8 / 20
第8章:突き放し
しおりを挟む
午後の講義が終わり、教室を出ると、春の陽射しがまぶしかった。
鳥のさえずりも、通り抜ける風も、ぜんぶが穏やか。
それなのに、わたしの胸だけが、少しずつざわめいていました。
――エリオット様の、最近の様子がおかしい。
公の場では相変わらず完璧でした。笑顔も仕草も抜かりなく、周囲の生徒たちを惹きつけ、まるで光そのものみたいに輝いている。
けれどわたしと話す時、どこか遠慮がちになったのです。
「ノワール嬢、今日も熱心に勉強してるね」
「……いつも通りです」
笑顔は優しい。けれど、目線がふっと逸れる。以前はもう少し、近かったはずなのに。
これが“好きな人に見つめられるのが照れる”なんて可愛い理由だったらいいのに。
でも、彼はそんなタイプじゃない。計算の上で表情を操る人です。
だからこそ、わたしの不安は大きくなる。
彼が何かを“決めた”顔をしていました。
* * *
放課後、図書館。静かな時間。
書架の影で、彼の声が響きました。
「リディア」
振り向くと、真剣な瞳がそこにあった。
無駄のない仕草、けれど笑っていない。
「……どうしました?」
「少し、話したいことがある」
その言い方が妙に穏やかで、逆に背筋が寒くなりました。
彼の言葉に“別れ話”の気配が滲んでいたから。
「君は最近、よく頑張ってる。授業も、人付き合いも。もう、俺がいなくても困らない」
「……困らないって、どういう意味ですか」
「つまり、距離を置くころかな、ってこと」
息を呑みました。
何を、言っているんですか。この人は。
「まさか、飽きたわけじゃないでしょうね」
いつもの調子で軽く言えば、きっと冗談で済むと思った。
けれど彼の目が微動だにせず、嘘の色が見えました。
光の粒子のような銀砂――でも、それはいつもの社交用の嘘じゃない。
もっと苦くて、紫がかった“自己防衛”の嘘。
「違うよ。君が……俺に依存してきてる気がしてね」
静かな声だった。講義の余韻みたいに消え入るトーンで。
でもその一言が、まるで刃物のように胸に刺さった。
「なっ……依存?」
「悪い意味じゃないんだ。君は優しいから、何でも抱え込むでしょ。俺に頼る癖がついたら、将来、君が傷つく」
わたしは彼を凝視した。
ふざける時の“浅い笑み”ではなかった。本気の顔。
つまり、これは“演技”ではないのだとすぐに分かった。
「……わたしが簡単に壊れるとでも?」
「そうじゃない。君が、まっすぐすぎるんだよ」
そう言って彼は短く息を吐き、髪をかき上げました。
光が散り、白い横顔に影が落ちる。
その姿があまりにも綺麗で、言い返す気力を奪っていく。
「こうやって、君に触れそうになる自分が、怖いんだよ」
「……だったら、触れればいいじゃないですか!」
気づけば大きな声が出ていました。
冷静さも矜持も放り出して、彼の胸を掴んでいた。
「いまさら……最初から全部、あなたが仕掛けたんでしょう! “嘘でも恋人を演じるゲーム”だって分かっていて受けたわたしを、今さら拒むなんて――」
我ながら、滑稽でした。
怒りでも悲しみでもなく、ただどうしようもない“寂しさ”が溢れてくる。
胸の奥で鳴る鼓動が、痛いくらい響きます。
エリオット様は、そんなわたしの手をそっと外して、穏やかに言いました。
「……そうやって、感情をまっすぐぶつけてくる君を見ると、ますます惹かれてしまう」
「っ……!」
ああもう、なんなんですかこの人は。
突き放しておいて、その一言が温度を持っているなんて。
唇を噛むわたしを見下ろす彼の瞳に、一瞬だけ“赤”が走りました。
それは偽りでない、本物の恋心の色。
その刹那、彼がわずかに目をそらす。
「だからこそ、今はこのままにしよう」
「どういう……意味ですか」
「俺が、君に溺れたら終わりだから」
その一言に、世界が静まり返りました。
言い直されたような感情のニュアンス。
――“溺れる”なんて、そんな言葉、冗談でも。
けれど彼の瞳に嘘の色はなかった。
「さよならじゃないよ。ただ少し、距離を取る期間だ」
「……わたしの気持ちも、勝手に決めないでください」
彼は悲しげに笑って、微かに頷きました。
そして、背を向けた。
日差しの中へ、金色の髪が溶けていく。
その姿が遠ざかるほどに、呼吸が浅くなる。
“待って”の一言が言えなかった。
喉が塞がれて、声が出ない。
――本当に、置いていかれました。
* * *
その夜、寮のベッドの上。
眠れない。何度も目を閉じては、彼の言葉が蘇る。
『俺が、君に溺れたら終わりだから。』
なんで。どうして。
わたしは異能で、人の感情を見抜くことができる。
だからこそ、分かる。今日の彼の言葉は、“逃げる”ための嘘じゃない。
――“守るための距離”だった。
けれどそんな理屈、いまは欲しくない。
(私は、あなたに“溺れられた”かったのに)
唇を噛み、視界がにじむ。
明日になったら、また彼の笑顔を見られるだろうか。
それとも、このまま霧みたいに消えてしまうのでしょうか。
そんな不安を抱えたまま、朝日が射し込みました。
* * *
──同じ時刻、学園の別棟。
エリオット・ルシアンは人気のない応接室で、独りうなだれていた。
(……俺のほうが依存していたんだ)
胸の奥が痛む。掌を握れば、まだリディアの温度が残っている。
質の悪い冗談だ。恋の技術で距離を操っていたつもりが、気づけば自分が縛られていた。
彼は椅子に背を預け、天井を仰いだ。
「恋愛は、戦略だ」と何度も言ってきた。
相手をどう動かすか、どう駆け引きするか。それだけのはずだった。
だが、いまの彼にはわかっていた。
駆け引きの末に残るのは、己の手が届かなくなった温もりだけだと。
「……ごめんね、リディア。」
小さく呟いた声が、夜の静寂に吸い込まれていった。
鳥のさえずりも、通り抜ける風も、ぜんぶが穏やか。
それなのに、わたしの胸だけが、少しずつざわめいていました。
――エリオット様の、最近の様子がおかしい。
公の場では相変わらず完璧でした。笑顔も仕草も抜かりなく、周囲の生徒たちを惹きつけ、まるで光そのものみたいに輝いている。
けれどわたしと話す時、どこか遠慮がちになったのです。
「ノワール嬢、今日も熱心に勉強してるね」
「……いつも通りです」
笑顔は優しい。けれど、目線がふっと逸れる。以前はもう少し、近かったはずなのに。
これが“好きな人に見つめられるのが照れる”なんて可愛い理由だったらいいのに。
でも、彼はそんなタイプじゃない。計算の上で表情を操る人です。
だからこそ、わたしの不安は大きくなる。
彼が何かを“決めた”顔をしていました。
* * *
放課後、図書館。静かな時間。
書架の影で、彼の声が響きました。
「リディア」
振り向くと、真剣な瞳がそこにあった。
無駄のない仕草、けれど笑っていない。
「……どうしました?」
「少し、話したいことがある」
その言い方が妙に穏やかで、逆に背筋が寒くなりました。
彼の言葉に“別れ話”の気配が滲んでいたから。
「君は最近、よく頑張ってる。授業も、人付き合いも。もう、俺がいなくても困らない」
「……困らないって、どういう意味ですか」
「つまり、距離を置くころかな、ってこと」
息を呑みました。
何を、言っているんですか。この人は。
「まさか、飽きたわけじゃないでしょうね」
いつもの調子で軽く言えば、きっと冗談で済むと思った。
けれど彼の目が微動だにせず、嘘の色が見えました。
光の粒子のような銀砂――でも、それはいつもの社交用の嘘じゃない。
もっと苦くて、紫がかった“自己防衛”の嘘。
「違うよ。君が……俺に依存してきてる気がしてね」
静かな声だった。講義の余韻みたいに消え入るトーンで。
でもその一言が、まるで刃物のように胸に刺さった。
「なっ……依存?」
「悪い意味じゃないんだ。君は優しいから、何でも抱え込むでしょ。俺に頼る癖がついたら、将来、君が傷つく」
わたしは彼を凝視した。
ふざける時の“浅い笑み”ではなかった。本気の顔。
つまり、これは“演技”ではないのだとすぐに分かった。
「……わたしが簡単に壊れるとでも?」
「そうじゃない。君が、まっすぐすぎるんだよ」
そう言って彼は短く息を吐き、髪をかき上げました。
光が散り、白い横顔に影が落ちる。
その姿があまりにも綺麗で、言い返す気力を奪っていく。
「こうやって、君に触れそうになる自分が、怖いんだよ」
「……だったら、触れればいいじゃないですか!」
気づけば大きな声が出ていました。
冷静さも矜持も放り出して、彼の胸を掴んでいた。
「いまさら……最初から全部、あなたが仕掛けたんでしょう! “嘘でも恋人を演じるゲーム”だって分かっていて受けたわたしを、今さら拒むなんて――」
我ながら、滑稽でした。
怒りでも悲しみでもなく、ただどうしようもない“寂しさ”が溢れてくる。
胸の奥で鳴る鼓動が、痛いくらい響きます。
エリオット様は、そんなわたしの手をそっと外して、穏やかに言いました。
「……そうやって、感情をまっすぐぶつけてくる君を見ると、ますます惹かれてしまう」
「っ……!」
ああもう、なんなんですかこの人は。
突き放しておいて、その一言が温度を持っているなんて。
唇を噛むわたしを見下ろす彼の瞳に、一瞬だけ“赤”が走りました。
それは偽りでない、本物の恋心の色。
その刹那、彼がわずかに目をそらす。
「だからこそ、今はこのままにしよう」
「どういう……意味ですか」
「俺が、君に溺れたら終わりだから」
その一言に、世界が静まり返りました。
言い直されたような感情のニュアンス。
――“溺れる”なんて、そんな言葉、冗談でも。
けれど彼の瞳に嘘の色はなかった。
「さよならじゃないよ。ただ少し、距離を取る期間だ」
「……わたしの気持ちも、勝手に決めないでください」
彼は悲しげに笑って、微かに頷きました。
そして、背を向けた。
日差しの中へ、金色の髪が溶けていく。
その姿が遠ざかるほどに、呼吸が浅くなる。
“待って”の一言が言えなかった。
喉が塞がれて、声が出ない。
――本当に、置いていかれました。
* * *
その夜、寮のベッドの上。
眠れない。何度も目を閉じては、彼の言葉が蘇る。
『俺が、君に溺れたら終わりだから。』
なんで。どうして。
わたしは異能で、人の感情を見抜くことができる。
だからこそ、分かる。今日の彼の言葉は、“逃げる”ための嘘じゃない。
――“守るための距離”だった。
けれどそんな理屈、いまは欲しくない。
(私は、あなたに“溺れられた”かったのに)
唇を噛み、視界がにじむ。
明日になったら、また彼の笑顔を見られるだろうか。
それとも、このまま霧みたいに消えてしまうのでしょうか。
そんな不安を抱えたまま、朝日が射し込みました。
* * *
──同じ時刻、学園の別棟。
エリオット・ルシアンは人気のない応接室で、独りうなだれていた。
(……俺のほうが依存していたんだ)
胸の奥が痛む。掌を握れば、まだリディアの温度が残っている。
質の悪い冗談だ。恋の技術で距離を操っていたつもりが、気づけば自分が縛られていた。
彼は椅子に背を預け、天井を仰いだ。
「恋愛は、戦略だ」と何度も言ってきた。
相手をどう動かすか、どう駆け引きするか。それだけのはずだった。
だが、いまの彼にはわかっていた。
駆け引きの末に残るのは、己の手が届かなくなった温もりだけだと。
「……ごめんね、リディア。」
小さく呟いた声が、夜の静寂に吸い込まれていった。
5
あなたにおすすめの小説
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
双子の姉に聴覚を奪われました。
浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』
双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。
さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。
三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。
私は恋をしている。
はるきりょう
恋愛
私は、旦那様に恋をしている。
あれから5年が経過して、彼が20歳を超したとき、私たちは結婚した。公爵家の令嬢である私は、15歳の時に婚約者を決めるにあたり父にお願いしたのだ。彼と婚約し、いずれは結婚したいと。私に甘い父はその話を彼の家に持って行ってくれた。そして彼は了承した。
私の家が公爵家で、彼の家が男爵家だからだ。
【完結】母になります。
たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。
この子、わたしの子供なの?
旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら?
ふふっ、でも、可愛いわよね?
わたしとお友達にならない?
事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。
ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ!
だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる