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第三章 泣く婚約者たち、動かぬ王宮
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昼下がりの王妃執務室に、紅茶の香りと共に、ため息が三つほど漂っていました。
「うう……どうすれば、殿下は私のことを思い出してくださるのでしょうか……」
「“聖女様の祈り会”ばかりで、侍従まで私を無視なさって……」
「このままでは、婚約破棄されてしまうかも……」
机の前に並ぶ令嬢たちは、どなたも楚々としてお優雅なのに、顔はぐしゃぐしゃでした。
かつてなら私が彼女たちを見下ろす“悪女ルート”そのものの構図ですが――今の私は、ただ疲れていました。
(これ、もはや恋愛問題じゃなくて集団メンタルケア案件では……)
「皆さま、落ち着いて。はい、順番に紅茶をどうぞ」
カップを配りながら、私はゆっくりと椅子に座ります。
こういうときこそ“元OLスキル・クライアント対応術”の出番です。
「まず、泣いてる暇があったら契約書を見直しましょう」
「け、契約書……?」
「婚約契約書よ。そこに“信義違反”の条項があるなら、堂々と請求できます」
「ひ、ひどい……お金の話で恋を測るなんて……!」
「そうですわっ、愛を金銭に換えるなんて……!」
私は微笑しました。紅茶の湯気が白く揺らめきます。
「愛を守るためには、現実を知らなくてはだめなの。
……“感情”で負けたと思うなら、“理性”で取り返せばいいんですわ」
令嬢たちがぽかんと私を見つめました。
数秒後、最初のひとりが小さく笑いました。
「……王妃様って、本当に悪女ですのね」
「ええ、そうです。悪女だから、泣く暇があったら領収書を切りますの」
部屋の空気が少しだけ柔らかくなりました。
(よしよし、悪女自虐ギャグは大抵ウケる)
---
やがて皆を見送り、静けさが戻った執務室にマルタが顔を出しました。
「王妃様、また励ましのご相談ですか?」
「ええ。このところ“聖女様に婚約者を取られた”令嬢が後を絶ちませんの」
「聖女様……本当に、この国の女性泣かせですねぇ」
マルタが憤慨して頬をふくらませるのを見て、思わず笑みがこぼれます。
「でも、悪くない風潮ですわ」
「悪くない?」
「恋愛体質の令嬢たちが現実を直視し始めてます。次はきっともっと強くなる。
……ええ、女性が“自分の足で立てる”時代が来るんです」
マルタが感嘆の声を漏らしました。
そう、それこそ私が転生した意味。
愛に潰された人生を、今度は立ち上がる物語に変えるのです。
---
けれど、そんな小さな改革が順調に進むはずもありません。
同じ頃――王宮の廊下の外では、別の嵐が吹き始めていました。
「悪女王妃が、女たちをそそのかしているらしい」
「女官に教育を施しているとか。怖ろしい考えだ」
「どうせ国政の混乱を狙っているのだろう」
貴族の男たちの囁きは、やがて上層部の会議室まで届きました。
「陛下。王妃クラリスが独断で“婚約者講義会”を開いているようです」
「ふん。どうせまた余計なことを。放っておけ」
(ですよね、国王)
その翌日、とうとうフィリップ殿下が乗り込んできました。
顔には怒りとも焦りともつかない色が浮かんでいます。
「母上、勝手な真似を! 貴族令嬢を集めていると聞きました!」
「ええ、救済活動よ。
あなたが“聖女支援”ばかりしている間に、被害者が増えていますから」
「そ、それは……リリアンヌ様が神に選ばれた存在だから!」
「神に選ばれた人は、愛すら独り占めしていいと言われたの?」
沈黙。
胸の奥に、どこか痛い静寂が生まれました。
殿下の唇が震えます。
たぶん、信じたかったのでしょう。“信仰”と“恋情”が同じだと。
「……リリアンヌ様は純粋なお方です。そんなふうに疑うなんて……!」
「なら、あなたが彼女に祈る間、国はどうするの?」
「……国、ですか?」
「そう。祈るだけじゃ国庫は潤いません。可愛い信者がパンを食べるにも経済が要るのよ」
殿下が俯きました。
私は思わず椅子から立ち上がり、彼の前まで歩み寄りました。
「フィリップ」
「……っ」
息子の名を初めて“母として”呼びました。
その瞬間、彼の肩がぴくりと揺れました。
「あなたが私を嫌ってもいい。でも、国民には笑って欲しいの。
――誰かの恋のために、誰かが泣く世の中なんて、見たくありません」
「母上……」
殿下の視線が潤み、私は静かに笑いました。
「少しでいいの。考えてみてください」
そう言って、彼の手を優しく取ります。
すべてを赦す母のように、けれどどこか距離を保ちながら。
彼はわずかに頷き、去っていきました。
---
扉が閉まった後、マルタがそっと肩をすくめました。
「……王妃様、噂がさらに広まりそうですね」
「ええ、“悪女王妃が息子を洗脳した”ってヘッドラインが出そうです」
「お覚悟を」
「平気よ。悪女は怖がられた方が動きやすいの」
ふたりでくすくす笑うその夜、私は新たな計画に着手しました。
机の上には、地方領主から届いた報告書が並びます。
税の偏り、物資の不足。
そして聖女ブームの影響で“働かない青年”が急増しているデータ。
(……祈る暇があるなら仕事して)
そう心の中で毒づきつつ、私は羽ペンをパリッと握りました。
「教育改革。理性を取り戻すための“学びの場”を新設するわ」
「女性限定ですか?」
「いえ、全員です。恋愛も信仰もいいけど、その前に稼ぐ力を」
マルタが「悪女ならでは、です」と笑います。
---
翌朝。
私は“理性教育再建案”をまとめ、王に提出しました。
しかし――返ってきたのは冷たい一言。
「聖女を崇めるのは国益だ。王妃は余計な口出しをするな」
わかっていましたけど、それでも腹が立ちました。
「……そうですか」
短く答えて、その場で深く礼をします。
誰の目にも冷静に見えたはずです。
でも、胸の奥では静かな怒りが燃えはじめていました。
(そうですか、陛下。
では、恋愛という病に効く薬を、私が作ってみせましょう)
---
その夜。
再びマルタを呼び、密かな打ち合わせを始めました。
「“捨てられた令嬢”たちを集めて、国外留学を提案します。学問と事業の支援を」
「まぁ……!」
「婚約者に振られた? なら振り切って、自分を磨けばいい。
“婚約者逃亡計画”、本日付で始動です」
ふふ、と笑うと、マルタが感嘆の息を漏らしました。
「王妃様、本当に悪女ですねぇ」
「ええ、悪女ですとも。
悪女だからこそ、愚かな男たちより少しだけ世界を変えたいのよ」
その瞬間、カーテンの隙間から差し込む月光に照らされて、
机上の計画書がまるで銀の紙のように輝きました。
「恋と信仰で盲目になった人々を、理性の光で照らす――
それが、“悪女クラリス王妃”の次の仕事です」
背筋を伸ばし、私は羽ペンを再び走らせました。
(この手で、この国を再教育してみせる)
まだ誰も知らないその宣誓を胸に刻みながら、
私は夜明け近い空を見上げて微笑みました。
――夜明け前がいちばん暗いのなら、
明日を照らす光は、ほんの少しの皮肉と勇気でいいんです。
「うう……どうすれば、殿下は私のことを思い出してくださるのでしょうか……」
「“聖女様の祈り会”ばかりで、侍従まで私を無視なさって……」
「このままでは、婚約破棄されてしまうかも……」
机の前に並ぶ令嬢たちは、どなたも楚々としてお優雅なのに、顔はぐしゃぐしゃでした。
かつてなら私が彼女たちを見下ろす“悪女ルート”そのものの構図ですが――今の私は、ただ疲れていました。
(これ、もはや恋愛問題じゃなくて集団メンタルケア案件では……)
「皆さま、落ち着いて。はい、順番に紅茶をどうぞ」
カップを配りながら、私はゆっくりと椅子に座ります。
こういうときこそ“元OLスキル・クライアント対応術”の出番です。
「まず、泣いてる暇があったら契約書を見直しましょう」
「け、契約書……?」
「婚約契約書よ。そこに“信義違反”の条項があるなら、堂々と請求できます」
「ひ、ひどい……お金の話で恋を測るなんて……!」
「そうですわっ、愛を金銭に換えるなんて……!」
私は微笑しました。紅茶の湯気が白く揺らめきます。
「愛を守るためには、現実を知らなくてはだめなの。
……“感情”で負けたと思うなら、“理性”で取り返せばいいんですわ」
令嬢たちがぽかんと私を見つめました。
数秒後、最初のひとりが小さく笑いました。
「……王妃様って、本当に悪女ですのね」
「ええ、そうです。悪女だから、泣く暇があったら領収書を切りますの」
部屋の空気が少しだけ柔らかくなりました。
(よしよし、悪女自虐ギャグは大抵ウケる)
---
やがて皆を見送り、静けさが戻った執務室にマルタが顔を出しました。
「王妃様、また励ましのご相談ですか?」
「ええ。このところ“聖女様に婚約者を取られた”令嬢が後を絶ちませんの」
「聖女様……本当に、この国の女性泣かせですねぇ」
マルタが憤慨して頬をふくらませるのを見て、思わず笑みがこぼれます。
「でも、悪くない風潮ですわ」
「悪くない?」
「恋愛体質の令嬢たちが現実を直視し始めてます。次はきっともっと強くなる。
……ええ、女性が“自分の足で立てる”時代が来るんです」
マルタが感嘆の声を漏らしました。
そう、それこそ私が転生した意味。
愛に潰された人生を、今度は立ち上がる物語に変えるのです。
---
けれど、そんな小さな改革が順調に進むはずもありません。
同じ頃――王宮の廊下の外では、別の嵐が吹き始めていました。
「悪女王妃が、女たちをそそのかしているらしい」
「女官に教育を施しているとか。怖ろしい考えだ」
「どうせ国政の混乱を狙っているのだろう」
貴族の男たちの囁きは、やがて上層部の会議室まで届きました。
「陛下。王妃クラリスが独断で“婚約者講義会”を開いているようです」
「ふん。どうせまた余計なことを。放っておけ」
(ですよね、国王)
その翌日、とうとうフィリップ殿下が乗り込んできました。
顔には怒りとも焦りともつかない色が浮かんでいます。
「母上、勝手な真似を! 貴族令嬢を集めていると聞きました!」
「ええ、救済活動よ。
あなたが“聖女支援”ばかりしている間に、被害者が増えていますから」
「そ、それは……リリアンヌ様が神に選ばれた存在だから!」
「神に選ばれた人は、愛すら独り占めしていいと言われたの?」
沈黙。
胸の奥に、どこか痛い静寂が生まれました。
殿下の唇が震えます。
たぶん、信じたかったのでしょう。“信仰”と“恋情”が同じだと。
「……リリアンヌ様は純粋なお方です。そんなふうに疑うなんて……!」
「なら、あなたが彼女に祈る間、国はどうするの?」
「……国、ですか?」
「そう。祈るだけじゃ国庫は潤いません。可愛い信者がパンを食べるにも経済が要るのよ」
殿下が俯きました。
私は思わず椅子から立ち上がり、彼の前まで歩み寄りました。
「フィリップ」
「……っ」
息子の名を初めて“母として”呼びました。
その瞬間、彼の肩がぴくりと揺れました。
「あなたが私を嫌ってもいい。でも、国民には笑って欲しいの。
――誰かの恋のために、誰かが泣く世の中なんて、見たくありません」
「母上……」
殿下の視線が潤み、私は静かに笑いました。
「少しでいいの。考えてみてください」
そう言って、彼の手を優しく取ります。
すべてを赦す母のように、けれどどこか距離を保ちながら。
彼はわずかに頷き、去っていきました。
---
扉が閉まった後、マルタがそっと肩をすくめました。
「……王妃様、噂がさらに広まりそうですね」
「ええ、“悪女王妃が息子を洗脳した”ってヘッドラインが出そうです」
「お覚悟を」
「平気よ。悪女は怖がられた方が動きやすいの」
ふたりでくすくす笑うその夜、私は新たな計画に着手しました。
机の上には、地方領主から届いた報告書が並びます。
税の偏り、物資の不足。
そして聖女ブームの影響で“働かない青年”が急増しているデータ。
(……祈る暇があるなら仕事して)
そう心の中で毒づきつつ、私は羽ペンをパリッと握りました。
「教育改革。理性を取り戻すための“学びの場”を新設するわ」
「女性限定ですか?」
「いえ、全員です。恋愛も信仰もいいけど、その前に稼ぐ力を」
マルタが「悪女ならでは、です」と笑います。
---
翌朝。
私は“理性教育再建案”をまとめ、王に提出しました。
しかし――返ってきたのは冷たい一言。
「聖女を崇めるのは国益だ。王妃は余計な口出しをするな」
わかっていましたけど、それでも腹が立ちました。
「……そうですか」
短く答えて、その場で深く礼をします。
誰の目にも冷静に見えたはずです。
でも、胸の奥では静かな怒りが燃えはじめていました。
(そうですか、陛下。
では、恋愛という病に効く薬を、私が作ってみせましょう)
---
その夜。
再びマルタを呼び、密かな打ち合わせを始めました。
「“捨てられた令嬢”たちを集めて、国外留学を提案します。学問と事業の支援を」
「まぁ……!」
「婚約者に振られた? なら振り切って、自分を磨けばいい。
“婚約者逃亡計画”、本日付で始動です」
ふふ、と笑うと、マルタが感嘆の息を漏らしました。
「王妃様、本当に悪女ですねぇ」
「ええ、悪女ですとも。
悪女だからこそ、愚かな男たちより少しだけ世界を変えたいのよ」
その瞬間、カーテンの隙間から差し込む月光に照らされて、
机上の計画書がまるで銀の紙のように輝きました。
「恋と信仰で盲目になった人々を、理性の光で照らす――
それが、“悪女クラリス王妃”の次の仕事です」
背筋を伸ばし、私は羽ペンを再び走らせました。
(この手で、この国を再教育してみせる)
まだ誰も知らないその宣誓を胸に刻みながら、
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