【完結】嘘告だと知っていましたが、あなたが堕ちるまで演じて差し上げます

朝日みらい

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第8章:突き放し

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 午後の講義が終わり、教室を出ると、春の陽射しがまぶしかった。

 鳥のさえずりも、通り抜ける風も、ぜんぶが穏やか。  
 それなのに、わたしの胸だけが、少しずつざわめいていました。

 ――エリオット様の、最近の様子がおかしい。

 公の場では相変わらず完璧でした。笑顔も仕草も抜かりなく、周囲の生徒たちを惹きつけ、まるで光そのものみたいに輝いている。

 けれどわたしと話す時、どこか遠慮がちになったのです。

 「ノワール嬢、今日も熱心に勉強してるね」  
 「……いつも通りです」

 笑顔は優しい。けれど、目線がふっと逸れる。以前はもう少し、近かったはずなのに。

 これが“好きな人に見つめられるのが照れる”なんて可愛い理由だったらいいのに。  
 でも、彼はそんなタイプじゃない。計算の上で表情を操る人です。

 だからこそ、わたしの不安は大きくなる。

 彼が何かを“決めた”顔をしていました。  
 
 * * * 

 放課後、図書館。静かな時間。  
 書架の影で、彼の声が響きました。

 「リディア」

 振り向くと、真剣な瞳がそこにあった。  
 無駄のない仕草、けれど笑っていない。

 「……どうしました?」

 「少し、話したいことがある」

 その言い方が妙に穏やかで、逆に背筋が寒くなりました。

 彼の言葉に“別れ話”の気配が滲んでいたから。

 「君は最近、よく頑張ってる。授業も、人付き合いも。もう、俺がいなくても困らない」

 「……困らないって、どういう意味ですか」

 「つまり、距離を置くころかな、ってこと」

 息を呑みました。  
 何を、言っているんですか。この人は。

 「まさか、飽きたわけじゃないでしょうね」

 いつもの調子で軽く言えば、きっと冗談で済むと思った。  
 けれど彼の目が微動だにせず、嘘の色が見えました。

 光の粒子のような銀砂――でも、それはいつもの社交用の嘘じゃない。  
 もっと苦くて、紫がかった“自己防衛”の嘘。

 「違うよ。君が……俺に依存してきてる気がしてね」

 静かな声だった。講義の余韻みたいに消え入るトーンで。  
 でもその一言が、まるで刃物のように胸に刺さった。

 「なっ……依存?」

 「悪い意味じゃないんだ。君は優しいから、何でも抱え込むでしょ。俺に頼る癖がついたら、将来、君が傷つく」

 わたしは彼を凝視した。  
 ふざける時の“浅い笑み”ではなかった。本気の顔。  
 つまり、これは“演技”ではないのだとすぐに分かった。

 「……わたしが簡単に壊れるとでも?」

 「そうじゃない。君が、まっすぐすぎるんだよ」

 そう言って彼は短く息を吐き、髪をかき上げました。  
 光が散り、白い横顔に影が落ちる。  
 その姿があまりにも綺麗で、言い返す気力を奪っていく。

 「こうやって、君に触れそうになる自分が、怖いんだよ」

 「……だったら、触れればいいじゃないですか!」

 気づけば大きな声が出ていました。  
 冷静さも矜持も放り出して、彼の胸を掴んでいた。

 「いまさら……最初から全部、あなたが仕掛けたんでしょう! “嘘でも恋人を演じるゲーム”だって分かっていて受けたわたしを、今さら拒むなんて――」

 我ながら、滑稽でした。

 怒りでも悲しみでもなく、ただどうしようもない“寂しさ”が溢れてくる。  
 胸の奥で鳴る鼓動が、痛いくらい響きます。

 エリオット様は、そんなわたしの手をそっと外して、穏やかに言いました。

 「……そうやって、感情をまっすぐぶつけてくる君を見ると、ますます惹かれてしまう」

 「っ……!」

 ああもう、なんなんですかこの人は。  
 突き放しておいて、その一言が温度を持っているなんて。

 唇を噛むわたしを見下ろす彼の瞳に、一瞬だけ“赤”が走りました。

 それは偽りでない、本物の恋心の色。  
 その刹那、彼がわずかに目をそらす。

 「だからこそ、今はこのままにしよう」

 「どういう……意味ですか」

 「俺が、君に溺れたら終わりだから」

 その一言に、世界が静まり返りました。  
 言い直されたような感情のニュアンス。  
 ――“溺れる”なんて、そんな言葉、冗談でも。

 けれど彼の瞳に嘘の色はなかった。

 「さよならじゃないよ。ただ少し、距離を取る期間だ」

 「……わたしの気持ちも、勝手に決めないでください」

 彼は悲しげに笑って、微かに頷きました。

 そして、背を向けた。  
 日差しの中へ、金色の髪が溶けていく。  
 その姿が遠ざかるほどに、呼吸が浅くなる。

 “待って”の一言が言えなかった。  
 喉が塞がれて、声が出ない。

 ――本当に、置いていかれました。

 * * * 

 その夜、寮のベッドの上。  
 眠れない。何度も目を閉じては、彼の言葉が蘇る。  

 『俺が、君に溺れたら終わりだから。』

 なんで。どうして。

 わたしは異能で、人の感情を見抜くことができる。  
 だからこそ、分かる。今日の彼の言葉は、“逃げる”ための嘘じゃない。  
 ――“守るための距離”だった。

 けれどそんな理屈、いまは欲しくない。

 (私は、あなたに“溺れられた”かったのに)

 唇を噛み、視界がにじむ。  
 明日になったら、また彼の笑顔を見られるだろうか。  
 それとも、このまま霧みたいに消えてしまうのでしょうか。

 そんな不安を抱えたまま、朝日が射し込みました。
 
 * * * 

 ──同じ時刻、学園の別棟。  
 エリオット・ルシアンは人気のない応接室で、独りうなだれていた。

 (……俺のほうが依存していたんだ)

 胸の奥が痛む。掌を握れば、まだリディアの温度が残っている。

 質の悪い冗談だ。恋の技術で距離を操っていたつもりが、気づけば自分が縛られていた。

 彼は椅子に背を預け、天井を仰いだ。  

 「恋愛は、戦略だ」と何度も言ってきた。  
 相手をどう動かすか、どう駆け引きするか。それだけのはずだった。

 だが、いまの彼にはわかっていた。  
 駆け引きの末に残るのは、己の手が届かなくなった温もりだけだと。

 「……ごめんね、リディア。」

 小さく呟いた声が、夜の静寂に吸い込まれていった。
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