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第13章:王弟の圧力
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その朝の学園は、不思議なほど静かでした。
鳥の声も、鐘の音も、まるで遠くから聞こえてくるようです。
エリオット様が王弟殿下の召喚を受けてから、一晩が経ちました。
(まだ戻らない……)
たった一晩。されど、その時間がやけに長く思えます。
夜が明けても、彼の「大丈夫」という声が耳の奥に響いて離れません。
“何があっても信じて”――あの言葉の意味を、彼は知っていたのでしょう。
「ノワール嬢?」
背後から呼びかけられ、我に返りました。
学院の正門前、執事服の青年が馬車の前で恭しく頭を下げています。
「アデルハルト殿下が、お呼びです」
「……王弟殿下が、わたしを?」
「はい。すぐにお越しくださいとのこと」
迷う時間はありませんでした。
命令としての響きが強すぎて、拒めるはずもない。
わたしは黙って頷き、彼の差し出した手を取って馬車に乗り込みました。
* * *
王城の石壁は、いつ見ても圧迫感があります。
権力者だけが使う回廊には、冷たい美しさが漂っていました。
案内された先、重厚な扉が開かれる。
そこには、銀髪の男が待っていました。
王弟アデルハルト殿下――王の実弟にして、諜報局の総責任者。
整った容姿は兄王と似ていながら、どこか冷ややかな光を宿している。
「やあ、ノワール嬢。座っていいよ」
低い声が、氷のように滑り落ちました。
「畏れ多くて……殿下の前では立ったままで結構です」
「律儀だね。まあいい――単刀直入に聞こうか」
その指が一枚の書類を机に滑らせる。
そこには、見慣れた自分の名前。
『ノワール・リディア――異能保障認定第五号』
「これは……?」
「君の力についての正式な記録だ。
“他者の感情認識能力”。王家にとっては願ってもない資質だよ」
淡々とした声音。まるで人ではなく、珍しい宝石の説明をしているかのようです。
「私の力は……ただの観察の補助です。たいしたものではありません」
「謙遜は美徳だ。でもね、ノワール嬢」
彼は指を組み、ゆるやかに微笑みました。
けれど、その笑みの影には冷たい支配欲が滲んでいる。
「我々は“利用価値”という言葉を否定しない。
国家は、才能を所有する。――それが秩序だ」
心の奥で、何かが冷たく音を立てて砕けました。
「……所有、ですか」
「そう。君がこの国のために生まれたのだと考えれば、悪い話ではないね」
「つまり、殿下はわたしを……?」
「王家直属の諜報部に正式編入するつもりだ。
籍を置く以上、君には“保護者”が必要になる」
保護者――。
それがなにを意味するのか、すぐに理解しました。
(政略結婚……)
「君には、婚約話が来る。もちろん拒否権はない」
「……誰と、ですか」
「侯爵家の長子だよ。穏やかで、頭も悪くない。
君の異能をきちんと管理できる人材だ」
口元に浮かんだ笑みが、何故か「勝利」のように見えました。
「……それは、命令ですか」
「推薦だよ。けれど、王命が出れば同じことだ」
彼の指が机上の羽ペンを弄びながら、もう片方の手で書面を押さえました。
その動作の滑らかさに、慣れ切った支配者の癖が見えた。
わたしは唇を噛みました。
手の中で小さな震えを感じる。けれど、それを悟られたら終わりだと分かっていました。
「……エリオット様は」
口にした瞬間、空気が凍る。
「彼が君に会う理由はない。
君の身柄は正式に王城管理下に置かれる。……今日からね」
視界が霞みました。
彼の言葉が、ひとつひとつまともに頭に入らない。
“会う理由はない”?
どうしてそんな簡単に線を引くように言えるの。
「……それでも、彼は、必ず来ますわ」
「ふふ、恋愛とは愚かだな。
――ルシアン公子のような男が、国家を敵に回してまで君を追うと思うかい?」
「思います。彼は……」
「“恋人”としての彼を信じているからかい?」
挑発的な笑み。
だがその奥には、もっと別のもの――試すような色がのぞいていました。
「彼は君ごときに執着しないだろう。
王都社交界の光だ。放っておいても、次の女が寄ってくる。君は代用品でしかないよ」
「っ……!」
衝動的に、小さく拳を握り込む。
それを見て、殿下がわずかに声を低くしました。
「……怒ったね。だが感情に意味はない。
君が価値を発揮できるのは、“個”ではなく“器官”としてのときだ」
惨めという言葉では足りませんでした。
わたしは、心の奥に熱をためて彼を見据える。
「殿下、それでもわたしは“人間”です。――物ではありません」
アデルハルト殿下が眉を上げました。
「おや、随分強くなったね。……公子の影響かな?」
皮肉な笑みの奥。
その一言が、逆にわたしの中に小さな炎を灯しました。
「彼のせいではありません。わたしが、自分で選んだんです」
「選んだ?」
「はい。誰の決断でもなく、わたしがわたしを好きになってくれた人の傍にいることを」
アデルハルトの視線が、一瞬だけ鋭さを増しました。
「……君、本当に“見える”んだね。人の心の色が」
「見えます。でも、今あなたを見て安心しました」
「安心?」
「はい。どんなに冷たい言葉を重ねても、あなたの“色”は迷っています。
――つまり、わたしを完全には捨て駒にできない」
静かな沈黙。
そして王弟殿下は、初めて少しだけ笑った。
「なるほど。……ルシアンが君に惹かれる理由が分かる気がする」
「殿下?」
「いいだろう。婚約の話は少し保留にしよう。だが条件がある」
「条件……?」
「今夜の祝宴に出席しなさい。
王族直属の来賓として。……君には“異能者代表”の役目を担ってもらう」
冷たくも美しい瞳がこちらを射抜く。
そして彼は、背もたれに身を預けて言った。
「見せてごらん。君がどんな色で“公子ルシアン”を照らすのか」
それが挑発であり、罠であると分かっていながら、わたしは頷きました。
「分かりました。……逃げません」
瞬間、殿下の口角がわずかに上がりました。
「ふふ。では楽しみにしているよ、ノワール嬢」
* * *
王城を出る頃、空は薄曇りでした。
風が金糸を混ぜたような色をしていて、どこか不安を煽ります。
(戦いの幕が、上がりましたね)
いまこの瞬間、わたしの選択は国家の秩序に逆らうものになりました。
けれど、それでも後悔はありません。
――彼を信じた日から、わたしの“生き方”はわたしのものになったのです。
雲間に覗いた陽光が、わずかに赤く染まっていました。
まるであの人の感情の色が、風に乗って届いたように。
鳥の声も、鐘の音も、まるで遠くから聞こえてくるようです。
エリオット様が王弟殿下の召喚を受けてから、一晩が経ちました。
(まだ戻らない……)
たった一晩。されど、その時間がやけに長く思えます。
夜が明けても、彼の「大丈夫」という声が耳の奥に響いて離れません。
“何があっても信じて”――あの言葉の意味を、彼は知っていたのでしょう。
「ノワール嬢?」
背後から呼びかけられ、我に返りました。
学院の正門前、執事服の青年が馬車の前で恭しく頭を下げています。
「アデルハルト殿下が、お呼びです」
「……王弟殿下が、わたしを?」
「はい。すぐにお越しくださいとのこと」
迷う時間はありませんでした。
命令としての響きが強すぎて、拒めるはずもない。
わたしは黙って頷き、彼の差し出した手を取って馬車に乗り込みました。
* * *
王城の石壁は、いつ見ても圧迫感があります。
権力者だけが使う回廊には、冷たい美しさが漂っていました。
案内された先、重厚な扉が開かれる。
そこには、銀髪の男が待っていました。
王弟アデルハルト殿下――王の実弟にして、諜報局の総責任者。
整った容姿は兄王と似ていながら、どこか冷ややかな光を宿している。
「やあ、ノワール嬢。座っていいよ」
低い声が、氷のように滑り落ちました。
「畏れ多くて……殿下の前では立ったままで結構です」
「律儀だね。まあいい――単刀直入に聞こうか」
その指が一枚の書類を机に滑らせる。
そこには、見慣れた自分の名前。
『ノワール・リディア――異能保障認定第五号』
「これは……?」
「君の力についての正式な記録だ。
“他者の感情認識能力”。王家にとっては願ってもない資質だよ」
淡々とした声音。まるで人ではなく、珍しい宝石の説明をしているかのようです。
「私の力は……ただの観察の補助です。たいしたものではありません」
「謙遜は美徳だ。でもね、ノワール嬢」
彼は指を組み、ゆるやかに微笑みました。
けれど、その笑みの影には冷たい支配欲が滲んでいる。
「我々は“利用価値”という言葉を否定しない。
国家は、才能を所有する。――それが秩序だ」
心の奥で、何かが冷たく音を立てて砕けました。
「……所有、ですか」
「そう。君がこの国のために生まれたのだと考えれば、悪い話ではないね」
「つまり、殿下はわたしを……?」
「王家直属の諜報部に正式編入するつもりだ。
籍を置く以上、君には“保護者”が必要になる」
保護者――。
それがなにを意味するのか、すぐに理解しました。
(政略結婚……)
「君には、婚約話が来る。もちろん拒否権はない」
「……誰と、ですか」
「侯爵家の長子だよ。穏やかで、頭も悪くない。
君の異能をきちんと管理できる人材だ」
口元に浮かんだ笑みが、何故か「勝利」のように見えました。
「……それは、命令ですか」
「推薦だよ。けれど、王命が出れば同じことだ」
彼の指が机上の羽ペンを弄びながら、もう片方の手で書面を押さえました。
その動作の滑らかさに、慣れ切った支配者の癖が見えた。
わたしは唇を噛みました。
手の中で小さな震えを感じる。けれど、それを悟られたら終わりだと分かっていました。
「……エリオット様は」
口にした瞬間、空気が凍る。
「彼が君に会う理由はない。
君の身柄は正式に王城管理下に置かれる。……今日からね」
視界が霞みました。
彼の言葉が、ひとつひとつまともに頭に入らない。
“会う理由はない”?
どうしてそんな簡単に線を引くように言えるの。
「……それでも、彼は、必ず来ますわ」
「ふふ、恋愛とは愚かだな。
――ルシアン公子のような男が、国家を敵に回してまで君を追うと思うかい?」
「思います。彼は……」
「“恋人”としての彼を信じているからかい?」
挑発的な笑み。
だがその奥には、もっと別のもの――試すような色がのぞいていました。
「彼は君ごときに執着しないだろう。
王都社交界の光だ。放っておいても、次の女が寄ってくる。君は代用品でしかないよ」
「っ……!」
衝動的に、小さく拳を握り込む。
それを見て、殿下がわずかに声を低くしました。
「……怒ったね。だが感情に意味はない。
君が価値を発揮できるのは、“個”ではなく“器官”としてのときだ」
惨めという言葉では足りませんでした。
わたしは、心の奥に熱をためて彼を見据える。
「殿下、それでもわたしは“人間”です。――物ではありません」
アデルハルト殿下が眉を上げました。
「おや、随分強くなったね。……公子の影響かな?」
皮肉な笑みの奥。
その一言が、逆にわたしの中に小さな炎を灯しました。
「彼のせいではありません。わたしが、自分で選んだんです」
「選んだ?」
「はい。誰の決断でもなく、わたしがわたしを好きになってくれた人の傍にいることを」
アデルハルトの視線が、一瞬だけ鋭さを増しました。
「……君、本当に“見える”んだね。人の心の色が」
「見えます。でも、今あなたを見て安心しました」
「安心?」
「はい。どんなに冷たい言葉を重ねても、あなたの“色”は迷っています。
――つまり、わたしを完全には捨て駒にできない」
静かな沈黙。
そして王弟殿下は、初めて少しだけ笑った。
「なるほど。……ルシアンが君に惹かれる理由が分かる気がする」
「殿下?」
「いいだろう。婚約の話は少し保留にしよう。だが条件がある」
「条件……?」
「今夜の祝宴に出席しなさい。
王族直属の来賓として。……君には“異能者代表”の役目を担ってもらう」
冷たくも美しい瞳がこちらを射抜く。
そして彼は、背もたれに身を預けて言った。
「見せてごらん。君がどんな色で“公子ルシアン”を照らすのか」
それが挑発であり、罠であると分かっていながら、わたしは頷きました。
「分かりました。……逃げません」
瞬間、殿下の口角がわずかに上がりました。
「ふふ。では楽しみにしているよ、ノワール嬢」
* * *
王城を出る頃、空は薄曇りでした。
風が金糸を混ぜたような色をしていて、どこか不安を煽ります。
(戦いの幕が、上がりましたね)
いまこの瞬間、わたしの選択は国家の秩序に逆らうものになりました。
けれど、それでも後悔はありません。
――彼を信じた日から、わたしの“生き方”はわたしのものになったのです。
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