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 週末はよく晴れました。都から1時間ほど馬車から離れた湖には避暑地として有名です。大勢の貴族たちの別荘や帆船が桟橋に浮かんでいます。

 湖畔の周りには小高い山々もあるので、山遊びも水遊びも楽しめるのです。

 皆がそれぞれの馬車で待ち合わせの水辺の広場に着いた時、一人だけ、帆船乗り付けた一人の少女がいました。

 トマス様はうれしそうに、船のタラップから彼女をエスコートして来ました。

「紹介します。こちらがミンスター男爵のご令嬢、エザベル嬢です」 

 ミンスター男爵家は金貸し商の成金貴族で、爵位はお金で買ったという噂です。そのお嬢さまというだけあって、真っ白のドレスですが、スカート部分は薄い水色をあしらっていて、涼しげな印象です。長身でスタイルが良く、なにより輝くばかりの金髪の長髪にのぞくブルーの切れ長の瞳はまばゆいほど美しいのです。

「エザベルです。どうぞ、よろしく。わたし、トマス様にはとても仲よくして頂いています」

 エザベル嬢はそう言うなり、トマス様に腕を回したのです。

 アレクセイ様や他の友人たちは驚いて顔を見合わせました。

 トマス様は、わたしたちを見渡して、

「ここで、大切な報告をします。ぼくとエザベル嬢はいっしょになりたいと思っています」

 その場はシーンと静まりました。

「……!」

 わたしは少しうつむいてスタスタと、エザベル嬢に向かって歩いていきます。

 エザベル嬢は少しこわばった表情をして、わたしを見下ろしています。

 トマス様は肩をすぼめて、

「エメリー、きみの気持ちはわかるけど。エザベル嬢に八つ当たりみたいのはよしてくれよ」

 わたしは首を振り、晴れやかな笑顔でエザベル嬢に手を差し出しました。

「エザベル様。わたしのトマス様とお付きあいくださってありがとう。婚約者のわたしともよいお友達どうしになりましょう!」

 エザベル嬢はとまどいながら、

「婚約者って? わたしはあなた様と仲よくなろうなんて別に……」

 わたしは、空高く伸びる白い帆を指さして、

「ねえねえ、この立派な帆船、エザベル様のご所有?」

「お父様のですけど?」

「こんな素敵な船でこの湖を回ってみることはできたら、さぞかし楽しいでしょうね!」

 わたしは興味津々でエザベル嬢の手を取って、ぜひ周遊したいと申し出ました。

「エメリー、ちょっと強引じゃないか?」 

 トマス様が割ってはいりましたが、エザベル嬢はまんざらでもないようです。

「いいんです。この帆船は国内で王様の次に大きいですし、5の客室と厨房もダンスホールもあるのですわ」

 アレクセイ様もほかの友だちも、「ぜひ、乗ってみたい」ということで、さっそく、湖の遊覧がはじまりました。

 エザベル嬢のお父様の計らいで、今日はひとり娘の貸し切りにしてもらったとのことで、彼女はかなり上機嫌です。

 船員は風を読んで大きな帆をたくみに操り、船はしぶきを上げながら、快調に進んでいきます。

 わたしたちは2階の甲板に出て、一面に広がる湖の水面を見ていると、愛らしい水鳥たちや気持ちよさそうに泳ぐ魚たちを見つけました。

 湖畔のそばにたたずむ積み木のようにしだいに小さくなっていく別荘群をながめていると、エザベル嬢がひとまわり大きな赤い屋根を指さして、

「あれが、我が家ですわ!」 

とうれしそうに話しました。

「午前に船遊びが終わったら、わたしの別荘に遊びにいらして」

 一同が賛同する中、トマス様だけは2階の甲板にいません。

(トマス様……?)

 わたしが彼をもとめて階下に降りると、トマス様は青白い顔は1階のホールのソファーに座っていました。

「どうしたんだ、エメリー。みんなといっしょにいればいいだろう?」

「そんなこと、できるわけないです」

 わたしは、スカートのポケットから携帯袋を取り出して、小さな錠剤と、使用人に水の入ったグラスを依頼してトマス様に渡しました。

「……なんだ、それは?」

「船酔い薬です。5歳に両家で海で離れ小島のビーチへ蒸気船ででかけた時のこと。おぼえてる?」

「あんな黒歴史をまだ覚えていたのか?」

 波の揺れでトマス様がすぐに具合が悪くなることを、わたしは知っていました。だからこんなこともあろうかと、あらゆる準備はおこたりません。

「お見通しよ! わたしたち、ずっと仲良しだった。……じゃない?」 

「……」

 トマス様は無言のまま、薬をのんで目を伏せました。

「ねえ、お母様から聞いたのだけど。ホークリーのおじ様おば様はお元気? 最近の夜会にお見えにならないから心配してるのよ」

「ああ、両親なら元気だよ」

 トマス様は気まずそうに、目をそらしました。

 ホークリー公爵は最近の蒸気船や機関車の普及により石炭が必要と考えて、多額のお金をミンスター商会(エザベル嬢のお父様が経営してます!)から借りて、地方の鉱山開発を進めているときいています。近ごろ、その事業が上手くいっていないと、噂好きのお母様から聞いたのです。

(ミンスター商会は、高利貸しだもの。ずいぶん、高貴な貴族たちの資産を根こそぎ持って行くと悪い話しかないけど……)

「余計なことしたね。ごめんなさい……」

「なぜ、エメリーがあやまるんだよ?」

 トマス様は「ふっ」と照れくさそうに苦笑いを浮かべて、わたしの顔をのぞきました。ずいぶん、じっと見られるので、恥ずかしくなって、肩をすぼめます。

「あの、え? トマス様……?」

(やっぱり好きなんだようー)

「……手を貸してほしい」

「……う、うん」

 わたしがうなずくと、トマス様は手をとりました。自然と向かい合わせになって、わたしは彼の流れるようなブラウンの髪をながめていました。彫りの深い鼻筋、きりっとした眉、煌めく瑠璃色の瞳。いつも惚れ惚れしてしまいます。ツンとしている印象だけど、本当の彼を、幼馴染みのわたしは知っているのです。

「合流するか」

「は、はい……」

 わたしはトマス様にみちびかれて皆の待つ甲板にくると、わたしたちふたりで手をつないでいるのをエザベル嬢は気に食わないように目をしかめていました。そして、わたしの手を払うように割ってはいったのです。

 その時です。

 バタン! ガシャーン!

と船が突風にあおられて、トマス様の手から離れたわたしの体ごと、海に投げ出されたのです。

 真っ逆さまに落ちて、はげしく水面に頭を打ちました。水の中で息苦しさのあまり、何とか上がろうともがいてみるものの、ドレスはどんどん水で重くなります。わたしは暗い湖の底へ底へと引きずり込まれていきました。
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