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「もう君との婚約は白紙にしてほしいんだ……」
王立学園の昼休み、10才から婚約中だったトマス・ホークリー公爵令息は、わたし、サイフリット子爵の娘エメリーを中庭に呼びつけるなり、そんな暴言を吐いたのです。
開いた口がふさがらなくて、ただぼんやりと、トマス様を眺めていますと、
「それでは。あとで、正式な通知は執事から送らせるから」
とその場を逃れようとします。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいませ!」
わたしはあわててトマス様の制服の上着の袖をつかみました。その時、つい必死で力んでしまって、銀ボタンをもぎ取ってしまいました。
「あっ、ごめん……」
「はあ……。いいよ、そんなもの」
トマス様はそう言って、スタスタとこの場から離れようとします。
「だめですわ」
わたしはすぐに地面に落ちたボタンを拾ってハンカチに包み胸ポケットにしまい、あわててトマス様の肩を掴みます。
「上着をお脱ぎになって」
「え?」
「いいから、早くなさってよ」
トマス様が上着を手渡すと、わたしは携帯用の裁縫道具で手際よくボタンを縫い付けはじめます。
「トマス様、いったいわたしの何がいけなかったのですか?」
トマス様に問いかけると、ぼそっとした声で、
「君が悪いわけじゃないから」
「なら、一体どういう……?」
トマス様は上着をはおりながら、気まずそうに背を向けて歩きながら、話し出します。
「1年3組のミンスター男爵のエザベル嬢を知ってるか?」
わたしの脳裏に、1学年下の長身の少女が目に浮かびました。少しませた感じの深紅のアイラインが印象的な美少女です。
「え、ええ。半年前の入学式でちらりと見ただけですけど。それが何ですか?」
「ぼくは彼女と付き合っている」
なるほど、最近、夜会やピクニックに誘われなかったのは、そのせいだったのと分かりました。
「エザベル嬢とお付きあいね……それはご交遊を広めるのにはよいことですよね!」
わたしはかけだして、トマス様の行く手を阻むように、彼を満面の笑みで見返しました。
そこは校舎前運動場近くのベンチで、学生の令息令嬢がにぎやかに歓談している場所でした。
わたしの惚けた顔に、トマスは頭に血が上ってしまったようです。
「きみはどこまでお人好しなんだよ! しんけんに付き合っているんだぜ?」
わたしはギクリとして立ちすくんでしまいました。
「そんな大声で、ちょっと怖いわ。真剣に人と向き合うのはすばらしいことと思うわ」
「いいかい、ぼくはエザベル嬢がすきなんだ! だから、きみとは別れたい」
「わ、別れたい……!?」
わたしの胸は押しつぶされてしまったようです。悲しみのあまり、瞼からとめどなく涙が溢れ出てきます。
両家どうしで付き合いが長く、年少からずっと仲良しだったのに。
わたしはうずくまって顔をおおって泣き出しました。嗚咽が止まらず、はげしくむせび泣くので、周りの学生たちも集まってきました。
「おい! トマス・ホークリー、女の子に暴言をはいて泣かすなど!」
3年の上級生、エルダー公爵の
アレクセイ様が、トマスを咎めました。騎士団長の息子様らしく、がっしりした胸板に、短髪のりりしい顔つきです。
女学生たちもわたしのそばに寄ってきて、わたしの肩をさすったり、ハンカチを貸して頬をぬぐってくれました。
トマス様は苦虫をかんだような顔をしてだまりこんでいます。そんなはっきりしない態度が、さらにアレクセイ様の気に触ったのでしょう。
アレクセイ様は、トマス様の両肩をつかみ、
「どうなんだ、トマス。だまってないで何か言ったらどうだ」
とゆすりはじめました。
わたしは、やっと喉からこみ上げるものが落ち着いてきて、ゆっくりと立ち上がりました。その時、スカートの裏ポケットから紙箱が落ちたみたいです。でも、わたしは気づかずに、頭はトマス様の御身だけ考えていました。
「アレクセイ様、これ以上、愛しい婚約者をお責めにならないでください……」
アレクセイ様は「はっ」としてトマス様の手を離して、半べそのわたしを見下ろしました。
「トマスが、エメリー嬢の婚約者だったとは。それはたいへん申し訳なかった」
トマス様とは言うと、苦虫をかんだような顔をして、「……」とことばをつぐんでいます。
「あら、エメリー様。こんなものがポケットから落ちましたよ」
わたしは紙箱を受け取り、おもむろにトマス様に差し出しました。
「トマス様。昨日、ひさしぶりにいっしょにお昼休みに誘われたのがうれしくて。手作りのクッキーを焼いてきたんです。トマス様が大好きなチョコチップ入りですの」
トマス様は目が点になって、しばらくわたしの手のひらに包まれている紙箱をながめていました。
それから、
「エメリー、ありがとう」と受けとしました。
「こちらこそ!」
わたしは涙の残り露をはらい笑顔をつくり、
「さっきのお話、わたしはトマス様のお戯れとして受け取りますわよ。また、いっしょにピクニックにいきましょうよ、ね!」
と、トマス様に握手を求めました。
「……だからエメリー、そうじゃなくて」
トマス様がためらっていると、
「おい、トマス。こんなによくできたご令嬢がいるなんて。うらやましいなあ」
他の女学生たちも、わたしを囲んで、
「手作りなんて、すごいわね」
「しかも、婚約者の好みまで把握なさってるなんて」
「お二人は熱々ね」
などとほめそやします。
一方のトマス様はといえば一段と困ったように眉間にしわをよせて、だまったままでした。
アレクセイ様は、わたしとトマス様との関係に何を感じたのでしょう。
「だったら、次の週末にでも皆で郊外の湖でピクニックにでも行こう」
との一声があり、(トマス様はあまり乗り気ではありませんでしたが)、皆で出かけることになりました。
その時、(アレクセイ様が見つけたそうです)、木陰でエザベル嬢が一部始終を、奥歯をかみながら観察していたのでした。
王立学園の昼休み、10才から婚約中だったトマス・ホークリー公爵令息は、わたし、サイフリット子爵の娘エメリーを中庭に呼びつけるなり、そんな暴言を吐いたのです。
開いた口がふさがらなくて、ただぼんやりと、トマス様を眺めていますと、
「それでは。あとで、正式な通知は執事から送らせるから」
とその場を逃れようとします。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいませ!」
わたしはあわててトマス様の制服の上着の袖をつかみました。その時、つい必死で力んでしまって、銀ボタンをもぎ取ってしまいました。
「あっ、ごめん……」
「はあ……。いいよ、そんなもの」
トマス様はそう言って、スタスタとこの場から離れようとします。
「だめですわ」
わたしはすぐに地面に落ちたボタンを拾ってハンカチに包み胸ポケットにしまい、あわててトマス様の肩を掴みます。
「上着をお脱ぎになって」
「え?」
「いいから、早くなさってよ」
トマス様が上着を手渡すと、わたしは携帯用の裁縫道具で手際よくボタンを縫い付けはじめます。
「トマス様、いったいわたしの何がいけなかったのですか?」
トマス様に問いかけると、ぼそっとした声で、
「君が悪いわけじゃないから」
「なら、一体どういう……?」
トマス様は上着をはおりながら、気まずそうに背を向けて歩きながら、話し出します。
「1年3組のミンスター男爵のエザベル嬢を知ってるか?」
わたしの脳裏に、1学年下の長身の少女が目に浮かびました。少しませた感じの深紅のアイラインが印象的な美少女です。
「え、ええ。半年前の入学式でちらりと見ただけですけど。それが何ですか?」
「ぼくは彼女と付き合っている」
なるほど、最近、夜会やピクニックに誘われなかったのは、そのせいだったのと分かりました。
「エザベル嬢とお付きあいね……それはご交遊を広めるのにはよいことですよね!」
わたしはかけだして、トマス様の行く手を阻むように、彼を満面の笑みで見返しました。
そこは校舎前運動場近くのベンチで、学生の令息令嬢がにぎやかに歓談している場所でした。
わたしの惚けた顔に、トマスは頭に血が上ってしまったようです。
「きみはどこまでお人好しなんだよ! しんけんに付き合っているんだぜ?」
わたしはギクリとして立ちすくんでしまいました。
「そんな大声で、ちょっと怖いわ。真剣に人と向き合うのはすばらしいことと思うわ」
「いいかい、ぼくはエザベル嬢がすきなんだ! だから、きみとは別れたい」
「わ、別れたい……!?」
わたしの胸は押しつぶされてしまったようです。悲しみのあまり、瞼からとめどなく涙が溢れ出てきます。
両家どうしで付き合いが長く、年少からずっと仲良しだったのに。
わたしはうずくまって顔をおおって泣き出しました。嗚咽が止まらず、はげしくむせび泣くので、周りの学生たちも集まってきました。
「おい! トマス・ホークリー、女の子に暴言をはいて泣かすなど!」
3年の上級生、エルダー公爵の
アレクセイ様が、トマスを咎めました。騎士団長の息子様らしく、がっしりした胸板に、短髪のりりしい顔つきです。
女学生たちもわたしのそばに寄ってきて、わたしの肩をさすったり、ハンカチを貸して頬をぬぐってくれました。
トマス様は苦虫をかんだような顔をしてだまりこんでいます。そんなはっきりしない態度が、さらにアレクセイ様の気に触ったのでしょう。
アレクセイ様は、トマス様の両肩をつかみ、
「どうなんだ、トマス。だまってないで何か言ったらどうだ」
とゆすりはじめました。
わたしは、やっと喉からこみ上げるものが落ち着いてきて、ゆっくりと立ち上がりました。その時、スカートの裏ポケットから紙箱が落ちたみたいです。でも、わたしは気づかずに、頭はトマス様の御身だけ考えていました。
「アレクセイ様、これ以上、愛しい婚約者をお責めにならないでください……」
アレクセイ様は「はっ」としてトマス様の手を離して、半べそのわたしを見下ろしました。
「トマスが、エメリー嬢の婚約者だったとは。それはたいへん申し訳なかった」
トマス様とは言うと、苦虫をかんだような顔をして、「……」とことばをつぐんでいます。
「あら、エメリー様。こんなものがポケットから落ちましたよ」
わたしは紙箱を受け取り、おもむろにトマス様に差し出しました。
「トマス様。昨日、ひさしぶりにいっしょにお昼休みに誘われたのがうれしくて。手作りのクッキーを焼いてきたんです。トマス様が大好きなチョコチップ入りですの」
トマス様は目が点になって、しばらくわたしの手のひらに包まれている紙箱をながめていました。
それから、
「エメリー、ありがとう」と受けとしました。
「こちらこそ!」
わたしは涙の残り露をはらい笑顔をつくり、
「さっきのお話、わたしはトマス様のお戯れとして受け取りますわよ。また、いっしょにピクニックにいきましょうよ、ね!」
と、トマス様に握手を求めました。
「……だからエメリー、そうじゃなくて」
トマス様がためらっていると、
「おい、トマス。こんなによくできたご令嬢がいるなんて。うらやましいなあ」
他の女学生たちも、わたしを囲んで、
「手作りなんて、すごいわね」
「しかも、婚約者の好みまで把握なさってるなんて」
「お二人は熱々ね」
などとほめそやします。
一方のトマス様はといえば一段と困ったように眉間にしわをよせて、だまったままでした。
アレクセイ様は、わたしとトマス様との関係に何を感じたのでしょう。
「だったら、次の週末にでも皆で郊外の湖でピクニックにでも行こう」
との一声があり、(トマス様はあまり乗り気ではありませんでしたが)、皆で出かけることになりました。
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