【完結】腹黒公爵様の浮気癖、なぜか私にだけは本気らしい!?~借金令嬢の政略結婚は大波乱~

朝日みらい

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第四章 「夫の嫉妬、妻の反発」

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 ――夜会から数日。
 わたしはまだ、あの屈辱と、予想外の救いの手を差し伸べてくださったルシアン殿下のことを胸の奥で思い返していました。

 あの時、殿下がいなければ、きっと立っていることすらできなかったでしょう。
 けれど……。
 あの夜、会場の隅でこちらを睨みつけていたリアン公爵の瞳を思い出すと、不思議な熱が心臓を締めつけてくるのです。

(なぜ……? わたしを放っておいたのは、あなたなのに。どうして、そんな顔をされたのですか)

 夫が他の令嬢と腕を組んで笑っている姿には慣れてしまった――そう思い込んでいました。
 なのに、目の前で王子にエスコートされて踊るわたしを見たときだけ、彼の瞳にあれほど露骨な感情が宿っていたなんて。

 それを考えるだけで、胸の奥がざわめいて仕方ないのです。

 応接間で家計簿をつけていたわたしがペンを置いたのは、夜も更けた頃でした。
 と、その時、予想外に扉が開き、重い足音が近づいてきます。

「……まだ起きていたのか」

 低く響く声。振り返れば、月明かりを背にして立つのは夫――リアン様でした。

「……はい。家計を整えておくのも、わたしの務めですから」

「真面目だな」

 ちらりと視線を向けられる。けれど、その眼差しは妙に刺すようで、まっすぐ見返すことができません。

「それで……随分と楽しそうだったな」

 唐突に投げかけられた言葉に、わたしはペンを落としそうになりました。

「……え?」

「ルシアン殿下と、だ。随分と笑顔を振りまいていたようじゃないか」

 ぞくりと背中を走る声。
 冷たい調子のはずなのに、なぜか胸の奥まで熱を帯びさせる響きでした。

「わ、笑顔なんて……わたしはただ、あの場から立ち直るために――」

「言い訳は聞いていない。……男に媚びるのが得意なようだな」

 刹那、胸の奥をぐさりと刺されました。
 彼の言い方は、決して穏やかなものではなく、むしろ傷つけるために選ばれたような言葉。

 握りしめた手が小さく震えたのを、自分でも抑えられませんでした。

(……そんなこと……言われたくありません……!)

 気づけば声に出していました。

「あなたにだけは……言われたくありません!」

 はっとしました。
 それは、わたしが初めて彼へ向けて放った強い拒絶でした。

 リアン様は目を見開き、それからわずかに顔を伏せました。そのわずかな動揺を見た瞬間、こちらの胸がちくりと痛みます。

「……そうか」

 彼はそれ以上なにも言いませんでした。
 ただ、強く視線をこちらに落とし、けれど一歩も近づかず、静かに背を向けていきました。
 まるで、戸惑いとも怒りともつかない感情を押し殺すかのように。

 それから数日。
 わたしと彼の関係は、これまで以上にぎくしゃくし始めました。

 食事の席では最低限の言葉しか交わさず、廊下ですれ違っても視線を合わせることもままなりません。

(これでいい……はずです。だって、わたしは……愛を求めてはいけないのですから)

 何度も自分にそう言い聞かせていたのに。
 屋敷の窓から、夜も更けて彼がまた愛人の屋敷へ向かうのを見送るたび、胸がきゅうっと締めつけられるのです。

 そんなある日。
 庭で拾った犬のミルが、突然大広間を駆け抜けてしまいました。慌てて追いかけるわたし。

「ミル、だめです! そこは……っ」

 あろうことか開け放たれたバルコニーで、わたしは大きな身体に突き飛ばされ、危うく身を乗り出してしまいました。

 ――その瞬間、強い腕がわたしの腰を抱きしめ、背後からぎゅっと引き寄せられたのです。

「っ……!」

 振り返れば、すぐそこにリアン様の顔がありました。
 真剣な瞳。ほんの少し乱れた髪。その手は、わたしを抱いたまま離そうとしません。

「……危ないだろう」

 低い声が耳に落ちると、背筋にしびれるような熱が走りました。

(なぜ……こんなにも、優しい……?)

 抱きしめられている熱が、どうしても胸の奥を震わせてしまいます。

「……放してください」

 そう言いながらも、声はかすれていました。

 けれどリアン様は、しばし沈黙したまま腕を緩めませんでした。
 迷いと葛藤の混じる瞳で、ただわたしを見つめるばかりです。

 ――そう、まるで必死に抑え込んでいるものがあるかのように。

 その夜、彼はどこかへ出かけていきました。
 愛人のもとへ通う――それはいつもと変わらぬはずの行動のはず。

 けれど、わたしの胸には、ぎこちない嫉妬と、拭いきれない期待が入り混じって、ざわめきが収まらないのでした。

(どうして……あなたはそんなに不器用な方なのですか……?)

 ――この時のわたしはまだ知らなかったのです。
 彼の瞳が、すでにわたしだけを映し始めていたことを。
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