【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~

朝日みらい

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【第十二章】心の告白

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 港の春は、気まぐれに晴れて、気まぐれに曇ります。  
 あの日の再会からひと月が過ぎたある朝、私はリンドウの花を植え替えていました。  
 群青に近い青が、潮風の中できらきらと輝いています。

(この花が咲くころ、もう泣いている自分じゃなくなりたい)

 そう思いながら指先で土を押さえていた時でした。

「……相変わらず働き者なんだな」

 低い声が背後から聞こえました。  
 驚いて振り返ると、そこにアシェル様が立っていました。  
 淡い灰に近い外套をまとい、髪には港の風が絡まっています。

「……また、いらしたんですか」

「ええ。しばらく、この町に滞在できるようになった」

「王都を離れて……大丈夫なんですか?」

「宰相の座は降りたよ。もう、政治だけの世界に縛られる理由もない」

 その言葉に、胸の奥が静かに波打ちました。  
 彼の立場を知る者として、それがどれほどの決断か理解できたからです。

「ここから見える海を、君と同じ景色で見てみたかった」

「景色……ですか」

 私は小さく笑いました。  
 この町の海なんて、粗野で気まぐれなものですのに。  
 それでも、彼が少し柔らかな顔をしていたのが嬉しかった。



 午後、二人で並んで薬草園を歩きました。  
 陽射しが淡く、セージの葉が光を反射しています。  
 私はいつものように摘み取った葉を指先に擦り、問いかけました。

「セージの花言葉、覚えていますか?」

「……尊敬、と、再生だったかな」

「あら、正解ですわ。覚えててくださったのですね」

「君から教わったことは、まだ消えてない」

 その一言が、不意に胸に響きました。  
 彼の声は、以前のように硬くない。  
 言葉の隙間に、どこか優しさが溢れていました。

「俺はずっと間違えていた。  
 君を守ることが夫の役目だと思っていた。  
 でも本当は、君を信じることだったんだと気づいたんだ」

 足元の花々が、春風にそよぎました。  
 心臓の鼓動が少し早くなり、言葉が出なくなります。

「あなたに、そんなことを言われる日が来るなんて思いませんでした」

「遅すぎたかな」

「……遅いということは、“まだ”間に合うかもしれないということでもあります」

 そう口にすると、彼が目を見開き、それから静かに笑いました。

「君らしい言葉だ。……希望を諦めないところが」

 春の陽光が二人の間に落ちて、風がやわらかく吹き抜けました。



 夕暮れ、丘の上の小道を一緒に歩きました。  
 海が金に染まり、カモメの鳴き声が響きます。

「君がこの町で笑って生きていると聞いたとき、本当に嬉しかった。  
 でも同時に、少し怖かった」

「怖い?」

「君がもう、俺の色を必要としないのではないかと」

 彼は苦く笑いました。

「私は、あなたの色を着るためにずいぶん頑張っていましたよ。  
 けれど今は、あなたの隣で“私の色”のまま笑える気がします」

 胸の奥で、何かが静かにほどけていく音がしました。

 アシェル様が歩み寄り、そっと私の手を取ります。  
 大きく温かい手のひら。その感触に、たくさんの記憶が蘇りました。

「君の選んだ道を、支えたい。  
 一人の人として、もう一度、君の隣に立たせてほしい」

 その真っ直ぐな言葉に、涙がにじみそうになりました。

(あの冷たかった人が、こんなにも正直に想いを伝えてくれるなんて)

「……困ります。突然そんなことを言われても」

「では、少しずつでいい。海のように、君の歩みに合わせて」

 そう言って、彼は柔らかく笑いました。

 その笑みに、私は返すように口を開きました。

「……なら、約束です。  
 “守る”ではなく、“支える”――それなら、傍にいてもいいと思います」

「約束する。君の光を奪うようなことは、二度としない」

 風が吹き、髪が揺れました。  
 彼の手がそっと私の頬に触れます。  
 指先の温かさが、涙の跡をなぞるようでした。

「リリア……君の色は、世界で一番綺麗だ」

 その声を聞いた瞬間、胸の奥がやわらかく震えました。  
 長い間、閉じ込めていた想いがほどけていく。

 涙が頬を伝い、私は微笑みながら囁きました。

「あなたの色も、今なら好きになれそうです」

 アシェル様の表情が柔らかく緩み、彼の額が私の額に触れました。  
 潮風が香り、セージの葉が春の風にざわめきます。

 それは、一度手放した愛がもう一度“形を変えて咲いた”瞬間でした。



 その夜、窓を開けると星の光が海を照らしていました。  
 私は机の上の薬草瓶をひとつ取ります。  
 セージと忘れな草――あの夜に残していった瓶。

 指先で蓋を開け、香りを吸い込みました。  
 懐かしくて、けれどもう悲しくはありません。

「ありがとう、そして、おかえりなさい。アシェル様」

 夜風が花壇を抜けて、港の灯りを揺らします。  
 リンドウの花がゆっくりと開いていきました。
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