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第3章 侯爵家の夜会へ潜入!
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「リリアーナお嬢様、このドレスで間違いございませんね?」
エルザがわたしに差し出したのは、ごくごくシンプルな若草色のドレスでした。
装飾は控えめなレースのみ。華やかなドレスが並ぶわたしのクローゼットの中では、まるで場違いなほど地味な一着です。
「ええ、完璧ですわ、エルザ。今日のわたしの役どころは『地味で控えめな、天然令嬢』ですから」
わたしはにっこり微笑んで、ドレスを受け取りました。
エルザは少し複雑そうな顔をしています。
彼女はわたしの裏の顔を知っている唯一の存在。だからこそ、この作戦に内心、心配しているのかもしれません。
「ですが、お嬢様は……いえ、なんでもございません。どうぞ、こちらへ」
エルザはそれ以上何も言わずに、わたしの背中に回ってドレスのファスナーを上げてくれました。
彼女の指先はいつも通り、手際が良く、そして少しだけ震えていました。
わたしは鏡の中に映る自分を見つめました。
いつもの化粧を少し薄くし、髪もシンプルにまとめただけの顔。地味なドレスが、その印象をさらに際立たせていました。
これで、あの傲慢な侯爵の警戒心を解く、完璧な『道具』の完成です。
今日の夜会は、ダミアン侯爵家が主催するものでした。
社交界では、彼の新しい恋人、ベラ・モンロー嬢のお披露目も兼ねていると噂されています。つまり、今回の『ざまぁ』を仕掛ける、絶好の舞台なのです。
(さて、セシリア様の無念を晴らすために、わたしという平凡な令嬢を演じきらなければなりませんね)
内心では冷静に状況を分析し、計画を練りながらも、わたしは侯爵家へと向かう馬車の中で、少しだけ緊張している自分に気づきました。
馬車が侯爵家の門をくぐり、広大な庭園に差し掛かると、窓の外はまばゆい光に包まれていました。
きらびやかな装飾が施された馬車が次々と到着し、ドレスを着飾った令嬢や、燕尾服に身を包んだ貴公子たちが降り立っていきます。
馬車から降りたわたしは、その華やかな光景に一瞬だけ目を細めました。本当に、この世界はいつも、光と闇が隣り合わせです。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
執事の案内で中へ入ると、さらにまばゆい光景が広がっていました。
天井からは巨大なシャンデリアが輝き、壁一面には高価な絵画が飾られています。まるで、宝石箱の中に入り込んだかのようです。
わたしは、なるべく目立たないように、壁際を歩きました。
周りの令嬢たちは、互いのドレスを褒めあったり、談笑したりしています。中には、ちらりとわたしを見て、クスクスと笑う声も聞こえてきました。
「あら、クローディア子爵家のお嬢様かしら? いつもあんなに地味なドレスで……」
「きっと、刺繍ばかりしているから、流行に疎いのね」
聞こえてきた陰口に、わたしは内心で毒づきました。
(結構ですわ。その地味さが、あなたの愛するダミアン侯爵を、まんまと騙す武器になるのですから)
そう心の中で呟きながら、わたしはターゲットであるダミアン侯爵を探しました。
彼はすぐに分かりました。ベラ・モンロー嬢と、楽しそうに笑い合っている姿が、遠目にも目立っていたからです。
ベラ嬢は、真っ赤なドレスに身を包み、宝石をこれでもかというほど身につけていました。
まるで、侯爵の隣に立つにふさわしい、派手で刺激的な女性を演じているかのようでした。
その彼女の横で、ダミアン侯爵は得意げに、周りの貴族たちと談笑しています。
「まったく、傲慢で幼稚な方ですね」
わたしは、グラスに注がれたレモネードを一口飲み、小さくため息をつきました。
セシリア様の心を傷つけた、そのくだらない理由を思い出し、胸がムカムカとします。
(計画通り、彼に近づいて、彼が求める『退屈で平凡な女』を演じなければ)
そう決意を固めたわたしは、ゆっくりと彼らのグループへと近づいていきました。
ベラ嬢が身につけている派手なネックレスに興味があるフリをして、少し離れた場所で立ち止まります。
しばらくすると、わたしに気づいたベラ嬢が、不機嫌そうな顔でダミアン侯爵に耳打ちしました。
ダミアン侯爵は、つまらなそうにちらりとわたしを見ると、やがてその顔に、面白そうな笑みを浮かべました。
「リリアーナ・クローディア嬢ではないか。こんな夜会で会うとは、珍しい」
彼は、わたしの前へと歩み寄ってきました。
「え、あの……はい。ダミアン侯爵様、この度は夜会にお招きいただき、ありがとうございます。この、ベラ様のネックレスがとても素敵で、つい見入ってしまいました」
わたしは、わざと少しどもりながら、上目遣いで侯爵を見上げました。
この視線は、男性の自尊心をくすぐるための、秘密兵器です。
「ははは! 君のような、素朴な娘には、このくらい華やかなものが珍しいのだろうな。どうだ、見飽きないか?」
侯爵は、得意げに笑いました。
ベラ嬢は、不満そうな顔をしながらも、彼に寄り添っています。
(チョロい男ですね、まったく……)
内心で毒づきながら、わたしはさらに『天然』を装いました。
「はい、本当に素敵です! 私はお菓子作りや刺繍ばかりしているので、このような華やかな場所は少し苦手で……。でも、侯爵様は、皆さんからとても人気がおありなのですね!」
わたしは、ダミアン侯爵の虚栄心を刺激するような言葉を並べました。
彼は、その言葉に満足そうに頷き、ベラ嬢の腰を抱き寄せます。
「君のような素朴な花も、悪くはない。だが、私の愛は、もっと刺激的なものを求めるのだよ」
その言葉を聞いた瞬間、わたしはセシリア様の痛みを思い出し、内心で怒りを燃やしました。ですが、表情には決して出しません。
「あら、そうなのですか! 侯爵様は、本当に情熱的なのですね! 素敵ですわ!」
わたしは、精一杯の愛らしさを装い、彼の言葉を褒め称えました。
ダミアン侯爵は、ますます上機嫌になり、わたしの手を取ろうとしました。その瞬間───。
「侯爵様、失礼いたします」
わたしとダミアン侯爵の間に、背の高い人影が割って入ってきました。
「なんだ、カイルではないか。今は、少し楽しませてもらっているんだ」
ダミアン侯爵が、不機嫌そうな顔でその人物に声をかけました。
カイル……?
わたしは顔を上げました。
そこに立っていたのは、王国騎士団の制服に身を包んだ、銀色の髪の青年でした。
顔立ちは端正で、無表情なのにどこか冷たい印象を与えます。
彼の視線は、ダミアン侯爵ではなく、わたしをまっすぐに見つめていました。その眼差しは、鋭く、まるでわたしの心の中をすべて見透かしているかのようでした。
「お初にお目にかかります。カイル・アーベントと申します。そちらのお嬢様は……?」
彼は、わたしに微笑みかけました。
しかし、その目は全く笑っていませんでした。
「リリアーナ・クローディアと申します。カイル様……?」
わたしの声は、いつもの『天然』の声からは想像もつかないほど、震えていました。
この男、一体何者なの?
カイル様は、わたしの言葉に小さく頷くと、わたしの耳元に顔を近づけて、囁くように言いました。
「お嬢さん、そんなに分かりやすい仮面を被っていて、疲れませんか?」
その瞬間、わたしの背筋が凍りつきました。
わたしは、全身の血の気が引いていくのを感じました。
この男は、わたしの裏の顔に気づいている……?
「え……? あの……なんのことでしょう、カイル様?」
わたしは、精一杯の笑顔で誤魔化そうとしましたが、きっと顔はひきつっていたでしょう。
カイル様は、わたしの返答に満足そうに、いや、むしろ面白そうに口元を歪めました。
「何も、とぼけなくても。ダミアン侯爵を、その手で転がしていらっしゃるご様子。その演技、なかなか見事です」
彼は、そう囁いて、わたしの手首をそっと掴みました。
ひんやりとした彼の指先が、わたしの肌に触れた瞬間、心臓が跳ね上がりました。
(まずい、まずいまずい! このままでは裏の顔がバレてしまう!)
「カイル、クローディア嬢はただの素朴な娘だ。君の疑り深い目は、彼女に失礼だろう」
ダミアン侯爵が、不機嫌そうな顔で口を挟みました。
彼は、わたしが自分に夢中だと信じて疑わないようです。
「失礼いたしました。ですが、侯爵様。世の中、見かけによらないものも多くありますから」
カイル様は、そう言って、わたしに意味深な視線を送ると、すっと手を離しました。
そして、ダミアン侯爵に深々と一礼すると、人混みの中へと消えていきました。
(一体、何者なの……?)
わたしは、まだジンジンと熱が残る手首をそっと押さえました。
男嫌いのわたしが、知らない男性に手を握られ、動揺している。そんな自分の姿に、ひどく混乱しました。
「まったく、カイルめ。わざわざ君をからかいにきたのだろう。君のような純粋な娘は、彼のようないやらしい男には近づかない方がいい」
ダミアン侯爵は、わたしの隣で、自分の正しさを誇示するように言いました。
(いやらしい男は、あなたのことですけれど?)
わたしは、心の中で毒づきながら、再び『天然令嬢』の仮面を完璧に被り直しました。
「はい、そうですね! 侯爵様、お話を伺っていて、とても楽しかったですわ! 私、そろそろ失礼させていただきますね」
わたしは、計画通り、彼の興味を引いたところで、その場を離れることにしました。
「そうか。だが、また会う機会はあるだろう。君のような素朴で可愛らしい娘は、私の好みだ」
ダミアン侯爵は、わたしの言葉に満足そうに微笑みました。
彼は、わたしのことが気に入ったようです。これで、いつでも彼に近づくことができます。
計画の第一歩は成功です。
だが、わたしの心は、勝利の喜びに満たされてはいませんでした。
脳裏に焼き付いているのは、あの銀髪の騎士、カイル様の鋭い、そしてどこか優しさを帯びた瞳です。
(わたしは、あの人に……見抜かれてしまったのかしら?)
もし、わたしの裏の顔が彼に知られてしまったら、どうなるのでしょう。
彼は、わたしのことをどう思っているのでしょうか?
不安と、そしてそれ以上の、得体の知れない感情が、わたしの胸を締め付けます。
(……なんだか、この後の計画が、一筋縄ではいかなくなりそうですわね)
わたしは、夜会の喧騒の中を、一人静かに歩きながら、そう呟きました。
エルザがわたしに差し出したのは、ごくごくシンプルな若草色のドレスでした。
装飾は控えめなレースのみ。華やかなドレスが並ぶわたしのクローゼットの中では、まるで場違いなほど地味な一着です。
「ええ、完璧ですわ、エルザ。今日のわたしの役どころは『地味で控えめな、天然令嬢』ですから」
わたしはにっこり微笑んで、ドレスを受け取りました。
エルザは少し複雑そうな顔をしています。
彼女はわたしの裏の顔を知っている唯一の存在。だからこそ、この作戦に内心、心配しているのかもしれません。
「ですが、お嬢様は……いえ、なんでもございません。どうぞ、こちらへ」
エルザはそれ以上何も言わずに、わたしの背中に回ってドレスのファスナーを上げてくれました。
彼女の指先はいつも通り、手際が良く、そして少しだけ震えていました。
わたしは鏡の中に映る自分を見つめました。
いつもの化粧を少し薄くし、髪もシンプルにまとめただけの顔。地味なドレスが、その印象をさらに際立たせていました。
これで、あの傲慢な侯爵の警戒心を解く、完璧な『道具』の完成です。
今日の夜会は、ダミアン侯爵家が主催するものでした。
社交界では、彼の新しい恋人、ベラ・モンロー嬢のお披露目も兼ねていると噂されています。つまり、今回の『ざまぁ』を仕掛ける、絶好の舞台なのです。
(さて、セシリア様の無念を晴らすために、わたしという平凡な令嬢を演じきらなければなりませんね)
内心では冷静に状況を分析し、計画を練りながらも、わたしは侯爵家へと向かう馬車の中で、少しだけ緊張している自分に気づきました。
馬車が侯爵家の門をくぐり、広大な庭園に差し掛かると、窓の外はまばゆい光に包まれていました。
きらびやかな装飾が施された馬車が次々と到着し、ドレスを着飾った令嬢や、燕尾服に身を包んだ貴公子たちが降り立っていきます。
馬車から降りたわたしは、その華やかな光景に一瞬だけ目を細めました。本当に、この世界はいつも、光と闇が隣り合わせです。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
執事の案内で中へ入ると、さらにまばゆい光景が広がっていました。
天井からは巨大なシャンデリアが輝き、壁一面には高価な絵画が飾られています。まるで、宝石箱の中に入り込んだかのようです。
わたしは、なるべく目立たないように、壁際を歩きました。
周りの令嬢たちは、互いのドレスを褒めあったり、談笑したりしています。中には、ちらりとわたしを見て、クスクスと笑う声も聞こえてきました。
「あら、クローディア子爵家のお嬢様かしら? いつもあんなに地味なドレスで……」
「きっと、刺繍ばかりしているから、流行に疎いのね」
聞こえてきた陰口に、わたしは内心で毒づきました。
(結構ですわ。その地味さが、あなたの愛するダミアン侯爵を、まんまと騙す武器になるのですから)
そう心の中で呟きながら、わたしはターゲットであるダミアン侯爵を探しました。
彼はすぐに分かりました。ベラ・モンロー嬢と、楽しそうに笑い合っている姿が、遠目にも目立っていたからです。
ベラ嬢は、真っ赤なドレスに身を包み、宝石をこれでもかというほど身につけていました。
まるで、侯爵の隣に立つにふさわしい、派手で刺激的な女性を演じているかのようでした。
その彼女の横で、ダミアン侯爵は得意げに、周りの貴族たちと談笑しています。
「まったく、傲慢で幼稚な方ですね」
わたしは、グラスに注がれたレモネードを一口飲み、小さくため息をつきました。
セシリア様の心を傷つけた、そのくだらない理由を思い出し、胸がムカムカとします。
(計画通り、彼に近づいて、彼が求める『退屈で平凡な女』を演じなければ)
そう決意を固めたわたしは、ゆっくりと彼らのグループへと近づいていきました。
ベラ嬢が身につけている派手なネックレスに興味があるフリをして、少し離れた場所で立ち止まります。
しばらくすると、わたしに気づいたベラ嬢が、不機嫌そうな顔でダミアン侯爵に耳打ちしました。
ダミアン侯爵は、つまらなそうにちらりとわたしを見ると、やがてその顔に、面白そうな笑みを浮かべました。
「リリアーナ・クローディア嬢ではないか。こんな夜会で会うとは、珍しい」
彼は、わたしの前へと歩み寄ってきました。
「え、あの……はい。ダミアン侯爵様、この度は夜会にお招きいただき、ありがとうございます。この、ベラ様のネックレスがとても素敵で、つい見入ってしまいました」
わたしは、わざと少しどもりながら、上目遣いで侯爵を見上げました。
この視線は、男性の自尊心をくすぐるための、秘密兵器です。
「ははは! 君のような、素朴な娘には、このくらい華やかなものが珍しいのだろうな。どうだ、見飽きないか?」
侯爵は、得意げに笑いました。
ベラ嬢は、不満そうな顔をしながらも、彼に寄り添っています。
(チョロい男ですね、まったく……)
内心で毒づきながら、わたしはさらに『天然』を装いました。
「はい、本当に素敵です! 私はお菓子作りや刺繍ばかりしているので、このような華やかな場所は少し苦手で……。でも、侯爵様は、皆さんからとても人気がおありなのですね!」
わたしは、ダミアン侯爵の虚栄心を刺激するような言葉を並べました。
彼は、その言葉に満足そうに頷き、ベラ嬢の腰を抱き寄せます。
「君のような素朴な花も、悪くはない。だが、私の愛は、もっと刺激的なものを求めるのだよ」
その言葉を聞いた瞬間、わたしはセシリア様の痛みを思い出し、内心で怒りを燃やしました。ですが、表情には決して出しません。
「あら、そうなのですか! 侯爵様は、本当に情熱的なのですね! 素敵ですわ!」
わたしは、精一杯の愛らしさを装い、彼の言葉を褒め称えました。
ダミアン侯爵は、ますます上機嫌になり、わたしの手を取ろうとしました。その瞬間───。
「侯爵様、失礼いたします」
わたしとダミアン侯爵の間に、背の高い人影が割って入ってきました。
「なんだ、カイルではないか。今は、少し楽しませてもらっているんだ」
ダミアン侯爵が、不機嫌そうな顔でその人物に声をかけました。
カイル……?
わたしは顔を上げました。
そこに立っていたのは、王国騎士団の制服に身を包んだ、銀色の髪の青年でした。
顔立ちは端正で、無表情なのにどこか冷たい印象を与えます。
彼の視線は、ダミアン侯爵ではなく、わたしをまっすぐに見つめていました。その眼差しは、鋭く、まるでわたしの心の中をすべて見透かしているかのようでした。
「お初にお目にかかります。カイル・アーベントと申します。そちらのお嬢様は……?」
彼は、わたしに微笑みかけました。
しかし、その目は全く笑っていませんでした。
「リリアーナ・クローディアと申します。カイル様……?」
わたしの声は、いつもの『天然』の声からは想像もつかないほど、震えていました。
この男、一体何者なの?
カイル様は、わたしの言葉に小さく頷くと、わたしの耳元に顔を近づけて、囁くように言いました。
「お嬢さん、そんなに分かりやすい仮面を被っていて、疲れませんか?」
その瞬間、わたしの背筋が凍りつきました。
わたしは、全身の血の気が引いていくのを感じました。
この男は、わたしの裏の顔に気づいている……?
「え……? あの……なんのことでしょう、カイル様?」
わたしは、精一杯の笑顔で誤魔化そうとしましたが、きっと顔はひきつっていたでしょう。
カイル様は、わたしの返答に満足そうに、いや、むしろ面白そうに口元を歪めました。
「何も、とぼけなくても。ダミアン侯爵を、その手で転がしていらっしゃるご様子。その演技、なかなか見事です」
彼は、そう囁いて、わたしの手首をそっと掴みました。
ひんやりとした彼の指先が、わたしの肌に触れた瞬間、心臓が跳ね上がりました。
(まずい、まずいまずい! このままでは裏の顔がバレてしまう!)
「カイル、クローディア嬢はただの素朴な娘だ。君の疑り深い目は、彼女に失礼だろう」
ダミアン侯爵が、不機嫌そうな顔で口を挟みました。
彼は、わたしが自分に夢中だと信じて疑わないようです。
「失礼いたしました。ですが、侯爵様。世の中、見かけによらないものも多くありますから」
カイル様は、そう言って、わたしに意味深な視線を送ると、すっと手を離しました。
そして、ダミアン侯爵に深々と一礼すると、人混みの中へと消えていきました。
(一体、何者なの……?)
わたしは、まだジンジンと熱が残る手首をそっと押さえました。
男嫌いのわたしが、知らない男性に手を握られ、動揺している。そんな自分の姿に、ひどく混乱しました。
「まったく、カイルめ。わざわざ君をからかいにきたのだろう。君のような純粋な娘は、彼のようないやらしい男には近づかない方がいい」
ダミアン侯爵は、わたしの隣で、自分の正しさを誇示するように言いました。
(いやらしい男は、あなたのことですけれど?)
わたしは、心の中で毒づきながら、再び『天然令嬢』の仮面を完璧に被り直しました。
「はい、そうですね! 侯爵様、お話を伺っていて、とても楽しかったですわ! 私、そろそろ失礼させていただきますね」
わたしは、計画通り、彼の興味を引いたところで、その場を離れることにしました。
「そうか。だが、また会う機会はあるだろう。君のような素朴で可愛らしい娘は、私の好みだ」
ダミアン侯爵は、わたしの言葉に満足そうに微笑みました。
彼は、わたしのことが気に入ったようです。これで、いつでも彼に近づくことができます。
計画の第一歩は成功です。
だが、わたしの心は、勝利の喜びに満たされてはいませんでした。
脳裏に焼き付いているのは、あの銀髪の騎士、カイル様の鋭い、そしてどこか優しさを帯びた瞳です。
(わたしは、あの人に……見抜かれてしまったのかしら?)
もし、わたしの裏の顔が彼に知られてしまったら、どうなるのでしょう。
彼は、わたしのことをどう思っているのでしょうか?
不安と、そしてそれ以上の、得体の知れない感情が、わたしの胸を締め付けます。
(……なんだか、この後の計画が、一筋縄ではいかなくなりそうですわね)
わたしは、夜会の喧騒の中を、一人静かに歩きながら、そう呟きました。
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