14 / 20
第14章:溺愛スイッチ
しおりを挟む
夜空は静かでした。
けれど、社交界は光と音の渦でした。
王宮の大広間は、宝石のように飾られたドレスと笑い声で溢れています。
国の祝典ともあって、王族や高位貴族が一堂に会していました。
そんな中の片隅で、わたしは緊張していました。
「……人の数が、文字通り“世界”のようですね」
「気にしないで。君はその中で、一番目を引いているから」
背後から耳元に届く低い声。
振り向かなくてもわかります。エリオット様です。
「褒めても何も出ません」
「もう充分もらってるよ。君の視線、ね」
さわやかに返されたその一言だけで、心臓のリズムがひどくなりました。
(この人……こういうときに限って、ほんとに手慣れてます)
「でも本当に完璧ね。……レディの挨拶も、立ち居振る舞いも」
「光栄です、公爵令息様」
わざと距離を取ってからかうと、彼は少しだけ目を細めて笑いました。
「その皮肉、好きだよ。君らしくて」
「皮肉ではなく警戒です。あなたのような方、信用できません」
「いまの“君の方”が危険だと思うけど?」
言いかけていた彼の表情が、その瞬間だけ真剣に変わりました。
声も低く落ちついて――まるで社交界の中心で行う“劇の一幕”のようでした。
「リディア、この舞踏会。……君を奪い返すための舞台だ」
「……え?」
言葉の意味がすぐには掴めませんでした。
けれど次の瞬間、彼が人前もはばからずわたしの手を取ったことで、
場の空気が一変しました。
視線が、一斉に集まる。
誰もが振り返る中、陽光のような笑みを浮かべながら彼が言いました。
「――紹介しよう。この方こそ、リディア・ノワール嬢。
我がルシアン公爵家の“正式な婚約者”だ」
「なっ……!」
思わず言葉を失いました。
会場が騒めき、令嬢たちの息すら飲み込まれます。
「エリオット公子、まさか……!」「いつの間に……!?」
人々のざわめきの中、唯一平然とワイングラスを傾けていた人影――王弟、アデルハルト殿下です。
彼の微笑みだけが、不気味なほど冷静でした。
小さな静寂のあと、低い拍手が響きました。
「大胆だね、ルシアン公子。君の家は王家の臣下でありながら、“許可なく婚約”を発表するとは」
「報告は今ここでいたしました、殿下」
「ふふ。ずいぶん自信家だ」
ふたりの視線が交わる。
ただの社交会話ではない――明白な牽制。
怖い……でも、そのどちらの“色”も見える。
アデルハルト殿下は静かな青灰、計算された冷淡。
そして――エリオット様の色は、ほのかに金を帯びた紅。
圧倒的な自信と愛情。まるで太陽がそのまま人の形を取ったよう。
「殿下の言葉、ありがとうございます」
「何に対してだい?」
「貴国と王家に、これほどの喜びを授けていただいたことに」
彼はまるで臣下のように礼を取って――その手をわたしの腰へ添えました。
私的な囁きのような甘い動作に、会場全体が息を呑みます。
「彼女こそ、ルシアンがこの国に捧げられる最高の宝です」
「――上手く言うね」
アデルハルト殿下の笑みが、わずかにひび割れました。
(……エリオット様、きっと最初から計算してたんですね)
国家という“檻”にわたしを閉じ込めようとした王弟に対し、
“婚約の公表”という形式で先手を打ったのです。
(社交界は証言の海。彼が言った時点で“事実”になる)
わたしの指先が、彼の外套の裾に触れました。
震える手を感じたのか、彼はそっと包み込んできました。
「……大丈夫だよ。君を二度と国家の玩具にはさせない」
「……でも、殿下を敵に回すのは危険です」
「危険なのは、君を失うことのほうだ」
その台詞のとき、エリオット様の瞳の色が変わりました。
炎のように深い紅を宿して、誰の目も映さない。
次の瞬間――彼は完璧な貴公子の笑顔で、周囲へと向き直りました。
「皆さま、どうぞ――乾杯を。
本日この席に集まられた貴族の皆々様へ。そしてこの国に、愛の祝福を!」
グラスを掲げた彼の所作は、まるで舞台俳優のように美しく、見事でした。
わたしの周囲で、令嬢たちの嫉妬のさざめきが広がっていく。
誰も否定できない。“彼の恋人”という立場が、いま正式に世界へ提示されたのです。
――勝者の姿でした。
けれど、それ以上に怖いほど真っ直ぐで。
まるで自分自身に鎖をかけるような彼の微笑みが、少し痛かった。
* * *
夜も更け、舞踏が終わって人々が去ったあと。
広間の照明が落とされ、月光だけが残りました。
「……やりすぎです」
「やりすぎ、かな」
「やりすぎです。婚約だなんて」
「でも、君が泣かないために必要な言葉だった」
軽く肩を抱かれる。
わたしの頭が彼の胸にすっぽり収まり、心臓の鼓動が聞こえました。
「王弟殿下のこと、舐めてるつもりはない。……けれど、俺はもう一度君を失いたくないんだ」
その言葉は、甘いよりも痛かった。
「……本当に、わたしのためだけなんですか?」
顔を上げると、彼の表情がわずかに揺れました。
「国のためでも、家のためでもない。
駆け引きも終わり。――これは、愛の戦略じゃなくて本能だよ」
「……あなたのそういうところ、ずるいって何度も言いましたよね」
「うん。でも、それが“俺”なんだ」
穏やかに笑いながら、彼の指がわたしの頬をなぞりました。
その動作がやさしすぎて、目の奥が熱くなります。
「怖かったんですよ。あの方に言われたんです。
“君ごときに執着する価値はない”って」
「……ああ、あいつ、そう言うと思った」
エリオット様は苦笑し、額に軽く唇を落としました。
「俺の世界に君がいない方が、“価値”がなくなる」
言葉にならない。息もできないほどの真っ直ぐさでした。
腕の力が強くなり、彼がわたしをさらに抱き寄せます。
「もう一度言うよ。リディア――君は、国家よりも大切だ」
「……ずるいです。そんなこと言われたら」
「俺の負けでもいい。君を泣かせた時点で、“勝ちたい男”はやめたんだ」
胸に響く声。その一言が、心の奥まで沁みていきます。
「これからどうするんです?」
「戦う。俺の得意分野だ」
「どうやって……?」
「ルシアン家を動かし、報道を動かし、貴族の奥方たちを味方につける。
悪役に仕立てるのが俺なら、味方に変えるのも俺だ」
淡く笑った唇に、いつもの“光の象徴”の面影が戻っていました。
ただ、それはもう“演じる笑顔”ではない。
舞台を支配する男の顔――わたしだけが知る、本気の顔。
「殿下にだけは、絶対に勝ちたいんですか?」
「いや。君を“奪われる可能性”に勝ちたい」
まっすぐな瞳に映るのは、国家でも名誉でもない。
ただ、わたしひとり。
心臓がまた痛くなりました。
でも、それは泣きたいほど嬉しい痛みです。
「じゃあ、今度はわたしも一緒に戦います」
「……頼もしいね。俺の“戦友兼恋人”」
くす、と笑うと、彼がわたしのこめかみに軽くキスを落としました。
けれど、社交界は光と音の渦でした。
王宮の大広間は、宝石のように飾られたドレスと笑い声で溢れています。
国の祝典ともあって、王族や高位貴族が一堂に会していました。
そんな中の片隅で、わたしは緊張していました。
「……人の数が、文字通り“世界”のようですね」
「気にしないで。君はその中で、一番目を引いているから」
背後から耳元に届く低い声。
振り向かなくてもわかります。エリオット様です。
「褒めても何も出ません」
「もう充分もらってるよ。君の視線、ね」
さわやかに返されたその一言だけで、心臓のリズムがひどくなりました。
(この人……こういうときに限って、ほんとに手慣れてます)
「でも本当に完璧ね。……レディの挨拶も、立ち居振る舞いも」
「光栄です、公爵令息様」
わざと距離を取ってからかうと、彼は少しだけ目を細めて笑いました。
「その皮肉、好きだよ。君らしくて」
「皮肉ではなく警戒です。あなたのような方、信用できません」
「いまの“君の方”が危険だと思うけど?」
言いかけていた彼の表情が、その瞬間だけ真剣に変わりました。
声も低く落ちついて――まるで社交界の中心で行う“劇の一幕”のようでした。
「リディア、この舞踏会。……君を奪い返すための舞台だ」
「……え?」
言葉の意味がすぐには掴めませんでした。
けれど次の瞬間、彼が人前もはばからずわたしの手を取ったことで、
場の空気が一変しました。
視線が、一斉に集まる。
誰もが振り返る中、陽光のような笑みを浮かべながら彼が言いました。
「――紹介しよう。この方こそ、リディア・ノワール嬢。
我がルシアン公爵家の“正式な婚約者”だ」
「なっ……!」
思わず言葉を失いました。
会場が騒めき、令嬢たちの息すら飲み込まれます。
「エリオット公子、まさか……!」「いつの間に……!?」
人々のざわめきの中、唯一平然とワイングラスを傾けていた人影――王弟、アデルハルト殿下です。
彼の微笑みだけが、不気味なほど冷静でした。
小さな静寂のあと、低い拍手が響きました。
「大胆だね、ルシアン公子。君の家は王家の臣下でありながら、“許可なく婚約”を発表するとは」
「報告は今ここでいたしました、殿下」
「ふふ。ずいぶん自信家だ」
ふたりの視線が交わる。
ただの社交会話ではない――明白な牽制。
怖い……でも、そのどちらの“色”も見える。
アデルハルト殿下は静かな青灰、計算された冷淡。
そして――エリオット様の色は、ほのかに金を帯びた紅。
圧倒的な自信と愛情。まるで太陽がそのまま人の形を取ったよう。
「殿下の言葉、ありがとうございます」
「何に対してだい?」
「貴国と王家に、これほどの喜びを授けていただいたことに」
彼はまるで臣下のように礼を取って――その手をわたしの腰へ添えました。
私的な囁きのような甘い動作に、会場全体が息を呑みます。
「彼女こそ、ルシアンがこの国に捧げられる最高の宝です」
「――上手く言うね」
アデルハルト殿下の笑みが、わずかにひび割れました。
(……エリオット様、きっと最初から計算してたんですね)
国家という“檻”にわたしを閉じ込めようとした王弟に対し、
“婚約の公表”という形式で先手を打ったのです。
(社交界は証言の海。彼が言った時点で“事実”になる)
わたしの指先が、彼の外套の裾に触れました。
震える手を感じたのか、彼はそっと包み込んできました。
「……大丈夫だよ。君を二度と国家の玩具にはさせない」
「……でも、殿下を敵に回すのは危険です」
「危険なのは、君を失うことのほうだ」
その台詞のとき、エリオット様の瞳の色が変わりました。
炎のように深い紅を宿して、誰の目も映さない。
次の瞬間――彼は完璧な貴公子の笑顔で、周囲へと向き直りました。
「皆さま、どうぞ――乾杯を。
本日この席に集まられた貴族の皆々様へ。そしてこの国に、愛の祝福を!」
グラスを掲げた彼の所作は、まるで舞台俳優のように美しく、見事でした。
わたしの周囲で、令嬢たちの嫉妬のさざめきが広がっていく。
誰も否定できない。“彼の恋人”という立場が、いま正式に世界へ提示されたのです。
――勝者の姿でした。
けれど、それ以上に怖いほど真っ直ぐで。
まるで自分自身に鎖をかけるような彼の微笑みが、少し痛かった。
* * *
夜も更け、舞踏が終わって人々が去ったあと。
広間の照明が落とされ、月光だけが残りました。
「……やりすぎです」
「やりすぎ、かな」
「やりすぎです。婚約だなんて」
「でも、君が泣かないために必要な言葉だった」
軽く肩を抱かれる。
わたしの頭が彼の胸にすっぽり収まり、心臓の鼓動が聞こえました。
「王弟殿下のこと、舐めてるつもりはない。……けれど、俺はもう一度君を失いたくないんだ」
その言葉は、甘いよりも痛かった。
「……本当に、わたしのためだけなんですか?」
顔を上げると、彼の表情がわずかに揺れました。
「国のためでも、家のためでもない。
駆け引きも終わり。――これは、愛の戦略じゃなくて本能だよ」
「……あなたのそういうところ、ずるいって何度も言いましたよね」
「うん。でも、それが“俺”なんだ」
穏やかに笑いながら、彼の指がわたしの頬をなぞりました。
その動作がやさしすぎて、目の奥が熱くなります。
「怖かったんですよ。あの方に言われたんです。
“君ごときに執着する価値はない”って」
「……ああ、あいつ、そう言うと思った」
エリオット様は苦笑し、額に軽く唇を落としました。
「俺の世界に君がいない方が、“価値”がなくなる」
言葉にならない。息もできないほどの真っ直ぐさでした。
腕の力が強くなり、彼がわたしをさらに抱き寄せます。
「もう一度言うよ。リディア――君は、国家よりも大切だ」
「……ずるいです。そんなこと言われたら」
「俺の負けでもいい。君を泣かせた時点で、“勝ちたい男”はやめたんだ」
胸に響く声。その一言が、心の奥まで沁みていきます。
「これからどうするんです?」
「戦う。俺の得意分野だ」
「どうやって……?」
「ルシアン家を動かし、報道を動かし、貴族の奥方たちを味方につける。
悪役に仕立てるのが俺なら、味方に変えるのも俺だ」
淡く笑った唇に、いつもの“光の象徴”の面影が戻っていました。
ただ、それはもう“演じる笑顔”ではない。
舞台を支配する男の顔――わたしだけが知る、本気の顔。
「殿下にだけは、絶対に勝ちたいんですか?」
「いや。君を“奪われる可能性”に勝ちたい」
まっすぐな瞳に映るのは、国家でも名誉でもない。
ただ、わたしひとり。
心臓がまた痛くなりました。
でも、それは泣きたいほど嬉しい痛みです。
「じゃあ、今度はわたしも一緒に戦います」
「……頼もしいね。俺の“戦友兼恋人”」
くす、と笑うと、彼がわたしのこめかみに軽くキスを落としました。
10
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
双子の姉に聴覚を奪われました。
浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』
双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。
さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。
三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。
私は恋をしている。
はるきりょう
恋愛
私は、旦那様に恋をしている。
あれから5年が経過して、彼が20歳を超したとき、私たちは結婚した。公爵家の令嬢である私は、15歳の時に婚約者を決めるにあたり父にお願いしたのだ。彼と婚約し、いずれは結婚したいと。私に甘い父はその話を彼の家に持って行ってくれた。そして彼は了承した。
私の家が公爵家で、彼の家が男爵家だからだ。
【完結】母になります。
たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。
この子、わたしの子供なの?
旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら?
ふふっ、でも、可愛いわよね?
わたしとお友達にならない?
事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。
ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ!
だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる