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第15章:悪役の失策
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王城の北塔は、夜になると風の音がよく響きます。
それがまるで悲鳴のように聞こえるのは、きっとわたしの心が怯えているせいでしょう。
――あの夜の翌日。
わたしは突然、王弟殿下の私兵によって“保護対象”として連行されました。
理由は、国家安全を理由とする“異能管理”。
けれど実際は違います。
わたしの力を、完全に王家の手に封じ込めるためです。
「おとなしくしていてください、嬢様」
どうして“嬢様”と呼ぶのでしょう。
手を取るその手には、明らかな監視目的の硬さがありました。
中庭を通るとき、花々が夜露に濡れていました。
(ほんの昨日まで――ここで彼と笑っていたのに)
目の中に浮かぶのは、エリオット様の笑顔。
あんなに真っ直ぐに「守る」と言ってくれたのに、
それを裏切るように、今のわたしは孤独でした。
「どこへ連れていくのですか」
「殿下のご指示で、隔離区画に」
「監禁、という言葉を言い換えたのですね」
兵士の一人が気まずそうに目を逸らします。
けれど、反抗すれば彼らも罰せられる。無意味な抵抗はしたくありませんでした。
ただ、ここで終わるわけにはいかない。
(彼は必ず来る。だって、きっともう――動いている)
* * *
塔の最上階にある部屋は、豪奢なのに冷たくて無味無臭でした。
窓は分厚い鉄格子で閉ざされ、扉は内側から開かない造り。
まるで、宝物庫のよう。
誰かに“保管”される感覚が胸を締めつけます。
椅子に座らされ、目の前に銀髪の王弟アデルハルト殿下が現れました。
今日も完璧な礼服姿。冷静で、隙ひとつありません。
「よく来たね、ノワール嬢」
「はい。……強制的に、ですが」
「口がよく回る。――だが、それも今日までだ」
書類を机に置き、ペンを走らせながら殿下が言いました。
「今この瞬間から、君は正式に“王家直属諜報官見習い”だ」
「わたしは、承諾していません」
「署名がなくても構わない。推薦と命令は紙一重だ」
「……つまり、わたしを囲うつもりなのですね」
「囲う? 違う。保護だよ。君のような才能は希少だからね」
微笑むその声に、ぞっとするほどの静かな狂気がありました。
「力を持つ者が個人で自由を主張すると、世界はすぐに歪む。
秩序のためには、制御が必要なんだ」
「制御という言葉を、美しく使いすぎではありませんか」
「皮肉も結構だ。……だが承知しておいてほしい。
君を守るためなら、ルシアン公爵家の存続さえ犠牲にする」
「――っ!」
(犠牲に? つまり、彼にまで手を伸ばすということ?)
殿下の目に宿る青灰の色が、迷いのない“国家の理”そのものでした。
「エリオット様を、巻き込まないでください」
「彼を巻き込んでいるのは、君だ。……あの男の無駄な“愛情表明”が、事をこじらせた」
「彼は、あなたたちのように陛下の名を盾に他人を傷つけたりしません!」
「理想論だ。だが面白い。――では見せてもらおうか。
本当に君を“愛する男”が存在するのか」
わずかに笑う彼の目が、私の内面を探ろうとするように光を発しました。
その瞬間、わたしにも見えました。
淡い蒼――そして、その奥に潜む濁った敵意の赤。
(この人……揺れている。自分の正義を、信じ切れていない色)
その迷いが、この戦いのわずかな糸口になるとわたしは確信しました。
「……人の心を、色で見られるのは便利だね」
「便利です。でも完璧ではありません。
どんな色も、見分けがつく前に――“信じたい人”が現れるんです」
アデルハルト殿下の眉が、わずかに動きました。
その瞬間。
扉の向こうで、小さな衝撃音が響いたのです。
護衛兵の叫び声と、金属が落ちる音。
「……何だ?」
殿下が立ち上がると同時に、扉が静かに開きました。
入ってきたのは、月光の中に立つ金髪の影。
「――申し訳ありません。迎えに来ました、殿下」
低く、柔らかな声。
けれど聞いた瞬間、胸が跳ね上がりました。
「……エリオット、様……!?」
「やあ、リディア。……元気そうで少し安心した」
笑っている。いつものように。
でも、瞳の奥の紅だけは、まったく違う色をしていました。
「何をしている。立ち入り禁止区域だぞ、ルシアン公子!」
「ええ。ですから、正式な“王命書”を頂戴しに上がりました」
涼しい顔で懐から一枚の封筒を取り出す。
それには――王の印章。
アデルハルト殿下の表情が初めて強張ります。
「……その印は、どこで……」
「王宮記録局にて、陛下自ら。
“諜報部に不正行為の報告”があったと伺いましてね。
――それを証明するために、君の部屋を少し拝見させてもらいました」
エリオット様の声には、微笑の下に研ぎ澄まされた刃がありました。
「人身登録簿の改ざんなら証拠があります。
異能管理名目で“禁止級能力者”を闇に流していたファイルも。
……出るわ出るわ、まるで小説のような展開でした」
「詭弁を!」
「詭弁……ですか? では、先ほどここに彼女を連れてきた命令書。
――それ、あなたの私印ですよね?」
静寂が走りました。
アデルハルト殿下の顔から血の気が引きます。
「王弟殿下のご高名を汚すつもりはありません。
ただ、僕の“婚約者”を攫う権限は、どなたにもありませんので」
言葉の端に、わずかな怒りと愛が同居していました。
「……あなた、まさか最初から」
「ええ。昨日、あなたが彼女を動かすと聞いた時点で、すべて仕掛けました」
「っ……!」
殿下が一歩近づこうとしたその瞬間、扉の外で護衛の声が響きます。
「異能取引に関する記録、押収完了!」
王城の廊下から次々に走り込む官憲。
わたしの頭が追いつくよりも早く、エリオット様がこちらを振り向きました。
「リディア、大丈夫。もう君は安全だ」
「どうして……こんな、完璧に……?」
「君が信じてくれたからだよ。“俺は動いてる”って」
優しい笑顔。
でもその手が震えているのを、わたしだけは気づいていました。
アデルハルト殿下は、最後まで毅然としたまま立っていました。
「……あくまで、恋愛で王家に刃向かうつもりか」
「恋愛じゃありません。――ただの真実です」
彼の宣言は静かなのに、空間を震わせるほど強かった。
わたしの目に、炎のような赤金色が映る。
エリオット様の感情――勝利と、安堵と、わずかな怒り。
(この人は、最初から全てを賭けていた)
* * *
その夜。
月だけが、見張りのいなくなった塔の上に光を落としていました。
「リディア」
「……はい」
「もう怖くない?」
彼が差し出した手を取ると、両手で包み込んでくれました。
「ごめん。君を一度でも孤独にしてしまって」
「謝らないでください。……だって、それを信じて待ってましたから」
彼が少し困ったように笑って、わたしの髪を撫でます。
「君が言った通りだよ。権力よりも、愛のほうが手強い」
「知りません。そんな戦い方」
「じゃあ、教えるよ。……一緒にね」
その言葉は、夜風よりも柔らかく耳に残りました。
塔の鎖が外れ、扉が解かれる音がしました。
(これで――不自由は終わり)
……でも、戦いはまだ続く。
王弟殿下は沈黙したまま拘束されていった。
けれどわたしには見えました。
彼の中の“後悔”の色が、確かに揺れていたことを。
冷たい青が、ほのかに薄紫に変わる――赦しの色に。
愛の力がどこまで届くかは知らない。
でも、少なくとも。
――わたしたちはもう、負けない。
それがまるで悲鳴のように聞こえるのは、きっとわたしの心が怯えているせいでしょう。
――あの夜の翌日。
わたしは突然、王弟殿下の私兵によって“保護対象”として連行されました。
理由は、国家安全を理由とする“異能管理”。
けれど実際は違います。
わたしの力を、完全に王家の手に封じ込めるためです。
「おとなしくしていてください、嬢様」
どうして“嬢様”と呼ぶのでしょう。
手を取るその手には、明らかな監視目的の硬さがありました。
中庭を通るとき、花々が夜露に濡れていました。
(ほんの昨日まで――ここで彼と笑っていたのに)
目の中に浮かぶのは、エリオット様の笑顔。
あんなに真っ直ぐに「守る」と言ってくれたのに、
それを裏切るように、今のわたしは孤独でした。
「どこへ連れていくのですか」
「殿下のご指示で、隔離区画に」
「監禁、という言葉を言い換えたのですね」
兵士の一人が気まずそうに目を逸らします。
けれど、反抗すれば彼らも罰せられる。無意味な抵抗はしたくありませんでした。
ただ、ここで終わるわけにはいかない。
(彼は必ず来る。だって、きっともう――動いている)
* * *
塔の最上階にある部屋は、豪奢なのに冷たくて無味無臭でした。
窓は分厚い鉄格子で閉ざされ、扉は内側から開かない造り。
まるで、宝物庫のよう。
誰かに“保管”される感覚が胸を締めつけます。
椅子に座らされ、目の前に銀髪の王弟アデルハルト殿下が現れました。
今日も完璧な礼服姿。冷静で、隙ひとつありません。
「よく来たね、ノワール嬢」
「はい。……強制的に、ですが」
「口がよく回る。――だが、それも今日までだ」
書類を机に置き、ペンを走らせながら殿下が言いました。
「今この瞬間から、君は正式に“王家直属諜報官見習い”だ」
「わたしは、承諾していません」
「署名がなくても構わない。推薦と命令は紙一重だ」
「……つまり、わたしを囲うつもりなのですね」
「囲う? 違う。保護だよ。君のような才能は希少だからね」
微笑むその声に、ぞっとするほどの静かな狂気がありました。
「力を持つ者が個人で自由を主張すると、世界はすぐに歪む。
秩序のためには、制御が必要なんだ」
「制御という言葉を、美しく使いすぎではありませんか」
「皮肉も結構だ。……だが承知しておいてほしい。
君を守るためなら、ルシアン公爵家の存続さえ犠牲にする」
「――っ!」
(犠牲に? つまり、彼にまで手を伸ばすということ?)
殿下の目に宿る青灰の色が、迷いのない“国家の理”そのものでした。
「エリオット様を、巻き込まないでください」
「彼を巻き込んでいるのは、君だ。……あの男の無駄な“愛情表明”が、事をこじらせた」
「彼は、あなたたちのように陛下の名を盾に他人を傷つけたりしません!」
「理想論だ。だが面白い。――では見せてもらおうか。
本当に君を“愛する男”が存在するのか」
わずかに笑う彼の目が、私の内面を探ろうとするように光を発しました。
その瞬間、わたしにも見えました。
淡い蒼――そして、その奥に潜む濁った敵意の赤。
(この人……揺れている。自分の正義を、信じ切れていない色)
その迷いが、この戦いのわずかな糸口になるとわたしは確信しました。
「……人の心を、色で見られるのは便利だね」
「便利です。でも完璧ではありません。
どんな色も、見分けがつく前に――“信じたい人”が現れるんです」
アデルハルト殿下の眉が、わずかに動きました。
その瞬間。
扉の向こうで、小さな衝撃音が響いたのです。
護衛兵の叫び声と、金属が落ちる音。
「……何だ?」
殿下が立ち上がると同時に、扉が静かに開きました。
入ってきたのは、月光の中に立つ金髪の影。
「――申し訳ありません。迎えに来ました、殿下」
低く、柔らかな声。
けれど聞いた瞬間、胸が跳ね上がりました。
「……エリオット、様……!?」
「やあ、リディア。……元気そうで少し安心した」
笑っている。いつものように。
でも、瞳の奥の紅だけは、まったく違う色をしていました。
「何をしている。立ち入り禁止区域だぞ、ルシアン公子!」
「ええ。ですから、正式な“王命書”を頂戴しに上がりました」
涼しい顔で懐から一枚の封筒を取り出す。
それには――王の印章。
アデルハルト殿下の表情が初めて強張ります。
「……その印は、どこで……」
「王宮記録局にて、陛下自ら。
“諜報部に不正行為の報告”があったと伺いましてね。
――それを証明するために、君の部屋を少し拝見させてもらいました」
エリオット様の声には、微笑の下に研ぎ澄まされた刃がありました。
「人身登録簿の改ざんなら証拠があります。
異能管理名目で“禁止級能力者”を闇に流していたファイルも。
……出るわ出るわ、まるで小説のような展開でした」
「詭弁を!」
「詭弁……ですか? では、先ほどここに彼女を連れてきた命令書。
――それ、あなたの私印ですよね?」
静寂が走りました。
アデルハルト殿下の顔から血の気が引きます。
「王弟殿下のご高名を汚すつもりはありません。
ただ、僕の“婚約者”を攫う権限は、どなたにもありませんので」
言葉の端に、わずかな怒りと愛が同居していました。
「……あなた、まさか最初から」
「ええ。昨日、あなたが彼女を動かすと聞いた時点で、すべて仕掛けました」
「っ……!」
殿下が一歩近づこうとしたその瞬間、扉の外で護衛の声が響きます。
「異能取引に関する記録、押収完了!」
王城の廊下から次々に走り込む官憲。
わたしの頭が追いつくよりも早く、エリオット様がこちらを振り向きました。
「リディア、大丈夫。もう君は安全だ」
「どうして……こんな、完璧に……?」
「君が信じてくれたからだよ。“俺は動いてる”って」
優しい笑顔。
でもその手が震えているのを、わたしだけは気づいていました。
アデルハルト殿下は、最後まで毅然としたまま立っていました。
「……あくまで、恋愛で王家に刃向かうつもりか」
「恋愛じゃありません。――ただの真実です」
彼の宣言は静かなのに、空間を震わせるほど強かった。
わたしの目に、炎のような赤金色が映る。
エリオット様の感情――勝利と、安堵と、わずかな怒り。
(この人は、最初から全てを賭けていた)
* * *
その夜。
月だけが、見張りのいなくなった塔の上に光を落としていました。
「リディア」
「……はい」
「もう怖くない?」
彼が差し出した手を取ると、両手で包み込んでくれました。
「ごめん。君を一度でも孤独にしてしまって」
「謝らないでください。……だって、それを信じて待ってましたから」
彼が少し困ったように笑って、わたしの髪を撫でます。
「君が言った通りだよ。権力よりも、愛のほうが手強い」
「知りません。そんな戦い方」
「じゃあ、教えるよ。……一緒にね」
その言葉は、夜風よりも柔らかく耳に残りました。
塔の鎖が外れ、扉が解かれる音がしました。
(これで――不自由は終わり)
……でも、戦いはまだ続く。
王弟殿下は沈黙したまま拘束されていった。
けれどわたしには見えました。
彼の中の“後悔”の色が、確かに揺れていたことを。
冷たい青が、ほのかに薄紫に変わる――赦しの色に。
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