無罪で流刑のわたしは、隣国の公子様に見守られすぎです。

朝日みらい

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 それから1ヶ月の時が過ぎました。伯爵家イーデン卿の屋敷は森の中にひっそりとたたずんでいて、2階の自室からは清水が流れる小川のせせらぎ、梢が風に揺れる音、小鳥のさえずりが聞こえてきます。

 イーデン卿も奥様のネル様も60才を過ぎた仲睦まじいご夫妻で、わたしの体調をいつも気にかけてくれます。ときどき庭師のベイリーさんもやってきて、気さくに日焼けした笑顔で、たわいもない話をしていきます。

 暇つぶしとばかりにイーデン卿からいただいたスケッチ帳を手に、広々とした庭園を散策しました。草花を見つめているのに写生した絵はどれもブルー様の横顔ばかりになってしまいます。

「あれれ、お嬢さま、この殿方はどなたですかい?」 

 ベイリーさんに気付かれてしまった時は恥ずかしくて、慌ててスケッチ帳をひっくり返して鼻先に押し当てて、

「誰でもないわよ」

と赤面してしまいました。

(あなたを忘れろ、だなんて拷問だわ)

 あの地獄から救い出してくれた彼の面影を忘れてしまうのが怖くて、ついつい、書き留めてしまうのです。

 1週間に1度、マリアンヌ嬢も訪れて、わたしの様子を見に来ています。マリアンヌはこのアレダシア公国領内で高級料理店を経営していて、都の噂話をおしゃべりしてくれたりします。

「ねえ、ブリジッド。そろそろ、何かはじめる気分になってきた? それともまだ、人前に出るのが怖い?」

 わたしはうなづきました。

「怖くないといったら嘘だけど。何かしたい気持ちはあるの。でも変装とかバレたりしないか……心配で」

 マリアンヌの指導で、お化粧も衣裳も地味にして、髪の色を金髪から黒髪に染めています。話し方も領内の訛りに変えて、靴底の高いものを履いたりして、見た目を変わりました。それに、護衛術として短刀の扱い方も学んでいます。
 
 マリアンヌは笑顔で首を振りました。

「安心して。ブリジッドは以前のあなたの面影なんてない。問題は、あなたの心かな」

 そう言うと、チケットを手渡しました。それはアレダシア大公主催の絵画コンクールの展示会でした。

「……ブルー様は来られるかしら?」

 マリアンヌはじろっとわたしの顔を観察して、

「さあ知らない。でも、あの方に惚れるのはやめときなさいよ」

と忠告されました。

「ほ、惚れっ……」

 カッとわたしの頬が熱くなるのを感じました。

「惚れてなんか、いませんよ」

 マリアンヌはあきれたように手のひらを上げて、

「まあ、あの様には恋い慕う方がいるからね」

そう言い残し、「仕事があるから!」 と、そそくさと退散していきました。

 その晩の夕食、わたしは食欲が失せてしまって、せっかく用意してもらった食事にもほとんど手をつけずに、寝室に引きこもりました。

(ブルー様に恋い慕う方……。公子様なのだから、いて当たり前なのに。……で、なんでこんなに落ち込んでるのよ、わたしは)

 ベッドに仰向けで天井を見あげていた瞳から、何だか分からない涙の露がつらつらと頬を伝うのでした。

***

 展示会の日になりました。いつものように朝早く庭師のベイリーさんがやって、庭の雑草抜きをしています。40才くらいの、かなり訛りが強い方で、色メガネをかけています。

「あれあれ? ブリジッドお嬢さん。なんだかおめかししとるけど、どぅかしましたか?」

 わたしは度数のないニセモノの眼鏡をかけ、外行きの灰色の地味なドレスを着、目隠しのつばつきの丸い帽子をかぶっていました。

「ちょっと街まで出かけようかなって。ふさぎ込んでいても仕方ないなって。……展覧会があるのよ」

「へぇ? ちなみにどのあたりで?」

 わたしが地図を見ながらこたえると、

「ほう? そこやしたら、荷馬車でよけりゃあ、あっしが送ってさしあげますよ」

「本当に? ベイリーさん、ありがとう」

 イーデン卿に御者を依頼するのも気が引けていたので、彼の申し出はとてもありがたいことです。

 アレダシア公国の中心街は大勢の人たちで混雑し、馬車の往来も激しいところです。

 運転席のベイリーさんは器用に馬を操りながら、会場のホテルに到着しました。五階建ての、白レンガ造りの立派な建物です。その巧みさに、隣のわたしも驚いていました。

(ベイリーさんに頼んで正解だったわ!)

「あのベイリーさん、よかったらご一緒しませんか? チケット1枚で3名までなら入れるの」

「へい。ですがあっし、この通りの平民で、しかもこんな格好じやあ、ブリジッド様に迷惑かけやす……」

 ベイリーさんは、粗末な自身のチョッキを見て、自嘲気味に薄く笑いました。

 わたしは首を振りました。

「そんなこと、大したことないです。むしろ、一人で行くのが不安なだけ。ご同行、お願いできますか?」

「あっしでよろしければ。へい、行きますです」

 ベイリーさんは荷馬車をホテル裏の置き場に停車させました。広いエントランスからの中央階段から2階の大広間へと向かうと、中は大変な賑わいでした。

 貴族の紳士淑女たちにまじって、数人の部下を従えたアレダシア大公殿下がおられて、壁一面に飾られた大小の絵をご覧になっています。50才ほどの髭をはやしていて、深い蒼い瞳は、ブルー様とそっくりです。

 鑑賞して回っていた大公殿下の足が止まりました。

(はっ……!)

 遠巻きで見ていたわたしの目に飛び込んできた光景は、過去のわたしの絵と、誇らしげに立つ両親の姿でした。
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