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第三章「初めての夜会は屈辱から」
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そんな華やかな場へ足を踏み入れたのは、生まれて初めてのことでした。
大広間にあふれる煌びやかな光。シャンデリアの水晶はおびただしい灯りを反射して、きらきらと星々のように瞬いています。行き交うご令嬢方のドレスからは香水の匂いが立ちのぼり、つき刺すような視線がわたしを上から下まで舐めるように絡みつきました。
その瞬間、足先から頭まで冷たいものに包まれるのを感じました。
(……これが、首都の夜会というものなのですね)
わたし、リディア=フェルナー。辺境の小侯爵家の娘にすぎなかったわたしが、場違いなほど豪奢な空間に、ただ一人立っているのです。
借金返済の条件として嫁いだ「黒薔薇公爵」の夫人として。
胸を張って歩かなければならないと、何度も自分に言い聞かせていたはずでした。けれど、胸の奥はどうしようもなく縮こまってしまいます。
「まあ、あれが黒薔薇公爵の新しい奥方ですって」
「ずいぶん粗末なドレスをお召しだこと」
「やっぱり‛芋娘’という噂は本当だったのね」
嘲笑が、背後から、正面から、斜めから、容赦なく投げつけられました。耳を塞ぎたくても、耳は勝手に音を拾ってしまいます。乾いた笑い声は、刃物のように鋭く心をえぐりました。
深呼吸。耐えなければ。これは、借金返済のためでもあるけれど、それ以上に、公爵夫人としての誇りを保つための戦いです。
――そう思っていた、その時。
黒髪を後ろで流し、漆黒の燕尾服を身にまとった彼が、颯爽と目の前に現れました。
「ほう。噂以上に……田舎の娘という雰囲気だな」
リアン=ヴァルデン。人呼んで黒薔薇公爵。わたしの夫。
……本当なら、この場で夫婦揃って手を取り合い、笑顔で社交界に姿を示すはずなのに。彼は冷ややかな視線をわたしに落とすだけで、次の瞬間にはすぐ傍らの金髪の令嬢を優雅にエスコートしていきました。
(……どうして、そんなことを……!)
胸の内がみしみしと音を立てました。恥ずかしさ、悔しさ、そして――裏切られたような痛み。
わたしがうつむいて立ち尽くしていると、ふと視線の先に一人の青年が現れました。
柔らかな茶色の髪、澄んだ青い瞳。温かな雰囲気をまとったその姿に、わたしは一瞬、取り込まれるように息を呑みます。
「大丈夫ですか?」
優しい手がわたしに差し伸べられました。見上げれば、その青年は静かに笑っています。
「お初にお目にかかります。ルシアン=アルベールと申します」
「ル、ルシアン殿下……!」
わたしは思わず声を失いました。ルシアン殿下――王太子殿下の弟、あの王家の第二王子様。
「悲しそうにしていらっしゃったから、つい声をかけてしまいました。……もしよければ、一曲お相手いただけますか?」
わたしの答えを待たず、優しく手を取られる。驚きとともに熱が指先に広がっていきました。
「で、ですが……」
「あなたが笑えるようになるのなら、私は嬉しい」
その言葉が胸に落ちた瞬間、涙をこらえるのがやっとでした。
音楽が流れる中、殿下とわたしは舞踏の輪へと入っていきます。優雅にリードされるままにステップを踏むと、不思議と身体が軽くなっていきました。
人々の視線が集中しているのがわかります。嘲笑ではなく、驚きの視線。
ルシアン殿下は終始優しい笑みを浮かべ、わたしを守るように引き寄せました。胸元に触れる香りが心を温かく満たしていきます。
……けれど、その光景を見つめる漆黒の瞳の存在に、わたしは気づいてしまいました。
会場の向こう側、リアンは笑みを消し、グラスを強く握りしめていました。その瞳には、燃えるような嫉妬の色がはっきりと宿っています。
(どうして、あなたが……そんな顔をするのですか? わたしを突き放したのは、あなたでしょう……!)
胸に渦巻く複雑な想いを抱えたまま、わたしは最後のターンを踏み、殿下に深く一礼しました。
「素敵な時間を、ありがとうございます」
「あなたが笑顔になったなら、それで充分です」
殿下はそう囁いて、優しくわたしの手を放しました。
その瞬間、わたしの背後に強い視線が突き刺さるのを感じました。振り返ると――リアンが立っていました。
冷たい仮面を被っているように見えて、わずかに震える拳。それは彼が必死に何かを押し殺している証でした。
(……公爵様?)
声をかける間もなく、彼は背を向け去っていきました。
胸がズキリと疼きます。嬉しいのでも、悲しいのでもない。説明できない感情が、波のように胸を打ってきました。
大広間にあふれる煌びやかな光。シャンデリアの水晶はおびただしい灯りを反射して、きらきらと星々のように瞬いています。行き交うご令嬢方のドレスからは香水の匂いが立ちのぼり、つき刺すような視線がわたしを上から下まで舐めるように絡みつきました。
その瞬間、足先から頭まで冷たいものに包まれるのを感じました。
(……これが、首都の夜会というものなのですね)
わたし、リディア=フェルナー。辺境の小侯爵家の娘にすぎなかったわたしが、場違いなほど豪奢な空間に、ただ一人立っているのです。
借金返済の条件として嫁いだ「黒薔薇公爵」の夫人として。
胸を張って歩かなければならないと、何度も自分に言い聞かせていたはずでした。けれど、胸の奥はどうしようもなく縮こまってしまいます。
「まあ、あれが黒薔薇公爵の新しい奥方ですって」
「ずいぶん粗末なドレスをお召しだこと」
「やっぱり‛芋娘’という噂は本当だったのね」
嘲笑が、背後から、正面から、斜めから、容赦なく投げつけられました。耳を塞ぎたくても、耳は勝手に音を拾ってしまいます。乾いた笑い声は、刃物のように鋭く心をえぐりました。
深呼吸。耐えなければ。これは、借金返済のためでもあるけれど、それ以上に、公爵夫人としての誇りを保つための戦いです。
――そう思っていた、その時。
黒髪を後ろで流し、漆黒の燕尾服を身にまとった彼が、颯爽と目の前に現れました。
「ほう。噂以上に……田舎の娘という雰囲気だな」
リアン=ヴァルデン。人呼んで黒薔薇公爵。わたしの夫。
……本当なら、この場で夫婦揃って手を取り合い、笑顔で社交界に姿を示すはずなのに。彼は冷ややかな視線をわたしに落とすだけで、次の瞬間にはすぐ傍らの金髪の令嬢を優雅にエスコートしていきました。
(……どうして、そんなことを……!)
胸の内がみしみしと音を立てました。恥ずかしさ、悔しさ、そして――裏切られたような痛み。
わたしがうつむいて立ち尽くしていると、ふと視線の先に一人の青年が現れました。
柔らかな茶色の髪、澄んだ青い瞳。温かな雰囲気をまとったその姿に、わたしは一瞬、取り込まれるように息を呑みます。
「大丈夫ですか?」
優しい手がわたしに差し伸べられました。見上げれば、その青年は静かに笑っています。
「お初にお目にかかります。ルシアン=アルベールと申します」
「ル、ルシアン殿下……!」
わたしは思わず声を失いました。ルシアン殿下――王太子殿下の弟、あの王家の第二王子様。
「悲しそうにしていらっしゃったから、つい声をかけてしまいました。……もしよければ、一曲お相手いただけますか?」
わたしの答えを待たず、優しく手を取られる。驚きとともに熱が指先に広がっていきました。
「で、ですが……」
「あなたが笑えるようになるのなら、私は嬉しい」
その言葉が胸に落ちた瞬間、涙をこらえるのがやっとでした。
音楽が流れる中、殿下とわたしは舞踏の輪へと入っていきます。優雅にリードされるままにステップを踏むと、不思議と身体が軽くなっていきました。
人々の視線が集中しているのがわかります。嘲笑ではなく、驚きの視線。
ルシアン殿下は終始優しい笑みを浮かべ、わたしを守るように引き寄せました。胸元に触れる香りが心を温かく満たしていきます。
……けれど、その光景を見つめる漆黒の瞳の存在に、わたしは気づいてしまいました。
会場の向こう側、リアンは笑みを消し、グラスを強く握りしめていました。その瞳には、燃えるような嫉妬の色がはっきりと宿っています。
(どうして、あなたが……そんな顔をするのですか? わたしを突き放したのは、あなたでしょう……!)
胸に渦巻く複雑な想いを抱えたまま、わたしは最後のターンを踏み、殿下に深く一礼しました。
「素敵な時間を、ありがとうございます」
「あなたが笑顔になったなら、それで充分です」
殿下はそう囁いて、優しくわたしの手を放しました。
その瞬間、わたしの背後に強い視線が突き刺さるのを感じました。振り返ると――リアンが立っていました。
冷たい仮面を被っているように見えて、わずかに震える拳。それは彼が必死に何かを押し殺している証でした。
(……公爵様?)
声をかける間もなく、彼は背を向け去っていきました。
胸がズキリと疼きます。嬉しいのでも、悲しいのでもない。説明できない感情が、波のように胸を打ってきました。
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