆるめます。
「……君がそう感じないなら、俺の努力不足だね」
いつも通り柔らかく返されたのに、その声音がどこか違ったんです。
もっと静かで、“本音”の色の響き。
「じゃあ、努力します。……君に“嘘”だって思われないように」
胸の奥で波が立った。
本当はもう、とっくに気づいていました。
彼の瞳の奥に、いつもの銀砂ではなく“赤”が宿っていることを。
淡い紅。
嘘じゃない、本物の恋情の色。
「……ルシアン様」
彼が手を伸ばす。
けれど触れる寸前、またいつものように止めて――指先でそっと髪をなぞった。
「今夜はこれだけ。君が堕ちるまで、もう少し演出を楽しみたいから」
「……!」
ずるい。ほんとうに、ずるい人です。
でも、その“楽しみたい”のライトブルーの色は、確かに嘘じゃありませんでした。
愛と期待がまざった、とても綺麗な光で。
「おやすみ、リディア」
その声が消える前に、彼は暗闇のなかへ溶けていきました。
残されたわたしは、ただ心臓の音を聞いていました。
明日に向かって速くなる拍動を、もう誤魔化すこともできない。
あると信じていたのは、きっと今までのわたしです。
人の感情の色が見える、という異能を持って生まれたせいで、ずっと他人の心を“解析”して理解してきました。
好き、嫌い、興味、欲望──全部、色として目に映る。
だから、恋愛なんて理屈で管理できる。……はずでした。
なのに。
いま、わたしは目の前の男を見ながら、どう説明していいかわからない気持ちに揺さぶられています。
「ノワール嬢、少し疲れてない?」
エリオット様の声。
今日も眩しく、穏やかで。まるで人の心を撫でるようなトーンです。
「いえ、大丈夫です」
「嘘だ」
「っ……」
涼しい笑顔で即答しないでください。困ります。
確かに寝不足でしたが、それを見抜かれるなんて、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。
彼が小さく笑って、机に片手をつきました。
近い。至近距離です。反則です。
「目の下のくまが、君らしくないな。夜更かし?」
「……読んでたんです。新刊」
「なるほど。本を選ぶていねいさ、いいね。君らしい」
……どうしてそんなふうに、何気なく褒めてくるんでしょう。
言葉のひとつひとつが静かな旋律みたいに胸で反響します。
まるで心臓を撫でられているみたいで、息苦しい。
「なに見てるの?」
「いえ……ルシアン様の“色”が、少し変わった気がして」
「色?」
「あ、いえ、その……表情です」
危ない。言いかけた本音を慌てて塗りつぶしました。
でも、たしかに――エリオット様の“色”は微妙に変わっていたのです。
いつもの銀砂の嘘。その奥に、滲むような“紅”が見えました。
それは恋の色。けれど、こそばゆくて、痛いほどに淡い赤。
ほんの少しの真実。
(……見間違いじゃ、ないですよね)
* * *
午後、校内の温室。
教師が遅れていたこともあり、わたしたちは二人きりで資料整理を頼まれていました。
「あそこにある花、君の瞳と似てる」
「……ルシアン様」
「ほら、見て。この青、冷たそうで、でも光が入ると少し黄金が混ざる。君の目、そんな色だよ」
彼が指先で指し示す花、リンドウに似た藍色の花弁。
冗談混じりに聞こえたはずなのに、不思議と胸の奥に何かがじんと染みてきました。
顔が熱くなるのを誤魔化して、資料棚の方へ足を向けます。
「観察眼が鋭いですね」と無難に返すのがやっとでした。
「観察じゃなくて、単純に見惚れてるだけ」
──今、なんと?
「……また、おかしなこと言いますね」
「研究熱心だから」
「実験台扱いはご遠慮したいんですけど!」
わざと声を尖らせると、エリオット様は愉しげに笑いました。
本当に、この人はどこまでが“本気”で、どこからが“演技”なのか。
わたしにも、もう判断がつかなくなりそうです。
だって――あんな笑顔、嘘で出来るものじゃない。
* * *
そしてその夜。
寮の窓を開けると、夜の空気が頬に触れました。冷えて心地いい。
でも、頭の中はまったく落ち着きません。
“好き”とか“嫌い”って、こういう状態を指すんですか?
胸がシグナルを送り続けていて、静まってくれない。
昼間の彼の微笑みと、紅の色が、反芻するたびに鮮やかに蘇る。
(違う。これはきっと観察対象への興味。そう、興味です)
分析モードに逃げ込む。
でも無理でした。思考のはしばしに彼の声が滲んでくる。
「君の目が好きだ」
「リディア、疲れてる。ちゃんと眠って」
(だから、どうして名前で呼ぶんですか……!)
胸の奥が妙に苦くて、息をつく。
窓の外、庭園の小道にゆらめく灯り。誰かの気配。
まさか、と思いつつ見下ろしたら、彼でした。
金の髪が月夜に溶けるように輝いて、まるで物語の登場人物みたいです。
「……なにをしてるんですか。夜ですよ?」
「ああ、見つかった」
良い笑顔です。夜中でも眩しいって、本当に罪です。
「徹夜しそうな気がして。君、寝ないタイプでしょ」
「そういう人の観察やめてくださいっ」
「はいはい。素直に“恋人が会いに来た”って喜んでくれてもいいのに」
恋人。
その一言で、心のどこかが弾けました。
「……わたしたち、本当に“恋人”なんですか?」
気づいた時には、声に出していました。
沈黙。彼が少し驚いたように目を瞬かせ、微笑みをゆるめます。
「……君がそう感じないなら、俺の努力不足だね」
いつも通り柔らかく返されたのに、その声音がどこか違ったんです。
もっと静かで、“本音”の色の響き。
「じゃあ、努力します。……君に“嘘”だって思われないように」
胸の奥で波が立った。
本当はもう、とっくに気づいていました。
彼の瞳の奥に、いつもの銀砂ではなく“赤”が宿っていることを。
淡い紅。
嘘じゃない、本物の恋情の色。
「……ルシアン様」
彼が手を伸ばす。
けれど触れる寸前、またいつものように止めて――指先でそっと髪をなぞった。
「今夜はこれだけ。君が堕ちるまで、もう少し演出を楽しみたいから」
「……!」
ずるい。ほんとうに、ずるい人です。
でも、その“楽しみたい”のライトブルーの色は、確かに嘘じゃありませんでした。
愛と期待がまざった、とても綺麗な光で。
「おやすみ、リディア」
その声が消える前に、彼は暗闇のなかへ溶けていきました。
残されたわたしは、ただ心臓の音を聞いていました。
明日に向かって速くなる拍動を、もう誤魔化すこともできない。
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