25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第43章 信じるという勇気

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 春風に紛れて広がる、あの香り――紫の花の匂いでした。

 アレクシス様と私は目を見合わせました。  
 次の瞬間には、もう屋敷の中を駆けています。

「メア、窓という窓を閉めなさい! 外気を入れてはいけません!」
「は、はいっ! グレゴールさん、術式の遮断を!」
「任せな」

 普段は穏やかな屋敷が、まるで戦場のように慌ただしくなりました。  
 けれど誰も混乱してはいません。みんなが私たちを信じて動いてくれています。  
 だからこそ、私は恐怖に押し潰されずにいられました。

 問題は――花がどうやって城の敷地内に侵入したか、です。

「公爵様、南側の温室に数輪の花が!」
「そんな馬鹿な、封鎖したはずだ!」

 私は走りながら、胸の奥がひやりと冷えるのを感じました。  
 リューネの密偵。あの交易団が去ってから一週間。  
 偶然とは、思えません。

 温室の扉を開けた瞬間、むせかえるような香りが押し寄せました。  
 空気が甘く重い。どこか現実が霞むような感覚に、頭がくらりとします。

「リリアーナ!」

 アレクシス様が私の腕を掴み、口元を覆う布を差し出してくださいました。  
 その手の温かさに、心が一瞬だけ落ち着きます。

「下がっていろ。後はこちらで——」
「いいえっ。これは、私が原因を突き止めなければなりません!」

 布越しに声が籠もっても、私の意思は揺らぎません。  
 倒れそうな身体を支えてくださる腕が、震えていました。  
 その震えが、私の勇気に火をつけます。

 棚の奥、鉢が倒れ、紫の花弁がばらまかれていました。  
 香りが強すぎる……! まるで誰かが意図的に“爆ぜさせた”ような残り香です。

「見てください、この茎。切断痕があります。誰かが刃物で」
「確かに……外からの侵入か」

 アレクシス様の低い声が響きます。  
 そのとき、外から騒ぎ声が聞こえました。

「南門で怪しい者を確保しました!」
 伝令の声に、彼の表情が鋭くなる。
「リリアーナ、すぐに屋敷に戻れ」
「いいえ。証拠を確かめます!」

 彼は短く息を吐かれ、観念したように頷きました。  
「……わかった。ただし一歩でも俺の側を離れるな」

 その声の奥にある“恐れ”が、痛いほど伝わってきました。  
 もう二度と、私を失いたくない――その気持ちが。

……◇……

 捕らえられたのは、王国で雇われていた商人風の男でした。  
 荷物の中からは、リューネ語で書かれた密書と、紫の花の種袋が見つかりました。

「やはり……隣国の差し金ですか」
「“公爵家に再び毒の汚名を”か。分かりやすいな」

 アレクシス様の声は冷ややかで、氷の刃のようでした。  
 けれど私には、その奥にある痛みが見えました。  
 過去と同じ罪を、再び負わされる恐怖。  
 それでも、彼は立ち向かっている。

「……私、分かりました」

 思わず口から出た言葉に、彼が眉を上げました。
「何をだ?」
「毒を止める方法です。まだ完全ではありませんが、薬効を逆転させる配合を」

 私は懐から取り出した紙束を広げました。  
 徹夜で研究した調合法。偶然導き出した、一滴の希望です。

「本当に安全なのか」
「試してみないと分かりません。でも、信じてください。私を」

 その言葉にアレクシス様の瞳が揺れました。  
 何かを決意するように、彼は頷きます。

「分かった。……ならば一緒に行く」

「ダメです! 危険ですから!」

「お前だけ危険に晒すなど、俺にはできない!」

 強く言われて、返す言葉を失いました。  
 けれど、その不器用な頑固さが愛おしくて仕方ありません。

 私は微笑みを浮かべました。
「では、あなたは盾になってください。私は矢を放ちますから」
「心得た」

……◇……

 温室の中へ戻ると、花はすでにしおれ始めていました。  
 香りはなお強いが、命の淵で揺らめくように、ぶらりと垂れています。

 私は瓶の中の溶液を混ぜ、慎重に霧吹きに注ぎました。
「これで……うまくいけば」

 ミストが花に触れた瞬間、紫の花弁が波打ちました。  
 やがて香りが薄れていく――成功です!

 その安堵も束の間、私はふらりとよろめきました。  
 霧に含まれていた微量の毒成分。吸い込んでしまったのでしょう。

「リリアーナ!」

 アレクシス様の声が遠く響いて、次の瞬間、身体が宙に浮きました。  
 彼の腕が私を抱きしめていました。  
 胸の奥で鼓動が激しく響く。耳元で「頼む、戻ってこい」と叫ぶ声。

 霞む意識の中、私は微笑んで囁きました。

「あなたが、ここにいるだけで大丈夫です……」

「何を言っている、喋るな!」

「いいえ、聞いてください……。あなたは、信じてくれましたでしょう?」

 アレクシス様の腕が強く震えました。  
 その揺れに、涙が滲みます。  
 彼にとって“信じる”という言葉は、傷と同じ重さなのです。

「……ああ、信じる。もう恐れない。だから目を開けろ、リリアーナ!」

 重たく閉じた瞼の向こうで、世界が白く光りました。  
 遠くから、風の音が聞こえてきます。  
 あの春に吹いた風と似た優しい音。

(大丈夫……この風は、あなたがくれたものだから)

 その想いを胸に、私はゆっくりと意識を手放しました――。

……◇……

 どれほど時間が経ったのか分かりません。  
 目を開けると、白い天蓋が揺れていました。

「……ここは……」
「気が付いたか」

 アレクシス様が椅子に腰掛けていました。  
 目の下には隈、けれど表情は安堵に満ちています。

「三日間、眠っていた。毒は抜けたようだ」
「すみません……また、ご心配をおかけしましたね」
「もう謝るな。お前の勇気が、この領地を救った」

「勇気だなんて。私、ただ怖かっただけです。怖かったから、前に出たんです」

「それこそが勇気だよ」

 アレクシス様の大きな手が、私の頬に触れました。  
 指先が震えていて、胸の奥に温かいものが広がります。

「俺はようやく分かった。恐れも痛みも、捨てなくていい。  
 信じたいと思う気持ちの方が……ずっと強い」

「……はい」

 目と目が合い、言葉はいらなくなりました。  
 ただ、互いの手を握り合い、微笑み合う。  
 窓の外では、風が優しく庭を撫でていました。
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