人質王女、計算高すぎて覇権国家を論破する〜冷徹宰相は私の知恵を独占したいらしい〜

朝日みらい

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第1章 身代わりの王女

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 馬車の揺れに合わせて、私の心臓も頼りなく跳ねていました。
 カーテンの隙間から覗く景色は、見慣れたリュミエール公国の痩せた土色から、いつの間にか目に痛いほど鮮やかな黄金色へと変わっています。
「……さすがは、覇権国家アストラヴェル。道一本とっても、我が国の一年分の国家予算が埋まっていそうですわね」
 思わず漏れた独り言に、向かいに座る侍女が悲しげに目を伏せました。

 そうなのです。私は今、ただの「第三王女リゼリア」ではありません。
 底をついた国庫、枯渇した魔石鉱山、そして飢えに喘ぐ国民たち。それらすべてを背負わされた、いわば「生贄(いけにえ)」——いえ、もっとオブラートに包めば「外交的人質」として、この大国へ差し出される身なのです。

 お父様やお兄様たちは、出発の際、実に出立にふさわしい「もっともらしい顔」をしておられました。
『リゼリア、お前ならこの難局を乗り越えられると信じているよ』
『これは王族としての義務だ。頼んだぞ』

 ……ええ、そうでしょうとも。自分たちが贅沢を尽くして空っぽにした金庫の帳尻を合わせるのに、一番「使い勝手のいい」娘を差し出すのは、さぞ名案だったことでしょう。
 彼らの瞳の奥にあったのは、私への慈しみではなく、厄介払いができたという安堵と、新たな融資への強欲な期待だけでした。

「……リゼリア様。あまり、根を詰めすぎないでくださいませ」
「大丈夫よ。私には、これくらいしかできることがないもの」
 私は膝の上でぎゅっと拳を握りしめました。
 私の指は、扇を持つよりも、帳簿の数字を追いかける方が得意です。宝石を愛でるよりも、諸外国の関税率を暗記する方が性に合っています。

 愛されない王女が、それでも自分の居場所を求めて必死に磨いてきた「知恵」という名の武器。それを今、私は最大級の敵陣で振るわなければならないのです。

 アストラヴェル王宮の謁見の間は、まさに暴力的なまでの豪華さでした。
 高い天井には神話を描いたフレスコ画、足元には毛足の長い深紅の絨毯。そして何より、並み居る貴族たちの視線が、私を「品定め」するように突き刺さります。

「リュミエール公国、第三王女リゼリア。ご挨拶に伺いました」
 私は極上のカーテシーを披露しました。背筋を伸ばし、顎を引き、あくまで淑やかに。
 ここで怯めば、リュミエールの尊厳は文字通り塵となります。
「ふん……。ずいぶんと小柄で、貧相な王女が来たものだな」
 頭上から降ってきたのは、氷のように冷たく、そして傲慢な声でした。
 顔を上げれば、そこには一段高い玉座の横に立つ、一人の青年がいました。

 第一王子、カイゼル。
 燃えるような金の髪に、すべてを見下すような冷酷な青い瞳。まさに「覇道の体現者」といった風貌ですが、その口元に刻まれた嘲笑が、彼の性格を雄弁に物語っています。
「我がアストラヴェルの慈悲を乞いに来たというのに、その程度の装飾品しか身につけられぬのか? 属国の姫というのは、これだから……」
「お言葉ですが、カイゼル殿下」
 私は微笑を絶やさず、静かに言葉を返しました。

「私は今回、御国との『対等な互恵関係』の構築を提言しに参りました。装飾品の豪華さではなく、提示する条件の合理性において、殿下にご満足いただける自信がございます」
「……ほう? 口だけは達者なようだ」
 カイゼル殿下が一歩、詰め寄ってきます。彼の放つ圧倒的な威圧感に、呼吸が止まりそうになります。

 彼は私の顎を不躾に指先で掬い上げ、品定めするように左右に振りました。
「いいか。貴様は交渉に来たのではない。我が国が貴様らの『無能』を肩代わりしてやる対価として、ここに繋がれる犬だ。勘違いするなよ?」

 ……屈辱。
 けれど、私は瞬き一つしませんでした。ここで目を逸らしたら負けです。
 殿下の指先が離れ、彼が背を向けて笑いながら去っていく中、私はその場に立ち尽くしました。

 ——その時です。
「……失礼。王女殿下、お怪我はございませんか」
 落ち着いた、けれど深みのある声が鼓膜を震わせました。
 驚いて視線を向けると、カイゼル殿下の背後に控えていた一人の男性が、静かに私へと歩み寄ってくるところでした。

 濃紺の官服を隙なく着こなし、眼鏡の奥で鋭くも穏やかな瞳を光らせている青年。
 彼こそが、この国の政務を実質的に司るという宰相補佐、エドヴァルド様。

「第一王子が少々、無作法を。お詫び申し上げます」
「……いいえ。慣れておりますわ。それよりも、宰相補佐殿……でしたね?」
「はい。エドヴァルドとお呼びください」
 彼はそう言うと、跪くこともなく、けれどこの場の誰よりも深い敬意を込めて、私の手を取りました。

 彼の指先は驚くほど温かく、そしてしっかりと私の震えを止めるように包み込んでくれます。
「リゼリア殿下。貴女の瞳には、強い意志が宿っている。……私は、自分の国を救おうと足掻く者を、嫌いではありません」
 彼は私の手の甲に、羽が触れるような軽い、けれど確かな感触の誓いのキスを落としました。

 一瞬、心臓が跳ね上がりました。
 この人は、敵でしょうか。それとも——。

「明日からの閣僚会議、楽しみにしておりますよ。貴女がどのような『知恵』で、我が国の食えない連中を黙らせるのかを」
 エドヴァルド様は、眼鏡の奥で悪戯っぽく、けれどどこか寂しげに微笑むと、風のように立ち去っていきました。

 一人残された謁見の間。
 私の指先には、まだ彼の体温が残っています。
 ……さあ、リゼリア。泣いている暇はありません。
 ここからが、私の本当の戦いですもの。
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