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第32章 毒の再来
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王都に静けさが戻ったのは、嵐の翌日でした。
雲が晴れた空の下、城下の人々が穏やかに行き交い、街角では子どもたちの笑い声が響いています。
その穏やかさが逆に、嵐の前触れのように思えました。
「リリアーナ夫人、今朝届いた報告です。学院の研究棟で、数名の者が急な高熱と麻痺症状を――」
「まさか……」
私は震える手で紙を受け取りました。
毒商人たちの陰……夜影草の事件……あの、あの日の呪われた記憶が再び甦るようでした。
「アレクシス様には……?」
「すでにお知らせしました。間もなくこちらへ向かわれるかと」
報告を終えた侍従が去った後、私は机に突っ伏しそうになるのを堪えました。
また、新たに忌まわしい病が――。
もし再び“毒草”が使われたのだとしたら? 今度は誰が、何のために?
* * *
「……やはり、放ってはおけないな。王立学院へ向かおう」
扉を開けて現れたアレクシス様は、いつもの冷静さを装っていましたが、その手がわずかに震えているのを私は見逃しませんでした。
「アレクシス様……その手……」
「大丈夫だ」
「いいえ、無理をしておられませんか?」
「無理などしていない。だが……正直に言えば、不安はある」
彼の声は低く、静か。
その一言が胸を締めつけました。
「でも、また同じようなことが起きたのなら……放っておけませんね」
「君には負担ばかりだ――」
「慣れてます。あなたの妻として、研究者として、これは私の戦いでもありますからね」
そう言うと、アレクシス様は小さく息を吐いて、私の手を取られました。
氷のような手でありながら、不思議と暖かい。
「……君を失いたくないんだ。それだけは、何度でも言う」
「あなたがそう言ってくださる限り、私は勇気が出ますよ」
短い沈黙のあと、アレクシス様は微笑みました。
「行こう。二度と同じ悲劇を繰り返さぬために」
* * *
王立学院の医務棟は、すでに封鎖状態でした。
倒れた学士たちは昏睡し、呼吸は浅く、唇には紫の斑点。
見慣れた症状に、嫌な寒気が背筋を這います。
「……毒草《ナイト・ブリード》。ですが微妙に構成が違う」
「改良型か?」
「はい。新種の交配体です。誰かが意図的に――」
言い終える前に、部屋の外で騒めきが起こりました。
衛兵たちが廊下を駆け、同時に怒号のような声が響きます。
「公爵閣下、これを!」
差し出された紙には、王立公文書の印章。
その文面を見たアレクシス様が、目を険しくしました。
「……“新毒草事件犯として、容疑者:ヴァレンティーヌ夫人”。」
「なっ……!」
思わず息を呑みました。
そこには私の名と、偽造された署名入りの研究式が添付されています。
あの日盗まれた書簡――それが今、罪の証拠として使われていたのです。
「誰がこんなものを……!」
「落ち着け、リリアーナ。王政会議の命令書だが、まだ正式決定ではない。だが……彼らは優秀な君を疑いの目で見始めている」
「そんな馬鹿な……!」
私は頭を振りました。けれど胸の奥では、すでに恐怖が形を持ち始めています。
王国の権力者たちは、表沙汰になった“毒事件”を早急に収めるため、生け贄を探している。
その役に私が選ばれた――。
「……アレクシス様、王城に申し開きを」
「口だけでは無駄だな。行く前に、まずこの毒の源を突き止める。それが何よりの証明になるはずだ」
* * *
陽も沈みかけたころ、医務棟の奥にある薬草庫。
私は闇に包まれた棚を一つずつ確かめました。
そして、その隅で――見つけてしまったのです。
「……これ。間違いない、《ナイト・ブリード》の実です。
でもこの表皮――培養過程が違う。これ、誰かが人工交配した証拠よ……なんてことを!」
崩れ落ちそうになった背を、アレクシス様の腕が支えました。
その身体の熱が伝わってきて、涙が込み上げました。
「君が見つけたなら、もうそれで十分だ」
「まだです。誰が、何のために……」
顔を上げたそのとき、入口の戸が軋んで開きました。
そこに立っていたのは、半ば影に沈んだ人物――。
「久しいね、リリアーナ。君は昔から、何かと目ざとい」
冷たい笑い。聞き覚えのある声。
ライオネル王子、その人でした。
「あなた……まさか、まだ諦めていなかったのですか!」
「諦める? とんでもない。君を王妃にできなかった代償は、王国の支配で取り戻すつもりだ」
「だから、こんな卑劣なことを……!」
「卑劣? 必要な駆け引きだよ。公爵の妻を罪に陥れれば、ヴァレンティーヌ家も沈黙する。完璧な計算だと思わないか?」
アレクシス様の瞳が冷たく光りました。
その冷気が空気ごと凍らせます。
「愚か者め。君がどんな王になるか、誰より分かっていた。だから王は君を選ばなかった」
「貴様、どの口でわたしに! おい、兵を――」
「遅い!」
アレクシス様の剣が閃き、王子の護衛の槍を弾き飛ばしました。
私は咄嗟に薬草棚の瓶を倒し、その煙で辺りを覆いました。
「リリアーナ、急げ!」
「はい!」
二人で駆け出すと、背後で王子の叫びがこだまします。
「必ず――貴様らを地に伏せてやる!」
* * *
宿舎へ戻る頃には夜も更けて、街の灯はほとんど消えていました。
アレクシス様は腕の傷を負われていましたが、痛みを見せず、ただ無言で私を抱き寄せます。
「もう平気です。私は大丈夫……でも、あなたの腕が……!」
「かすり傷だ。王子の方こそ焦っていた。あれで計画は崩れた」
「本当に……これで終わりかしら」
「君がいる限り、終わりではないだろう。まだ“真の疫病”が残っている。あの毒草を利用して、王の血筋を蝕もうとしている。
このままでは、王そのものが危ない」
私は言葉を失いました。
その“王の病”――。それが、次に訪れる脅威の始まりだったのです。
「……行きましょう。王を救うために」
アレクシス様は私の頬に手を当て、静かに微笑みました。
「君がそばにいる限り、どんな毒でも解ける気がするよ」
私はその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
「では、私がこの国の解毒剤になります」
「ふむ、その比喩は悪くないな」
二人、思わず笑い合いました。
窓の外では、夜の雨が静かに降り始めていました。
雲が晴れた空の下、城下の人々が穏やかに行き交い、街角では子どもたちの笑い声が響いています。
その穏やかさが逆に、嵐の前触れのように思えました。
「リリアーナ夫人、今朝届いた報告です。学院の研究棟で、数名の者が急な高熱と麻痺症状を――」
「まさか……」
私は震える手で紙を受け取りました。
毒商人たちの陰……夜影草の事件……あの、あの日の呪われた記憶が再び甦るようでした。
「アレクシス様には……?」
「すでにお知らせしました。間もなくこちらへ向かわれるかと」
報告を終えた侍従が去った後、私は机に突っ伏しそうになるのを堪えました。
また、新たに忌まわしい病が――。
もし再び“毒草”が使われたのだとしたら? 今度は誰が、何のために?
* * *
「……やはり、放ってはおけないな。王立学院へ向かおう」
扉を開けて現れたアレクシス様は、いつもの冷静さを装っていましたが、その手がわずかに震えているのを私は見逃しませんでした。
「アレクシス様……その手……」
「大丈夫だ」
「いいえ、無理をしておられませんか?」
「無理などしていない。だが……正直に言えば、不安はある」
彼の声は低く、静か。
その一言が胸を締めつけました。
「でも、また同じようなことが起きたのなら……放っておけませんね」
「君には負担ばかりだ――」
「慣れてます。あなたの妻として、研究者として、これは私の戦いでもありますからね」
そう言うと、アレクシス様は小さく息を吐いて、私の手を取られました。
氷のような手でありながら、不思議と暖かい。
「……君を失いたくないんだ。それだけは、何度でも言う」
「あなたがそう言ってくださる限り、私は勇気が出ますよ」
短い沈黙のあと、アレクシス様は微笑みました。
「行こう。二度と同じ悲劇を繰り返さぬために」
* * *
王立学院の医務棟は、すでに封鎖状態でした。
倒れた学士たちは昏睡し、呼吸は浅く、唇には紫の斑点。
見慣れた症状に、嫌な寒気が背筋を這います。
「……毒草《ナイト・ブリード》。ですが微妙に構成が違う」
「改良型か?」
「はい。新種の交配体です。誰かが意図的に――」
言い終える前に、部屋の外で騒めきが起こりました。
衛兵たちが廊下を駆け、同時に怒号のような声が響きます。
「公爵閣下、これを!」
差し出された紙には、王立公文書の印章。
その文面を見たアレクシス様が、目を険しくしました。
「……“新毒草事件犯として、容疑者:ヴァレンティーヌ夫人”。」
「なっ……!」
思わず息を呑みました。
そこには私の名と、偽造された署名入りの研究式が添付されています。
あの日盗まれた書簡――それが今、罪の証拠として使われていたのです。
「誰がこんなものを……!」
「落ち着け、リリアーナ。王政会議の命令書だが、まだ正式決定ではない。だが……彼らは優秀な君を疑いの目で見始めている」
「そんな馬鹿な……!」
私は頭を振りました。けれど胸の奥では、すでに恐怖が形を持ち始めています。
王国の権力者たちは、表沙汰になった“毒事件”を早急に収めるため、生け贄を探している。
その役に私が選ばれた――。
「……アレクシス様、王城に申し開きを」
「口だけでは無駄だな。行く前に、まずこの毒の源を突き止める。それが何よりの証明になるはずだ」
* * *
陽も沈みかけたころ、医務棟の奥にある薬草庫。
私は闇に包まれた棚を一つずつ確かめました。
そして、その隅で――見つけてしまったのです。
「……これ。間違いない、《ナイト・ブリード》の実です。
でもこの表皮――培養過程が違う。これ、誰かが人工交配した証拠よ……なんてことを!」
崩れ落ちそうになった背を、アレクシス様の腕が支えました。
その身体の熱が伝わってきて、涙が込み上げました。
「君が見つけたなら、もうそれで十分だ」
「まだです。誰が、何のために……」
顔を上げたそのとき、入口の戸が軋んで開きました。
そこに立っていたのは、半ば影に沈んだ人物――。
「久しいね、リリアーナ。君は昔から、何かと目ざとい」
冷たい笑い。聞き覚えのある声。
ライオネル王子、その人でした。
「あなた……まさか、まだ諦めていなかったのですか!」
「諦める? とんでもない。君を王妃にできなかった代償は、王国の支配で取り戻すつもりだ」
「だから、こんな卑劣なことを……!」
「卑劣? 必要な駆け引きだよ。公爵の妻を罪に陥れれば、ヴァレンティーヌ家も沈黙する。完璧な計算だと思わないか?」
アレクシス様の瞳が冷たく光りました。
その冷気が空気ごと凍らせます。
「愚か者め。君がどんな王になるか、誰より分かっていた。だから王は君を選ばなかった」
「貴様、どの口でわたしに! おい、兵を――」
「遅い!」
アレクシス様の剣が閃き、王子の護衛の槍を弾き飛ばしました。
私は咄嗟に薬草棚の瓶を倒し、その煙で辺りを覆いました。
「リリアーナ、急げ!」
「はい!」
二人で駆け出すと、背後で王子の叫びがこだまします。
「必ず――貴様らを地に伏せてやる!」
* * *
宿舎へ戻る頃には夜も更けて、街の灯はほとんど消えていました。
アレクシス様は腕の傷を負われていましたが、痛みを見せず、ただ無言で私を抱き寄せます。
「もう平気です。私は大丈夫……でも、あなたの腕が……!」
「かすり傷だ。王子の方こそ焦っていた。あれで計画は崩れた」
「本当に……これで終わりかしら」
「君がいる限り、終わりではないだろう。まだ“真の疫病”が残っている。あの毒草を利用して、王の血筋を蝕もうとしている。
このままでは、王そのものが危ない」
私は言葉を失いました。
その“王の病”――。それが、次に訪れる脅威の始まりだったのです。
「……行きましょう。王を救うために」
アレクシス様は私の頬に手を当て、静かに微笑みました。
「君がそばにいる限り、どんな毒でも解ける気がするよ」
私はその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
「では、私がこの国の解毒剤になります」
「ふむ、その比喩は悪くないな」
二人、思わず笑い合いました。
窓の外では、夜の雨が静かに降り始めていました。
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