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【第十二章】心の告白
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港の春は、気まぐれに晴れて、気まぐれに曇ります。
あの日の再会からひと月が過ぎたある朝、私はリンドウの花を植え替えていました。
群青に近い青が、潮風の中できらきらと輝いています。
(この花が咲くころ、もう泣いている自分じゃなくなりたい)
そう思いながら指先で土を押さえていた時でした。
「……相変わらず働き者なんだな」
低い声が背後から聞こえました。
驚いて振り返ると、そこにアシェル様が立っていました。
淡い灰に近い外套をまとい、髪には港の風が絡まっています。
「……また、いらしたんですか」
「ええ。しばらく、この町に滞在できるようになった」
「王都を離れて……大丈夫なんですか?」
「宰相の座は降りたよ。もう、政治だけの世界に縛られる理由もない」
その言葉に、胸の奥が静かに波打ちました。
彼の立場を知る者として、それがどれほどの決断か理解できたからです。
「ここから見える海を、君と同じ景色で見てみたかった」
「景色……ですか」
私は小さく笑いました。
この町の海なんて、粗野で気まぐれなものですのに。
それでも、彼が少し柔らかな顔をしていたのが嬉しかった。
*
午後、二人で並んで薬草園を歩きました。
陽射しが淡く、セージの葉が光を反射しています。
私はいつものように摘み取った葉を指先に擦り、問いかけました。
「セージの花言葉、覚えていますか?」
「……尊敬、と、再生だったかな」
「あら、正解ですわ。覚えててくださったのですね」
「君から教わったことは、まだ消えてない」
その一言が、不意に胸に響きました。
彼の声は、以前のように硬くない。
言葉の隙間に、どこか優しさが溢れていました。
「俺はずっと間違えていた。
君を守ることが夫の役目だと思っていた。
でも本当は、君を信じることだったんだと気づいたんだ」
足元の花々が、春風にそよぎました。
心臓の鼓動が少し早くなり、言葉が出なくなります。
「あなたに、そんなことを言われる日が来るなんて思いませんでした」
「遅すぎたかな」
「……遅いということは、“まだ”間に合うかもしれないということでもあります」
そう口にすると、彼が目を見開き、それから静かに笑いました。
「君らしい言葉だ。……希望を諦めないところが」
春の陽光が二人の間に落ちて、風がやわらかく吹き抜けました。
*
夕暮れ、丘の上の小道を一緒に歩きました。
海が金に染まり、カモメの鳴き声が響きます。
「君がこの町で笑って生きていると聞いたとき、本当に嬉しかった。
でも同時に、少し怖かった」
「怖い?」
「君がもう、俺の色を必要としないのではないかと」
彼は苦く笑いました。
「私は、あなたの色を着るためにずいぶん頑張っていましたよ。
けれど今は、あなたの隣で“私の色”のまま笑える気がします」
胸の奥で、何かが静かにほどけていく音がしました。
アシェル様が歩み寄り、そっと私の手を取ります。
大きく温かい手のひら。その感触に、たくさんの記憶が蘇りました。
「君の選んだ道を、支えたい。
一人の人として、もう一度、君の隣に立たせてほしい」
その真っ直ぐな言葉に、涙がにじみそうになりました。
(あの冷たかった人が、こんなにも正直に想いを伝えてくれるなんて)
「……困ります。突然そんなことを言われても」
「では、少しずつでいい。海のように、君の歩みに合わせて」
そう言って、彼は柔らかく笑いました。
その笑みに、私は返すように口を開きました。
「……なら、約束です。
“守る”ではなく、“支える”――それなら、傍にいてもいいと思います」
「約束する。君の光を奪うようなことは、二度としない」
風が吹き、髪が揺れました。
彼の手がそっと私の頬に触れます。
指先の温かさが、涙の跡をなぞるようでした。
「リリア……君の色は、世界で一番綺麗だ」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がやわらかく震えました。
長い間、閉じ込めていた想いがほどけていく。
涙が頬を伝い、私は微笑みながら囁きました。
「あなたの色も、今なら好きになれそうです」
アシェル様の表情が柔らかく緩み、彼の額が私の額に触れました。
潮風が香り、セージの葉が春の風にざわめきます。
それは、一度手放した愛がもう一度“形を変えて咲いた”瞬間でした。
*
その夜、窓を開けると星の光が海を照らしていました。
私は机の上の薬草瓶をひとつ取ります。
セージと忘れな草――あの夜に残していった瓶。
指先で蓋を開け、香りを吸い込みました。
懐かしくて、けれどもう悲しくはありません。
「ありがとう、そして、おかえりなさい。アシェル様」
夜風が花壇を抜けて、港の灯りを揺らします。
リンドウの花がゆっくりと開いていきました。
あの日の再会からひと月が過ぎたある朝、私はリンドウの花を植え替えていました。
群青に近い青が、潮風の中できらきらと輝いています。
(この花が咲くころ、もう泣いている自分じゃなくなりたい)
そう思いながら指先で土を押さえていた時でした。
「……相変わらず働き者なんだな」
低い声が背後から聞こえました。
驚いて振り返ると、そこにアシェル様が立っていました。
淡い灰に近い外套をまとい、髪には港の風が絡まっています。
「……また、いらしたんですか」
「ええ。しばらく、この町に滞在できるようになった」
「王都を離れて……大丈夫なんですか?」
「宰相の座は降りたよ。もう、政治だけの世界に縛られる理由もない」
その言葉に、胸の奥が静かに波打ちました。
彼の立場を知る者として、それがどれほどの決断か理解できたからです。
「ここから見える海を、君と同じ景色で見てみたかった」
「景色……ですか」
私は小さく笑いました。
この町の海なんて、粗野で気まぐれなものですのに。
それでも、彼が少し柔らかな顔をしていたのが嬉しかった。
*
午後、二人で並んで薬草園を歩きました。
陽射しが淡く、セージの葉が光を反射しています。
私はいつものように摘み取った葉を指先に擦り、問いかけました。
「セージの花言葉、覚えていますか?」
「……尊敬、と、再生だったかな」
「あら、正解ですわ。覚えててくださったのですね」
「君から教わったことは、まだ消えてない」
その一言が、不意に胸に響きました。
彼の声は、以前のように硬くない。
言葉の隙間に、どこか優しさが溢れていました。
「俺はずっと間違えていた。
君を守ることが夫の役目だと思っていた。
でも本当は、君を信じることだったんだと気づいたんだ」
足元の花々が、春風にそよぎました。
心臓の鼓動が少し早くなり、言葉が出なくなります。
「あなたに、そんなことを言われる日が来るなんて思いませんでした」
「遅すぎたかな」
「……遅いということは、“まだ”間に合うかもしれないということでもあります」
そう口にすると、彼が目を見開き、それから静かに笑いました。
「君らしい言葉だ。……希望を諦めないところが」
春の陽光が二人の間に落ちて、風がやわらかく吹き抜けました。
*
夕暮れ、丘の上の小道を一緒に歩きました。
海が金に染まり、カモメの鳴き声が響きます。
「君がこの町で笑って生きていると聞いたとき、本当に嬉しかった。
でも同時に、少し怖かった」
「怖い?」
「君がもう、俺の色を必要としないのではないかと」
彼は苦く笑いました。
「私は、あなたの色を着るためにずいぶん頑張っていましたよ。
けれど今は、あなたの隣で“私の色”のまま笑える気がします」
胸の奥で、何かが静かにほどけていく音がしました。
アシェル様が歩み寄り、そっと私の手を取ります。
大きく温かい手のひら。その感触に、たくさんの記憶が蘇りました。
「君の選んだ道を、支えたい。
一人の人として、もう一度、君の隣に立たせてほしい」
その真っ直ぐな言葉に、涙がにじみそうになりました。
(あの冷たかった人が、こんなにも正直に想いを伝えてくれるなんて)
「……困ります。突然そんなことを言われても」
「では、少しずつでいい。海のように、君の歩みに合わせて」
そう言って、彼は柔らかく笑いました。
その笑みに、私は返すように口を開きました。
「……なら、約束です。
“守る”ではなく、“支える”――それなら、傍にいてもいいと思います」
「約束する。君の光を奪うようなことは、二度としない」
風が吹き、髪が揺れました。
彼の手がそっと私の頬に触れます。
指先の温かさが、涙の跡をなぞるようでした。
「リリア……君の色は、世界で一番綺麗だ」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がやわらかく震えました。
長い間、閉じ込めていた想いがほどけていく。
涙が頬を伝い、私は微笑みながら囁きました。
「あなたの色も、今なら好きになれそうです」
アシェル様の表情が柔らかく緩み、彼の額が私の額に触れました。
潮風が香り、セージの葉が春の風にざわめきます。
それは、一度手放した愛がもう一度“形を変えて咲いた”瞬間でした。
*
その夜、窓を開けると星の光が海を照らしていました。
私は机の上の薬草瓶をひとつ取ります。
セージと忘れな草――あの夜に残していった瓶。
指先で蓋を開け、香りを吸い込みました。
懐かしくて、けれどもう悲しくはありません。
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